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浄土真宗における世襲について

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浄土真宗の寺院の住職の子どもは、やはり跡取りとして育てなければいけないのでしょうか。

私は浄土真宗の寺院の長男であり、現在は一般企業に勤めておりますが、ゆくゆくは継ぐつもりでおりました。

しかし、「寺で生まれたから」という理由で小さい頃から跡取りとして育てていくことに疑問があり、子どもの人生を方向づけてしまう育て方はしたくないと考えております。

その旨を父である現住職に伝えたところ、「そのような考えであるならば絶対に継がせられない」とのことでした。
真宗に限らず、現在まで多くの寺院が残っていることは、安定した世代交代が可能である世襲がその一要因であろうとは思いますが、現住職がそこまで反対する理由を図りかねています。

私の代で廃寺するつもりは毛頭なく、今までの経験を活かして、地域に開かれたお寺にしたいと考えていました。考えが甘いかもしれませんが、万一子どもが継ぎたいと言わない限りは外部の人に継いでいただくつもりです。

とりとめのない文章で恐縮ですが、皆様の御意見を頂戴したいです。

2023年8月18日 14:10

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何より大切なのは寺族の都合でなく、門徒の寺院であるということ

寺で生まれ育てば、疑問に思いますよね。世襲の真宗寺院が多いですが、決まりではありません。たとえ、長男であったとしても、現住職や門徒役員、各所属の長が認め、教団のトップが承認しなければ、継承することはできません。反対に長子でなくても承認されれば、住職(代表役員)となるのです。

私は、嫁いだ身ですが、得度し、承認され住職になっています。
子どもにも、外の世界を見てほしいと思っています。「僧侶」になるということは生き方であり、「住職」になるということは寺院を護持し、宗教法人の責任者にならねばなりませんし、伝道に務め僧侶の育成管理も担います。その責任と覚悟は、自覚してこそですから。寺の子だから、という理由で当たり前のように道を決めて背負わせたくありません。
お念仏のお育てに遇っていくのと、住職になっていくのは、また別です。
自分がその道を歩いているからこそ、後継者の想いまで大切にしながら、継いでくださる方に継承していきたいと思っていますよ。それは、現住職が考えていくことです。私は、子どもにそのように伝えています。

いろんな考え方や住職のこだわりもありますから。後継者の立場に置かれているのでしたら、住職にお伝えしていきましょう。

何より大切なのは、寺族の都合ではなく、ご門徒の寺院であるということですから。

2023年8月18日 17:33
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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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同意します。

ご相談拝読しました。

私は浄土真宗の真宗大谷はの住職をしています。現在、4歳になる長男がいますが、この子はこの子の歩みたい道を歩めるようにと願っています。

私たちには信教の自由があります。宗教は自分で選ぶものであって欲しいです。住職になるならば、なおさら「自分でこの道を歩もう」という主体的な選択がないと苦しいだけだと思います。

それに、子は親の顔色を伺うもの・・・お寺で生活するならば影響を受けることは避けられませんので、もしも子が進みたい道があっても親に言いにくい環境ではあることでしょう。

地域差はあるかもしれませんが、ご門徒は当然のごとく跡継ぎとして子を見たり、時にはそのように声がけをすることもあるかもしれません。その時に子もみんなの喜ぶようにふるまうようになったり、親もまんざりでもない顔をしていると、無意識的にそちらに強制されるような影響もあるかもしれません。

それが良い・悪いは別です。ただ、私は子に自分で自分の道を選んで欲しいですし、そのための環境・雰囲気を整えたいとは思います。

2023年8月18日 15:39
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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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親としては継いでほしい 仏法としては法の継承者が継ぐべき

仏教のルーツは釈尊です。住職とは住持人であり、仏法僧の三宝の住持・保持・護持をするものが住職、住持人です。釈尊の伝えられた仏法、ダルマ、法を❝住持し得る者❞が住職・住持するものであって、誰でも住職になれてしまうということではないと思います。
つまり、仏法僧の三宝、あるいは仏法の内容を明らかにされた人が住職・住持人にならなければ厳しい言い方をすれば仏教とはまるで関係ないお寺のスタッフ・事務員さんが住職をやってしまっているようなものなのです。
それの何がいけないのか。
お寺や住職は釈尊や祖師たちと同じように仏の法を伝え得る人でなければならないのに全然不向きな人がやってしまうとそこには仏教色もなく、宗教性も失われてしまう。
お寺は地域に根差して、仏の教えを通して人々に仏の教えを伝え得る場でもありますから、お釈迦様や祖師たちが現代僧侶に願うことは、そうした活動をやってくださる方がお寺の住職・住持人になっていただきたいということがあるのではないでしょうか。

また、この話は親、お父様、お師匠さんとしては、あなたに継いで欲しいということがあるということでしょう。
お師匠さまのお考えとしてはこういう資質をもってお寺をやってほしいということがある。あるいは業界、浄土真宗の中ではある程度これこれこういう資質を持たれた方がお寺の住職を継ぐにふさわしいということがあると思います。
また世間サマは別に世襲などは求めておられないのではないでしょうか?
機能としてお寺が立派な活動をなされていけば檀家さんとしても安心でしょうから、政治家と同じように世襲よりもまともな政治をしてくれる人が政治家になった方が縁故主義や身内びいきもなく純粋な公務をしてくれるものです。
第三者のまなざし、公的なビジョンをもってお寺をみるならば、世襲は本来は不要でしょう。仏法とは仏法を継承された方が代々伝えてこられたわけですから、私情は本来は絡めてはいけないと思います。
ですが、それでも切っても切れない家族の関係というものがあるはずです。
お師匠さんはお父さんという立場としても孫の代にも一族が継いで欲しいという気持ちがお母さんの立場としても共にあるのではないでしょうか。
自分の子供の代、次世代で馴染みのない方がお寺を守るとなるといささか不安という心理もあるのではないでしょうか。個人と公の両面から話し合ってみてください。

2023年8月19日 7:16
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おきもち

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ