四十九日の法要と本当の四十九日について
父を亡くし、先日四十九日の法要を終えましたが、四十九日の法要を行った日は亡くなってから四十六日目であり、本当の四十九日の日ではありませんでした。そこで、
①父はどのタイミングであの世(極楽浄土?)を目指すのでしょうか。
②お供えなどは本当の四十九日まで行った方がよいのでしょうか。
③お供えや話しかけたりするのは本当の四十九日が過ぎてもして良いものなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
49日間は、仏界にいくための準備期間だと思います
仏教では人が生まれてから死を迎え、次の生に生まれ変わるまでを4つの期間に分けて考えます。これを「四有(しう)」と言います。
我々が生きている状態のことを、本有(ほんぬ)と言います。そして、命尽きる時の瞬間の状態ー御臨終ーを死有(しう)と言います。其の後、我々は此の世に人でもない、あの世の人でもない中間の状態になると考えられています。其の状態を中有(ちゅうう)或いは中陰(ちゅういん)と言います。そして、中有の期間が四十九日と言われています。これは、インドの伝統的な霊魂観に起源していると言われております。
ご質問ですが、
①、お亡くなりになられて、49日目だと思います。
②、お寺での法要は、お寺側の都合や施主や親族の都合で、本当の四十九日目に行うことが出来ないことも多いです。でも、ご自宅で中陰壇もしくはお仏壇に香を手向け霊膳や供物を供えるのは、四十九日目の方が良いと思います。
③、49日間は、中有の状態の故人へ語り掛けとして、勤めてあげれば良いと思います。49日以降は、仏界に行かれ仏弟子として精進している故人への応援として、語り掛けてあげれば、よろしいかと思います。
宗派によって解釈が異なるので、ぜひ菩提寺のご住職にお尋ねを。
ちなみに
浄土真宗であれば
亡くなって即往生されますと説きます。
お参りされる方々の都合で
法事の日取りは前倒しになったりしますが
ご家族だけで正式な日に再度お勤めすることもあります。
こんばんは。
お父様のご逝去にお悔やみを申し上げます。
亡くなった方は49日後に他の何かに生まれ変わるといわれています。
亡くなった後の49日間どのように過ごしているかというと、7日ごとに裁判のようなものを受けて、7回目の裁判、つまり49日目に生まれ変わり先が決まるようです。
その裁判は、遺族の方の様子(死んでヤッター!とか言われていないかとか49日などの法要はきちんとしているか)なども審査の対象になるようです。現代人は忙しいので、正当の49日目でなくても、法要をしていれば大丈夫です。
お父様が亡くなった時にお葬式をしたと思いますが、お葬式は亡くなったお父様が、お釈迦さまのお弟子さまになる式です。ですのでお父様は亡くなって49日後にはきっと仏さまの世界(極楽浄土)に生まれ変わっているでしょう。
という前提でお話を進めますが
①父はどのタイミングであの世(極楽浄土)を目指すのでしょうか。
亡くなった時点で仏様の世界(極楽浄土)を目指し49日の日に到着すると考えて良いでしょう。
②お供えなどは本当の四十九日まで行った方がよいのでしょうか。
49日までの「あとかざり」については、49日の法要を終えたら片づけてしまって良いと思います(引き続き仏壇の方にお供え・お参りをしましょう)が、気になるようでしたら正式な49日まで続けても良いでしょう。
③お供えや話しかけたりするのは本当の四十九日が過ぎてもして良いものなのでしょうか。
仏壇へのお供えは、これから常に行ってください。できる範囲でいいですよ。お父様は仏さまの世界に生まれ変わっているはずですので、お位牌やお墓を通していつでも通信可能と考えて良いと思います。お位牌やお墓は仏さまの世界に通じる電話のようなものです。是非話しかけてください。
以上は私の考えですが、宗派やお坊さんによって考え方が違うと思いますので、菩提のお坊様に話を聞いてみてください。
中陰供養の意義
あおこさま
もう既に回答は出尽くしていますが・・
死後、人は、過去世・今世も含めた業(カルマ)に従って、次の生へと向かうことになります。
その次の生へ向かうまでの期間が中陰と言われ、その期間が地球の時間の単位で、49日間が最長であると言われています。
この中陰の間は、非常に不安定な存在であり、特には業の力に流されてしまうところとなります。
ちなみに、中陰・中有の間の意識は、私たちの普段生きている中でのこの粗い意識レベルとは異なり、輪廻を繋ぐ非常に微細な意識となります。
その微細な意識における業の状態を、より善い赴きへと向けて調えるために行うのが、供養(お通夜、お葬式、中陰の法要)ということになります。
特に大事となるのが、仏縁を紡ぎ、仏界への転生、つまり、仏の道を歩めることのできる世界と境涯に生じさせるというところとなります。
これが、お通夜、お葬式、中陰の法要で効果があれば、亡き人にとっては大いに善い赴きへと向かえる力となりますが、問題は、それだけではなく、やはり、亡くなられた方の生前の行い、過去世における業、功徳、仏縁等が大きな力を持つことになります。
亡くなられた方の生前の行い、過去世における業、功徳、仏縁等の力が、7割。
お通夜、お葬式、中陰の法要、回忌法要等の追善供養の力が、3割。
となるでしょうか。
もちろん、3割の中だけでも、仏縁を紡ぐこと、功徳を届けることによる効果は、その方のそれからの善き赴きへの力として大きなところとなりますから、全くの無駄であるというわけでもありません。
①父はどのタイミングであの世(極楽浄土?)を目指すのでしょうか。
→ 浄土へ向かう因縁が調ってあれば、死後すぐにでもそれが可能でしょうが、別の赴きへ向かうことも因縁次第であり得ます。
②お供えなどは本当の四十九日まで行った方がよいのでしょうか。
→ 無理に何かモノをお供えする必要はありません。追善供養の本質は、特に功徳を送ることですから、何か善いことをしたことを都度都度に報告なさられるだけでもその効果はあります。ちょっとふと虫の命を助けたとかでも構いません。
③お供えや話しかけたりするのは本当の四十九日が過ぎてもして良いものなのでしょうか。
→同上となります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。
とても勉強になりました。
父が極楽浄土を目指せるように本当の四十九日までお供えを続けたいと思います。
本当にありがとうございました。