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お膳はご無理でない範囲にて
マリコさま
極楽浄土へ向かう因縁(原因と条件)が調ってあれば、死後すぐにでもそれが可能でしょうが、別の赴きへ向かうことも因縁次第においては十分にあり得ます。
以下は、下記問いにて中陰供養の意義にて拙生が回答させて頂きました内容と被りますが・・
四十九日の法要と本当の四十九日について
https://hasunoha.jp/questions/49750
死後、人は、過去世・今世も含めた業(カルマ)に従って、次の生へと向かうことになります。
その次の生へ向かうまでの期間が中陰と言われ、その期間が地球の人間の概念における時間の単位で、49日間が最長であると言われています。
この中陰の間は、非常に不安定な存在であり、特には業の力に流されてしまうところとなります。
ちなみに、中陰・中有の間の意識は、私たちの普段生きている中でのこの粗い意識レベルとは異なり、輪廻を繋ぐ非常に微細な意識となります。
その微細な意識における業の状態を、より善い赴きへと向けて調えるために行うのが、供養(お通夜、お葬式、中陰の法要)ということになります。
特に大事となるのが、仏縁を紡ぎ、仏界への転生、つまり、仏の道を歩めることのできる世界と境涯に生じさせるというところとなります。
これが、お通夜、お葬式、中陰の法要で効果があれば、亡き人にとっては大いに善い赴きへと向かえる力となりますが、問題は、それだけではなく、やはり、亡くなられた方の生前の行い、過去世における業、功徳、仏縁等が大きな力を持つことになります。
亡くなられた方の生前の行い、過去世における業、功徳、仏縁等の力が、7割。
お通夜、お葬式、中陰の法要、回忌法要等の追善供養の力が、3割。
となるでしょうか。
もちろん、3割の中だけでも、仏縁を紡ぐこと、功徳を届けることによる効果は、その方のそれからの善き赴きへの力として大きなところとなりますから、全くの無駄であるというわけでもありません。
・・
お膳につきましては、絶対にしないといけない、いつまでにという決まりや義務があるわけではなく、ご無理でない範囲にて調えて下さいましたらと存じます。
追善供養の本質は、特に功徳を送ることですから、何か善いことをしたことを都度都度に、ご本尊様と亡くなられた方にご報告なさられるだけでも構わないのであります。
川口英俊 合掌
こんにちは。
死後7日毎に49日まで仏事を修する習俗は、天平時代(奈良時代)から行われていたようです。当時の日本人がどのような時間感覚をもっていたのかは想像がつきませんが、まだ時計もないような時代ですので、電車の出発時刻のように「49日目の何時何分」などという事はないと思います。
あなたの考える旅立ちの時間、例えば、一日のはじまりである朝は出発にふさわしいような気がすれば朝と思えば良いですし、亡くなった時刻だと思えばそれで良いですし、名残が惜しくて夕方になるかもなぁと思えば夕方でも良いと思いますよ。
四十九日までは陰膳(影膳)を置きたいと考えているようでしたら、陰膳(影膳)をやめるタイミングもそれに準ずれば良いと思いますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございました。