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慢の煩悩でしょうか

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hasunohaは勿論、さまざまな仏教関連のわかりやすい本を読む機会もあり、少しでも心穏やかに正しく生きていきたいと思っております。そこで、例えば洋服を着飾ったりして少しでもよくみせたい、子供をどこかの遊び場に連れて行って喜ぶ顔をみてみたいというのはやはり煩悩のあらわれなのでしょうか。実際に結果的にうまくいかなかったときにつらい思いをするのは自分であり、ちょっとしたことでうつ気味になってしまうことも少なくありません。良い処方箋を頂けますでしょうか。

2014年4月24日 10:46

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなた 何を以って煩悩としているか

煩悩とは字のごとくわずらい なやみ です。
ああ、これは煩悩だろうかと 自分を責める行為の方が煩悩でしょうに(^

2014年4月28日 7:06
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

善には「劣善」「勝善」の2種あります

まず「慢māna」(conceit)の特相は「自分だけが尊いと驕る」法を指します。
慢には「自分や他人の能力を評価し比較する」ことが不可欠で、単純に「俺はすごいぞ!」という慢から、「あの人は偉い。どうせ私なんか…」という卑屈な慢、自分よりはるかに優れた人に対し「私と似たレベルでしょ」という尊大な慢など、いろいろあります。
このご質問の場合は慢とは呼ばない気がします。

着飾る時、自分をよく見せたいという思いがないとは言えません。けれども、だらしない格好をするより、キリッとオシャレしたほうが周りの人も気分がいいじゃないですか。仏教僧は着飾りこそしませんが、身だしなみや所作には厳しい決まりがあります。立派に見せるためというよりは、信者の仏教への信仰心を損なわないようにするためです。

さてKakaさま、お子様を楽しませてあげようと、遊びに連れ出すことについて悩まれるのはあまり望ましくありません。

教理的に答えますと、善を行う「瞬間」は、善心でしか為すことができません。ただし、その「瞬間」をはさむ前後は、善心の場合、不善心の場合、両方ありえます。
例えば誰かに寄付する場合。寄付する前に「本当はしたくないなあ、でも他の人の手前もあるし…」と悩み、した後に「もったいなかった」と悔やむ。相手からの反応が期待以下なら、怒りや落ち込みが生じる。
このような善を「劣善」と呼びます。反対に、行なう前も楽しみで、行なった後も「してよかった」と晴れ晴れと喜び続けるのを「勝善」と呼びます。

劣善は、せっかく善を行っているのに、その後の不善ばかりを長く生じさせる「もったいない善」です。
結果的にうまく行かないことがあったとしても、周りに評価されなくても、Kakaさまのお心が曇らずあり続けることが重要かと存じます。
渋滞やら悪天候やらで予想外に疲れてしまっても「やっぱり行ってよかったなー!自分も運動になった」くらいのお気持ちで、明るく次回に向かわれますことをオススメします。

2014年4月24日 13:14
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おきもち

青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

ちょっと待った!考え方が間違ってます。

 Kakaさん、あなたの言いたいことはよく解りますが、皆を喜ばせて幸せにしたいという気持ちを煩悩と言う言葉で片付けて欲しくありません。あなたのその頑張りにワシは大いに賛同します。結果、残念ながらいい方向に傾かなったかもしれませんが、ここは反省すべき点があるのではないでしょうか?子供に行きたいところをそもそも聞きましたか?子供がしたいことを危ないからとか大人の事情で拒否しませんでしたか?・・・思い起こせばあると思います。
 ファッションに自分を磨くのは自分に自信をつけるためにもいいと思います。補足としては親しい人と一緒にファッションを楽しむともっといいと思います。自分の意見ばかり押し付けるのではなく相手の意見を見るのも修行の1つだと思えば、気分が変わりませんか?相手を思う気持ちが強くなれば失敗も減って喜びも増えることでしょう。仏教の戒律や煩悩を学ぶことは良いことですが、仏教の根幹は「自分も他人も傷つけないこと。」にあります。もっと、自分の行いを見直すことから初め、人には親切に接しましょう。
 ワシはEXILEの『giver』という歌が好きなりました。一度聞いてみて下さい。「あ~そういうことか。」と思いますよ。

2014年4月24日 23:50
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「八正道」について・・

Kaka様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

hasunohaをご愛読頂きまして、また、色々と仏教の学びも進められておられるご様子にて、誠に有り難く尊いことでございます。

さて、まずは煩悩により、一喜一憂して後悔されてしまうことについてですが、善行為に対しての動機の問題につきましては、天野様のお答えが誠に参考になるのではないかと存じます。

次に、「心穏やかに正しく生きていきたい」とのことですが、下記問いにても扱わせて頂いておりますように、誠に私たちには「八正道」(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)( http://ja.wikipedia.org/wiki/八正道 )という「中道」の生き方が望まれることになります。

問い「心の健康のために」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002997509.html

「八正道」の内容は、一見すると至極当たり前のことで、なーんだ、結構簡単じゃないかと思われるかもしれませんが、実は、この「正しい」ということにおける根拠を真に理解した上にて実践していくのが非常に難しいことであると存じております。

特に私たちは、それぞれにおける独り善がりや自己満足、差別、偏見、拘り、とらわれ等によって、真に「正しい」ということの理解が妨げられることが往々にしてあるからでございます。

そのため、一体、何を基準としてその「正しさ」を判断すべきかについて、慎重に扱わないといけないと考えております。その根拠としては、もちろん主に仏典を頼りとして「正しい」基準を明確化させていくことが望まれることとなります。特には、聞思修の三慧、戒定慧の三学によって確立させていくことが大切になるものであると存じております。

この度お求めの一つの処方箋としては、「正しい」ことの理解を深めての行いを調えていくために、ただhasunohaの内容や仏教関連書を読むだけで留まらずに、実際に確かなる師(先生)をお探しになられて、その師の指導の下にて仏教を学ばれていかれるようになさられるのが良いのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

2014年5月23日 13:37
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

「煩悩」問答一覧

煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

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【暴言多め】ちくしょー!私は煩悩の塊だぞ!?

乗っけから乱暴ですみません。 ここでしか言えないので。周りの人は、 「怖いと思ったら、離れなさい。 それが今あなたにできる事」 と言います。 でも、私だって楽しみたい! 他の人みたいに、安心して遊びたいし、 歩きたいし! カワイイ子いっぱいいるだろ! 何で私なんだよー! 私からは、「とても感じのいい、 人から頼られやすい雰囲気」 「内面の良さが外面に」 出ているそうです。不思議です。 正体はこのザマですよ?描く絵だって 血生臭いし。結構物騒な事も考えて ますよ? 最近は、生来の防衛本能(霊感と 呼んでます)が大暴れしています。 一歩道を歩いて、男性とすれ違えば 下を向いて横目で警戒。 目を見なくても、 「こいつ、ヤベェぞ」 と頭の中で 警報が鳴ります。 いつ絡まれないか、手を出されないか。 現実、いきなり手を振って近づいて こられそうになった事もあります。 人混みに出て、後ろに男性が来れば、 ソワソワ落ち着きがなくなり、 睨みつけたり、徐々に離れたりと言った 目立った行動をとります。 あとは、防犯ブザーをちらつかせ たり、付属のレーザーライトを カチカチ点滅させてしまったり… これで、逆に話しかけられた事も あります。怖いんだよ畜生が! 要は威嚇です。 同性もしかり。私が前を通過すると、 目で追われたり。迷惑なんだよー! 最近は、この本能大暴れのせいで 今年2度目の風邪をひきました。 暴言三昧ですみません。 聞いて欲しかった、それだけです。

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光合成するペット(自然と煩悩)

私の中学生の時の「将来の夢」は、「動く植物を開発すること」でした。 一番興味があったのが、『地球温暖化』全般。一番、地球温暖化を促進されるのが牛のゲップと聞けば、「ゲップし難いエサ(植物)の開発」を、生き物(動物)が出すCO2を吸収しているのは緑(植物)だと習えば、「とんな場所でも行ける緑(植物)の生き物(動物)の開発」を、と考えてきました。 自分が排出するCO2は、自分のペット(動く植物)に吸収してもらい、酸素をまかなう。そういう世の中、地球に優しい生き方が出来る社会にしていきたいと思っていました。 それで、中学生の時も高校生の時も、農学部に行きたい!新しい環境作りに貢献したい!と思い続けていましたが、幸か不幸か、何故か勝手に出された推薦入試の願書→受かったら辞退出来ない受験に合格してしまい、長年の夢を変更するしかないという形で幕を閉じました。 でも、高校1年生の時に被災(阪神淡路大震災)した記憶のせいか、医学を学ぶのも楽しかったので、新たな道を歩む決意をしたのです。 そして、「只今」違う生き方をしながらも、ふとしたことから、また「動く植物」が必要なのではないかと思い、過去の自分の夢を思い出すようになりました。 西日本豪雨災害に遭ったからからです。もちろん、根本的には『地球温暖化』が背景にありますが、今回は『豪雨による土砂崩れ』でたくさんの尊い命が失われた背景から、人の手が入らない山、森の木々たちが、自分で動いて、土砂災害を防ぐ働きをしてくれたなら、少しは亡くなる方が減らせたのではないかと思ったのです。 でも、人間が、自然・地球をこうなるまで放置し、対策を練らなかったのもまた事実。 私は有馬温泉の近くに住んでいます。避暑地でもあります。が、最近、自分の部屋にデジタル式の温度計を置くようになり、自分の部屋の温度が、冬と夏で「なぬっ!!!」と思う程、寒暖差があることが判明しました。(昔と明らかに違うと肌でも感じられますが)。 この今年の猛暑、酷暑。北の端の1番涼しいハズの部屋の温度が、35度に到達しているではないですか。この前の冬には、部屋の中なのに氷点下になっていたのにです。 何故、もっともっと『地球温暖化』のことをちゃんと考えてこなかったのかと痛感している毎日です。 お坊さま達も、お寺さんの中で熱中症になっていませんか? 地球温暖化をどう捉えていらっしゃいますか?

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アカウントの『私の煩悩:』の変更

初めてhasunohaを訪れた際、アカウントに『私の煩悩:』を記す欄があったので、何となく、ふと思い付いたことを書きました。 私が書いたのは、『よく「未来は自らの手で切り開くもの!」と言われるが、未来に希望が見出だせないでいる。』というもの。 ただ「解答用紙に、何か書かないと」というような思いだけで書きました。いい加減な書き方をして、すみません。 しかし、訪れて10日ぐらい経った今、「何か違う」「なら書き直そう」と思いました。ある投稿を読んだのがきっかけです。ここからが、私が未熟であるからこそ生まれた煩悩になります。 新しい『私の煩悩:』 (来世なるものを自ら決められるのだとしたら)次は男に生まれてみたい、という煩悩が生まれたこと 変更理由:①私が今、女であるから。②私は男として生きたことがないから。③なってみなきゃ分からないことがあるはずだから。 以上。 しかし、来世に、また人間として生まれてくる可能性も確率も分からぬまま、容易くそんなことを言えた義理じゃありません。もし人間になれたとしても、今の、現世の「女」の記憶が残っているものでしょうか。 以前、私は『プチトマト』というタイトルの質問を致しました。「私の前世はプチトマトだ!」と小2の私が直感的に思ったことを書きました。ですが、残念ながら「プチトマトの記憶」はありません。ただ「ハッ!」と閃いただけだったのでしょう。 今は、煩悩も「心境の変化は日常茶飯事」と同様の仕組みではないかと感じております。 哀しくも、女の私には、男のことは分かりません。それと同じように、男の人も、女のことは分からないのではないでしょうか。 「どちらが有利・不利」など、両者を経験した者にしか分からないことです。つまり、「そんなこと言っても仕方ない」「誰にも分からないのではないか」と思っています。 そんなことに腹を立てているから、「怒という煩悩」が生まれてしまうのではないか、と、只今感じております。 しかし、まず性別が「男と女しかない」と思っていること自体、『無知』であり『偏見』『差別』ではないでしょうか。 この時代に「男になりたい」「女になりたい」というのは、短絡的過ぎるような気がしてなりません。それなのに、私の頭にムダな煩悩が浮かびました。 どんなご意見でもご批判でも、受け止めます。皆様のお心の内をお聞かせ下さい。

有り難し有り難し 15
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