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人は死んだらどこへ行くのでしょう?

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天国や地獄へ行く。生まれ変わって新たな命となる。
火葬なら幽霊になって、土葬ならゾンビになるとも聞きます。

死後の世界。きっと生きている限り分からぬ世界。
しかし、生きているからこそ、死への恐怖や不思議に囚われます。

知らないからこそ死への恐怖が拭えるのか。
それとも知ってしまう方が安心して死んでいけるのだろうか。

天国や地獄がもしあるのなら…
またその世界で生きていかなくてはならないのか。
生まれ変わって新たな命となるのなら…
知らぬうちにまた同じ世界で苦しまなくてはならないのか。

この世界に生きるものとして。いつか死を迎えるものとして。
死と向き合うためにアドバイスお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どこかに❝いく❞のではありません

「人は死んだらどこへいくんだべ?」
お釈迦様は灯火を手に取り、火を消し、修行者に問いかけました。
「この火はどこへいったか?」
「師よ、それは質問が間違ってまんがな。火はどこかへいったのではありません。」
火がどこかに行く、人が死んだらどこかに行く、と思うのは誤りであるというのがお分かりいただけると思います。🙎
死後の世界というものがあると思いこんで、あれこれ想定、想像してします。
宗派によって死後の世界観が異なるとも言われますが、異なっているのは世界❝観❞であって、それらは❝観❞なのですから頭の中の想像の世界でごんす。
眼の前で蚊が死んだからと言って、どこかに行ってしまったわけではありません。
どこかへ行ったのではないかと思うのが人間の❝観念❞。
そもそも死んだことのある人で生きかえった人はいません。
生きている人のすべては死んだことがありません。
だから死後の世界「観」の多くは、生きている人の想像です。
きっとあーなんじゃないか、こーなのではないか、とという思いとその映像化と情報です。
そもそも、その死後の世界のイメージが生まれているのは「どこ」でしょうか。
その本体、おおもと、本機がこのアタマであって、その中に出てくる像は皆、幻想です。
だからこそ、自己・心の正体を明らかにして、自分の思いから離れた❝真実❞※を相手に生きなさいというのが私の知る限りでは本当の仏教です。
空想や妄想上の人が考えたアノ世なんざに保障がありましょうや。
存在の立証もできないような死後の世界のエセ極楽よりも、現実ののリアルタイムの心の中の極楽浄土を実現させるべく、あなたがサトリ、涅槃、安心を手にすれば、ああ、こんなもんは妄想じゃったか、ということが明らかになり問題なく暮らせましょう。
では死後の世界はないのか?ありますよ。
それは、あなたの親しい人や、私が亡くなった後も、永遠に存続してきている「この世界」です。厳密には「死後の世界」ではなくて、
「私たちや誰かの死後にもあり続けていくであろうこの世界」のことをこそ本当の死後の世界とみなすべきでしょう。
この世界は、誰かたちの死後にも存続している世界なのですから。(^

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自分自身の信仰をもち、それを深めることが大事です

 宗教によって、死後の世界は異なります。民族によっても異なってきます。また、風土即ち生活環境によっても違ってきます。一人一人の持っている宗教、信仰、世界観、倫理観によって大きく異なってくるのです。すべての人に共通する答えは有り得ないのです。
 また、同じ仏教徒と言っても宗派によって説明は異なっていますし、その人の信仰の度合いや修行体験の深浅によっても異なってくると思います。死後の世界を精神的世界と捉える人もいれば、実際の空間的な世界と考える人もいます。各人の受け留め方次第と言うしかないのです。
 基本的にすべての仏教徒に共通する「死後の世界」は、仏国土です。仏の国土です。仏の世界です。ちなみに浄土とは、浄らかな仏国土-浄仏国土-が縮まった名称であると言われています。仏国土がどこにあるのか、それは経典によって説明が異なっています。例えば『阿弥陀経』では西方十万億土のところに阿弥陀如来の浄土があると説きます。別の経典では、東方に薬師如来の瑠璃光浄土があるとされています。天の遥か彼方(兜卒天)に、弥勒仏の浄土があると説く経典もあります。

 民俗学の立場からも、様々な指摘がされています。海の側に住む人々は、死者の霊はすぐ近くの島に行き、それから遠く離れた海上にある死者の世界に行く、と考えています。山間部に住む人々は、死者の霊は自宅の裏山に行きそれから近くの山に昇り、さらに有名な霊山ー恐山や月山や高野山などーに昇って行く、と考えています。

 こう説明していくと却って混乱する方も多いと思います。私は曹洞宗ですので、曹洞宗の僧侶の立場から檀家さんに以下のように説明します。

 あなたのお宅のお仏壇の中に御先祖がいる、と御理解いただくのが一番わかりやすいと思います。仏壇は仏様の世界そのものです。本尊のお釈迦様と高祖道元禅師太祖瑩山禅師が教えを説かれ、仏弟子となり戒名を頂いたご先祖様たちがお釈迦様道元禅師瑩山禅師の下でその教えを受け修行し、子孫であるあなた方を見守っている。それが曹洞宗の檀信徒にとっての仏国土であり、そのことを表現しているのが、皆さんのお宅にお祀りしている仏壇なのです。

参考  『仏事を考える』   http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/92059.html

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

生死出づべき

たまさん、ご質問ありがとうございます。

お釈迦様は、死後の世界についてはお語りにならなかったそうです。

死後のことを心にかけ、心配するより、今を生きなさい、というような意味なのかと思っております。

そうとはいっても、気になるのが人の常かもしれません。

いたずらに生死流転(しょうじるてん)を繰り返しても、私たちは幾度も「苦」の世界に生まれ出ることになります。

その生死を超えたところを求めるのが、仏教ではないかと思います。

親鸞聖人は「生死出づべき道」(しょうじいずべきみち)を求めると言っておられます。

死後のことをいろいろと考えるのは、あるいは「迷い」なのかもしれません。

浄土真宗では、阿弥陀仏をたのみ、阿弥陀仏にたすけまいらせるお浄土に死後生まれると信じております。

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真宗山元派上西山正善寺住職

「不生不滅(不死)・死ぬ者は死なない」

たま様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後のことにつきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/死後

その中では、最近の下記問いの拙回答が少しくまとめ的には参考になるのではないかとは存じます。

問い「死を受け入れるにはどうしたらよいでしょうか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006199690.html

結論的には、因縁果の法則に則って、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業(悪い行い)を対治していくためにも、心(相続)のありようをより善くに調えることにて、死後の善き赴きへと向けての善き行いが求められるものとなります。

誠に、七仏通誡偈「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」のこととなりますが、「諸々の悪い行いをなさずに 善い行いに努め励みて 自らその心を浄らかにすること」が仏教としての基本的な教えとなります。

あとは、丹下様のおっしゃられているように、死後へと向かう実体が何かあるわけではありません。このあたりの議論は仏教の中でも「空と縁起」という考え方に関する非常に難しい理解が必要となります。興味がございましたら、下記二つの問いの拙回答もご参照下さいませ。

問い「生きる意味、死ぬのが怖い」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002966329.html

『・・究極的真理レベルからは、生死に関しても「不生不死」で、「意味」についても「意味は無い」のですが、世俗的レベルにおいては確かに「生死は有り」・「意味は有る」のであります。とにかく難しいです。それよりも何よりも、まあ、分からない、答えの出ないことはあまり考えないこと(離戯論)にして、「今」目の前にある現実、この現実を精一杯に、より善く生きなさいということが最も大切であるのではないかとは存じております。・・』

問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992500.html

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

吉田俊英様、丹下覚元様、藤堂尚夫様、川口英俊様、ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

人間の死後について(複数回答希望!)

お坊さんや、宗派によって答えが分かれると思うので、複数の回答をお願いします。 ①人間の死んだ後の魂の居場所はどこですか? まず、人は死後の魂は入魂儀式で位牌のに入るのでしょうか? 例えば49日に白木位牌から本位牌に「入魂」します。だとすると「遺骨」には魂は宿ってないんでしょうか?遺骨に魂が宿ってないのなら、お墓は単なる納骨施設で、お墓参りする意味も薄れてしまいます。仏壇の位牌に毎日手を合わせる方が遺族にとっても、亡き人にとってもいいと思います… 遺骨に魂が宿っているから、お墓の下で眠っていると信じてお墓参りにも行くし、また自分が死んだ時に一緒にいたいと思うからこそ家族は同じお墓に納骨するのだと僕は思いたいです。もし「位牌」に魂が宿っているなら、位牌もお墓に入れるべきですが、お墓→遺骨 仏壇→位牌というしきたりになってますよね… 死者の魂の本当の居場所はいったいどこなんでしょうか? ②極楽往生と輪廻転生 輪廻転生説:人間は死んだら、その人生の記憶は全部消されて白紙の状態に戻されて生まれ変わるんでしょうか?プラスチックやペットボトルのように、何度も0に戻ってリサイクルされるように、人間も全く別物に生まれ変わるのでしょうか?  極楽往生説:それとも浄土宗の教えのように、極楽浄土で過去の人生の記憶を持ったまま、自分の家族や大切な人と永遠に過ごせるのでしょうか? 僕は生まれ変わらなくていいから、極楽往生説を信じたいです。 大切な家族との思い出も、大切な人さへも、自分が誰だったのかさへも忘れてしまうなんて、余りにも虚し過ぎます(涙) 質問は人間の死後の「魂」についての上記2つです。 宗派や考え方でお坊さんによって違うでしょうが、複数のお知恵を拝借願います。

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亡くなった人はどこにいますか

よろしくお願いします。 母は生前いろいろな苦労をして、私も母に楽な暮らしをさせてあげられず、せめて来世は幸せになってほしいとの願いで日々仏壇に手を合わせています。 ただ、一方で疑問を抱いています。 四十九日で亡くなった方の魂の行先が決まると解釈しています。となると、既に母が誰かに生まれ変わっているのであればもう私の母としての魂はいないのでは? だとすると、拝んだり母に話し掛けても受取る人はおらず、初盆だとかお盆にご先祖が帰ってくるとかいっても(もうみんな生まれ変わっているなら)帰ってくる人などいないのでは?と思うのです。 そう思うと母が亡くなった時に親戚や知人が私に掛けてくれた、先立った母の兄弟や両親が母を迎えに来てくれてるから大丈夫だよとか、姿は見えなくてもいつでもあなたのそばで守ってくれているよとか、また会えるよとかいう言葉が虚しくなりました。 母が別の誰かとして幸せな新たな人生を踏み出しているなら勿論嬉しいです。ただ、私は誰に、何に、祈ったり笑い掛けたりしているのかと寂しくなる時があります。 勝手な想像で、母の両親兄弟、夫(私の父)らと所謂「あの世」で穏やかに暮らしているイメージを抱いたりしますが、それは四十九日の意味合いと矛盾します。 仏教では、現在母はどのような状態にあるのでしょうか。私の気持ちはもう母には届いていないのでしょうか。 或いは、私が心配を掛けてしまって母が気にして幸せに生まれ変われないなどということはないでしょうか(だとしたら話し掛けたりしない方がいいでしょうか)。 浄土真宗の住職をしている友人がいるので、できれば浄土真宗以外のお教えをお聞きしたいです。 取り留めのない長文で申し訳ありません。

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死後の世界についてお聞きしたいです。

質問、ご覧いただきありがとうございます。 地獄に落ちるのが怖い。 最近そう考えるようになったので色々検索してみると、色々な種類の地獄があり、どれもとても苦しいものだ。回避するためには生前の行いが大切であると、書かれているのをたくさん目にしました。 とりあえず、自分の歩んできた人生を改めて振り返ってみると、嘘をついたり、逃げたり、虫や植物の命を奪ってしまったり、色々な人、物に好き嫌いをしたり良くないことを考えてしまったり、文句言ったり悪態をついたり……とても、多くの良いとは言えない行動をしておりました。そして、このままでは地獄に落ちてしまうと思いました。 なので今から少しずつ行動を改善しようと思い、正しい道や考え、行動について調べてみて、懺悔をし行動を改めること、物事に執着しないこと、煩悩をなくす…などを知りました。こういったことは自分で考えて変えていくものだともおもいますが、行動、執着や煩悩についてどう改善していけば良いのかはっきりと掴めません。自分が良いと思ってしたことでも、もしかしたら良くないことをしていることもあるでしょうし、あの人のようになりたいと憧れその人を目指すことや、この有名人の方がとっても好きだと好意を抱くこと、これ欲しいな、あれ欲しいなという欲を抱いてしまうこと、どこまで制御すればいいのかも分かりません。 また、この行動改善についての話とは少し異なってしまうのですが、地獄に落ちてしまった場合、そこから出ることは一生出来ないのでしょうか。 もしかしたらこうやって誰かに答えを求めること自体も甘えなのかもしれない、ともおもいますが、まずは皆様のご意見をお聞きしたいと思い、こちらで質問をさせていただくという選択をさせて頂きました。 読みにくい文章で申し訳ございません。10代の未熟者ですが、なにかお返事頂けたら幸いです。 よろしくお願い致します。

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