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悪意のない暴言の対処法について

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有り難し有り難し 23

妻の言葉に悩んでいます。
妻は普段から愚痴や文句は多く、本人は癖になってしまっているのだと思います。
例えば、運転をしていて、駐車をするときに縁石に乗り上げてガタッとなった時に「下手くそ」とボソッと言われたりします。
長い付き合いなので、それについて何度か話した事はありますが治らないの一点張りで説得する事は諦めました。

仏教の教えで泥に染まらず、清い心でといったものを見て、自分もそういった言葉に染まって腹を立てるのではなく、聞き流して溜めないようにしようと心掛けています。
しかし、そういった悪い気の篭った言葉は聞くたび聞くたび心のモヤモヤが増してしまいます。心なしか家の雰囲気も悪い気がしてしまい、何か対策は無いかと質問させていただきました。

妻の事が嫌いということは無く、そういう部分も含め支えて行こうと思い、結婚、二人で子どもを育てています。
子どもも言葉がわかるようになってきており、そういった面でも心配はしています。

仏教の考え方はしっくりくるので、こういった時の教えなどあれば、そちらも教えていただけると幸いです。

乱文となってしまい申し訳ありませんが、ご回答のほどよろしくお願い致します。

2022年8月27日 10:40

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

押してダメなら引いていくことを観念に

拝読させていただきました。

奥様とブーさんの出身地は異なるのでしょうか?出身地の違いにより、言葉の捉え方も自己の心にとどまる気持ちは変わるものです。
同郷であれば、奥様の習慣化された言動であり、正面から説得しても変わることは難しいものですね。それもブーさんは納得されていると文面で見受けられました。

「利己的」「自己中」「自分勝手」を仏教では偏執している者と捉えます。
家族がいるということに意識と自覚を経験によって変わっていくことを待つのも一つの方法です。
家族は「族」ですから、ひとりでなく複数共同体であることが前提となり、「わたしは私では通用しない」ことが、何れ壁に当たります。
人は大切な事には、中々現代では気付きにくい時代となってます。それは、科学が進化していることで、心が追いつかない時代でもあります。
情報社会では、特に日本では「そんなに急いでどこに向かっているのだ」と、ヒシヒシと感じます。

大切なことは『小欲知足』を憶念していく心が言動を制御させる一つの方法となります。それを婉曲で伝えていくことが奥様に気付きを与えることに繋がるものでもあります。

悩みはつきないのも人間の性ですが、まだまだ「この程度の悩みは、悩みなんかではない」と自身に言い聞かせることも自己を安心に導く方法でもあります。
家族以外からクレームなどが勃発するならば、家族会議は必要となります。

・母は強しです。
・ブーさんにだけ甘えれるから、ブーさんだけに文句が出るのであって、他には世間体を大切にしている反面、ブーさんに普段の自己重圧(奥様が)があるかもしれません。

また、他の僧侶さまからの意見も聞いてみてくださいませ。

合掌

2022年8月27日 12:08
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

悪意のない暴言であれば暴言ではなく「おと」

ぶーさんだけに暴言を屁に喩えます。
悪意の無い㋬を独りで㋙いたとします。
誰にも迷惑も掛からず天上天下唯我独り㋙く㋬は大静寂。誰が困ることがありましょう。
ところが人というのは何か条件つけば瞬時に困る・困らないということが出てくる。
「部屋に隠しカメラが!」( ゚Д゚)
「誰もいないと思ったら妻が!」( ゚Д゚)
「その㋬で飼っていたペットが即死!」( ゚Д゚)
「その㋬が引火してバスガス爆発🔥(原因:屁)」
㋬一つであっという間に人生大惨事となる。ナルンカイ
さて、この㋬の話、一体何を言わんとするか。
それは㋬一つ、あくび、クシャミ一つ、咳、発する言葉一つ、誰がどこでいつ問題にしているのか?その答えを追求せぇという話です。
奥さんだって、脳内ツイートがうっかりポロリすることはあるでしょう。
人は思うことを思うか言うだけの違い。
言ったからって人生終わるわけでもない。
お笑い番組だったら思っても言わなかったら次回から無反応過ぎて絵にならないから番組にも呼ばれません。
縁石乗り上げてヘタクソ言われたぐらいでダメージ大になるのはあなたが奥さんから嫌われたくない心理があるから。あるいは失いを恐怖する心理がある。
だとしたら、自身の負のリアクションを問題視するより、奥さんを大事にする行為を行えばいい。あるいは失いを恐怖する心を無くそうという意識を持てばよいだけのことです。達人は人生にいわゆる失いという状況があっても己に失いという意識が無いから大静寂。
つまり貴方の煩悩はその喪失感。失ってもいないありのままそのまんまオナラな事実に「失った・損なった」という要らん喪失意識を無駄トッピングしてきたことに自覚がないだけのことです。
平気で人前で㋬を㋙く御仁もおられます。外国へ行けば路上コーウン(仮名)をする人もいるわけです。別にあなたにいつでもどこでも路上でグッジョブ(仮名)をなされという話ではありません。したら離婚モノ。
内なる「得失」の心の本質を見抜いて自身が得失に振り回されない柔軟不動になる。それは人間、心持ち次第で誰でも可能です。今日から心を強くする志を持つことです。
あなたが悪意の無い㋬を独り㋙く時に、そこに悪意があろうがなかろうが!それは得失を離れた㋬(法音)でしかないということです。
奥さんの発する言葉や不機嫌や愚痴や罵声も同じ法の教導音。仏音。仏ーとこそ聴くべし。

2022年8月30日 18:06
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
「小欲多知」重要な事だと感じました。自分自身もできていない事多々あるので、学びながら、ふんわりと共有していきたいと思います。

ブーさんにだけ甘えれるから
→近くに長くい過ぎて忘れていましたが、全くこの通りだなと思いました。

色々な気付きをありがとうございました。

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