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死の恐怖ばかり考えてしまい精神と心身を病んでしまいました。

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はじめまして。
39歳の男です。夫婦二人で子供はおりません。
2ヶ月程前から、自分にも必ずやってくる死についての恐怖からパニックになったりし、いつでもそれが頭から離れなくなってしまい、精神をおかしくしてしまいました。私は小さな頃から死ぬ事に関して人一倍恐怖として感じていたのですが、これまではただ考えないようにできていただけだったと思います。半年程前から母親の認知症介護や、子供が流産したりで授からないなど、いろいろな出来事から、人の生き死にを真剣に考えるようになり、考えないようにしてきた、いずれくるであろう避けられない自分の死の恐怖が夢の中でも襲ってくるようになってしまい、今は精神科に通い薬を処方して頂いておりますが、良くなる気配はありません。今は前のように笑う事もできなくなってしまい、仕事にも支障をきたす状況になってしまい、これからさきの不安などで自分自身どうして良いのかもわからない状態になってしまいました。
いろいろな死生観の本を読んだりしましたが、頭では今をしっかり生きるという必要性を理解できても、心の中の死の恐怖が勝ってしまっている状況です。仏教を勉強してみようかと思っていますが、何か少しでもアドバイスを頂けたら幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死を想う時、一所に思っている自分の思いが怖いだけでしょ。

昔は人が死ぬことを「めでたくなる」と言った時代もあり、死が喜ばしいとされる文化圏もあります。
死に対して、ある種ポジティブなイメージを持てば思想の上では死を恐れなくなります。
私は「人は死なない」とならいました。まさか、とおもいましたが、本当にそうです。
おかげで死ぬのはさほど怖くなくなりました。
「人は、他人の死は見聞きすることはできても、自分の死は一生死ぬ時まで体験出来ないので死ぬまで死の事を考えても、考えたという事があるばかりで、この身は一生死ぬその時までは絶対に死なないのです。死んだら意識そのものが無いから、別れるのが嫌とか怖いとか、そんなことも思えない、と師から教わりました。
悟りを得られたある老師は生前「死ぬことは小便するのと同じ」と言っておられました。
この身心は、出来事(縁)に触れれば、ただ「❝そう❞なるだけ」です。
死に限らず、TVを観るにしても、おやつを食べるにしても、私たちはそれにであえばそうなる。
私たちと悟りを得た人との違いは、そこにワタクシという私的な価値観・判断が入るか入らないかの違いだけです。それがなければ損得、増減、生死、迷悟などが無く事実だけの世界になるからです。
その老師は亡くなられる間際に「お前たち、大丈夫か?」「大丈夫か?本当に迷いはないか?」と、お弟子さん一人一人にお声をかけて亡くなられました。
直後に迎える自分の死などまるで厭いも気にもせず、最後まで、お弟子さんたちにちゃんと生死や迷い苦しみなどの自分の思いから自由になっているかどうかを、問うていたそうです。
病床であっても老病・生死を厭うことなく、説き続けておられました。現にそういう人間はいるのです。
その方が悟りを認められた本物の禅僧が静岡の浜松の龍泉寺井上哲限老師、掛川の少林寺井上貫道老師のお二人です。ちゃんと真偽を見極める力量のある洞門の禅定家からは❝本物❞❝国師❞と仰がれている方です。静岡でしたら、参禅に行かれることをお勧めします。

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有り難し
おきもち

「生死(しょうじ)」の道理を知ることが大切です。

私も死ぬことは怖いです。
一度も経験していないので、どうなるか不安です。
しかし、お釈迦様は明確にお説きくださいました。

死ぬとまた生まれる。
死ぬと生まれるから「死」と「生」はくっついている。
それを「生死(しょうじ)」という。
私が生まれたということは、前世の私が死んだということ。
今の人生は前世の私の来世にあたるということ。

死ぬと生まれ変わります。
よきものに生まれ変わるには良き因がないといけません。
善い行いを積み上げていく方法もありますが、簡単な方法は他力に任せることです。
阿弥陀様にいのちのことは任せておけばよいのです。
任せておけば来世は必ず仏に生まれることができます。

死して去ると書いて「死去」、往って生まれるとかいて「往生」。
どうせならこの人生、ご一緒に往生の人生を頂きましょう。

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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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無くなるものと残るもの

yasu様。

私も死ぬのは怖いです。今でも死に対する不安や恐怖は無くなっていません。

だけど、結婚をしたときにもう一歩踏み込んで考えました。
死ぬことによって生じる何を本当は恐れているのか。

私の場合は、
・死ぬことによって今までの足跡や自分の存在がなかったことになることが怖かった。
・自分が慕っていた人が死んだときにすごく悲しい感情が起こったことを記憶していて、身近な誰かが死ぬたびに同じ感情が押し寄せてくることが怖かった。
・自分の好きな家族や友人、大切なモノと離れることになるのが本当に嫌で未練がある!

こんな感じでしょうか。

ただ、歳をとるうちに死に執着しなくてもよくなりました。
死んだらすべて無くなってしまうと思っていたことが、ある絵本と出会って死んでも残るものがあることに気づきました。

それからは、どうせ死ぬなら後悔することなく丁寧に生きるようにしようと思いました。

仏教は執着を手放す教え。死んだら自分の感情や気持ちの赴くままに生まれ変わるのではなく、輪廻から抜け出て仏に成る教えを仏教と私は習いました。

yasu様にとって、死によってもたらされる何が一番恐怖に感じるのか、もし向き合えそうなら解決の糸口は見えそうな気がします。死に対する執着が少しでも軽くなるよう、念じております。

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有り難し
おきもち

泰庵  一法
「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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