あいさつが苦手
自分の勤めているお店に、僕が入社後、あいさつをしましょう、という趣旨の貼り紙が貼られたりしました。僕は昔からあまりあいさつをしない人間でした。というより、今の時代、あいさつをあまりしない人の方が多いと思っています。それがいいとか悪いとかではなく、それが割と普通になってると思います。
僕は現在、生まれ育った県ではない他県で働いてます。今住んでる県の人はあいさつする人が多いと思います。土地柄だと思います。
実は私も、10年位前にきっかけがあり、何年かの間、あいさつを積極的にするようになりました。しかし、今の私はあいさつで悩みを抱えております。つまんないことで悩んでると思われるかもしれません。私自身、なんであいさつで何年もの間、悩んでいるのか、嫌なのですがクヨクヨといつまでも悩んでおります。でも、あいさつで言い争いって起きやすいですよね。だから、あまり、あいさつをしない人が多いんだと思います。
今の職場では、私があいさつを積極的にしない事でケチをつける人がいるんです。強制というか、押し付けられているような感じがします。私は、あいさつをするとしたって、その人を喜ばせるためにあいさつをするわけではないです。私は私のためにあいさつをするというのが、まず第一にあると思います。
私にケチをつける人は、年上ですが、管理職ではないし、基本的に接する機会がない事務所にいる年配の女性です。
私にだけ、干渉してきていているようです。平等に他人にあいさつを要求してない事を問題だと思ってないようですし、自分自身のやってる事に自覚がなく、他人に要求してきていて、教養がない、おバカな人だと思います。
事務員と一緒になって、あいさつを強いるような雰囲気を作っている店長や上司の、店の運営の仕方も、ただ単に下手だと思います。40歳の雇われ店長です。社長は店に滅多に来ません。
あいさつは他人に言ってないで、自分だけやればいいと思います。
あいさつの事で、気に病んでしまいます。自分にも課題はありましょうが、店側のやり方も疑問です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あいさつは自己完結するものではありませんね。
こんにちは。亀山純史と申します。
私の回答の出だしは、必ず「おはようございます。」「こんにちは。」「こんばんは。」というあいさつで始めることにしています。それは見も知らなぬ相談者との関係を少しでも良くしたい、という私の思いからです。
さて、あいさつで思い出したことがあります。私の弟は民間企業で働いていますが、その会社では、自分の部署ではない人とも、朝、出勤時には「おはようございます。」とあいさつをするそうです。(たぶん、退社時には「お疲れ様でした。」「お先に失礼します。」などとも言っていることでしょう。)ところが、その会社の関東にある親会社に勤務している人から見ると、自分の部署ではない人に対してもあいさつすることが、不思議な光景に映るそうです。どちらがいいのかは、ここでは問いませんが、これから言えることは、「あいさつは決して自己完結するものではない」ということです。必ず相手がいて成り立つ行為である、ということです。ですから、自分があいさつして、それに対して相手が何も反応を示さなかったら、相手は私に対して何か不満でも持っているのだろうか、などと考えてしまいませんか。またその逆に、相手からあいさつをされたら、あなた自身、何かそれに対して反応を示そうとはしませんか。もしも、何も反応を示す必要などないのだ、と思うのであれば、そもそも、あいさつで悩むこともないだろうと思います。
あなたの職場やその土地柄は、私自身わかりませんので、直接、「あなたはこうすべきです。」とは言えませんが、私自身があいさつに関して思うことを書かせていただきました。少しでも、あなたのお悩みの解消に役立てばと思います。
あいさつは、自分から先にしたほうが勝ち
こんにちは。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」をごらんになりましたか?挨拶についての話が出てきます。今上映中なのでここには書きませんが。
さて質問中「あいさつで言い争いが起きやすい」とありますので、もしかしたら、あなたのおっしゃる「あいさつ」とは、昨日のスポーツの試合の結果とか、政治についての賛否などの世間話のことでしょうか?確かに応援しているチームや政治的な考えは人それぞれなので、これを話すと争いごとになるかもしれません。
一方で、一般的に「あいさつ」と言ったら、「おはようございます」とか「お世話になります」とか「こんにちは」などの事だと思います。このようなあいさつは争いの元にはなりませんし、とても大事だと思います。相手からあいさつがないと無視されたのではないかと不安になりませんか?
「あいさつは、自分から先にしたほうが勝ち」という言葉もあります。是非、相手から返事がなくても、強制されようとされまいが、自分の方から「こんにちは」「おつかれさまです」などとあいさつをしましょう。気持ちが良いものですよ。もし世間話をするようにと言われているのなら、天候の話などをすれば良いでしょう。
挨拶は強制されるものではありません
匿名希望さん、お仕事お疲れ様です。大変なこともありますが、ご自愛ください。
さて、挨拶の件ですが、その気持ち私も共感します。挨拶を強制されることなぜしなくてはならないのか?挨拶するしないは学校で教えること。社会人になったときは自己責任だと思います。
挨拶には短所もあります。でも長所もあります。どろぼうが入らない防犯対策は普段から近所で会った人皆に挨拶をすることだそうです。どろぼうは下見して、入りやすい家に入ります。でも、皆から挨拶されると監視されている共に犯罪する気持ちも抑制されるそうです。
でも、変に強制されると挨拶が悪者になったようになりますね。でも、それは挨拶が悪者では無くて、自分が好きでもない人に注意されたことが嫌だったのでは無いでしょうか?人はときに嫌いな人の真実より好きな人の嘘を信じることもあるそうです。
私は挨拶は面倒くさいですが、しないのも気持ち悪いし、しなかったときに次の動作が移り難いのです。特にマスクをしていると人の表情が解り難い分、挨拶でしか、気持ちを理解出来ない気がします。わざわざ、体調を聞くのも大変だし、真実も言わないと思います。
「他に勧められ、いやいやする善を行うことも仏心の現われである」という正法眼蔵の一節の言葉があります。これはイヤイヤした良い事もその瞬間は良心が働き、仏の心が芽生えている。という意味です。それを繰り返すことにより、逆に悪い事をする時間もなくなる。極論ですがね。
挨拶だけで嫌な人から注意を受けないなら、意地を張らないでイヤイヤでも挨拶しましょう。それを続ければ挨拶している人になるでしょう。
あなたの質問自体が挨拶
挨拶とは禅語ではお互いの持ち前の今の様子をそのままストレートに表す自己の全身心の現れです。
持ちものや構えが無ければいいのです。
相手を意識したり、気になることがあるから意識して対立意識が生まれてしまう。
挨拶は挨拶があっても挨拶。
無くても挨拶です。
ドライとか、感じ悪いと思われれば、それもあなたの挨拶。むき出しの自己。
相手がうっとうしいというのであれば、単に挨拶も含めてコミュニケーション不足。
相手の要求することや心理を読み取れるのでしょうから相手に合わせてあげるくらいの器量を持つことです。
誰もが「その自身の❝今の❞真実」は隠せない。隠し通せない。嘘をついたり、挨拶をしたくない心理すら挨拶に「出る」。
コンビニに言ってバイトさんの声に耳を傾けてみることです。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
声色だけでも人の心理が瞬時に読み取れるぐらいになることです。
心が読み取れるようになると「応じる」心が身につくようになります。
動も静もどちらも心のアクション。あなたが挨拶・アクションをしない=こころ内を表したくない、みせたくない、したくない、できない、というあなたの心理が「全部ズバリ現れている」=挨拶なのです。
それがわかる人には分かる。
あなたはバカにしている人でもあなたより人の心理を読み取れる能力が高い人もいるのです。見抜かれているのはむしろあなたかもしれません。
あなたの本音としては「放っておいてほしい」という心理があるのかもしれませんが、放っておいてほしいくらいに「何かあるということ」でしょう。
何も問題のない人はいつでもカラッと☀挨拶ができるものです。
素直に自分のそこに向き合う力があれば心は改善・向上・快適化されます。
斜に構えていたり、やさぐれたり、向き合うことに向き合えずに逃げていればあなた自身の仕事のパフォーマンスも向上しない。
うるせぇ坊主だと思うかもしれませんが、
「(._.)ん?そもそも俺はいつから挨拶が面倒になったのだろうか」と、自分に問いかけてみることです。
優劣、勝敗、損得、良い悪い、評価、比較に縛られる心を人間界と言います。
そこに留まらず、さらに一歩を進めて「そういう程度の境涯」から抜け出さん!と志すのが仏道、菩薩道、菩提道。人間世界のこざかしい競争・比較から離れて独立・自立して究極の素直な個の道を歩む世界です。
質問者からのお礼
僧侶の皆様、回答ありがとうございました。まだ、皆様の回答を消化できないような感じであって、わからない事なのですが、ひょっとすると、これらの回答の中に、ちゃんと悩みが解消する道筋が、既に出ているのかもしれません。私には、わからないでいるのですが、僧侶の方のアドバイスがわからずに、職場でつまらない間違いやら、トラブルを起こしたくないものだと思っております。
これからは時々、ここの回答を読み返しながら、やっていこうと思います。それと、本や映画を見て、物の見方を変えるようにしてみたいです。