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仏教の本

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有り難し有り難し 5

仏教の本について、前回質問と類似質問です。何度も申し訳ありません。
中村元著『ブッダのことば』を読もうとしましたが私のような未熟で無知蒙昧な者が読んでいいのかと思い、躊躇しています。
未熟で無知な人が『ブッダのことば』を読むと、自分勝手な解釈をしてしまい、かえって有害になることはないでしょうか?

自分勝手に解釈し、自他の害悪となるような妄念を持ってしまうことはないでしょうか?

どのようにお考えになられますでしょうか。お聞かせいただければ幸いです。

2024年8月28日 15:00

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
『ブッダのことば』(スッタニパータ)中村元訳(岩波文庫)を読むことはとても仏教の勉強になることと思います。
ただ内容がとても多くその反対に説明が少ないのである程度知識がないと分かりにくい点も多いと思います。
初めてでしたらもう少しわかりやすい本から読んでみるのもいいと思います。
例えば、『<仏典を読む>2、真理のことば』中村元、前田専学監修(岩波現代文庫)
はスッタニパータではなくダンマパダなど別のお経ですがそれぞれの教えについて解説しているので読みやすいと思います。
また、『ブッダ、いのちの言葉』宮下真著(ナガオカ文庫)もダンマパダからの抜粋ですが分かりやすい説明があり読みやすいです。
他にもいろいろ一般の方でも読みやすい本があると思いますので先ずはそのような本から手に取ってみるのもいいと思いますよ。

2024年8月29日 12:23
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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恐れることなく読書を楽しみ、周りの人と分かち合う

お悩みを告白していただきありがとうございます。

まず、読書というのは素晴らしい行為です。自分の見識を広げ、新たな視点を得る機会となります。ですが、「自分勝手な解釈」や「有害な妄念」を持つことを恐れていらっしゃるのですね。

その気持ちはよくわかります。しかし、「自分勝手な解釈」という考え方自体を手放してみてはいかがでしょうか。実は、私たちは皆、それぞれの人生経験やバックグラウンドに基づいて本を解釈しています。同じ文章でも、読む人によって受け止め方は異なるものです。これは自然なことなのです。

大切なのは、その解釈を自分の中だけにとどめず、他の人と共有し、対話することです。自分の理解を他者に話してみる。そうすることで、自分の考えを整理し、新たな気づきを得ることができます。また、他の人の意見を聞くことで、自分の解釈を見直したり、深めたりする機会にもなります。

最初は「妄念」と感じるかもしれません。しかし、それを他者と共有し、対話を重ねることで、徐々に確かな理解へと変わっていくのです。

ですから、恐れずに本を手に取ってください。読んでみて、感じたことを周りの人と話し合ってみてください。異なる意見を聞いたら、「こういう考え方もあるのか」と受け止めればいいのです。

仏教の教えは、私たちの日常生活や心の在り方に深く関わるものです。だからこそ、様々な解釈や理解の仕方があって当然なのです。

最後に、中村元先生の『ブッダのことば』は、多くの人に読まれ、親しまれてきた名著です。きっと、あなたにとっても新たな気づきや学びがあるはずです。ぜひ、恐れることなく読書を楽しんでください。そして、その体験を周りの人と分かち合ってみてください。それが、あなたの理解を深め、豊かなものにしていくはずです。

合掌

2024年8月29日 12:58
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有り難し
おきもち

蓮城院というお寺の副住職。 主に坐禅をしたり、庭掃除をしたり。 ハスや...
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質問者からのお礼

参考にさせていただきます。
ありがとうございました。

「仏教における修行」問答一覧

推し活で多名義を利用する人とは?

※言い方が失礼な部分もありますが、最後までご覧いただけると幸いです。 世の中には行きたいライブや舞台のために、ファンクラブに複数口で入会して、規約違反ですが自分の名義以外でチケットを獲得し推し活を楽しむ人々がいます。(本人確認を行う可能性があります、と規約にも明記してあるファンクラブです) 私は自分の名前での名義しか持っていませんが、多名義の人々が毎年推しに会いたい、1つでもいいからチケットが当たってほしいという気持ちは理解できます。 しかし、どんなに多くの名義でチケットが当たっても、全部の名義で当たるとは限らないし、年会費やチケット代、交通費など出費がかかるのは間違いないですよね。 チケット代を転売して儲けている人もいるけど、高値で転売して誰も買わなかったら転売しても損だから、転売する意味がないような気がします。最近でもニュースで多名義を利用して転売したグループ集団が逮捕されたこともあり、悪事を働いて逃げ切れることは完全にはできないですよね。 多名義でチケットが当選しても、宝くじみたいに賭けた金額や名義以上に当選することはないし、自分の名義じゃない分で当選しても本人確認をされて罰則を受けて退会処分になる可能性もあるのに、よく続けられるなぁと思っています。 (チケットが取れても、ファンサービスがもらえなかった、推しが見えづらかったという理由で、終演後に文句を言う人もいました) また、多名義の人の中には、チケットを譲ったらチケットのお礼をしろと、トラブルに巻き込む人もいます。自分も一方的にトラブルに巻き込まれた経験があり、多名義の人とは考えが合わないと感じます。 そこで気になったのですが、このような方々は仏教の教えに基づくと、どのよう人だと分析できますでしょうか? 自分の考えは間違っているかもしれませんが、 多名義の人たちは、規約違反とはいえ自分のお金で費用を払っている人もいるから、どうお金を使おうが自由ですが、どんな手を使ってでも、いくらお金をかけても、何回でも毎年推しに会いたいと、際限のない欲望があるのでしょうか? 多名義の人は毎年ライブや舞台に入っている人が多いので、落選して行けない人の気持ちが理解できない、自己中心的な人だなと、これまでの推し活で感じますが、宝くじ以上に多名義は損なのにな、と冷ややかな目で見るようになりました。

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アングリマーラの様になれますか?

お久しぶりです。 以前、アングリマーラに関する質問をしましたが今回もそれに関する質問をさせて頂きます。 自分は以前アングリマーラに嫉妬してましたが次第に憧れを抱く様になりました。 極悪人のレッテルを貼られて周囲からも相当、罵詈雑言を浴びせられたであろうアングリマーラはそんな困難も跳ね除けて仏様になられた。 そんな偉業とも言える事を成し遂げた人物の様に自分もなりたいと言う願望を抱いてます。 生半可な気持ちでは到底無理だと思いますが可能性が0でない以上は自分もアングリマーラの様に悟りを開いて立派な仏様になりたいです。 勿論、お坊さんでも悟りを開くのが困難なのに私の様な劣等種が無理なのは存じ上げております。 道のりは険しく長いですが私も光を纏った仏様になりたいです。 その為には先ず小さな周りへの気遣いだったりをベースに毎日を過ごしていこうと考えてます。 今は優しさを基本にしていき周りから注意を受けたらそこを直す努力をしたりする事の積み重ねが立派な仏様になる第一歩だと私は思っています。 今の私はとても心が汚れて徳もたいして積んでなく寧ろ悪い事の方が多い。そんな小物が簡単に思いつく様な事ですが、それでもアングリマーラの様になりたい。この気持ちだけは本物です。 長い文章を読んでいただきありがとうございました。 お坊さんの方々、私はアングリマーラの様に立派になれますでしょうか?

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達磨大師は架空の人物ですか?

彼は「仏教をよく知らない中国人によって架空に作られた存在」または「達磨さん自体は実在したが、仏教をよく知らない中国人が適当なストーリーを考えただけ」と言われることがあって、「そうかもしれない」と思いました ・ なぜなら彼は悟りを開いたはずなのに、教えを請う凡夫に対して無視のいじめを行ったり、「これは試されているんだ」とポジティブに考えて耐え忍んだ凡夫に「仏教はそんなに簡単に教えてもらえるものじゃない、命をかけろ」と言って凡夫に腕を切り落とさせたりしました ・ とても悟りを開いた人の行為とは思えません。「自分はお前より偉いぞ、そう安安とは教えられない仏教を熟知しているぞ、自分をタダで師事できると思うな」なんていう態度は、「菩薩道」の精神から大きく逸脱していないでしょうか。知識の独占という時点で「利他」じゃなく「利己」だし、傲慢な振る舞いは「慈悲」じゃなくて「暴慢」です ・ それならむしろ、偉いお坊さんにいじめられてもくじけず「自分は試されているんだ」とポジティブに考えた凡夫こそまさしく仏に相応しいのではないかというトリックにさえなってしまっています ・ 彼がもし実在してストーリーも本当なら、彼のスタンスは間違いなく仏の教えを利他や慈悲などで解釈しないただの「知恵」でしかないとする(つまり悟りとは賢いかどうかだけで優しさなど必要ない)「小乗仏教」と批判される類のものだったことが伺えます。やはり、彼は架空のお話で色を付けられた、本来ならば謎多き存在でしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ