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唯識に詳しい方に聞きます。

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外国人です、今日本語と唯識を勉強しています。成唯識論は第七巻まで読みました。横山紘一さんの本もたくさん買いました。 でもわからない部分があります。

あるお坊さんは『縁起論は無因論でもなく、宿命論でもないです。選択によって世界は変わるんです』と言いました。
なら、偶然論と必然論のほかは、第三の論がありますか?第三の論はありませんよね?偶然論以外は必然論、必然論以外は偶然論でしょう?
選択によって世界は変わるって、選択自体は必然ですか?偶然ですか?

横山さんの本には『一人一宇宙』『一人ひとり各人の世界はその人の阿頼耶識が作り出したものであり、各別である』と書いてあります。
もし一人一宇宙なら、どうして他人は自分の宇宙にいますか?どうして他人と交流できるのですか? 他人は自分の宇宙にいるなら、他人と交流できるなら、世界は一人一宇宙ではなく、多人一宇宙になってしまうんですよね?
私の考えには間違いがありますか?間違いを教えてください、よろしくお願いいたします!

2020年9月30日 17:12

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

唯識VS中観

云彩之塔塔主さま

唯識につきましては、相当学びました。

唯識は、「識」を実体的に扱ってしまうところがありますが、「識」も「空」であり、「縁起」として成り立っているものでしかありません。

他の、色、受、想、行も同様であります。

では、なぜ唯識学派は、「識」を実体的に捉えようとしたのかというのは、「識」が悟りへ向けて、非常に大事な要素であるからであります。

要は、迷苦輪廻する主体となる「カルマ」の所在を扱うからであります。

その「カルマ」をいかに清らかにして、悟りへの流れに調えていけるかが仏教においては大切となるのであります。

もちろん、結論的には、「カルマ」も「識」も「空」であり、「縁起」としてあり得ているもので、実体としてあるわけではありません。

しかし、「空」を虚無、絶無と捉えてしまう者にとっては、「カルマ」も「識」も無いとして、誤った見解、実践へと向かってしまうところとなりました。

そこで、「空」を誤って捉えてしまっている者に対しては、まあ、便宜的に「識」を実体として一応は「有る」ものとして論を立てて、仏道実践を調えた(優先させたというのが正確でしょうかね・・)という経緯があります。

要は、唯識は「方便」の教えの分類となります。

しかし、唯識VS中観の論争はインドでは決着はつかず、チベットに持ち越されることになりました。

唯識と中観に関して正しく理解するには、ツォンカパ大師の論書から学ばれることをお薦め致したいと存じます。

川口英俊 合掌

2020年10月3日 8:23
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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

基準をどこに置くか


 偶然論(=無因論?)・必然論(=宿命論?)の二つだけという発想は、ギリシャ哲学の誰かが言ったものではないでしょうか。
 のちに、第三の自由意思があるはずだと、西洋哲学の別の流派では言うようですね。
 仏教の縁起の意味を知るためには、それが唯識のものであっても、ギリシャなんかよりも釈尊の縁起論を基準にした方が良いと思います。
 釈尊はたしか、物事の生滅は①偶然(=無因?)でもなく②神が決めるもの(神を想定した宿命論)でもなく③運命的に決まっている(宿命?)ものでもなく④因縁によって決まると言っていたように思います。
 ③があなたがおっしゃる必然論に近いのかもしれませんが、やはり必然論の意味を先に定義して、それが運命(宿命)論の意味ならば、釈尊は斥けていると見た方が良いです。
 ④の因縁論の意味は、自由意思があると言っているのとも違います。自分の意思や感情や行動さえも自分の無限の過去からの思考・行動パターンに沿って生じるものなので、自由≒偶然に選び取るような意思さえなく、厳密に、因と縁によって次の心や行動が生じる、と言っています。


 これはただの唯識哲学ですので、釈尊の基準が当てはまりません。誰も発見できないはずの阿頼耶識を「発見して」あれこれ語るのですから、矛盾から始まっています。その議論がここでは「華厳経」も加わって膨らんだように思えます。
 強いて言えば、唯識哲学の論理は最初から間違っているので、その中に真理を見出そうとするのではなく、思想史として「この文献にはこう説かれている。その内容とあの文献が説く内容はこのように違う」などとただ客観的に研究するのが良いと思います。

2020年10月1日 8:55
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

「仏教全般」問答一覧

仏教で気持ちが楽にならないです。

全体: 仏教はこの世が苦しくてたまらない人が解脱or楽になる為に信仰している。 今回のタイトル: 全く楽にならない。 なぜ 1楽にならない助けて!というと本人の思考、もしくは生まれる前の前世が最悪だったからというどうしようもない提案をされる。 さてその本人の考え自身も、彼自身が会得したものではないという事すら苦しみなのです。 人を殺めていいという環境に生まれた人が、別環境に押し込められて考え方を根性で変えよ!というような暴論。 また前世は証明されたわけではないのにどうしようもない変えようがない物をあげて耐えろ!という暴論。 2信じないのなら離れろ!という暴論 信じないのなら離れて、消えて。みたいな事を言われます。だとしたら楽にならないけど仏教を続けて一部の人は楽になるのに一部の人は楽にならないわけでそれ自身が苦しみになるのでは? ブッダの考え方はとても好きだけど、その後の仏教の考え方が嫌いな場合でも信仰をやめて離れろよ?的な暴論が苦しい。 論理を求めたから仏教にたどり着くのに論理がしたいなら仏教の論文でも書け!みたいな無理な事を求めるのは根拠はない!根拠は俺!みたいな考えではないですか?それこそ私が嫌いなものです苦しみの根源です。 3圧倒的な不幸な人より煩悩にまみれた仏教徒の方が幸せ スマホに、結婚や性行為に、家に、車に、欲しい物に、他の生物を食べて生きる事、を普通にやってて、それ以下の苦しみしか得てない人は一切幸福が得れない。 結局煩悩を満たす為に欲を満たすしか方法がないという事なのではないか?という結論に至りそう。 4論理的に反論できない時は、修行が足りないorその人に聞いてみろ。その人の不幸は実際に本人の気持ちにならないとわからないという逃げ。そしてその中に内包するお前はそんな事情も知らないで嘆いてるんだろ?という攻撃。 修行なんていつまで続けるか?という区切りがありません。だとしたら楽にならないのでは?という事。また早く死ぬ可能性もあるわけで惨憺たる人生のまま亡くなってしまう事もあるわけでその人自身は苦しむ為に生まれたの?を否定できなくなる。 5織田信長は天下を取れたという事。 彼は焼き討ちしたのに幸福な人生を生きた。 ↓ 楽になりたいのです。さて上の説明を含めてどうすれば良いでしょうか?

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不審と信心と往生について

1年前にも同じような質問をしたのですが 41願のことを「信心を得たものは諸根が具足する」と書いてある本があって(蜂屋賢喜代という方の四十八願講話という本です)、それなら 身体が具足することが信心を得た証拠になるじゃないか、おかしいじゃないかと思っていろいろな善知識の方に相談しました。 すると先生のように、身体は関係ない、と様々な方からいろいろな理由で言われました。香月院深励師の本には『初住以上の菩薩』と書かれてありました。 そこで素直に「そうだな、合理的に考えて41願以降の願が念仏者に向けられているとは考えられないし、41願のことは考えなくていい」と思えればよかったのですが、なぜか「41願によって信心を得たものは諸根が具足する」という思いが1年ほど強迫観念のように頭にありました。 今も、前ほどではありませんが、1日に何度も「41」という数字が頭に浮かびます。これは疑いなのでしょうか? この不審があっても、往生の障りにはならないのでしょうか。念仏や生起本末には疑いがないのですが、この不審が頭に浮かぶたびに 「こんな心じゃ往生できない」と思ってしまいます。 けれど今はもう不審の「内容」は嘘だと分かっていて、41願の内容は念仏者ではない菩薩のことだと思っています。 この心は蓮如上人の言葉で言うと、自力の心を振り捨てて、の自力の心なのか、妄念妄執がおこるのもとどめるにあらず、の妄念妄執の心なのか、専門的に言えばどちらなのでしょうか 長文失礼しました。変な質問ですみません。ご返事いただければ幸いです。

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世界は美しい 人生は甘美である

皆様ご多忙の中とは思いますが、目に留まりましたら、お話を聞かせていただけたら幸いです。 タイトルの言葉を、仏陀の最期の言葉として知ったのは、数年前に納棺師日記という本を読んだ時です。びっくりして一瞬時間が止まりました。最近ふとその言葉を思い出しまして、いい言葉だよなあ、と感動しています。 御釈迦様の時代にもきっと今以上にたくさんな悲惨な事や恐ろしい事があったと思うのですが、最期にそういう言葉を言われた、というのが、 この世の中、どんなに嫌で悲しい事があったり、様々な人間がいて争いごとが尽きず酷い現実があっても、「世界は美しく、人生は甘美である」という事は、 世の中に悪なんて存在しないんじゃないかな、性善説みたいなことだろかと受け止めてしまうのは、飛躍しすぎでしょうか。 あいにく私はこの言葉の背景や前後の言葉を知りませんが、その道のプロの方々が、どのように受け止めたり、とらえられているのかお話を伺ってみたいと思いまして、質問させていただきました。 沢山の方が質問されている中で、緊急性の低い内容でお手間とらせてしまって申し訳無いのですが、、よろしくお願いいたします。

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三毒の瞋恚について

少し、仏教(日本の仏教、大乗仏教?かわかりませんが)を調べてみたのですが、三毒という概念が出てきました。そこの怒り、瞋は世の中を悪くする毒だという考え方に触れました。 ですが、私が思うにこの毒こそ、今の世の中に必要な薬ではないのでしょうか? 今のしらけきっている世の中では本当に救われる存在に対して別に心動かさない。私と関係ないという愛のない空気が漂っています。そんな中だからこそ、ちゃんと憎むべきだと思うのです。不正や、不義を見つけ、恨み、ほかの不正、不義に怒り、徳をかざすもの(徳の騎士)達の闘いこそが、この世の中に血を通わせると思うのです。確かに多くの人達が死ぬでしょう、正義もみつからないでしょう。ですが、不毛なものではないと思うのです。その痛みを知ったからこそ愛を求め、与えることができるのではないのでしょうか。転じて、少し仏教ディスをしますが、なぜそういった熱い魂を毒と切り捨て、平穏という退廃を望むのですか?それは持っているもののみ、自身の苦しみに気づかずに他人を傷つける愚者を増やすだけではないのでしょうか?それでは真に救うべき絶望に抗い、戦う者達に失礼ではないですか?そのものらは心の安寧のために戦っていると?一度、絶望したものは死ぬまで安寧とは無縁の人生を送るでしょう。そんな者達に安寧は残されていると?彼らはただ絶望と戦い、苛烈に人生という闘争の中、死ぬことだけが救いだと思うのですが、どうでしょうか?

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心願成就

いつもありがとうございます。 前回、彼との関係が終わってしまい、立ち直りたいと相談いたしました。 そして、温かいご回答をいただき、私は煩悩のかたまりであったのだと気付くことができました。 その後も毎日のように泣いてしまうこともありますが、なんとか壊れそうな心を抱き締めるように日々生活しています。 そんな折、よく行くお寺さんでご祈祷をしていただこうと思いました。 いつもは少し離れたところからお参りするだけでしたが、ご祈祷のときはご本尊の真ん前でお参りさせていただきました。 その際に『病気平癒』や『心願成就』など願いたいことをお寺さんにお伝えしてご祈祷いただくので、私は『心願成就』にいたしました。 ただ、ご祈祷いただいている最中、私は心の中で特に願い事を思い浮かべることはしませんでした。 今の状況の私であれば『彼と復縁できますように』ですとか、もしくは『新しい出会いがありますように』など具体的な願い事を伝えた方がよかったのかもしれませんが、私はご祈祷中『いつもありがとうございます。』ということと『煩悩だらけの私を許してください。ごめんなさい。』ということでした。 ただご祈祷後に御札をいただいたのですが、その際に『願い事が叶ったときにまたお寺に納めてください』と言われ、やはり具体的な願い事を願ったほうがよかったのではという想いが出てきました。何をもって願いが叶ったことになるのかと。 仏様も心願成就と言っておきながら具体的な願い事がないのだと何を叶えればいいのか分からないとお思いになるのでは?と考えたりして、せっかくご祈祷していただいたのに、その機会をちゃんと活かせなかったのではないかと少し不安になりました。 もちろん、仏様に感謝をお伝えするのも間違っていたとは思いませんし、本心に違いないのですが不安になるということは、私は願いたいことがあるにも関わらず、仏様の前で素直になれなかったのかもとも思います。仏様はそんな素直になれない私をどう思われるでしょうか? 煩悩があり、さらに素直にもなれない私。 もしくは素直になれないのは煩悩があるからなのかもしれません。迷いがあるからかもしれません。 仏様はすべてお見通しでいらっしゃるのでしょうか?広いお心で救おうとしてくださいますでしょうか? 私は救っていただきたいと願っています。 許していただきたいと願っています。

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学ぶ方法が知りたい

仏教をもっと知りたくて、ネットを活用していたところ、 hasunohaさんを知りました。 過去のQ&Aを拝見させて頂くと、 実際の僧侶の方々のお答えの方が難しい言葉を並べた活字より、 私には馴染みやすいような気がします。 (以下はプロフィールと重複しますが) 縁あって(しかもまったく別件で2度)、真言宗に関わるようになり 30年近くになります。 その頃は少しずつ、作法等を教わったのですが、 2年ほどで絶縁したため、基本を知らず、現在に至ります。 昨年、不思議なご縁の下で ホントに自分がやりたい事は何か?を 時間を掛けて自分に問い、 やはりご縁のあった仏道を進みたい。 今世に生まれた意味を知りたい。 そして少しでも人様のお役に立つのなら・・・ まずは 読んでるお経の意味を知るべきよね、 仏教用語的な言葉の意味も知るべきよね、 と、ネットで検索三昧。 そうなるとどんどん拡大してしまって、 真言宗ってそもそも・・・ 父方は浄土真宗でお寺さんもすぐ近く。 浄土真宗ってどんな考え方なの? 大日如来、阿弥陀様やお釈迦様って? などいろいろと知りたいことが増えてしまいました。 言葉が適切かはわかりませんが、 効率的な学び方を教えて頂きたくてこの場をお借り致しました。

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