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正しい教えとは (私は勘違いしてる?)

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よろしくお願いします。

仏教で「正しい教え」という言葉をよく目にしますが、正しい教えと正しくない教えはどう違うのでしょうか?

ある僧侶の方が新興宗教や自己啓発に批判的なコメントをされているのを見て、自分にもそれが当てはまるのかなと不安になりまして。

というのも、私は新興宗教ではないのですが、50歳を過ぎてから仏教の教えにふれて以来やたらポジティブになりまして(ポジティブなのは夫の存在があるからという事も理解しています)、仏教の教えを調べたり、実践して気付きを得られるのがとても楽しいのです。
この楽しさや気付きを私は勝手に「仏様からのご褒美」だと受け止めていたのですが、こういうのって仏教本来の教えから見て大丈夫なんでしょうか。

念持仏を開眼して頂いたお寺の護摩行にたまに参加して皆さんと一緒に読経したりご真言をお唱えするのがとても楽しいです。声を出すのでスッキリします。

良いことばかり過ぎて、ひょっとしたら私は仏教の教えを誤解しつつあるのではと不安になってきました。

※正しい教えをもっと学びたいので将来は灌頂も考えています。

2024年1月30日 14:11

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正伝の仏法には人間の都合に基づいた主義思想がない

仏教の王道は「正伝の仏法」といいます。
正伝の仏法には曹洞宗とか真言宗とか天台宗とか臨済宗とか念仏宗というラベルすらありません。思想や主義思想もありません。
人が心底ちゃんと救われる教えこそが本当の仏教です。そこには宗派根性や自分のところの宗派こそナンバーワンだなんて優遇もない。
どれほど宗派が沢山あったとしても、世界中にある医院・病院と名乗る施設と同じです。中には藪医者もいますから騙されないように慎重に受診をする必要がある。
仏教も同じなんです。我こそは正しいる仏教者ぢゃァなんていう人はかえって怪しいタヌキも多い。うちの宗派でも世間でよく知られた有名僧侶も見る人から見ればまだまだな人も多い。いわゆる有名な坊さんは知名度認知度が高いというだけでの自己実現欲求を優先したい。正伝の仏法、正法を重んじないところがある。それは私が僧侶業界で見てきた現実です。
とても良いご質問ですので、これは多くの人に考えていただきたい課題でもあります。
そもそも、お釈迦様に宗派はない。
お釈迦様は仏教を学んだ人だと誤解する人は一般の方も僧侶の方でも多いですが、
別にお釈迦様は聖書のようなものや経典のようなものを片手に仏教とかいう宗教を広めた人ではありませんよね?
現代僧侶は仏教学問を学ぶ。
釈尊は仏教学問を学んだ人ではなく、この自分自身の本当の様子、本来の様子を明らかにされた。そして、その内容を説かれた。それを正しい仏教という。
裸一貫で、仏教や真言や坐禅なんて言葉もなかった時代に、すべてを打ち捨ててこの自分自身を深く見つめられた。
色々試してみて本当の心の処し方を会得するのに6年間違った方法で修行を試行錯誤の中やり続けた。最後にやっと正しい方法が見出された。「そこ」が正しい仏教の在り処とみるべきでしょう。
どう処すれば人は自分の心を救えるか。
それは例えば調理でも同じですよね。
我々素人がある料理を作ろうとしてもプロの味になら愛。クックパッドやクラシルをみてもちゃんとその通りにやっても上手くいかない。有名店の再現レシピがあっても本当に本質を突いた正しいレシピでないと同じ味にならない。
あるいは楽譜があっても上手に弾ける人でないと再現できない。
あるいは経典があっても、真意を読み取れない人にはそこに正法、正しい仏教が記されていても、価値がわからない、真意がわからないということがあるのです。

2024年1月30日 22:14
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有り難し
おきもち

正と邪の間にいろいろある

悟りに近づく教えが正しい教えで、遠ざかる教え?はダメダメな教え?とは言えるでしょう。
 近づく教えは、無我だと分かること、無我なんだからと思い立ってがんばって我を減らすこと、我をなくすこと≒悟り、です。
 煩悩を三種に分ける怒りと欲と無知の無知が、我(私という気持ち)です。我があるから、欲も怒りも出て、あらゆる問題が生じる、と見ています。
 無我に気づく大きなきっかけが、無常だと分かることです。すべての現象がじつは実体なく生滅の連続だということ、生滅は、因果因果因果因果因果の連続であること、を、自分に生じる感覚や心の流れを観察して知る(ヴィパッサナー観瞑想)、あるいは仏法を学んで知識レベルで納得すると、無我に気づいて、悟りへの道が始まります。
 遠ざかる教えは、欲のまま、怒りのままに、殺す、盗む、嘘をつく、などでしょう。
 悟りを基準に見るのは仏教だけの見方ですが、他の宗教や道徳などで、あるいは同じ仏教でも宗派ごとに、いろいろ異なることを言う中に、細かく見れば善悪があります。
 慈悲喜捨の四無量心は、本当は無我でやっていれば最高ですが、その時々で他者のために動けば、やはり善行為です。先祖供養なども善行為です。各宗教、宗派ごとにやり方や言い方は異なっても、「徳を積む善行為」になるものはたくさんあります。それは悟りへの間接的な力にもなります。ただし、良いこと言ったりやったりしているように見えて実は真反対のことだったりもありますので注意が必要です。
 我が諸悪の根源だと分かっていれば、心配はないと思います。

2024年1月31日 8:55
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

丹下さま、
私に教えを授けて下さり、ありがとうございました。

新興含めて宗派の垣根はなく「心底、救われるか」が大事なのですね。

経典を読んで真似をしても本質を掴んでないとお釈迦様の真意が理解できない。
→未熟者の私には経典を自分勝手に解釈する危険性がありそうなので気をつけようと思います。hasunoha問答から「おすすめ 本」で検索してみます。

自分を救うノウハウ
→今は楽しい時期なので何を考えても楽しいのですが、人生は嫌な事の方が多いのでそんな時はネガティブな事ばかり考えてしまいます。私は真言宗なのでお不動さまのお力を借りる事になりますが、実は座禅にも興味がありまして近々、座禅体験に行きたいと考えていたところです。
好奇心と行動力だけは無駄にあるので、勇み足に気をつけながらお釈迦様の真意から外れないように励もうと思います。

本日はありがとうございました。

追記です

丹下さま、
過去の問答を見ていたのですが、そこで丹下さまの
「苦とは思い通りに行かないこと」「四苦八苦という苦は仏の教え、教理によって解脱できる」というお言葉を読ませて頂きました。
胸に刻もうと思います。
ありがとうございました。

慈照さま、
教えを授けて下さり、ありがとうございます。
無常を経てから無我に向かうのですね。
おそらく私の頭では考えただけでは真の理解にたどり着けないと思いますので、実際に“思うようにいかない事”を体験しながら会得しようと思います。私のこれから人生、嫌なイベントが沢山待ち受けている事はわかってますので。

追記になります。
「無我に生きる」の意味がようやく理解できました。
ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

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