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広汎性発達障害と診断されました。

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病院で、広汎性発達障害と診断されました。
私は子供の頃から変わっていて、いじめも受けましたし、社会に出てからは仕事がうまくいかず、何度も職場を変えました。

広汎性発達障害と診断され、どういう障害なのか説明されると、その特徴は思い当たる事ばかりでした。
ですが、医師やカウンセラーはそれがどういう障害なのかは教えてくれても、これからどうしたら良いかは教えてくれません。

今、私は自分一人が食べていけるだけの収入を得ていません。
親は年をとります。
今後の生活が不安でたまりません。

何処へ行って誰に相談して良いのかも、わかりません。
どうすれば良いでしょう?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの人生の主人公はあなた。

(^▽^)責めているのではありませんのであらかじめにご安心を。
まず毎度のことですが「病気だ」「私は〇〇症なんだ」と過度に決めつけないほうがイイでしょう。決めたほうが楽な場合はそれでよいでしょう。
大切なことは医師の言葉に飲まれない暗示にかからない、病気にさせられない、病人と言うレッテルを張られないことです。
それが自分の為、未来の為、クスリに依存しないためです。
今までのご自身の質問を振り返ってみましょう。
人のこと、外の事に気をとられ過ぎていると感じませんか。
「私は人に振り回されっぱなしだった」と思いませんか。
本当の意味で自分を生きていないのです。周りに左右されないしっかりした自分の杭を打ち付けることです。
外部の人間に影響を受けない、振り回されない、のまれない、押されない、引きずられない、関わりすぎない、ということです。
仏教の理想の精神状態の「涅槃」「ニルバーナ」とは、心身を悩ます情報や、いわゆる煩悩から影響を受けない心の在り方です。
自分が日頃何ものかに心を奪われたり、影響を受けない、こころ
今日は自分の習慣、クセに気持ちを注いでみましょう。
その心を培うためにも参禅をお勧めします。
禅を学ぶ=自分に参ずるという事は、その心を安なう修行と言っても良いでしょう。
自分が〇〇病だ、ということに陥らずに、考えというフィルター、壁越しにものを観ることをなくすだけで安楽な生活が手に入るでしょう。
追伸:坐禅、禅を学ぶという事は自分を学ぶこと以外のことはありません。
人は自分の本来の姿に出会うことによって救われれるのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

発達障害に関する相談について

あや様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

発達障害に関する相談については、やはり行政のしかるべき窓口を利用なさられるのが良いのではないかと存じます。

発達障害情報・支援センター
http://www.rehab.go.jp/ddis/
相談窓口の情報
http://www.rehab.go.jp/ddis/相談窓口の情報/
神奈川県
http://www.rehab.go.jp/ddis//相談窓口の情報/?page_id=146#_1998
発達障害者を支える、さまざまな制度、施策
http://www.rehab.go.jp/ddis/発達障害者を支える、さまざまな制度・施策/

また、将来の生活不安については、先にて障害年金による支援を利用することもご検討なされてみられてはどうかと存じております。

障害年金ナビ・障害年金の認定基準(精神の障害)
https://www.shougai-navi.com/standards-mental.html

障害のことにつきましては、下記の問いの拙回答の考え方も少しご参照賜われましたら有り難くに存じます。

問い「女なのか、男なのか。」
http://hasunoha.jp/questions/470

『・・「障がい」と言ってしまうと、どこか嫌悪感が生じてしまうかもしれませんが、本来、現代社会で一概に規定されているような「障がい」の有無に関係なく、私たちは皆一様に、無明(根本的無知)・煩悩・悪業(つまり、煩悩障・所知障)という障り、つまり、「障がい」を抱えており、日々生きていく上で様々な悩み・迷い・苦しみがあるかと存じます。

それをこれは「障がい」で、これは「障がいではない」と一律に決めつけてしまうのではなくて、そんなことよりも、それぞれにおいて、その心のありようを改善させ、成長させていくことにより、悩み、迷い、苦しみを解決させて、より良く幸せに過ごすことができるように調えていくことが大切になるのではないかと存じております。

仏教は誠にその一助として良き処方箋となるのではないかと存じます。是非この機会からも学びを進めていかれますことをお勧め申し上げる次第でございます。・・』

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

ひとりじゃない。

あやさま。
しんどい事を話してくれてありがとうございます。

障害の診断名がついたからと言って、昨日までのあや様と今日からのあや様が変わるわけではありません。
また、発達障害といわれたからと言って障害があや様のすべてでは決してなく、ほんの1つの行動のクセだということをまず心に留めてください。

おっしゃるように、医者や医療の役割は診断をすることです。
病名は?障害名は?と聞かれて答えるのが仕事です。

あや様が望む、どうしたらいいかという部分は福祉が受け持つ役割です。
診断を受けた病院に医療ソーシャルワーカーという人がいればその人に相談することは可能です。
ソーシャルワーカーがいなかったら、役所の福祉課に行って障害と診断されたのですが、どんな制度や機関を利用することが出来ますかと聞くこともできます。
役所以外では障害者職業センターや発達障害者支援センターという機関を一度検索してみてください。

やりたいこと重視でなく、できること重視で続けていける仕事が見つかればお金の不安も少しは和らぐと思います。
一般的な話で申し訳ないですが、参考になればと思い書きました。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

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