hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

仏教とテクノロジー

回答数回答 3
有り難し有り難し 40

こんにちは
初めて質問させて頂きます

昨今テクノロジーの進歩は凄まじいですよね
人工知能が一部では人間を上回ってその内技術的特異点を迎えると言われたり、粒子加速器などで宇宙の始まりを解明する試みもどんどん進んでいます

そんな中で将来、技術が進む中で仏教など宗教は信仰を失っていくでしょうか?
お坊さんの考えを聞きたいです
また、出来ればお坊さんのテクノロジーに対する考え方も聞いてみたいです

曖昧な質問となってしまい申し訳ありませんが回答をお願い致します

2023年1月9日 19:00

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無不可思議光

ご質問ありがとうございます。

技術が進めば進むほど、細分化、専門化され、全体を把握できる人が少なくなると、落ちこぼれる人が増える。
不安が増大するので、人の何かにすがりたいとう欲求は増すと思っています。
だから信仰は消えない。

テクノロジーについては、単純にすごいなと思うだけです。

そもそも、何百年も前から唱えている偈文に
南無不可思議光。という言葉があります。
人知を超えた光に帰依します。という意味です。

正信偈には清浄歓喜智慧光とありますが、テクノロジーのおかげで最近なんとなくイメージすることができました。

清らかな光・・・殺菌灯?
歓喜の光・・・イルミネーション?
智慧光・・・光通信??

昔は電球の光しかイメージがわかず、光のさまざまな働きは遠い世界のものでしたが、テクノロジーが私たちの生活の中に具体的な働きをもたらしてくれるおかげで仏教が身近になっていると思います。

人間を超えちゃいけないと思うのも傲慢なのかもしれないなと思う今日この頃です

AIが人を超えても、それでも私は念仏します。
なんまんだぶつ

2023年1月9日 20:21
{{count}}
有り難し
おきもち


世の中こわい。人もこわい。 大きい人の都合に振り回される 報われない。...
このお坊さんを応援する

根底精神がエゴであるとどんなテクノロジーも人を豊かにさせない

物質的な進化・進歩で人間が豊かになるならば、先進国の人たちはとっくに戦争やら利権競争やら他国への圧力から卒業しています。
発展の目覚ましい近隣国をご覧ください。
どんなに人間がいて、どんなにお金があっても、何をやっているか。
あるいは今の日本をご覧ください。
どんなに日本をリスペクト、吸収しようと試みて各国から人が集まり、人が増えてお金や技術、あるいはテクノロジーの技術、ノウハウが吸われ放題、パクられ放題になっても、世界が豊かにならない。
わかりやすく言えばドラえもんの四次元ポケットやデスノートのようなものがあってもそれを「誰が」「どんな人間性の人間が」「どう使うか」によって世界の明暗・貧富を分けるのです。
かといって共産共産ということを口にする人たちも上層部だけが潤っている。
表向きのきれいな宗教活動も、本質はカルトだったりする。
テクノロジーが人を豊かにするのではなく、豊かな人がテクノロジーや宗教を上手に用いれば豊かな心が広まるということでしょう。
農作物、商品、産業、ビジネスも同じ。
どんなに優れたチエ、情報、優れたスキル、方法を持っていても、それを用いるものがどの程度の人間性であるか。
ちょっと前にマインドフルネスブームというものがありましたが菩提心がない。、それを盛んにしようと協会を立ち上げても業界トップが真にマインドフルネスな状態だったのか?どうか。
エゴイズムや利権にカブレて趣旨がずれればテクノロジーもおかしな利用のされ方で終わる。
日本の技術が流用されて中国人民の監視社会、他国侵略に貢献し、誰かがひどい目にあわされるような用いられ方がなされれば、どんなテクノロジーも原爆的で危険!ということになる。
だから仏教では菩提心を説く。
菩提心のない学習はズルガシコい悪魔を生み出すからです。
真実の宗教心のない教育、ビジネス、技術開発、医療、政治…、みなズルガシコい悪魔を生んだ歴史があるのです。私自身もそこを宗教業界で見ました。
だからこそ、菩提心を持つべきなのです。
坊さんがテレビに出演して何かやろうとする。そこで本人に真の菩提心がなければ自己実現欲求が優先されクオリティの低い仏法が仏教として世間に認識される。あるいは世俗・俗人の一旗揚げんとする人たちに使われるだけです。テクノロジーも仏教もそこに真の人類愛や真の宗教精神、菩提心があるのかどうか!?を問う。

2023年1月10日 15:24
{{count}}
有り難し
おきもち


来世で虫になったら忘れてしまう

輪廻転生を前提に考えるなら、テクノロジーが発達した人間に生まれることもあれば、神通力をマスターした神様(天)に生まれるときもあれば、虫や魚に生まれるときもあります。
最近の研究では、鳥も鳴き声でけっこう複雑な会話をしているらしいですね。
鳥も言葉というテクノロジーを開発している。
しかし、その鳥が死んでダンゴムシに生まれ変わったら、鳥の言葉は忘れてしまうでしょう。
ということで、テクノロジーは「この人生、この世界」のものであり、基本的に来世には持っていけないのです。
ただし、仏教では、神通力を得れば前世の記憶を思い出せる(前世の記憶は消えてはいない)とされます。
極楽浄土に生まれた者(浄土の菩薩様達)は、前世をバッチリ思い出せるようになるそうです。
極楽浄土の蓮華は、青い花は青い光を、赤い花は赤い光を出して輝くと、阿弥陀仏経には書かれています。
極楽浄土にはすごいテクノロジーがあるのかもしれません。

2023年1月11日 4:31
{{count}}
有り難し
おきもち


がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご返事ありがとうございます
お坊さん達のテクノロジーに対する考えが聞けて良かったです

「仏教全般」問答一覧

仏教はその目的の実践以外何もない(3)

 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略  (私見)  釈尊の説教にしては珍しく、修行者であった過去の苦労を述懐しています。  輪廻転生は既に先達が確認しているので、終始その出離を模索していたことになります。  生があれば自然の摂理で老病死は免れず、仏教とて救うことは出来ません。  死後は苦が無くなるので、仏教は救う必要はありません。  再生を断ち切ることだけが、仏教の救いです。  仏教はその目的以外何もないのです。  「生」については、心が永続するとなれば誕生の仕組みが常識と大幅に変わります。  渡哲也の病状に関して、一時テレビに出演した臨死体験者の新堂のぶ子氏は、講演会で「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」と述べています。  また「子は授かりもの」とも言います。  またある宗教学者が、多分「大縁経(広縁経?)」に「意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と伝えています。  このことから想像すると、総てが自分の意思で生まれたのだということになります。  親は唯この世で生きるために身体を作ってくれたのです。従って「生老病死」は自己責任です。   因みに、浄土宗ではお説教の初めに三帰衣文を唱和するそうですね?  その内容は「この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん」だそうですね。  「度する」は多分般若心経の結論である、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」の「度」ですから 正に「仏教の目的」そのものです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

仏教はその目的の実践以外何もない(2)

 阿含経典 縁起 (南伝 相応部経典 12.3. 道跡) 前略  「比丘たちよ、正しからぬ道とは何であろうか。  比丘たちよ、無明によって行がある。(以下十二支縁縁起)受→愛。愛→取。取→有。有→生。生によって老死・愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かくのごときが、このすべての苦の集積のよって起こるところである。  比丘たちよ、これを正しからぬ道というのである。  比丘たちよ、では正しい道とはなんであろうか。  無明を余すところなく滅することによって行は滅する。(以下十二支縁起)愛→取。取→有。有→生。生の滅することによって老死・愁・悲・苦・憂・悩が滅する。このすべての苦の集積のよって滅するところである。  比丘たちよ、これを正しい道というのである。」  (私見)  仏教を知らない人は、皆「無明」なのでしょう。だから縁起に従って生まれてきます。  それは正しい道ではないと警告しています。  生まれてきた人間にお前は正しくないと言われては、何とも救いがなく宗教にはなりません。  従って仏教は「真実の教え」であって生きている人間には救いもなく大変冷たいのです。  救いは次の「正しい道」だと教えています。  しかし無明を「有明」にするのであれば比較的易しいですが、無明を「滅する」となっていますので、とんでもない話です。比丘には「涅槃」を勧めています。いわゆる「心の死(エネルギー化)」ですね。   唯「目的」は「解脱」となっていますので、衆生には、浄土(天界?)へ行く「生まれ変わらない」道をを含んでいるようですので少しは安心です。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

仏教≒物理学と言われたけれど?

 いつもお世話になっております。常々こちらで申し上げております 通り、私は、昨今の仏教情勢に強い危機感を感じています。この道に 関心や知識のない方からは、 「仏教は、非現実的で、拝めばどうにでもなると思っている偶像 主義・神秘主義で、拝んでいない奴は救われない、拝んでいる自分 たちは特別な存在だと思い込んでいて、現実的な考え方ができない 人たち」 という印象を持たれ、信者側には、 「拝んでいない連中は、貧乏暇なし。私たちは、拝んでいるから 努力しなくてもいい。神仏が何とかしてくれるから。全ては、 神仏の働きによって成り立っている。拝めばなんとかなる。 ○○寺は強い、××寺は弱い。だから○○寺のお守りを持って いれば、力を得られる」 などという、宗教ではなくオカルト的な認識が蔓延しています。 信者だけでなく、本山や有名寺院まで、オカルトビジネスで 儲けています。  私もそんな愚かな妄信者でしたが、こちらのお坊様のお話を 勉強させていただくうち、 「世の中でまことしやかにささやかれているオカルト的な考え方は、 本当の仏教じゃない。仏教は、とことん現実を見て、現実に存在 する事物を駆使して苦しみを除き、間違った論説に惑わされず、 冷静に生きていく教えなんだ」 と感得しました。  そこで私は、学生時代に大嫌いだった理科を学ぶことにいたしました。 基礎、有機、生化学の教科書が家にあります。白衣も、簡単な実験器具 もあります。  近所のお寺の住職様にこの考えを伝えたところ、 「化学もいいけど、物理が大事な気がするなあ」 と言われました。  しかし、物理は戸口が大変広い学問です。力学、電磁気学、量子論、 相対性理論、光学…身近な例だと、心霊写真は光学でしょう。霊感は、 精神疾患や劣悪な環境(カビ毒など)、低周波音が原因といわれる ので、化学なら生化学、物理なら音波…  色々調べているのですが、わかりません。大学に行けば、と言われ そうですが、私は持病があり、大学受験に割くことのできるエネルギー がありません。市民講座や、好きな科学者さんの実験ショーにはお邪魔 しようと考えていますが…  物理学の中では、何が一番仏教に通じていますでしょうか? ご高見を賜りたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

仏教はその目的の実践以外何もない(1)

 「仏教の目的」とは「輪廻転生からの解脱」ですが、阿含経によれば、それだけと言う大変厳しい教えです。  従って、この説教は釈尊の予言通り、没後500年で滅亡したようです。  自己否定の説教では誰も就いていけなかったのでしょう。  現代の仏教は四苦ではなく多くは「老病死」の三苦となっていますが、滅亡した仏教では「生」が最大の問題です。  以下順を追って経典を眺めて見ます。 阿含経典 縁  (南伝 相応部経典 12.20. 縁 )  前略  「比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。生によって老死がある、という。このことは如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているものである。」(以下略)  (私見) ここで「縁起」とは「生老病死」の四苦を言い、しかもそれは仏教とは関係のない、自然の摂理であると断定しています。  自然の摂理ですから、仏教はそれを救うことは出来ないと言う意味に取れます。 生まれたら苦しみを逃れるにはひたすら死を待つだけです。死ねば四苦から解放されます。  死後が無ければ、それですべて解決しますが、身体(色)は死んでも心(受想行識)は同時には死なないようです。身体は構造が複雑ですから故障しがちですが、心はその構造もわからず、臨死体験から想像すると多分空気のように軽いでしょうから、死ぬ要素が無いのでしょう。だから仏教では「死」を死と言わず「往生」と言っています。  従って仏教の救いは死後にあると言いうことになりますが、四苦が無いですから、仏教の出番は無い筈です。  多分前世に残った欲の記憶が、再び生へのあこがれになるのでないかと思います。  これは人間に限らずすべての動物に共通の営みでしょう。  これ等を生前に理解して実践し、再び出生しないよう救うのが滅亡した仏教です。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ