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自分よりすぐれた者とはどういうひとでしょうか

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旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者にであわなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ。
「ブッダのことば」で読みましたが、自分よりすぐれた者、ひとしい者とはどういった人間をさすのでしょうか。どう判断するべきなのでしょうか。
そもそも、ひとと自分とを比較して優劣をつけることはすべきでないと思っていましたが、意図する内容が違うのでしょうか。

2014年3月18日 1:06

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自灯明 法灯明

 これは、お釈迦様が亡くなる前に弟子に示された遺言です。「他者に頼らず、自己を依り処にし、法を依り処にしなさい」ということです。

 ご質問の「すぐれた者」とは、このような生き方をしている方を指すのではないでしょうか。自分よりすぐれた者、自分にひとしい者とは、能力の優劣や悟りの深さとかではなく、同じ道を歩んでいるかどうかだと思います。

2014年3月27日 14:47
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有り難し
おきもち

和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

正師

心を迷いの状態から、明るみに導いてくれる力量のある自分がハッキリした人の事を言います。
道元禅師は仏道は正しい師匠の元で学ばなかったら学ばないほうがイイとさえ言っておられます。正師(しょうし)といいます。力にならない仏教は仏教であるようでも、実践生活で役に立たない仏教と言わざるを得ません。私も何百冊も仏教書を読みましたがぶっちゃけ役に立たないものばかりでした。なぜなら書いている本人が悟りを得ていないから推測ネタばかりなのです。実際の生活で、自分を救う、役に立つ、効果的な、キチンと救われる教えを提供してくれる人のことこそ、優れたる人、というべきでしょう。
我々の業界では悟った人のことです。
「無上菩提を演説する師にあわんには種性を観ずることなかれ、容顔を観ることなかれ、非を嫌うことなかれ、行いを考うることなかれ」と。
(日常生活でスクワレる悟り、実践的な教えを提供してくれる師匠に出会ったならば、立場をがどうだとか、見た目がどうだとか、悪いトコ探しだとか、行いがどうだとかとやかく言わずその方の元でしっかりと学ぶべきである)

2014年3月25日 0:15
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

ハラオチ〜気づく人・自分のフィルターを知っている人

聞いたことは聞いただけのことと知り、見たことは見ただけのことと知り、知ったことは知っただけのことと知る者どもでも、、、

Kakaさん、こんにちは。
自分よりすぐれた者とはどういうひとか。ひとしい者、おろかな者、とはどういうひとか。
どういうひとかが問題ではないように思います。
すなわち「上から目線で、あの人は素晴らしい!同レベル!ひっくいわ〜!と思考停止するな」。とくに「上から目線であの人は素晴らしい!」と思ってはいやしないか、がミソです。

“比較して優劣をつけることはすべきでない”と思いつつも、何かしらの判断をせねば、私たちは生きていけませんよね。
あっちよりこっちがいいな、とか。たとえば、選挙・レストランでの食事やお弁当。人生は選択の連続です。
ではそこに“自分との比較”が本当に無いのかというと、どうでしたでしょうか。
候補者同士を比較するだけではなくて、「この人に票を投じるくらいなら、自分の方がまし」。料理同士を比較するだけではなくて、「こっちを食べると、より幸せを感じるかもしれない」。
判断するのは自分ですから、どこかに自分が出てきます。当たり前のことです(誰かの判断に盲目的に従うことは置いといて)。

自分との比較はしていいのです。
ただその時の判断にたいして、どのようなスタンスをとるか?が問われるところなのだと思います。
すぐれた者、ひとしい者、おろかな者。その判断は自分やまわりに左右されている。くだした判断も、自分やまわりに影響をおよぼしている。
この事実にハラオチしていることです。深い部分で気づいていることです。それはどういうことか、と自分の言葉で考えられている表現できていることです。
とてもパーソナルな行為ですね。

きっばりと独りで行く。愚かな者を道連れにしない。
パーソナルなトレーニングをつむことの大切さを、説いているのだと思います。

2014年3月18日 10:27
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おきもち

「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

質問者からのお礼

皆様、大変ありがとうございました。
自己を依り処にし、法を依り処、とはありがたい支えになります。

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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