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中道になりたいです

回答数回答 3
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4月に転職しました。
頑張っているつもりですが、新しい環境のため仕事がスムーズにできません。

先日も、先輩に仕事をさっさとするよう注意されました。
きつく言われた訳ではないのに、気分が沈み、やめたいと考えています。

いつも、どんな場でも、注意されると落ち込みがひどく、苦しくてやめたくなります。

ほどほどにとか、聞き流すことができません。

以前、お寺で住職さんが中道が大切と言われていました。
私にはそれが欠けていると思います。

どうすれば、中道になれるのでしょうか。
どのようにすれば、言われたことを気にせず、融通が利く人になれるのでしょうか。
私と関わっている人もしんどいと思います。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いの川で溺れることなく 事実の川を「今」泳ぐための浮輪

中道とは、一般的な仏教書に書いてあるような両極端を離れるとか、よいかげん、調度良いテンションということでは無いと思います。
一度、中道という言葉の概念も捨てた方が良いでしょう。
まず、今自分が置かれている状況をあなたは頭の世界に移行させていると思います。
「私だけこんなみじめな思いをして…」というような妄想に浸っちゃうことはありませんか。ぶっちゃけ。
それってやりだしているのっていつも自分なんスよね。
本当は、実際の職場の人間たちも「そんな意味でいってない・やってない」のにもかかわらず、あまりにも不運、不幸続きで、自分が今とっても悲しい状況でしょうから、今の自分の状況をストーリー化したり図式化して、みじめな日の当たらんところに押し込んでしまうのが我々人間の悲しいサガですわいの。
それって、アタマの中の川、思考の中の川でおぼれちゃっている状態なのです。
そのネガティブ川から一旦私が救い出してあげます故、手を伸ばしてごらんなさい。さ、さ。
って、そこに私はいません。
居ると思いましたか?いませんよね。そこが、思考の世界やイメージの世界ではない無色透明な現実世界。事実の川です。
あなたはここで泳ぐべきなのです。
この事実の川というのは、例えば職場で叱られたら、叱られ終わった最後の言葉で、もう「叱られ」は終わりで赦されているのです。
考え力、イメージ力の強い人は、叱られた後も思いの川でカッパの川流れをしています。
ところが、実際の事実の川はすでに、もう叱られたことはあっちに去っていって、しかも元の水にはアラジンです。
この道理に目覚めましょう。
本当に叱られた私なんてどこにもないでしょう?そうです。ソーファーラウェイです。
私もソーファーラウェイな埼玉にいますが、兵庫へエールを送ります。
頑張れー!
聞こえましたか?
聞こえませんよね。そこに私はいません。ですが、そこが事実の川なのです。
思いの世界の川でおぼれないための浮輪。それがチュードーです。
あ、浮輪なんてありゃしませんよ?喩えですから。喩えはあくまで思考の川の水遊び。

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おきもち

中道は悟りの世界。一緒に修行していきましょう。

らっこさん、こんにちは。

らっこさん、こんにちは。中道の生活をしたいのですね。
私も同じです。

でもなかなか、バランスの取れた生き方は難しいですね。
注意されれば、気持ちも落ち込むもの。
その時は、心の中で歌を歌いましょう。らっこさんには好きな歌手がいますか?そして好きな歌はありますか。私も辛くなった時は、口ずさむ曲があります。そして、心を落ち着かせて、がんばろう!と気持ちをポジティブに持って行きます。
歌ってすごいですね。その力があります。

是非、好きな歌をたまにはゆっくり聞きましょう。元気になりますよ。

合掌

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中道の練習へ向けて

らっこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「中道」というのは、偏見、断見や常見などの極端な誤ったモノの見方、考え方を排した状態のことを申しますが、そのためには、まず、何が否定すべき偏見や極端であるのかを良く理解しないといけないことになります。

仏教でも、空の理解が大切、無執着が大切などと言っても、何が否定すべき空で無い状態であるのか、何が否定すべき執着の状態であるのかを知り得なければ、何をどうして良いのかも、当然わからないことになってしまいます。

それを知るために、仏教では智慧の開発と福徳(善徳行・方便行)の実践という修行が必要となる次第でございます。

落ち込みすぎないように、聞き流せるように、融通が利かせられるようにしたいとしても、そのためにも、もちろん知識とトレーニングが必要になります。

その知識とトレーニングのためにも、仏教の修習は大いに役立っていくことにはなるでしょう。

まずは簡単な練習からとして、そうですね、、

丁度、先日に刊行されました、我らがhasunohaの共同代表・井上広法師の著書「心理学を学んだお坊さんの幸せに満たされる練習」(永岡書店)からその練習を始められても良いのではないだろうかと存じます。手前味噌の宣伝ではありませんが、拙生も実際に拝読させて頂きました感想としてもお勧めをさせて頂きます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございます。
お言葉を読み返していると自然と心が穏やかになります。
心の中で歌を歌うと元気が出てきました。これからも歌おうと思います。
そして、これからは事実の川を意識する心がけも大切にします。
この機会を生かし、仏教について学んでみたいと思います。

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