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あの世に知識は持っていけますか?

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死んだらお金はあの世に持っていけないといいます。
才能(技能)は、来世に持ち越せるといいます。
最初から才能があって上手くできる人は、前世より何代も前からその方面に関する努力をしてきたらしいです。この説明は、私は本当に納得できたのですが疑問があります。
知識は持ち越せるのでしょうか?
一生懸命学んでも、人は死にます。脳みそも死にますよね。生まれたときに、前世で学んだ知識はありません。
今世で必死こいて勉強する意味って、ありますか?
私は勉強をしたくありません。昔から塾に通ってコツコツと勉強していたわけではないので基礎学力が低いです。最高で偏差値50くらいです。
そんなイライラします。勉強を開始しても、自分よりも効率よくできる上の人と比べてしまって嫌になります。
趣味の小説の題材にするための勉強(魔術の歴史や銃の扱いなど)すらも、理解の遅い自分にイラついて手につきません。
質問です。あの世に才能(技能)は持っていけるとして知識は持っていけますか?
勉強できない私をどうか助けてください。

2023年9月8日 18:20

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

身に着いたら持っていける

 やってきた事の善悪の業だけ持っていけると聞いています。
 業とは結局性格に現れるとも聞いています。その人の個性のことです。
 学校の勉強で得た知識(結果)は持っていけないとしても、知識を得るための頑張りとか答えの導き方などの根性とかノウハウ(道程)は、自分の性格・個性ですから、持っていけるだろうと思います。
 経典で思い出した過去を語る場合は、本当は過去世の記憶全部思い出していますから、学校で成績が良かったとか、当時の社会はこんなだったとかも全部思い出しているはずですが、抽象的に、この親の下で生まれた、こんなものを食べて育った、こういうふうに死んだ、などというだけです。自分には記憶として残っていても、目の前の人には関係ありませんし、そもそも人間以外の過去は、人間語で説明しにくいです。生まれて生きて(食べて)死んだくらいは全生命共通ですが、個々の内容は、他者にはどうでも良いことで、自分にとっても過去の終わったことで、今、どうやって生きるかのほうが切実です。
 で、知識そのものよりも、知識や生きる技術を習得する過程のほうが、今にも生きる生活の知恵で、それが、過去世でも決め手だったようです。
 個別の科目の成績が良いのは、学校や資格試験でうまく行きやすいです。しかしそれ以外の面では、案外使えません。大学でさえ、高校までと違って自分で調べて考えて文章を書いたり成果を示したりしないといけません。就職したら、成果を出す知恵は、知識も必要ですが、知識以外のところにあります。
 仏教では知識と性格・業を分けて、知識は持っていけない、業だけといいますが、業はどの生まれでも知識や生きるすべを習得する役に立ちます。
 何となく心優しく善を行う癖・性格と何となく悪いこと考えがちな癖・性格。
 なんとなく、やり方や方法を自分で見つけて道を切り開く巧みさとそれがうまくできない拙さ。
 こういう癖・性格が業で、知識はその時々のつけ刃で済みますが、生活の場面ごとに切り替えて乗りこなせるかどうかの巧みな生き方は、これが決め手だと思います。これは来世にも持っていける号で、前世から身についているものが大きくて、
 しかし、前世分が半分、今世の努力が半分、とも、仏教では言います。
 個々の科目の点数よりも、これは社会で必要か、こういうふうに考えたらうまく行きそうなどという智慧がポイントだと思います。

2023年9月9日 9:31
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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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知識はもっていけませんが、勉強は無駄ではありません

知識はもっていけませんが、勉強は無駄ではありません。
お話しされているように、人が死ぬとその脳も死にます。一般に人が知識を保持しているのはほとんど脳の機能によるものと考えられています。水を入れたコップが落ちて割れると中に入っていた水も飛び散ってやがて蒸発してしまうように、人の脳が保持していた知識も脳と共に消滅します。
では、一生懸命に知識を得ようと勉強することは全く無駄なのでしょうか。
お釈迦様の教えでは、この世からあの世につながっていくのは一個の「私」という存在ではなく、「五蘊」という5種類に分けられたハードウェア、ソフトウェアのような部品であると考えられています。この部品がどのような精度を持ち、どのように組み合わされているのかという状態を仮に「業」という言葉で呼んでもよいかと思います。
人間が単純なロボットと違うのは、今世で生きているうちに学習することで、この部品の精度や組み合わせ方をより良く改良改善していくことができるという点です。今生で勉強した成果は、知識という一時的に保持される情報としては消滅してしまうけれども、次の生に引き継がれる五蘊としては、より良い精度、より良い組み合わせが可能になるという点で無駄にはなっていないということです。
現在のご自身の知識や学習の進み具合に不満があるということは、ご自身が「自分には改良改善の必要がある」と認識しているということですから、むしろ良いことです。苦しいのは希望する成果が今すぐに実現しないからですが、これは誰にとっても同じことです。
お釈迦様の教えのよいところは、かかる時間の長い短いは別として、良い努力は必ず良い方向に進むということです。
あまり焦らずに勉強して、少しづつでも自分に力がついていることを喜べるようになると気持ちも楽になるのではないかと思います。

2023年9月9日 9:14
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おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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過去世を知るのは神通力の一つ

たとえば仏教で六神通と呼ばれる六つの神通力の一つに、宿命通という能力があります。
前世(過去世)を思い出せる能力です。とはいえ、その能力を得るためには、仙人(聖仙)と呼ばれるくらいまでの、かなりの修行が必要です。
ただし、極楽浄土に生まれた者は、自動的に六神通を得られると言われます。
誰でも「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称(とな)えて極楽浄土に往生したいと願うなら、阿弥陀仏はその人を極楽に生まれさせてくださると、経典には書かれています。
まぁ、極楽浄土でこの地球の知識が役立つかはわかりませんが、念仏を称(とな)えていればあなたも来世では極楽浄土の菩薩様になって、過去世の記憶を思い出せる神通力を得られるかもしれませんね。
追記
 勉強が苦手だと自己確認できたことも、大切な財産になりますね。
 

2023年9月9日 9:21
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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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勉強ができない人でも学ぶことはできる

人は死んだら「あの世」には何も持っていけません。
そもそも誰も死んだことがないのにどうして( ゚Д゚)あの世はこうだぜ、こうだったぜという話があるのか。あるいは、そういう話を信じるのか。
💀怖い話でみんな死んじゃった話なのに、どうしてその話を知っている人がいるのか?という理屈と同じです。
※私個人の論ですので一つの学びにしてください。
まず「あの世」は定義次第ではあの世に何でも持ち越しが可能です。
たとえば、才能(技能)が「来世」に持ち越せるとは→エアコンやテレビなどの技術を昭和の世で生み出せば、次世代、自分が死んだ後もこの令和の世界という当時からすると「あの世(今ここ)」でその恩恵に預かる人が大勢いる。よって持ち越しは可能。但し、前の世から次の世。次世代に。次の生命体に引き継がれるのは個人の命ではなくDNAや命の作用のことです。この世の生命体は皆が皆それぞれ命のバトンを運ぶ生命体で個人の生命の作用は次の世代にも引き継がれる。=前世代から受け継がれた学習能力、スキルは次世代にも引き継がれていく面はある。
DNAの研究でも知識、学んだことも次世代の命に引き継がれていくもあります。今世で勉強する意味とは、学校の勉強だけではなく学びそのもの。人生の学習そのものです。
勉強をしたくない人は大勢います。
日本の教育は海外の進んだ学習圏からすればアイアムアボーイでディスイズアペンな教育。真の頭のよさとは学校の成績・偏差値のみならず、どんな状況化であっても「何を」学べているか。自分の脳を最大限に使いこなせているかどうかにかかっています。
偏差値が高い人でも学校の勉強はできて官僚になったとしても事務的な人生を送ってゆかれる方もいらっしゃいます。

さて、ご質問にお答えいたします。
この学びも学びですから、いろんな人のお答えからあなたがあなたの学びにしてください。
「あの世に才能(技能)は持っていけるとして知識は持っていけますか?」
あの世や来世とは1秒後。皆、今からすればあの世。来世。来世とは1秒後~の世。自分が生きていてもいなくても来世とは必ず次になりつづけている永遠の今のこと。よって学べば学ぶほどにあなたが今世において大きく成長する。だから沢山のことを学んでください。偏った間違った学びは低い学びにしかならないという面を学びましょう。あなたがもっと賢くなるための話をしました。

2023年9月10日 0:22
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

藤本晃さん、願誉浄史さん、百目鬼洋一さん、ご回答ありがとうございます。
お三方のおっしゃったことをまとめると
・前世での知識を思い出すにもかなりの途方もない努力が必要
・努力したプロセスは無駄にならず、今世や来世の我慢強さや地頭の良さにつながる
・だから焦ってはいけない
ということですね。
「今、この社会で生きていくためにこの勉強は役に立つか?」と問われれば、私は役に立たないと思います。甘ったれているとは我ながら思いますが、なんとなく職業上の業務に慣れることさえできれば生きていけると思いますし、人に優しくしていたら神様だって私を悪いようにしないと思います。
だから、勉強は私にとって苦しい趣味です。でも、誰もが口をそろえて「勉強はした方がいい」と言うし、勉強の楽しさも数ミリほどわかるので、DVしてくるけど別れられない感じの男と付き合っている女の子状態なんです。
勉強ができなくて自他共に責められるのは自分なので、苦しいです。
せっかちな自分の性分が本当に憎いです。もっと楽しく生きたい。
何か発見があれば、後々追記していこうと思います。
本当にありがとうございました。

願誉清史さん、追記ありがとうございます。
丹下覚元さん、回答ありがとうございます。
皆さん、私の努力を無駄無駄と否定することなく答えていただけて嬉しいです。その優しさに感謝します。勉強(=しかるべき努力)のできない自分と向き合うのが嫌で、追記のお礼コメントを先延ばしにしていました。不誠実でごめんなさい。
しかし言い訳をさせていただくと、追記のお礼コメントを書いたのが昨日までだと自己嫌悪による見苦しいコメントをしていたと思うし時間は巻き戻せないので、赦してください。
今日、発見がありました。私は自分の人生と自分自身を信じる力が欲しかったのだと思います。自信をつけるには、自分との約束を守っていくのが一番効果的です。よって、世の中の人は魂を磨く手段として勉学に励むのだと結論を出しました。しかし、新たな疑問が生まれたのでこのサイトで新しく質問させてください。
ありがとうございました。皆さまに良いことがありますように。

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