自ら命を絶つことはいけないことですか?
乱文失礼いたします。
高校生の女子です。
最近、死にたいというわけではないのですが、このまま生きることをやめてすっとこの世界から消えて楽になりたいと思うことがよくあります。
今現在私の複雑な家族関係や、学校、受験、のことなど生活の中が問題で溢れかえっていて、普段はなんとかそれらの問題に向き合っていますが、一人になったときやふとした瞬間にとてつもなく苦しくなって、涙が溢れてきます。
また、テレビなどで、生きることがどれだけ恵まれているか、ということを教えるため(?)の感動ドラマや、かわいそう、という共感を目的とした番組などを見て、どうして人間はそこまで生きることにこだわるのだろう?という素朴な疑問を抱いてしまいます。
世の中の大人の方々ってすごいなって思います。みんないろいろなものを背負いながらも頑張って生きてきていて…私は、今のような苦しい思いをしながらこの先何十年も生きていける自信がありません…。
人はどうして生きることを必死に求めるのですか?本能ですか?死にたくないから生きるのですか?自ら生きることを絶つのはいけないことですか?
話がうまくまとめられず、よくわからない文章になってしまい本当にすみません…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「今だけを今日だけを生きるだけ。明日は誰も分からない!」
年々増加を重ねる現代病の一つともされています。自殺!
人間だけに与えられた選択肢で他の動物には備わっておりません。
理由があるから自殺行為を考え実行してしまう訳ですがそれだけでは無く精神疾患。衝動的を挙げられます。
私は今迄に葬儀を2000人位は経験しましたがその中には自殺した方は少なく在りません。
残された遺族の方々の姿はそれは見るには忍びないものがあります。
貴方は「自ら命を絶つ」といわれてますが「自殺」なんです!
この世に生まれ生きる時苦しいのは貴方だけではありません。人は「オギャー」と生まれた時から命はカウウトダウンが始まり必ず死へと向かいそれと共に、生きて行く苦、老いて行く苦、病気をする苦、死の恐怖を受ける苦が「生、老、病、死」四つの苦で決して逃げられない苦で良く使う言葉で「四苦八苦」がこの事で仏教から来ており他に後四つあり全部で八つの苦で勘違易いのは四と八で十二の苦。ではありません。
この世は貴方も私も俺もお前も皆平等に全ての人が苦は持っているのです。
お釈迦様もこの世は苦の世界と説かれておられます。「この世は苦の海を泳ぐが如し」なのです。苦しくて当たり前の世界なのです。
苦をしっかりと受け止めしっかり一歩一歩!歩今日を歩く事です。
明日は「死ぬかも」知れないのです!大体の方は明日生きて居ると思いこんいるだけで、
誰にも明日の事は誰も分かりません。死に急がなくても人は必ず死に向かい始めているのです。限りあるこの時、
「今だけを今日だけをしっかり受け止め懸命に生きるだけ只それだけ。明日は誰も分からない!」のです。
生ききるのですよ。
今晩は。
ご質問読ませて頂きました。
貴女も今、色々な苦しみ、悩みを抱えながら生きていらっしゃるのですね…。
私も貴女位の時分には命を絶つというのでは無いけれども「自分って存在が消えてしまったらどうなるのかなぁ」なんて事を時折思ったり、
漠然とした感覚だけでしたが「後何十年も人生を歩んでいけるのか?成長し、大人になり社会にでて生きていけるのか?」と言いようもない不安を抱いていたものです。
しかし、人間が人生を送っていく中で、圧倒的に「楽」より「苦」の方が多くの割合を占めているのではないかと思います。
それでも人間皆、貴女のおっしゃる様に、1人1人様々な悩み、苦しみを抱えながらも日々を自分の生活の為、家族の為、守るべきものの為に懸命に営んでいるのです。
その様に、誰もが生きなければならない背景を持っているのです。
曹洞宗開祖 道元禅師様も「生きている時には生ききる 死ぬ時には死にきる」という言葉を残していらっしゃいます。
つまり、生きてる時は生きる事に専念しろって事(それが生ききる事)、
生きる事に力を費やしていれば自然と死は後から追いかける様にやって来るのだから死に対する恐怖もないという事。(死にきる事)
だから、自ずと生きていれば「死」に刻一刻と近づいているのだから死に急ぐ事もないのです。
又、貴女のおっしゃる生きる事を求めるから必死に生きてるのでもなく、死にたくないから生きてるのでもないのです。
「生きなければならない」から皆生きているのです。
貴女はまだお若いから、生きなければならない意味や理由が明確でないかも知れません。
でも今はそれで良いと思います。
大人になり「責任」を背負わなければならなくなった時にきっと見つかることでしょう。
今後も生死の問題に向き合われ、ご自分のしっかりとした人生観、死生観を構築される事を願っております。
隆介 合掌
おつらい気持ちについて
生きていくことはつらいことがたくさんあります。そして様々な難題がある日私達をおそってきます。その辛く苦しいこと全てを理解すること受け入れることは大変なことだと思います。
ただ私達の命は亡くなっても消えることはありません。そして私達は父母から命をいただき、今も様々な方々に支えられて生きており、毎日いただく食べているものも命をいただいております。その命のつながりを粗末にすることが出来ないのも現実です。そしていただいた命によって次につながりを持っていくことも与えられた役割です。
本当ち辛いときにはしばらく考えることは止めて、また改めてゆっくりお考えになるときが参ります。自分を決して追い込まずに少しずつ前を向きながら生きていただきたいと思います。
「不生不滅」
佐和子様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
誠に難しいことになりますが、仏教では、二通りの真理を扱います。
一つは世間的な真理としての世俗諦。
もう一つは究極的な真理としての勝義諦。
世間的なモノの見方、考え方では、正直答えの出ない、あるいは答えの出せないことも実はたくさんございます。
「死生観」というものも、世間的なモノの見方・考え方においては、人それぞれにおいての価値観や思想信条等によっても、あれやこれやとあり、「これで正解」というものを正直見いだせるというものではありません。
では、最高の究極的真理としての「勝義諦」からはどうなるのだとなっても、実は・・言葉で表せないことが多々となってございます。あえて表すとなれば「不生不滅」、本問に合わせると「不生不死」となります。
しかし、この「不生不滅」を、世間的なモノの見方・考え方で字義通りに捉えてはいけません。ここには、文字でその内容を表すとなっても、凄まじいもの、そしていずれにしても限界があるとお考え下さい。
では、どう理解していくのかとなりましたら、仏教を修習して己が己で理解していくしかありません。
もし、どうしてもご質問のお答えをお知りになられたいのであれば、是非、これから少しずつでも仏教に興味をお持ち頂きまして、学びを進めていって頂けましたら幸いに存じます。
川口英俊 合掌