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なぜ修行をするのでしょうか

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道元禅師様について書かれた本を読んでいました。
そこに「本来本法性 天然自性身」と教典にあるのに、なぜ修行をしなければならないのか、と道元禅師様は当初疑問に思っていたとありました。

その疑問から、如浄禅師の「坐禅はすべからく身心脱落なるべし」という言葉で解き放たれた。とありました。

そこで...
①なぜ修行をするのでしょうか
②修行とはなんでしょうか
③修行の目的はなんでしょうか
④なぜ道元禅師は如浄禅師のその言葉で、この疑問から解放されたのでしょうか。

曹洞宗の和尚様はもちろん、いろんな宗派の、いろんな方のご意見を聞いてみたいです。

私は強がっていますが、精神的に弱く、心が不安定になりやすいです。
いろんな方に支えられ、助けられて生きていると実感しています。
常に100%の心ではなくて、上下することの少ない、安定した心を持てるようになりたいです。

2020年4月21日 13:51

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

玉磨かざれば光なし

 こんにちは。
 道元禅師に興味をもってくださりありがとう。
 「本来本法性 天然自性心」とは「人間は本来仏の心を持っており、生まれながらに仏の身体を有している」という意味です。
 これに対し、道元禅師は、「私たちがもともと仏の身体や心と同じであるならば、仏教を伝えた祖師方はなぜその上さらに仏になりたいと修行をつんだのであろうか」という疑問を持ちました。
 当時の比叡山は教義重視で修行はなおざりにされる風潮があったようで、そのような風潮に対する痛烈な批判だったのかもしれません。(何で勉強ばっかりで修行(実践)がないんだという疑問であり、なんで修行しなくてはならないのか(修行など不要なのではないか)という疑問ではなかったのかもしれませんね)

①③④「身心脱落」は、道元禅師の悟りのきっかけになった言葉です。悟りを得たことで「ああやっぱり修行(実践)が大切なんだ」と腑に落ちたんだと思います。
②については、道元禅師が宋で出会った老典座(食事係の僧侶)との会話の中で
 道元禅師「修行とは何ですか」
 老典座「偏界曾て蔵さず」(へんかいかつてかくさず)(世界はかくすことなく現れている=修行でない事はない。一切が修行だ)
 という会話があったという話があるとおり、坐禅も掃除もトイレもみんな修行だ。どのような事も丁寧に他の事を考えず行わなくてはならないという事だと思います。

 道元禅師の伝記は多く出版されていますので、さらに詳しくお読みになると良いと思います。また道元禅師の話を聞き書きした「正法眼蔵随聞記」という本もあるので挑戦してみると良いと思います。

2020年4月22日 10:12
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・曹洞宗/静岡県/50代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、...

『発心』→『修行』→『菩提』→『涅槃』

【回答】
① 発心し、菩提を求めるプロセスだからです。
② 自身のみならず、「ありったけ」で取り組むことです。
③ 菩提(正覚の智)に至ることです。
④ まさにその時、菩提の機が熟したからです。

【補足説明】
『発心』とは『発菩提心』のことですが、この場合は「自未得度先度他」の菩提心ではなく、『学道用心集』の第一にある「世間の生滅無常を観ずる心」の菩提心とお考え下さい。
お釈迦様が出家なされた際の発心も、「世のため人のため」ではありませんでした。「世のため人のため」の発心は、梵天勧請以後です。

『修行』に関して…
「修証一如」は、『菩提』に至った後の感得とお考え下さい。

『菩提』の機が熟した…
『発心』に基づき『修行』で培った1つ1つの「点」が、繋がって「線」になった。
『菩提』に至ってみたら、「本来本法性」「天然自性身」だった。
「修証一如」だった。
360°見方が変わって、それが感得できた。

…ってことで、ご理解頂けるでしょうか?

2020年4月21日 22:20
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GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...

「本来本法性 天然自性身」ではなかったということ

 「本来本法性 天然自性身」とは、当時の比叡山天台宗ではやっていて、今も日本仏教全体に人気の観念「天台本覚思想」です。道元と同じく比叡山を降りた親鸞は、「煩悩即菩提」などと言っています。この本覚思想に対して、もう30年近く前に駒澤大学の袴谷憲昭先生が、それでは仏教でなくヒンドゥ教だと批判して、本まで出しています。
 本覚思想は、人間はもともと悟っていて(少なくとも悟りの種を持っていて)、しかし、それが煩悩で覆われて分からないから、修行して心を磨いて、キラキラした心に戻せばよいというものです。ヒンドゥ教の、アートマン(我)を磨いてブラフマン(梵)と合一しようという「梵我一如」と同じです。
 当時の比叡山では、もともと悟っているなら修行しなくてもよいではないかという怠けの風潮があったかもしれません。道元はそれが嫌で、徹底的に修行して、悟ってみたら、本来の状態に戻るどころか、「心身脱落」だったと、師匠の如浄と同じく表現しています。

 ちなみに、菩提とは悟りのことです。解脱とも涅槃とも言います。

 去年出版された、スマナサーラ長老と藤田一照師の対談本、それと、最近出たばかりの、スマナサーラ長老の「禅語」についての本を読むと新たな発見があるのではないかと思います。禅の悟りを評価し、さらに初期仏教の視点で解説しています。アマゾンの「スマナサーラ」で出てきます。

2020年4月22日 8:11
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

質問者からのお礼

ありがとうございます。
うーーん...難しいです。
菩提の境地に至りたいと思うことが発心?
菩提に至るために必要なことが修行?
菩提ってなんでしょう...

申し訳ないです...

回答ありがとうございました!
お二方のご意見でなんとなくわかったように思います。
スッキリしました!

光禪様、回答ありがとうございました。
胸のつかえが取れたように思います。
「本来本法性 天然自性身」について、また随聞記についても、時間を作って学んでみたいと思います。

「仏教における修行」問答一覧

人間はなぜ修行しなければ悟れないのか?

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 私は禅の思想に感銘を受け、座禅修行を念頭に日々の生活を送っております。 多数の書物やお話から理屈では「なるほど悟りとはこのようなものか」と理解しつつも、お坊さまはご存知の通り、頭の理解でどうにかなるものではなく悪戦苦闘の日々です。 そこで私はふと思いました。なぜ人間はこんなに修行しなければ悟れないのか?…と。 昔、文鳥を飼っていた事がありますが、文鳥は悟っていると思いました。 すべての行動が「作為なく自然体で、ありのまま」なのです。 例えば、指で突っつくと怒るのですが、次の瞬間に手のひらを差し出すと、怒っていた事はすっかり忘れて手のひらに乗って機嫌良くしているし、 晩年は羽の力も衰えて全く飛べなくなりましたが、そんな事を気にしたり落ち込んだりする様子もなく、シャカシャカと素早く走りいつも通りのご機嫌なのです。 動物植物などはそのように「ありのまま」生きている(…と思う私の推測ですが)のに何故に人間は長い間たくさんの修行をしてやっと悟れるか、あるいはそれでも悟れない、という言わば面倒な存在なのでしょうか? お坊さま方もお忙しい中まことに恐縮ですが、ご教授よろしくお願い致します。

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