仏教においての女性観・反逆者について
何点かお聞きしたいことがあります。
①仏典にある通り、女性は仏にはなれないのか。(変成男子は除く)
そうであれば何故なのか、そうでなければいけない理由は何か。
②上記に関連して、比丘尼に対して具足戒や厳しい戒律を課したと聞いている。
ブッタはどのような考えでそれを課したのか。
③デーバダッタの反逆は、当時のサンガが有力者等に色々と寄進・援助もあり、かなり豊かだったことにも起因していると聞いている。それに対して500人といわれるディーバダッタについていった人を諭した内容は、どういったものだったのか。(ブッタではなく長老2人)
以上、ご教示ください。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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できるだけ正確な情報を
自ら聖典を原語で読む、無理なら信頼できそうな学者や僧侶の話を聞く、学者や僧侶の話に納得いかなかったらセカンドオピニオンを探す、など工夫して、できるだけ正確な情報を得るよう心掛けると良いと思います。
①仏典にある通り、女性は仏にはなれないのか。(変成男子は除く)
そうであれば何故なのか、そうでなければいけない理由は何か。
この場合の仏とは、世界で最初に無師独悟する仏のことです。それは男だけです。仏の教えと修行法に随って後から悟(成仏する)のは女も男もできます。男女差ありません。
なぜか? 性の問題でしょう。男の方がこれまで何もなかったところを攻めるパイオニア性格が多く、女の方がこれまで築いてきたものを守る保守性格が多いので。差別ではなくそうなるということ。
②上記に関連して、比丘尼に対して具足戒や厳しい戒律を課したと聞いている。
ブッタはどのような考えでそれを課したのか。
今年度の広島大学卒論のテーマの一つがそれでした。当時のインド社会の問題(マヌ法典やバラモン教では女はものを考える力がない、子を産む道具、男の所有物、などと明記されています)に対して、バカな男から比丘尼を守らなければならない、しかし仏教と関係のない男に仏教の戒律は役に立たないので、比丘尼や比丘に、守り見張るための戒律を増やした。男女の体の違いのせいで比丘尼の戒律が増えた。八重法は五つはそのまま比丘尼戒に入っている。残る二つは理念。最後の一つ、「比丘が比丘尼に礼拝をしない」は、如来(無師独語で最初に悟る仏)が男だからかも。卒論氏はこれだけは資料不足で筆を措いていました。
③デーバダッタの反逆は、当時のサンガが有力者等に色々と寄進・援助もあり、かなり豊かだったことにも起因していると聞いている。それに対して500人といわれるディーバダッタについていった人を諭した内容は、どういったものだったのか。(ブッタではなく長老2人)
五百人とも比丘になったばかりの新人で何がブッダの教えかも知らなかった。長老2人がこれまで通りの仏教の教えを説くと、「あ、私たち、間違ってました。戻ります」と。彼らは堕地獄決定の破僧の罪にはならず、そそっかしさゆえの失敗を懺悔してサンガに復帰しました。
女性であっても即身成仏できる
ととさま
①についてとなりますが、無上瑜伽タントラの体系では、女性であっても即身成仏できるとされます。
これは、無上瑜伽タントラにおける倶生の大楽智を起こすあり方、楽空無差別智を起こすあり方、また、浄不浄の幻身・光明を起こすあり方に、男女の別は関係ないからであります。
もし羯磨印を実践する場合では、パートナーとして同様に高い境地にある男性が必要になります。
いずれにしても男女ともに無上瑜伽タントラに依らなければ最終的に成仏できないというのも変わりはありません。
ご参考までに。
川口英俊 合掌