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自分よりすぐれた者とはどういうひとでしょうか

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旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者にであわなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ。
「ブッダのことば」で読みましたが、自分よりすぐれた者、ひとしい者とはどういった人間をさすのでしょうか。どう判断するべきなのでしょうか。
そもそも、ひとと自分とを比較して優劣をつけることはすべきでないと思っていましたが、意図する内容が違うのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自灯明 法灯明

 これは、お釈迦様が亡くなる前に弟子に示された遺言です。「他者に頼らず、自己を依り処にし、法を依り処にしなさい」ということです。

 ご質問の「すぐれた者」とは、このような生き方をしている方を指すのではないでしょうか。自分よりすぐれた者、自分にひとしい者とは、能力の優劣や悟りの深さとかではなく、同じ道を歩んでいるかどうかだと思います。

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和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

正師

心を迷いの状態から、明るみに導いてくれる力量のある自分がハッキリした人の事を言います。
道元禅師は仏道は正しい師匠の元で学ばなかったら学ばないほうがイイとさえ言っておられます。正師(しょうし)といいます。力にならない仏教は仏教であるようでも、実践生活で役に立たない仏教と言わざるを得ません。私も何百冊も仏教書を読みましたがぶっちゃけ役に立たないものばかりでした。なぜなら書いている本人が悟りを得ていないから推測ネタばかりなのです。実際の生活で、自分を救う、役に立つ、効果的な、キチンと救われる教えを提供してくれる人のことこそ、優れたる人、というべきでしょう。
我々の業界では悟った人のことです。
「無上菩提を演説する師にあわんには種性を観ずることなかれ、容顔を観ることなかれ、非を嫌うことなかれ、行いを考うることなかれ」と。
(日常生活でスクワレる悟り、実践的な教えを提供してくれる師匠に出会ったならば、立場をがどうだとか、見た目がどうだとか、悪いトコ探しだとか、行いがどうだとかとやかく言わずその方の元でしっかりと学ぶべきである)

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

ハラオチ〜気づく人・自分のフィルターを知っている人

聞いたことは聞いただけのことと知り、見たことは見ただけのことと知り、知ったことは知っただけのことと知る者どもでも、、、

Kakaさん、こんにちは。
自分よりすぐれた者とはどういうひとか。ひとしい者、おろかな者、とはどういうひとか。
どういうひとかが問題ではないように思います。
すなわち「上から目線で、あの人は素晴らしい!同レベル!ひっくいわ〜!と思考停止するな」。とくに「上から目線であの人は素晴らしい!」と思ってはいやしないか、がミソです。

“比較して優劣をつけることはすべきでない”と思いつつも、何かしらの判断をせねば、私たちは生きていけませんよね。
あっちよりこっちがいいな、とか。たとえば、選挙・レストランでの食事やお弁当。人生は選択の連続です。
ではそこに“自分との比較”が本当に無いのかというと、どうでしたでしょうか。
候補者同士を比較するだけではなくて、「この人に票を投じるくらいなら、自分の方がまし」。料理同士を比較するだけではなくて、「こっちを食べると、より幸せを感じるかもしれない」。
判断するのは自分ですから、どこかに自分が出てきます。当たり前のことです(誰かの判断に盲目的に従うことは置いといて)。

自分との比較はしていいのです。
ただその時の判断にたいして、どのようなスタンスをとるか?が問われるところなのだと思います。
すぐれた者、ひとしい者、おろかな者。その判断は自分やまわりに左右されている。くだした判断も、自分やまわりに影響をおよぼしている。
この事実にハラオチしていることです。深い部分で気づいていることです。それはどういうことか、と自分の言葉で考えられている表現できていることです。
とてもパーソナルな行為ですね。

きっばりと独りで行く。愚かな者を道連れにしない。
パーソナルなトレーニングをつむことの大切さを、説いているのだと思います。

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

質問者からのお礼

皆様、大変ありがとうございました。
自己を依り処にし、法を依り処、とはありがたい支えになります。

「仏教全般」問答一覧

人徳とは何でしょうか?

 年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。  かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。  にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、   「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」 というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。  そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。  そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。  さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。  もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。

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仏教で気持ちが楽にならないです。

全体: 仏教はこの世が苦しくてたまらない人が解脱or楽になる為に信仰している。 今回のタイトル: 全く楽にならない。 なぜ 1楽にならない助けて!というと本人の思考、もしくは生まれる前の前世が最悪だったからというどうしようもない提案をされる。 さてその本人の考え自身も、彼自身が会得したものではないという事すら苦しみなのです。 人を殺めていいという環境に生まれた人が、別環境に押し込められて考え方を根性で変えよ!というような暴論。 また前世は証明されたわけではないのにどうしようもない変えようがない物をあげて耐えろ!という暴論。 2信じないのなら離れろ!という暴論 信じないのなら離れて、消えて。みたいな事を言われます。だとしたら楽にならないけど仏教を続けて一部の人は楽になるのに一部の人は楽にならないわけでそれ自身が苦しみになるのでは? ブッダの考え方はとても好きだけど、その後の仏教の考え方が嫌いな場合でも信仰をやめて離れろよ?的な暴論が苦しい。 論理を求めたから仏教にたどり着くのに論理がしたいなら仏教の論文でも書け!みたいな無理な事を求めるのは根拠はない!根拠は俺!みたいな考えではないですか?それこそ私が嫌いなものです苦しみの根源です。 3圧倒的な不幸な人より煩悩にまみれた仏教徒の方が幸せ スマホに、結婚や性行為に、家に、車に、欲しい物に、他の生物を食べて生きる事、を普通にやってて、それ以下の苦しみしか得てない人は一切幸福が得れない。 結局煩悩を満たす為に欲を満たすしか方法がないという事なのではないか?という結論に至りそう。 4論理的に反論できない時は、修行が足りないorその人に聞いてみろ。その人の不幸は実際に本人の気持ちにならないとわからないという逃げ。そしてその中に内包するお前はそんな事情も知らないで嘆いてるんだろ?という攻撃。 修行なんていつまで続けるか?という区切りがありません。だとしたら楽にならないのでは?という事。また早く死ぬ可能性もあるわけで惨憺たる人生のまま亡くなってしまう事もあるわけでその人自身は苦しむ為に生まれたの?を否定できなくなる。 5織田信長は天下を取れたという事。 彼は焼き討ちしたのに幸福な人生を生きた。 ↓ 楽になりたいのです。さて上の説明を含めてどうすれば良いでしょうか?

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不審と信心と往生について

1年前にも同じような質問をしたのですが 41願のことを「信心を得たものは諸根が具足する」と書いてある本があって(蜂屋賢喜代という方の四十八願講話という本です)、それなら 身体が具足することが信心を得た証拠になるじゃないか、おかしいじゃないかと思っていろいろな善知識の方に相談しました。 すると先生のように、身体は関係ない、と様々な方からいろいろな理由で言われました。香月院深励師の本には『初住以上の菩薩』と書かれてありました。 そこで素直に「そうだな、合理的に考えて41願以降の願が念仏者に向けられているとは考えられないし、41願のことは考えなくていい」と思えればよかったのですが、なぜか「41願によって信心を得たものは諸根が具足する」という思いが1年ほど強迫観念のように頭にありました。 今も、前ほどではありませんが、1日に何度も「41」という数字が頭に浮かびます。これは疑いなのでしょうか? この不審があっても、往生の障りにはならないのでしょうか。念仏や生起本末には疑いがないのですが、この不審が頭に浮かぶたびに 「こんな心じゃ往生できない」と思ってしまいます。 けれど今はもう不審の「内容」は嘘だと分かっていて、41願の内容は念仏者ではない菩薩のことだと思っています。 この心は蓮如上人の言葉で言うと、自力の心を振り捨てて、の自力の心なのか、妄念妄執がおこるのもとどめるにあらず、の妄念妄執の心なのか、専門的に言えばどちらなのでしょうか 長文失礼しました。変な質問ですみません。ご返事いただければ幸いです。

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