正月に自殺します。
今年の秋,うつ病と診断され1ヶ月ほど休職し現在は職場復帰しました。
しかしながら配慮された業務配置で周りにも迷惑をかけている現状で,とてもとても居心地の悪い状態です。(それに関しては自分自身の感情に大したことはありません。元々仕事嫌いなのでいずらいなあと思う程度です。)
先日,会社が提供している社員向けサービスの心理カウンセラーとオンラインでカウンセリングを受けました。その際に「今後どうしていきたいか?どうなりたいか?」と問われました。私は全然わかりませんでしたが,その場しのぎで「穏やかに健康に生きていられればいい」と答えそのカウンセリングは終わりました。
後になって考えてハッとしたのですが,私はもう「どうにもなりたくない」のだと悟りました。復職を果たしても頑張っていかなければならないことはかわらないし,苦痛はその都度やってくるのだと思います。
今まで無理をして生きてきたので,ここらが丁度いい潮時だなと感じています。不思議とこれから自殺することに清々しささえ感じておりやっと終われるんだなと安心しています。
質問というよりは宣言になってしまいましたが,自分の人生に満足し勝手に死ぬことは悪くないなあと思います。今までよい人生でした。幸せでした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
書き込みありがとうございます。
自分の人生に満足して人生の幕を下ろすのは悪いことではありませんが、必ずしも良いことでもないと思います。
その昔、お釈迦様は修行で悟りを得て自分の人生に満足していました。そのままこの世から消え去ってもいいくらいの気持ちでした。
しかし心の中の良心が「その悟りを他の人にも伝えてはどうか?みんなが理解できなくても少しは理解できる者がいるはずだぞ」と布教を懇願しました。お釈迦様はそれを受け入れ布教の旅に出たのでした。
世の中にはあなたの力を必要としている人がいると思います。
来年からは生まれ変わったつもりで、あなたの周りで助けを必要としている人の為に歩み始めてはどうでしょうか。
お釈迦様のように。
せっかくですから
拝読させて頂きました。
あなたが自殺なさるつまり自分の命が終わることに安心なさっていることや今まで生きてきた中での苦痛が終わることに安堵感を覚えていらっしゃるのですね。自分の人生に満足して勝手に死ぬことも悪くないと思っておられるのですね。自分の人生はよい人生だった幸せだったと思っておられるのですね。あなたがその様に思われるのには様々理由があるでしょうね、あなたのお気持ち受け止めさせて頂きます。
そう思ってしまうこともあるかと思いますし、生きていくことをあきらめることもあるかもしれませんよね。
あなたがそう思うことも自由かとは思います。
ただその思いとは違う思いもあなたの心の中には合わせて存在していると思います。
せっかくですからじっくりとあなた自身お向き合いなさってみてはいかがでしょうか?
あなたには与えられた人生や時間があるのです。長い短いはあるでしょうけれども、あなたの与えられた命や時間や人生や様々なご縁やものごとを見つめてみて下さい。
あなたがかけがえのない時間や人生や命を大切に生き抜いて下さいます様にと切に祈っております。
分からない、のでしょう?
こんばんは。問い詰めるつもりはありませんが、「思いつかなかった」のに咄嗟に答えてしまったというのが「無理をして生きてきた」ことの気づきにつながったのですね。
そう、「思いつきません、分かりません、考えられません」っていうのはとても言いにくい言葉です。多分学校教育とかのせいなのですけれど。
けれど、この問答で、あなたは「その時ぜんぜん思いつかなかった」という真の姿を表現できた。これはとっても良いことだと思いますよ。そして恐らくあなたは「どうにもなりたくない」のではなく、「自分の納得なくして頑張ることはしたくない」のだと推測します。あなたの書き方ですと「頑張る=苦痛」のように見えますが、すべて頑張ることが苦痛ではありませんよ?そしてご自身の人生に満足しているようにも見えませんよ?老衰じゃあるまいし。
せっかく「分からない、と答えていいのだ」、そしてそれができる自分を手に入れたのですから、一つ「無理をしない生き方」を手に入れたのだろうと思いますのに。
良かったら返信くださいね。
よくぞお話しくださいました。
あなたのお気持ちは分かるとは到底言えませんが
あなたの置かれた状況では
死にたくなるのも無理はないと感じました。
本当に大変でしたね。
念仏すれば極楽浄土に往生できる
浄土宗では、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)える者は誰でも、臨終後に極楽浄土に往生できると説かれます。
経典の中に出てくるお話で、阿弥陀仏という仏様が私達を必ず極楽浄土に迎えてくださると誓ってくれているからです。
人それぞれ、いつ死ぬかはわかりませんが、南無阿弥陀仏、
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を称(とな)えて、人生のハッピーエンド(来世で極楽浄土の菩薩様に生まれ変われる)を願いましょう。
阿弥陀仏は、どんな悪人や愚かな者でも見捨てない仏様なのです。
なお、念仏を連続で唱えたりするのは脳のリズム運動になり、脳のリズム運動にはセロトニン神経のはたらきを整える効果があるそうなので、心身の健康に役立つ可能性がありますので、そういう意味でも念仏はお勧めです。
また、歌を唱ったり、ジョギングもお勧めです。
質問者からのお礼
お釈迦様や仏教のことは少しだけ勉強しました。
ですが,他人のために生きることは無理です。
私は見返りを求めてしまうので無理です。
ありがとうございました。
人は死後49日の修行を経てお釈迦様の元へと行けると以前聞きました。死してなお修行とは酷いものだなと思いました。仏教とは1つの解釈に過ぎません。仏教が誕生する以前から人間は何億と死んでるでしょうから。私もその仲間に入る。ただそれだけのことです。ありがとうございました。