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知識欲は煩悩なのでしょうか

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私は人文系の学問を勉強している大学生です。私は高校生の時に勉強の面白さに目覚めて以降、現在まで自らの知識欲に任せるままずっと勉強に自分のすべての時間を捧げてきました。とりわけ私が時間を捧げているのは西洋哲学、イスラーム学、近代日本文学そして語学です。

 学問というのは恐ろしいもので一つを知ると十の分からないものが現れ、学びたいものは指数関数的に増えていきます。そしてゲームやギャンブルと違って飽きるということも無いのです。私は今まで好きなだけ勉強してよいという学生の特権に任せて非常に幸せな時間を過ごしてきました。しかし、周囲から就職の話がぽつりぽつりと聞こえてくる時期になり、将来を考えるにつけて自分に残された時間のことを考えるようになりました。
 
 まだ数十年の時間が残っているとはいえ就職したら自分の時間はぐっと減るでしょうし、年を取るにつれ記憶力も減衰していってしまうことを考えると残された時間は私が学びたいものを学ぶのはあまりにも短すぎます。自分が「まだ勉強したい」と思い続けながら死んでいくのかと思うとなんとも言えない恐ろしさを感じます。
 
 物欲や色欲といった煩悩なら執着を捨てることもできそうですが、知識欲は同じ「欲」でも他の煩悩とは明らかに違った性質を持っているように感じられます。仏教でも「一切の欲を捨てよ」と説くと同時に、膨大なお経を勉強することはむしろ推奨されるのがその一例かと思います。

 しかし、知識欲も人を苦しめるという点では煩悩と同じです。勉強の中で自分の思考の深化と相対化に喜びを感じる時に、これから学びたいことを考えていつも絶望してしまうのです。でもだからといって私には「学ぶことをやめるべきだ」という結論は出せません。「学ぶ」ということは何にもまして崇高で、私にとっては人生の意味そのものです。

 私のこの恐怖はどうやって解消すればいいのでしょうか?

 仏教を勉強されている皆さんなら欲と学びというジレンマについて考えたことがあるのではないかと思い、このサイトに投稿させていただきました。

 長くなってしまいましたが、私からの質問をまとめると以下の2点になります。

・知識欲は捨て去るべき欲なのか
・知識欲が捨て去るべきでものでないのならば、知識欲からくる苦しみはどうすればなくすことができるのか


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

知識欲を人のために使おう

知識欲は捨てる必要はないと思います。何万巻とあるすべての経典を読みつくすのはおそらく無理です。どんどん勉強してください。弘法大師空海さまも、伝教大師最澄さまも、一生知識欲にとらわれていたと思います。あなたも好きなだけ勉強してください。学問には終わりがないですから。
ただ、ここで考えなければいけないのは、それだけでいいかということです。得た知識を人のために使うということです。自分が得た知識をひけらかすのでなく、それを人の役に立つために使う。それができていないと、自己満足で終わってしまう。空海さまも最澄さまも、それを人のために使うべく、高野山や比叡山を開かれました。そして後進を育成したのです。
仏教では、菩薩の心が大事にされます。自分だけが完成するのでなく、人のために役に立つことをする。自利でなく利他の行。それが必要です。それができるようになるためには日々の勉強が欠かせません。
どうか、知識欲のままに勉強すると同時に、それを人のために生かせるようになってください。僧侶になるのもよし。学者や教師になるのもよし。政治家や他の職業でも構いません。どの世界でも人から頼られる存在になってください。そのために勉強するのですから。決して自己満足のための知識でなく、人のためになる知識を得て、それを役立ててください。
そうすれば苦しみは自ずから消えていくはずです。

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高野山真言宗権少僧正。高野山本山布教師心得。高野山大学密教文化研究所研究員...
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欲と意欲

欲ラーガはとりあえず煩悩ですが、何かをやりたくなる意欲チャンダは、それ自体は善でも悪でもありません。善いことに意欲を出すとその意欲ごと善で、悪いことに意欲を出すと、意欲も悪になります。
善か悪かを決めるのは、それをやること言うこと考えることによって自分が、あるいは相手が、あるいは周りの生命が善くないことになるなら悪、誰も最低限困らない、むしろ善くなるなら善です。
暇つぶしの趣味は、ギリギリのところです。気分転換になったり交友関係が広がったり、逆に金品や時間が取られたり……
学びは、基本的には善になるでしょう。せっかく人間に生まれて、人間界のことをよりよく知ろうとするのですから。学びが仕事になればよし、趣味なら、仕事をしながらということで。
ただ、学んだ内容は来世になかなか持って行けません。たまに、生まれつき絵が好きで上手とか、ピアノが好きで上手などという人はいます。ほとんどは、学びたいという意欲が善になり、それが功徳になり、来世以降に善い影響を与えるでしょう。
学んでも学んでも知りたいことが多すぎて時間が足りないと感じたら、焦りとか絶望とかにならないように気を付けましょう。それは悪の心です。渇愛タンハーという欲の根本的な煩悩は、「足りない。もっと」という欠乏感も含みます。
どうせ全部を知ることはできないので、知識欲と上手に付き合うと良いと思います。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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それを職業にしてしまう。

我らの欲は
そもそも捨て去れません。
人生における一切が皆苦ですから
苦も無くなりません。

でも
その欲から来る楽しみに
目を向けませんか。

また
大学に残るという選択肢はありませんか?

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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悟るまで欲は消えない

快楽・悦楽を伴う気分は全て欲の煩悩だと思って良いでしょうね。
で、欲の煩悩は悟らないと無くせないでしょう。
仏教の教えは筏に喩えられることがあります。
川を渡るためには筏に乗る必要があるが、渡りきったら筏を捨てないと岸に上がれません。
仏教知識を学び始めた人には、知識欲の煩悩もあります。
知識欲が筏(仏道)に飛び乗る動機になることは多いでしょう。
しかし、いつか悟って欲の煩悩が消えたときには、知識を貪る執着心も無くなるのではないでしょうか。
悟っていない私たちには欲・怒り・怠け・プライドの煩悩があります。
ただし、悟っていない私たちでも、煩悩をある程度コントロールすることは可能だと思います。
お釈迦様は、煩悩を消すための修行方法と煩悩をコントロールするテクニックの両方を遺してくださいました。
まとめ。
知識欲も悟れば消える。
悟ってなくても欲をコントロールできれば悩み苦しみをコントロールできる。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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