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本物のお坊様かどうか確認方法はありますか

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インターネットで仏教布教や衆生救済にご尽力されているお寺様も多くなってきている昨今、祈祷寺院は世間の目に触れやすくなっているかと思います。

インターネットでの僧侶の露出が増えた結果、従来の檀家制度では考えにくかった、「どのお坊様・お寺様と懇意にするか選択する」ことが可能となっています。

メリットがある一方で「自称・僧侶」という僧籍を持たない、本山に属さない等偽物の僧侶に騙される危険性も否定できません。
(中には、自ら「破戒僧」と主張する方もいらっしゃいますが。)

また、友人等から「お寺に行こう」と誘われたら新興宗教団体だったという話もききます。

お寺様・僧侶様が、本物かどうかを確認する方法というのはあるのでしょうか?

神社であれば、神社庁に属しているかどうかである程度の判別はつくと思うのですが(単立は別として)、お寺にはそういった統括組織等はありますか?

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

僧侶は、各宗派の本山から授与された資格。

寺院も(単立は別として)
各宗派に所属しています。
各寺院の僧侶は
各宗派の本山で得度し僧侶と成ります。
その僧侶は本物の資格を持った僧侶ということです。

ただそれは運転免許で言えば
ペーパードライバーのようなものです。
お葬式やご法事を勤められる
最低限の力量しか持っていません。

実際に寺院や社会で
いろいろ実践していって
経験を積んで
‟本物”の僧侶に成っていきます。
そういう意味での”本物”の僧侶は
会って話をしないと分からないものです。

ちなみに私が好きな僧侶は
立ち居振る舞いがきれいな人
お金にならないことをする人
お金にうるさくない人
タバコを吸わない人
です。

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 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

四苦八苦を救う力のある僧侶を求めるべし 

埼玉には葬儀会社が頭を丸めて全宗派の衣、全宗派のお経本を持っているインチ坊主がいるそうです。何も知らないとそういうインチキBOSEにそそのかされて知らぬがホトケ状態に。気を付けてくださいね。
曹洞宗でも最近地元に北海道から引っ越してきた?謎の?教区という地元の組合にも属さない謎の僧侶がいますが、自称曹洞宗ですが、うちの第三教区という教区に属さないので葬式や法事を収入源にすることが目的の生活僧侶のようです。
まぁ、そういう人ほど上手にアピールするところがあるようにも感じます。
本山に属せば僧侶なのか、組合に属せば正式な僧侶なのかといえば、一応それが正式で公式な宗派に所属している僧侶の在り方です。
僧侶業界には宗務所、教区という全国寺院できちんと分類区分けされた制度がありますのでそれに属しているかいないかが一つの目安となるでしょう。

以下は私の個人的な意見ですが、何をもって本物の坊さんと言えるか?
医者と同じに考えてみましょう。
医者であれば体を治す医師としての能力がなければ医者とは言えません。資格、免許がないのに医師を名乗ることはモグリですが、ブラックジャックのような一般の医師をもしのぐカリスマ医師も存在するものです。
坊さんも僧侶の形をしていれば僧侶かといえば、維摩孤児や山岡鉄舟のように在家にあって僧侶もしのぐ法力を持った人もいるものです。
私は私自身が尊敬する僧侶はきちんと修行して仏法を説いて人の生老病死や四苦八苦という苦しみを取り除ける見識、法力、法眼、道眼、心眼を打ち開いているかどうか。仏教の理屈は説けても普段の生活でどうか。悟り涅槃仏心という僧侶の明らめるべく必須課題を祭り上げて逃げずに立ち向かっているかどうか。道心、求道心、菩提心を持っているかどうか。きちんとした見識を持っているかどうか。衆生済度・救済活動をきちんと行っているかどうか。
そういうことが大事なんじゃないかなーと思います。
仏法、仏道、仏教とは、自分が心底求めればちゃんと求めて、ちゃんと弁えた分だけ力になるものです。力になるのに寺の息子ちゃんは求めない人もいるものです。
よって、あなたが「この人は…」という人に食らいついてみることです。煙に巻かずにあなたの悩み苦しみをきちんと救う力を持った人間が僧俗問わずに立派な救済力を持つ御仁であるということでしょう。あなたも菩提心・道心を持つことです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本物のお坊さんとは、という意味から考えないといけないところですが、とりあえず要注意なお坊さんかどうかという点についてお答えしますね。
例えばあなたが「私は〇〇宗です」と言った時に頭ごなしに否定してくるようなお坊さんは要注意だと思います。
また、信じないと不幸になるとか買わないと不幸になるとか言って不安にさせたり脅迫したりするお坊さんも要注意です。
また、インターネットでそのお坊さんやお寺や教団が過去に裁判になっていないか、犯罪歴がないかなど検索して調べることも危険を回避するためには良いかもしれません。
もし「このお坊さんは大丈夫?」と思って調べても判断に困ったらハスノハに登録しているお坊さんに聞いてみてもいいと思いますよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

まずは所属宗派を尋ねる

まずは所属宗派(包括団体)を確認する。つまりは、総本山はどこですか?と。
たとえば浄土宗(総本山知恩院)に属しているお寺の僧侶なら、浄土宗で僧籍登録(お坊さん名簿に登録)されています。
また、ご存じのとおり、包括団体に属さない単立寺院(何何宗系とかルーツは名乗っているでしょうけど)もありますね。
包括団体(宗派)に属する寺院の住職の場合は、その宗派内で必要とされる僧侶の資格を取得しているはずです。
一方、単立寺院の場合は、ルーツとなる宗派の伝統的な修行を今も守っているのかどうか、結局はそのお寺の考え方次第です。
もしかしたら、単位寺院の住職であっても、既存宗派の本山で修行し、既存宗派の僧侶資格を取得している人もいるかもしれません。
現実的に、単位寺院で伝統的な修行や教育カリキュラムを維持していくのはかなり大変ではないかと思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

お世話になっております。
この度は、ご回答いただきありがとうございます。

>>三宅 聖章 先生
何をもって「本物のお坊さん」「本物の仏教」というのかという答えのない問いになってしまいますものね(汗)
僧籍を得ていても仏道にもとる行いをする方
新興宗教の教祖であっても、過去に総本山で大阿闍梨であった方
札所霊場でも問題視されるお寺
僧籍がなくとも、菩薩行を行う方
結局は人それぞれというところでしょうか。

>>願誉浄史 先生
単立寺院は、必ずしもルーツとなる宗派の僧籍を得ていなくても設立できるということなのですね。
会社で例えると、
グループ会社のように親会社からの伝統を引き継ぐものと
独立開業している個人事業主
のような感じでしょうか。

>>和田隆恩 先生
ご回答ありがとうございます。
更に踏み込んだ回答、ありがとうございます。
形式上の免許だけでなく、それからの実践によって本物になっていくという考え方に共感いたしました。

>>丹下覚元 先生
ご回答ありがとうございます。
やはり、得体の知れないお寺・お坊さんはいらっしゃるのですね。
菩提心と救道心がキーワードなのですね。
お坊様を見極める際にも、また自戒の際にもそのキーワードをつかっていきたいと思います。

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