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死ぬと楽になれますか?

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小~高校と自ら招いた種で周りから疎まれ、苦しい学生生活を送り

大人になった今趣味はパチンコに溺れ、親戚や弟にお金を借り、使ってはいけないと思いつつ今日も行って結果使うとまずいお金まで使用してしまい、
キャッシングこそしてませんが来月はかなりジリ貧状態です(笑)

少し前まではそのうち恋愛したり、家族に孝行できるのではないかと思ってましたが、今はもうそんな考えもでず、ギャンブルで自らを苦しめ、そのストレスから過去に楽しかったことなんてなかったし、この調子で行くと、永遠にないんじゃないかなんて思い始め、最近は自殺のニュースがあると可哀想というより 「いいな~楽になれて」なんて考えるようになりました。

色々長く書きましたが、結論から申し上げますとさっさと死んでこのつまらない現実から退場したいと考えております^^

人生楽もあれば苦もあるなんて言葉がありますが、今のところ自ら苦に足を突っ込んでいる部分もありますし、夢もなければ希望もありません。

どうやったら死ぬ勇気がでるのか教えて頂ければありがたいと思います。
よろしくお願いいたします。次はもう少しまともな人間に生まれ変われたらいいなと微かながら願います。

長文誠に失礼いたしました


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫です。立ち直れます。
私の親友があなたと同じように学生時代にギャンブルにハマっていましたが、劇的に復活しました。
まず、なぜギャンブルに逃避するのかを考えてみませんか。
ゲームや賭け事は楽しいものです。楽しくて当たり前です。楽しませるために作られているのですから。
ですが、そういうことに頼らずに生きている人も事実です。
あなたはギャンブルをやめること考えるより、何が原因、きっかけでそうなってしまったのかを語るべきです。
しばらく自分に向き合ってみると良いと思います。
オレは、なぜ、いつから、こうなっちまったんだろう。
なにが、いやだったのか。
なにから、逃げたかったのか。
そこに向き合えば、あなたはギャンブルの勝ちよりも、素晴らしい勝利を得ます。
もうちょっと生きてみましょう。
死ぬ気があるならお寺にどうぞ。 

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

甘えるな。

まずはその逃げ癖をなんとかしなさい。

あと原因が自分でわかっているのにやってしまうのは、平たく言えば若気の至りと小規模な破滅願望です。
自ら苦に足を突っ込んでいるとご自分で言ってるように、心のどこかではわかっているのです。このままではいけないと。

今ここで他人からのキツイ言葉ではなく、自分自身にハッパかけて歩き出すことです。
文面読めばできるのに甘えてるのは丸わかりです。

一応自殺についてお釈迦さまが説かれたところを記しておきましょう。

ある日お釈迦さまが街中を歩いておられたところ、橋の上で服のたもとに石を詰めている女性がいました。
これは身投げするなと思ったお釈迦様が女性に声をかけると

「愛する人に捨てられ、お腹にはその人の子供もいます。生きる希望もないので死なせて下さい。」

と泣きながら話すのです。哀れに思ったお釈迦さまは、

「哀れなそなたには例え話を以て話そう。

あるところに毎日重い荷物を引かされる牛がいた。牛は思った。『どうして俺はこんなに毎日苦しい思いをしているのだろう。』と。
そして自分の後ろを振り返って思った。
『そうだ、俺を苦しめているのはこの重い荷物のせいに違いない。』

そう考えた牛は大きな岩に突進し、自らの後ろにある荷台をぶつけて破壊した。

『やったぞ、これで俺は楽になれる。』

牛がそう思い喜んでいると、飼い主がやってきて

「やぁ、これはなんという暴れ牛だ。こんな牛にはもっと頑丈な荷台を付けなくては。」

と言って今度は鉄製のより重くて壊れない荷台を牛に取り付けたので、牛の苦しみはより増すこととなった。

これを単なる例え話と受け止めるか、この話に秘められた事実に気付いて安易な道を選択することを思いとどまるか、それはあなた次第です。

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一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普通に企業で働いております。 求めに応じて衣を纏い法を説いてます。 https://youtu.be/-k4oRLFXGSM https://youtu.be/02VnGUcldkI https://youtu.be/AM8z5xl1f8E

まずはパチンコ依存を治すこと。

そこが人生の再スタートですよ。死んだら楽になるか?とんでもない。魂は不滅です。生まれ変わり死に変わりして魂の向上を図っていきます。死んでもリセットがかかるどころか、途中挫折という新たな因縁を積み増しするだけです。そんな重荷を背負い込むくらいならこの娑婆世界で解消しましょう。解消する方法はたくさんあります。パチンコ依存症の治療やリハビリをして治すんです。苦しんだり落ち込んだり悩んでいるのはあなただけじゃありませんよ。依存症は病です。原因はなんであれ、病なんだから、治療やカウンセリングを受けたら治ります。治しましょう!あなたがここに来たのは、神仏のご加護がある。お前ならこの障害を乗り越えられる、乗り越えて生きていかなければならないという神仏やご先祖さまのご意志を不肖、私が代弁します。だからここに来たんだから、絶対に乗り越えられます。大丈夫!まずは、パチンコ依存で検索して、心療内科など医師の診察を受ける。同じような苦しみをもった仲間との交流会に参加して、1人なら辛くとも仲間となら乗り切れますよう。あなたは守られています。丘を越えて行こう!そこは明るく美しいお花畑ですよ。丘を越えて幸せになろう!
浄光寺

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

再び人間として生まれ変わるためには・・

コーメイ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちの存在は、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)なるものと申しまして、五蘊とは、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、色々な因縁(原因と条件)によって、それらの要素が互いに依存し合って集まり成り立っているものとなりますが、死後、この肉体が滅び、今あるような身体的な機能・作用が停止したとしても、微細なる意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)というものとなります。その行いの集まりに応じて、どのような赴きとなっていくのかが、おおよそ決まって参ります。

「もう少しまともな人間に生まれ変われたらいいな」・・

もう一度、人として生まれ変われるためにも、やはりそれなりの善い因縁が必要となります。

もっと良いのは、人間界も含めて、この迷い苦しむ輪廻の世界ではなくて、仏国土、浄土など、仏様のお教えを賜れて、悟りへと向けて修行に励めれる世界へと赴くことです。そのためにも、もちろんしかるべき善き因縁が必要となります。

とにかく、今のままでは人間に生まれ変わることは・・うーん・・難しいかも・・

しかし、これも誠に良い機会です。

是非、今から仏教にもっと関心を持って頂きまして、是非、修習を進めていって頂けましたらと思います。

良い因縁を積むためのヒントも多くございますので。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

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