両親に早く死んでほしい
60歳を超えた両親に早く死んでほしいと思っています。
親はアパートを経営しており、相続し売却すれば数千万円手に入るはずです。今の自分は生活に困っているわけでもなく、精神的に病んでいるわけでもありませんし、今の仕事も特別つらいわけでもありません。しかし、両親が死ねばもっと楽な生活が手に入ると思うと、早く死んでほしいと思います。
両親を憎んでいるわけでもないし、関係が特別悪いわけでもありませんが、高齢になった時の介護などを回避するためにも、いずれ死ぬなら早く死んでもらうに越したことはないと思っています。
早く死んでもらうためのいい方法は何かありませんか?自分が死ねばいいという回答はなしでお願いします。
それと、親に死んでほしいという感覚は、みんな口にしないだけで持っているものなんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怠けの煩悩は誰にでもある
そのような気持ちは多くの人が持っているでしょうね。
お釈迦様の時代にも、阿闍世太子という王子様が、父である王を殺した話が経典に記されています。(父王を恨んでいたケースですが。)
現代でも、怠け・欲・怒りの煩悩は誰にでもあります。一方で、親への愛着や倫理観、法的な罰や世間体などがあるので、口に出したり行動に移す人は少ないでしょうね。
煩悩は誰にでもある。
これは現実だから仕方ないですが、煩悩は悩み苦しみストレスの原因になりますので、「早く死んで欲しい」という煩悩に執着しない方が楽に生きられるかもしれませんね。
早く死んでもらうための方法はいくらでもあるでしょうけど、お勧めはできません。
五逆罪
どうしてこういう訳語なのかわかりませんが、「他にどんな善業を積んでいても、これをやってしまったらその悪業が先に出て、来世は必ず地獄に落ちます」という恐ろしい罪が五つあります。
父殺し、
母殺し、
阿羅漢(悟ったお坊さん)殺し、
出仏身血(ブッダは殺せないのでケガさせる)、
破和合僧(悟りを目指すお坊さん同士が仲違いしてサンガを壊す)
です。
私たち現代の在家に関わるのは、最初の三つです。あなたの今の問題に関わるのは、最初の二つです。
善でも悪でも業を決めるのは、心です。実際に言葉や体で実行するまでに至ると相当強い業になるかと言えば、そうとも限りません。殺す場合、実際に殺すと、それ以上はもう殺せません。一回だけで終わりです。「殺すぞ」などと言葉にするのは、何回かできるでしょうけど、自分の心が相手や他者にばれ、信用を無くし、あまり言葉にしにくくなります。
心に思うだけなら、誰にもばれないし被害も出ないので、何回でも、心で殺せます。悪業も積もり放題です。
同じ心だけでも、業の強さに違いがあります。カッと怒って殺すのは、いつもカッカしているわけじゃないでしょうから、怒る回数、その業は少ないです。
なんとなく恨みつらみでいつもその人を憎んでいる場合は、暇さえあれば「あいつが死ねばいいのに」などと思い続けているので、業の回数は結構増えます。
一番怖いのは、怒りも恨みもなく、それがどれだけ恐ろしいことかという自覚もなく、「まあ、いなくていいんじゃない?」と考える場合です。
自分に関わりが少ない人に対しては関心がなくてもいいのですが、人間に生まれさせてくれて育ててくれた親に対して恩を感じないとか関心がないのは、恩=借金をしている自覚もない踏み倒し魔ということになります。これは怒りに現れなくても心の根本のところで無知という煩悩が強く働いている、抜きがたい恐ろしい煩悩です。心の根本は四六時中のことなので、悪業もこれまでの分が積もりに積もっています。
心を今から無理やりにでも捻じ曲げて、生まれてから赤ちゃんの時、子供の時、学校に行くとき、と、育ててもらった恩を思い出し、親孝行して借金を少しでも減らすべきです。借金したままでも悪業ですが、その自覚もなく踏み倒すと、意図的なものとなり、悪業がより強くなります。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
引き続き回答をお待ちしています。