hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死を受け入れるにはどうしたらよいでしょうか

回答数回答 6
有り難し有り難し 118

最近、身近な人の死に接する機会が増えました。
友人や親戚の訃報に接し、「やがて自分も死ぬのだ」と死について意識するようになりました。

しかし、理屈では「死から免れない」「生まれたものは必ず滅する」とわかるのですが、自分は「まだまだ死にたくない」という気持ちが沸々と湧いてきます。

事故にでもあわない限り、遅かれ早かれ必ず死の間際を迎えると思います。そのとき、自分はどうしているのか想像がつきません。

宗派によっても死生観がことなると思いますが、死をどのようにして受け入れていったらよいのかご教示賜りたいと存じます。

よろしくお願い申し上げます。

合掌

2014年6月21日 14:39

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ページをめくる

小生の尊敬し、また目標としている、禅の布教師様「松原哲明師」は、
人生のはじまりと終わりを「ページをめくる」ものと申されました。

一見、消えたかのように見える、わたしたちは、
人生という小説の次のページを
めくっただけなのだ。

そのように表現されています。

さてそれでも、死を受容する、というのは一大事であります。
この一大事、禅の世界では究極の問題だということであります。
それだけ大変なことだと思って頂けたら幸いです。

そのために、古来の方々はそのことを受容するために、
辞世などをしたためたりして、言葉にして、受け入れて来られた
ものでありましょう。

お釈迦様は、「はたらきなさい。それが不死の道」と申されました。

故にいまもお釈迦さまは働いております。
仏像になったりお経になったり、時には
風のおと、山々の色、谷のせせらぎ、あさの露、

すべてがおしゃかさまの説法で、今も、この時間にも
語られている、現在進行形のお釈迦様のはたらく御姿であります。

それはどういうことか。

それら全てがいのちの「やすらぎ」の世界であり、
いきとしいけるいのちのやすらぎを願われ、それを務める事が、
自分のはたらきとされたのがお釈迦様という方なのであります。

死は、一種の通過点なのでありましょう。
小生はまだまだそう思えないので修行が足りてない証拠でありますが
そうしたお釈迦様のおこころに近づく、あるいは自分の中に
そのようなこころがあると信じて、日々を生きているものです。

ページをめくるがごとく、日々を務めて(読み進める事)
頂くことを、どこかこころのひきだしの中にでもお入れ頂けたら
幸いであります。
さちあれさちあれ。合掌

2014年6月23日 6:40
{{count}}
有り難し
おきもち

人は死を体験できない

誰でも最初は死は怖いもんです。
怖いことの中身は、失う事、壊れる事、傷つくこと、闇、知ることが出来ない事への恐怖です。死の恐怖は「死をよく知らん」から生まれます。
アナタは昨日、眠りに就いたでしょう。その時、自分が寝た事を知ることはできなかったでしょう?今まで一度たりともそれができなかったはずです。
死も同じです。死ぬぞ死ぬぞ、と思っても実際はこの体はありがたいことに自分の意思とは無関係に生きていてくださる。
死ぬ直前まで死ぬことを考えて恐れていたって、生きている間は絶対に生きているんだから、生きている間に死の事をあれこれ考えて自分をネガティブな闇の谷に突き落とすよりは、ああ、なるほど、死とはこの命が完全に止まり、感覚も痛みも思い出もすべてを良い意味で無に帰してくれるのだな、だけども自分が死んでも、この世界だけはあり続けていって、自分がこの世界に存在して何かしてきた分、死後も影響力として生き続けるのだ、誰かの心の中で私が死んだ状態でのコミュニケーションがなされるのだ、と考えれば、なすべき事がワンサカ出てくると思います。死は受け入れると、受け入れざるとに関わらず「絶対」です。
死は、死を終局として捉えず、ただそれとして受け止めるべきものです。
死をことさらに、終局、終焉、デッド、死、不幸、悪いもの、忌避すべきものとして捉えておられませんか?
死に罪はない。
死をあなたが思う時、それに付随させてアレコレ悪しざまに思う自分の暗い思いにくらまされているのではないでしょうか?
私は禅坊主ですので、生死を明らかにし、それに惑わないようになるのが本道です。禅僧仙厓は「死にとうない」と言ったと言われていますが、達観して、笑って言ってるのですよ。(笑)「((^

2014年7月19日 23:23
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

不老不死の方法

7676ブッダさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。よろしくお願いします。

私の尊敬する師が、ある時私に「浦上くん、不老不死の方法がひとつあるんだけど、知ってるかい?」と尋ねました。
何を言い出すのかと動揺しながら「いいえ」と言うと、師僧は「それはね、生まれないことだよ」と言いました。

そしてさらに「私も君も、すでに生まれている。だから手遅れなんだ。仏教は不老不死の道ではなく、『生死出ずべき道(しょうじ いずべき みち)』なんだよ」と仰いました。

生死出ずべき道。それは、平気で生きて、平気で死んでいく道を求めることだと私は理解しています。でも、私を含め、ほとんどの人がそれを手に入れられないまま、恐れおののき、苦しみながら死を迎えるのだと思います。

死を受け入れられなくても、いいじゃないですか。
江戸時代の禅僧 仙厓和尚は今際の際に弟子たちに「辞世の句を」と請われ、「死にとうない」と応えたそうです。
あまりに格好悪い応えに弟子がもう一度問うと「ほんまに、ほんまに」と応えたとか(一休宗純という説もあります)。

死の問題について、私は「死の体験旅行」というワークショップを主催しています。
予想を超える多くの方々が興味を持ち、受けて頂いています。
よろしかったらリンク先をご覧下さい。
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2013-01-14
http://www.tera-buddha.net/1218/

2014年6月26日 23:15
{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

死に方への恐怖を克服するには、感謝のこころ

7676ブッダ様
理性のある人間である以上死への恐怖はふとした瞬間にいつも付きまといます。

「死の間際を迎えると思います。そのとき、自分はどうしているのか想像がつきません」

誰も想像など出来ません。想像すれば反って恐怖が増します。
これは、死への恐れというより、「死に様」への恐怖ではないでしょうか?
死から逃れる事は誰も出来ませんが、どの様に死ぬのか?という問いは私にもいつも付きまとっています。

何年か前、一人乗りの漁船が故障、漁師さんが一か月以上漂流して救助されたという話がありました。助かった漁師さんは「眠くなったら寝る、目覚めたときまだ生きている事を実感する」という話をしました。死と隣り合わせの生を実感した言葉です。
3年前の震災を思い出して下さい。津波に家族も家も街も奪われた人々は、3/11の夜、大きな余震と暗闇、いつまた来るかも知れぬ大津波の恐怖を感じながら冷たい夜を、生と死の狭間で過ごした事でしょう。3/12朝の明かりがどれ程有り難いものだったでしょう。
被災地以外の私たちでも、3/12の朝の有難み、家族が無事な事を想った事はハッキリ覚えています。

死への恐怖、死に方への恐怖はこころの奥にいつもあるでしょう。
朝目覚めたとき「無事目覚める事が出来た、今日も一日よろしくお願いします。」
夜、帰宅時や就寝前に「一日色々あったが、無事帰宅し平穏に就寝できます。」
そんな気持ち、感謝のこころで朝夕に手をあわせ、お念仏しましょう。

平穏な日常を取り戻せるはずです。

合 掌

2014年6月25日 0:56
{{count}}
有り難し
おきもち

石川県金沢市内の城北地区鳴和町で浄土真宗本願寺派のお寺をお預かりしておりま...

命は、終わりが有りません。

宗派により、考え方が違うのかもしれません。

人間には、この身体の終わりがあっても、命が、終わる事は無いと教わりました。

いつの日にか、この身体が終わった時に必ず再会出来る、これが、死出の別れ。

私も、最愛の人と、今生での別れをいたしました、生きる目的もなくなり心から火が消えた日々を過ごしました。

そんな時に、阿弥陀様の教えに出会いました。

今は、笑って再会出来るように日々を悔いなく生きています。

時は今、ところ足下、その事に、打ち込む命 とわの御命

2014年7月1日 13:31
{{count}}
有り難し
おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...

「死」について

7676ブッダ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

宗教全般はもちろんながら、仏教においても「死生観」の問題は誠に避けて通れないものでございます。

これまでhasunohaにおきましても「死」に関して扱わせて頂いて参りましたが、その中では下記の拙回答が少しくにも参考となるのではないかと存じております。

問い「死への恐怖がぬぐえません」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999290.html

問い「生きる意味、死ぬのが怖い」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002966329.html

問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992500.html

基本的な「死」へ向けたあり方としましては、下記の拙回答を参考として頂けましたらと存じます。

問い「死ぬとどうなるのでしょうか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002844774.html

『・・死後の有り様は、「生き方次第」であり、それもできうる限りの「善い」生き方が望まれるものとなります。死後の輪廻においては、(空なる)心(相続)のありようが大きな作用を持つものであると考えられております。無明(根本的無知)・煩悩・悪業などの悪い因を抱えた状態での死後の赴きは、非常に厳しいもの(悪趣世界・・地獄・餓鬼・畜生など)になる可能性が高くなってしまうと言われております。何とか確かなる「仏縁」により、心(相続)を浄らかに保ちて、死後以降も仏道修行の歩める状態にて、悟り・涅槃へと向けて精進努力して参りたいものでございます。真なる楽(悟り・涅槃)を得たいと願うのであれば、しっかりと「善い」生き方を心掛けていく必要があるかと存じております。善い行いが積めれますように共に頑張って参りましょう。・・』

とにかく、死へ向けて、あるいは死後の安心は、心(相続)のありようと行い次第として、しっかりとより善くに調えて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

2014年7月19日 10:00
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

ご回答を賜り、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

お釈迦さまの御心に近づけるよう、お釈迦さまが残されたお言葉を反芻しながら日々を過ごしてまいりたいと思いました。

合掌

大熊師、ご回答ありがとうございます。
「3/11の夜、大きな余震と暗闇、いつまた来るかも知れぬ大津波の恐怖を感じながら冷たい夜を、生と死の狭間で過ごした事でしょう。」とのお言葉、心に響きました。

小生の実家も被災し、母と弟がまさに逃げ込んだマンションの階段で雪降る中、生と死の狭間を過ごしました。
父から母と弟が無事であったとの報せを受け取ったとき、2日後、行方がわからなかった姪や従弟が避難所で見つかったとの報せにとても喜びました。

一方、親戚、友人や知人を亡くしたとき、育った家を失った時の絶望感は、いまだに忘れられません。

この両極を味わったわけですが、日が経つにつれて「いまここにいのちがあるということは有り難い」と思いました。

先のことにとらわれず、いまを感謝で過ごしていくことを教えていただきました。
心から感謝申し上げます。

合掌

浦上師、ありがとうございます。
「死を受け入れなくてもいい」とのお言葉に安心しました。
むしろ、いま執着している「もの」「物」「モノ」を手放していくことが大事だと思いました。

合掌

「死ぬのが怖い」問答一覧

死を具体的に感じて怖くなりました

40を迎えて人生折り返しを過ぎ、死を具体的に感じるようになって怖くてたまらなくなってしまいました。 全てのものはいつか滅びてしまう、今のこの世界が有限でいつか終わってしまう寂しさ、悲しさ、恐怖 この前まで楽しみと喜びばかりだった我が子の遊んだり笑ったりする姿も辛く悲しく思ってしまいます。 日々の食事も自分の口にしているものが生き物の命をいただいているという事を実感してしまい恐ろしくて悲しくてたまりません。 これから終わりまでに満足な人生であったと自分自身が思えるように生きたいと思うものの自分が何をしたいのか、何をすべきなのかもわからず、全てが無意味に感じてつらいです。 娯楽も生活も仕事も何もかもが、今こんなことをして時間を浪費している場合ではないのでは、という焦りでいっぱいになってしまい手につきません。 パニックのようになってしまい、睡眠障害、摂食障害、不安と恐怖に苛まれて身体が動かないなど心身に影響が出てしまい、先日から精神科に行き始めました。 こうしている間にも全ては死に向かっているのにどうすれば穏やかに生活して人生の終わりに向かって生きていけるのかわかりません。 長くなりましたがお返事は急ぎません。 何卒ご助言などいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 31
回答数回答 1

怖いもの

私は父母両家の祖父母も健在で親戚なども元気に暮らしています。 今まで身内が亡くなったことがなく その実際のつらさがわかりませんが 幼少期の思い出を振り返ったり もしものことを考えると涙が止まらず 想像以上の辛さがのしかかります。 私の父方の祖父母は小さい時から同居をしていて 特に祖父はとても元気で90近いのに今まで大病もなく 現在も身体の数値は異常なく至って健康体です。 そんな祖父ですが、ここ1週間で 1人で起き上がることが出来ないほど老衰してしまいました。 祖父がとても心配で近くで見守るのですが、 どうしても後先のことを考えてしまい 1人になると勝手に涙してしまいます。 祖父だけではなく家族みんなも 私の命には代えられないほど、かけがえのない大切な人たちで 誰一人として失ってしまうのがとても怖いです。 これから祖父だけでなく 皆順に離れていってしまうことは 充分わかっています。 ですが、そのつらさに耐えられる自信がありません。 正直誰かをなくしたら到底明るくなれる自信がこれっぽっちもありません。 これから来る別れの連鎖に立ち向かう自信がありません。 周りの方々はどう乗り越えているのでしょうか。 どうして乗り越えられるのでしょうか。 私はこれからどうなればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 43
回答数回答 3

死後の罰が怖い、吐き気が止まらない

すみません。もう想像が全然消えなくて相談させて下さい。 最近、昔した悪いことを沢山思い出しました。小学校の時に借りた本を返せなかったこと、露店でメロンをお店の人が間違えて二個も渡したのに黙っていたこと、観光地で恐らく100円を拾って自分のにしたこと、中学生か高校生頃恐らく7年ほど前、近所で1万円を拾ったのに自分のものにしたこと、試食を多めにとったこと…多分これからまだまだ出てきます。全部謝れなきゃ死後に罰が下るんじゃないかって怖いんです。 もちろん、これは私の1つの想像です。誰から聞いた訳でも皆さんがそんなこと言っている訳でもないことは理解してます。でも、死後のことは誰にもわからないのでもし、もしあればって怖いんです。今、謝る努力をしなくてとても後悔したらどうしようって。凄い罰でずっと苦しんだらって。 家族には死後のことはわからないんだから考えても仕方ない。それなら皆罰を受けることになるよって言われました。でもわからないからこの想像があってるかもって思ってしまって、皆が罰を受けるのも嫌で怖いんです。 皆だったら怖くないかもしれないって自分を慰めたりしたんですが、いや個室かもしれないずっと1人かもって怖くなります。 友達の連絡先は必死に探してます。でも中学校が違うこともありなかなか見つけられません。露店も同じお祭りにいったり、イベントを実施した場所に連絡して探すべきではと思ったりします。何年も前なので確かな情報はありませんが。試食は手紙を出そうと思ってます。拾ったお金は今からでも郵送したり近所の交番に行ったりして返しにいくべきかと思っています。 上記の行動は多分普通の人よりオーバーな行動だってわかってます。でも死後の罰が怖いんです。すごく痛くて謝れなくて後悔したらって。 反省は何度も何度もしてます。もうしないって誓いたいんですが、もし忘れたらって思う自分もいて誓えてないです。 家族は全然死後の罰なんて心配してなくて、自分もしたことあるよと明るく言ってきます。でも、私はそんなあったらあった時なんてなかなか思えなくて。吐き気が止まらないです。ずっと吐き気がします。心配で吐き気が止まりません。 全部謝って回るべきですか。皆さんも謝れなかったことありますか。死後の罰が心配になりませんか。怖いのと吐き気でおかしくなりそうです。自分が大罪人に思えてきました。罰が怖いです。助けて。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る