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仏教とテクノロジー

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有り難し有り難し 56

こんにちは
初めて質問させて頂きます

昨今テクノロジーの進歩は凄まじいですよね
人工知能が一部では人間を上回ってその内技術的特異点を迎えると言われたり、粒子加速器などで宇宙の始まりを解明する試みもどんどん進んでいます

そんな中で将来、技術が進む中で仏教など宗教は信仰を失っていくでしょうか?
お坊さんの考えを聞きたいです
また、出来ればお坊さんのテクノロジーに対する考え方も聞いてみたいです

曖昧な質問となってしまい申し訳ありませんが回答をお願い致します

2023年1月9日 19:00

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

根底精神がエゴであるとどんなテクノロジーも人を豊かにさせない

物質的な進化・進歩で人間が豊かになるならば、先進国の人たちはとっくに戦争やら利権競争やら他国への圧力から卒業しています。
発展の目覚ましい近隣国をご覧ください。
どんなに人間がいて、どんなにお金があっても、何をやっているか。
あるいは今の日本をご覧ください。
どんなに日本をリスペクト、吸収しようと試みて各国から人が集まり、人が増えてお金や技術、あるいはテクノロジーの技術、ノウハウが吸われ放題、パクられ放題になっても、世界が豊かにならない。
わかりやすく言えばドラえもんの四次元ポケットやデスノートのようなものがあってもそれを「誰が」「どんな人間性の人間が」「どう使うか」によって世界の明暗・貧富を分けるのです。
かといって共産共産ということを口にする人たちも上層部だけが潤っている。
表向きのきれいな宗教活動も、本質はカルトだったりする。
テクノロジーが人を豊かにするのではなく、豊かな人がテクノロジーや宗教を上手に用いれば豊かな心が広まるということでしょう。
農作物、商品、産業、ビジネスも同じ。
どんなに優れたチエ、情報、優れたスキル、方法を持っていても、それを用いるものがどの程度の人間性であるか。
ちょっと前にマインドフルネスブームというものがありましたが菩提心がない。、それを盛んにしようと協会を立ち上げても業界トップが真にマインドフルネスな状態だったのか?どうか。
エゴイズムや利権にカブレて趣旨がずれればテクノロジーもおかしな利用のされ方で終わる。
日本の技術が流用されて中国人民の監視社会、他国侵略に貢献し、誰かがひどい目にあわされるような用いられ方がなされれば、どんなテクノロジーも原爆的で危険!ということになる。
だから仏教では菩提心を説く。
菩提心のない学習はズルガシコい悪魔を生み出すからです。
真実の宗教心のない教育、ビジネス、技術開発、医療、政治…、みなズルガシコい悪魔を生んだ歴史があるのです。私自身もそこを宗教業界で見ました。
だからこそ、菩提心を持つべきなのです。
坊さんがテレビに出演して何かやろうとする。そこで本人に真の菩提心がなければ自己実現欲求が優先されクオリティの低い仏法が仏教として世間に認識される。あるいは世俗・俗人の一旗揚げんとする人たちに使われるだけです。テクノロジーも仏教もそこに真の人類愛や真の宗教精神、菩提心があるのかどうか!?を問う。

2023年1月10日 15:24
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

南無不可思議光

ご質問ありがとうございます。

技術が進めば進むほど、細分化、専門化され、全体を把握できる人が少なくなると、落ちこぼれる人が増える。
不安が増大するので、人の何かにすがりたいとう欲求は増すと思っています。
だから信仰は消えない。

テクノロジーについては、単純にすごいなと思うだけです。

そもそも、何百年も前から唱えている偈文に
南無不可思議光。という言葉があります。
人知を超えた光に帰依します。という意味です。

正信偈には清浄歓喜智慧光とありますが、テクノロジーのおかげで最近なんとなくイメージすることができました。

清らかな光・・・殺菌灯?
歓喜の光・・・イルミネーション?
智慧光・・・光通信??

昔は電球の光しかイメージがわかず、光のさまざまな働きは遠い世界のものでしたが、テクノロジーが私たちの生活の中に具体的な働きをもたらしてくれるおかげで仏教が身近になっていると思います。

人間を超えちゃいけないと思うのも傲慢なのかもしれないなと思う今日この頃です

AIが人を超えても、それでも私は念仏します。
なんまんだぶつ

2023年1月9日 20:21
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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

来世で虫になったら忘れてしまう

輪廻転生を前提に考えるなら、テクノロジーが発達した人間に生まれることもあれば、神通力をマスターした神様(天)に生まれるときもあれば、虫や魚に生まれるときもあります。
最近の研究では、鳥も鳴き声でけっこう複雑な会話をしているらしいですね。
鳥も言葉というテクノロジーを開発している。
しかし、その鳥が死んでダンゴムシに生まれ変わったら、鳥の言葉は忘れてしまうでしょう。
ということで、テクノロジーは「この人生、この世界」のものであり、基本的に来世には持っていけないのです。
ただし、仏教では、神通力を得れば前世の記憶を思い出せる(前世の記憶は消えてはいない)とされます。
極楽浄土に生まれた者(浄土の菩薩様達)は、前世をバッチリ思い出せるようになるそうです。
極楽浄土の蓮華は、青い花は青い光を、赤い花は赤い光を出して輝くと、阿弥陀仏経には書かれています。
極楽浄土にはすごいテクノロジーがあるのかもしれません。

2023年1月11日 4:31
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

ご返事ありがとうございます
お坊さん達のテクノロジーに対する考えが聞けて良かったです

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