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般若心経を学びたい

回答数回答 3
有り難し有り難し 45

はじめまして、お世話になります。
私は看護師の主任をしています。
3月から毎日コロナ対応に追われています。
自分が感染するのではないかと言う不安にかられながら、スタッフの体調、メンタルに気を配ってきました。
ですが長引くコロナの蔓延にスタッフの体調が悪くなり仕事ができなくなったり、怒り不満不安をぶつけてくるスタッフがいたりと、色々なことが起こり自分自身が疲弊してしまいました。
そんな中、般若心経に出会いました。
もともと信仰に関心がなく、宗教といえば勧誘、お布施、入信しないと悪いことが起こる的なイメージが強かったのでなんとなく避けていました。
ですが般若心経に触れ、「全ては空である」
体、感情、もの、全ては空と言う考え方に何か
安心?安らぎのような物を感じました。
難しくて、わかったような?分からないような?全然理解できていないのですが、般若心経を読むと少し心が落ち着くのです。
早く般若心経を読みたい、学びたいと焦燥にかられ近くの高野山真言宗のお寺さんで般若心経の経本をさっと買ってきました。
もっと般若心経に触れたいのですが、私は独身で家に仏壇もなく檀家にはなれません。
調べたら入信の制度はないようで、もっと般若心経や仏教の教えについて深く学び、私の中に落とし込んでいきたいのですが術がわかりません。
お寺さんのホームページに月二回の読経会があるようなのですが、このコロナ渦の中医療従事者の私がお寺で他の皆様と一緒にお経をあげる、お話を拝聴するのは難しいです。
本当はお香の香りに包まれたお寺さんで、自分と向き合いながらお経を唱えてみたいのですが。
まだまだ続くであろうコロナと向き合うために
どのように般若心経やお釈迦様の教えに触れ、
お経を唱えて行ったら良いか迷っています。
読み方も分からないのでyoutubeの読経に合わせ読んでみたり、文献やyoutubeで学ぶのが精一杯です。
何か良い方法はないでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おしえますよー

私でよければ、おしえますよ^^

般若心経の絵本とか解説本書いてます。

僕も空という劇薬?によって安らぎが得られる1人です^^;

とりあえず、沙門一緒 訳 般若心経をどうぞ^^

       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  自由訳 般若心経

 自由を追い求める観自在菩薩が、「五蘊は空」という自由(つばさ)を
 見つけました。

 空の中には何のさまたげもありません。

 歩いていたときの障害物は、つばさをもったものの前では、
 もはや障害ではなく、ただ、自由にそれらを眺められるだけです。

 アレもコレもソレもどれもみんな、かつての悩ましいことは、
 すべて「ただそれだけのもの」となって、もはや、彼にとって何の問題
 でもなくなりました。

 彼の心はもうすでに大空とおなじに、
 すみわたっています。

 何かを怖れて悩んだことも、もう遠い過去のよう。

 彼は知りました。

 今までさとりをひらいた、たくさんのブッダたちも、
 いまのぼくと同じ心境だったんだ・・・。

 そのとき、彼の心の奥底から、深い深い感動がこみ上げてきました。
 涙がとめようもなくあふれてきます。

 その感動を今、言葉にしてしるしておきましょう。
 きっと、みんなを守る「お守り」になるでしょう。

 それは、
 「ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー
  はらそうぎゃーてー ぼーじーそわか」
 (これは、仏の世界に行ったよ、行ったよ、
  入ってきたよ、さとりがひらけたよ、というイミです。)

(以上で、)般若心経をおわります。

僕は高野山真言宗です

gensyudo@gmail.com

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おきもち

人生も階段ばかりじゃしんどいです。 たまには踊り場で一緒に泣きません...
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写経をなさってみては?

姫睡蓮さん、はじめまして。質問を拝読しました。

姫睡蓮さんは新型コロナウィルス感染症の最前線で尽力なさっておられるのですね。仏教の教えが微力ながら姫睡蓮さんのお役に立てるならうれしいです。

ご時世もあり人と会うのは難しいものですが、写経ならひとりでできます。写経用紙は文房具店や仏具店で手に入ります。筆は慣れるまでは筆ペンで良いでしょう。お香を焚きながら呼吸を整え、心静かに般若心経を一文字ずつ書いてみてください。

いつしか般若心経の教えが身体に染みこんできます。

姫睡蓮さんが心静かになることができるよう祈念しております。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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般若心経

姫睡蓮さま

般若心経ほど数多の解説書があるお経は他にはありません。

しかし、そのためにそれぞれの恣意的なことによる解釈の幅もかなり広く、無用な混乱にも繋がってしまっているところがあります。

もう一つは「空」に対する誤解が多いことも混乱に拍車をかけてしまっています。

「空」を正しく理解するためには、もう一つ「縁起」についても同じぐらい重視して理解を進める必要があります。

要はモノ・コトを「空」と同時に「縁起」としても見ていかなければならないというところであります。

断辺にも常辺にも陥らずに、「空」と「縁起」によって理解を進めていかなければなりません。これからの学びの際に少し気を付けられて下さい。

正しい般若心経の理解へ向けての入門書のお薦めの一つとしましては、

「ダライ・ラマ 般若心経入門 」(春秋社)がございます。

宜しければご参考なさって下さい。

読み方は、YouTubeを参考になって頂いてももちろん構いません。

ただ、読経された後に、読経による功徳を回向して頂けましたらと存じます。

普廻向
願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを

略三宝
十方三世一切仏  諸尊菩薩摩訶薩  摩訶般若波羅蜜
(じーほーさんしーいーしーふー しーそんぶーさーもーこーさー もーこーほーじゃーほーろーみー)

仏教の学びにつきましては、分からないことがあれば、是非、このhasunohaも更にご活用ください。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
お経は厳格なイメージでしたが、沙門様の自由訳、凄く優しい穏やかな気持ちになりました。
私も澄み渡った心に近づいてみたいです。

中村様、ご回答ありがとうございました。
今の私には心静かに過ごす時間はとても必要だとおもいます。
お香を焚きながらのお写経やってみたいと思います。
お気遣いありがとうございました。

川口様ご回答ありがとうございます。
皆様にアドバイス頂き本当に嬉しく思っています。
最近本を読んだり、勉強しているのですが
般若心経、仏教用語は難しくて単語の意味を理解するのも凄く時間がかかっています。
今は言葉一つ一つの意味を調べたり、お釈迦様の伝記を読んだりしています。
川口様がおっしゃる様に勉強始めたばかりの私は間違った解釈をしかねないと思います。ご忠告ありがとうございました。
縁起について調べてみたいと思います。
ダライ ラマの入門書探してみます。
ありがとうございました。

「般若心経」問答一覧

般若心経(2)

 「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」   これが第二のキーフレーズです。  「諸法」について花山勝友先生は「この世の中のあらゆる存在や現象」と解釈されていますので「宇宙」と解釈するのが正しいと思います。  横道にそれますが、「空相」は「空の姿」ですから、それに対比する「実の姿」があっての「空相」です。  従って本来はその前に「是諸法実相 生滅 垢浄 増減」(諸行無常)があるべきです。  「如是我聞」は釈尊が弟子(比丘)に説教するのが大部分ですから、常識的な会話は無に近いです。だから重要な「輪廻転生」の話はほぼ皆無です。  ここでも「諸法実相」が省略されたのでしょう。  では「諸法空相」に戻って、ちっぽけな「色」(身体)の説明になぜ宇宙を持ち出さなければならないのか不思議です。ここがキーポイントです。  「空の姿」の宇宙は自然界で唯一「閉じた系」です。  「閉じた系」の有用性は、皆様も中学、高校時代に物理で教わったように、「エネルギー保存の法則」です。  同じ空相でも「閉じた系」でなければ、「不増不減」(一定量)とはなりません。だから「色空相」として説明できないから宇宙を持ち出したのです。 これで「空(空性)」が「エネルギー」であることが確定したのです。    「是故空中、無色、無受想行識 無眼耳鼻舌身意無色声香味触法 無眼界  乃至 無意識界、無無明 亦無無明尽 乃至、無老死、亦無老死尽、 無苦集滅道、 無智亦無得、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」  「是故空中」とあるので、諸法空相を受けて、宇宙全体をエネルギーと見做せば、総てが無になることを説明したに過ぎません。  以上が「色即是空 空即是色」に関する説明です。  明治時代以前迄は、釈尊が悟りを開いたとき「これは非常に高尚で誰も理解できないだろうと」と布教を諦め、「この喜びのうちに生涯を終えたい」と神通力を駆使して自殺をし、彼岸に渡って「梵天勧請」事件を経て、再び生き返り諸転法輪を回したほど、難解な内容でしたが、現代では教科書で学ぶほど、「般若心経」は科学的常識となったのです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

般若心経(1)

 今更ですが、仏教の体系が「真理」として「般若経」、「真実」として「般若心経」、論理として「阿含経」でまとまっていると考えていますので、今度は「般若心経」の解釈を試みたいと思います。  「観自在菩薩」とは釈尊が如来になる前の尊称であると思います。  次の「行深般若波羅蜜多時」が菩薩が如来になった瞬間と考えられます。  「照見五蘊皆空 度一切苦厄」 がこの般若心経の結論です。即ち「空(正確には空性)」を発見して、悟りを開いたのです。  「舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」が第一のキーフレーズです。  「般若経」は「色即是空」だけですが、それは「真理」であって「色即是空、空即是色」が真実です。  色即是空の「空」が真実であれば、空即是色の「色」も真実です。しかし「空」と「色」は別物ですからこの「即是」は定性的な即是で、「物体」は総て「空」の集合体であるという意味です。  定量的にはそこに「縁起」が加わって「色」=「縁起」X「空」、「空」=「縁起」X「色」となります。  「色」は五蘊の中の身体です。身体はこの世限りの命ですから、科学の真実と一致するはずです。アインシュタインはe=mc^2の公式を発表し、広島、長崎の実験でこの公式が真実と確定されたのです。  e(空)=m(色)Xc^2(縁起)と対応します。  「受想行識亦復如是」  「受想行識」は通常総括して「心」と訳されてます。心も「空」で出来ているのです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

無と空について

複雑な状況を抱えてしまい、何年か悩んでいます。詳しくはなしても分かりにくい、のと話したくない気持ちと話さない方がよいともアドバイスいただいたこともあります。自分の言ったことが原因で、人のうわさ話が原因ですが、それだけが問題ではありませんが、地域中にひろまり、仕事場にも影響を及ぼすようになり、うまくいかなくなり、悪意や馬鹿にされるだけでは終わらず、、嫉妬、妬みまでもかい、支障をきたすようになって困っています。 真実を打ち明けようと思っても、逆に悪くまわる可能性があるのと意味のないことに終わりそうなので、やめています。問題を解決するために般若心経や般若経などに興味をもち、無や空を行ずるようにこころがけています。しかし、無や空について、知識があまりなく、どう考えていってよいか分からず悩んででいます。以前、宗教に入っており、この世は現象世界だから、すべては実体のないものと教えていただきましたが、いざ問題がおこってしまうと現象としてほっといておいてよいはずがなく、どういう風に手をつけて解決しておいていいか分からずこまっています。現象を空と感じるとそこにいろいろな神様の守護がうけれるようなことを般若経には書いてありました。それから空を行ずることによって得られる功徳はかぎりないものだということも書いてありました。私も空を行して現象をすこしでもよいものにしていきたいのです。現実界で講じれる手段はしつくしたように感じることもあります。というかする手立てがあまりないのです。下手にかかわるとよけいひどく非難を受けたり、都合の悪い結果を招きそうな気がしています。自分を変えていきたいという願いも含めて、無と空をぎょうじていきたいです。 また、私は護摩をお寺にお願いしてやっていただいたこともあります。神社仏閣に参ることも好きで頻繁ではありませんが、参っています。困ったときには神社に参ってたよったこともあります。信仰を志したいとかもおもったことがあります。 般若経や般若心経に詳しいお坊さんがおられたらご回答をおねがいしたいです。無や空についてしりたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

お坊さん達ではどう実態の話をしてますか

私は般若心経に影響を受けています。 ここに机があります。私達はこれが無いと知っています。誰かが、それは机でそこにあって、木で出来ていて茶色で硬いと言います。 私にも茶色に見えるし、ぶつければ私は痛いです。 でも、やっぱり茶色は無いし、机もないし、私も無いです。 それでも痛いのは嫌で、そこに机があると考えて生活します。でも、あらためて眺めると、やっぱり無いです。 強いて言えば、さっきまであった、と言うかなと思います。でも、無いから『さっき』と言うのもいま言ったけど変だと思っていて、さっきも無いんだけど強いて言えばにすぎず、とにかくいま、机は無いよ、と思います。 私達はそこに水色のティーカップが見えていて、私にも見えています。でも、無いし、としか言いようがないく、水色もない。強いて言えば、その子が自分を水色と思っているでしょう、私もそれを水色と思っています。でも、そこに水色は無いと私達は知っています。 私達は、と言ったのは、きっと同じ話をしていると思っていますが、お坊さん達の間では違うのか、聞きたいと思いました。どこかは違うと思います。 その子の水色が無いと知っていますが、その子が「私、水色でかわいいの」と言ったら、ああ、水色だよ、それにかわいいよ、と言うと思います。 私は無いです。神も無いと思っています。私がいたら神もいる、私が無いなら神も無いと考えています。両方ある、と両方ないのどっちかしかないと思い、ところで実際どっちも無いよねえ、と思います。お坊さんはこう言っていないと思いました。 目の前に、机があり、傍らにまた水色のティーカップが見える、でも私達はこれが無いとしか見えないと思います。 私は、ひょっとして自分は時間の話をしているのかなとよく思います。 時間の話であれば、さっきと呼ぶものもなく、今机があるという事も起きていません。 今そこにあるという概念がなく、この机に対して机があると言える事実はなく、とにかくえんえん無いんだが、と思ったり仏陀は荒唐無稽で精神世界に限った話をしたのでは無さそうに思ったりします。 あると思っていて、としか言いようがない机をまた見て、もう無いとしか見えないし、ところであらためてそこに机があると言ってみる必要あるんだろうか、言わなくていいと思う、と考えたりします。私は時間の話をしているのでしょうか。 お坊さん達は違う話をしていますか?

有り難し有り難し 55
回答数回答 4

ぎゃーていのサンスクリット語での語感は

先程の質問で頂いた回答の一部が、ツボにはまってかなり笑い続けています。まだ眠れません。 そこで新たに質問で聞いてみたくなったので、よろしくお願いいたします。 私がはじめて般若心経を読んだ本では、ぎゃーていぎゃーていの部分は『往き往きて』と書かれていました。何年か後、別の何かで『行こう行こう』と書いてあったと思います。 最近は知らないですが、行こう行こうなのかな?と思います。 ところで私は、日本語訳と原文の英語があった場合、もちろん日本語の方が分かりやすいのですが、英語は英語で元の感触というか、日本語訳との違いを感じ、英語の方が元々伝えたかった感じをよく伝えてるだろう気がしたりします。ネイティブはまた私と違う感じで書いてるかもしれませんが、日本語訳も合ってるのに違いがある気がするって面白いなと思ったりします。ぎゃーていのサンスクリットの感じって、日本語で読んだときと違うなって思った方はおられますか? 私は『ぎゃーていぎゃーてい』と『往き往きて』では、ぎゃーていが分からなさ過ぎて違いがありません。 行こう行こう、と言ってる言葉自体が邪魔なのかな、と思いましたが、サンスクリット語を私が語学として言語を知っていたら「ぎゃーていは必要だよ!」と思ったりするのかな、と聞いてみたくなりました。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ