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唯識に詳しい方に聞きます。

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外国人です、今日本語と唯識を勉強しています。成唯識論は第七巻まで読みました。横山紘一さんの本もたくさん買いました。 でもわからない部分があります。

あるお坊さんは『縁起論は無因論でもなく、宿命論でもないです。選択によって世界は変わるんです』と言いました。
なら、偶然論と必然論のほかは、第三の論がありますか?第三の論はありませんよね?偶然論以外は必然論、必然論以外は偶然論でしょう?
選択によって世界は変わるって、選択自体は必然ですか?偶然ですか?

横山さんの本には『一人一宇宙』『一人ひとり各人の世界はその人の阿頼耶識が作り出したものであり、各別である』と書いてあります。
もし一人一宇宙なら、どうして他人は自分の宇宙にいますか?どうして他人と交流できるのですか? 他人は自分の宇宙にいるなら、他人と交流できるなら、世界は一人一宇宙ではなく、多人一宇宙になってしまうんですよね?
私の考えには間違いがありますか?間違いを教えてください、よろしくお願いいたします!


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

唯識VS中観

云彩之塔塔主さま

唯識につきましては、相当学びました。

唯識は、「識」を実体的に扱ってしまうところがありますが、「識」も「空」であり、「縁起」として成り立っているものでしかありません。

他の、色、受、想、行も同様であります。

では、なぜ唯識学派は、「識」を実体的に捉えようとしたのかというのは、「識」が悟りへ向けて、非常に大事な要素であるからであります。

要は、迷苦輪廻する主体となる「カルマ」の所在を扱うからであります。

その「カルマ」をいかに清らかにして、悟りへの流れに調えていけるかが仏教においては大切となるのであります。

もちろん、結論的には、「カルマ」も「識」も「空」であり、「縁起」としてあり得ているもので、実体としてあるわけではありません。

しかし、「空」を虚無、絶無と捉えてしまう者にとっては、「カルマ」も「識」も無いとして、誤った見解、実践へと向かってしまうところとなりました。

そこで、「空」を誤って捉えてしまっている者に対しては、まあ、便宜的に「識」を実体として一応は「有る」ものとして論を立てて、仏道実践を調えた(優先させたというのが正確でしょうかね・・)という経緯があります。

要は、唯識は「方便」の教えの分類となります。

しかし、唯識VS中観の論争はインドでは決着はつかず、チベットに持ち越されることになりました。

唯識と中観に関して正しく理解するには、ツォンカパ大師の論書から学ばれることをお薦め致したいと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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基準をどこに置くか


 偶然論(=無因論?)・必然論(=宿命論?)の二つだけという発想は、ギリシャ哲学の誰かが言ったものではないでしょうか。
 のちに、第三の自由意思があるはずだと、西洋哲学の別の流派では言うようですね。
 仏教の縁起の意味を知るためには、それが唯識のものであっても、ギリシャなんかよりも釈尊の縁起論を基準にした方が良いと思います。
 釈尊はたしか、物事の生滅は①偶然(=無因?)でもなく②神が決めるもの(神を想定した宿命論)でもなく③運命的に決まっている(宿命?)ものでもなく④因縁によって決まると言っていたように思います。
 ③があなたがおっしゃる必然論に近いのかもしれませんが、やはり必然論の意味を先に定義して、それが運命(宿命)論の意味ならば、釈尊は斥けていると見た方が良いです。
 ④の因縁論の意味は、自由意思があると言っているのとも違います。自分の意思や感情や行動さえも自分の無限の過去からの思考・行動パターンに沿って生じるものなので、自由≒偶然に選び取るような意思さえなく、厳密に、因と縁によって次の心や行動が生じる、と言っています。


 これはただの唯識哲学ですので、釈尊の基準が当てはまりません。誰も発見できないはずの阿頼耶識を「発見して」あれこれ語るのですから、矛盾から始まっています。その議論がここでは「華厳経」も加わって膨らんだように思えます。
 強いて言えば、唯識哲学の論理は最初から間違っているので、その中に真理を見出そうとするのではなく、思想史として「この文献にはこう説かれている。その内容とあの文献が説く内容はこのように違う」などとただ客観的に研究するのが良いと思います。

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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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