お世話になっております。いつも温かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 今回お聞きしたいのは、「恐怖を忘れて過ごすのは良い傾向なのか?」というものです。 以前より、死の恐怖を克服する方法についてご教示頂いております。怖くなったらお念仏を唱えたり、仏教に関する本を読んだりして、少しでも悟りに近付けるよう勉強しています。 その中で、以前よりも、恐怖を感じる時間が少なくなっていると感じます。しかし、決して死が怖くないわけではなく、ただ別のことに気を取られて恐怖を忘れているだけなのです。 日々が忙しくなるとそのような「忘れている時間」が増えていくのですが、隙間の時間に死の恐怖を思い出して、絶望感に苛まれます。 そこで、 ・死の恐怖を忘れている時間は、仏教の修行的にはあって良いのか?それは、克服へと繋がっているのか? ・それとも、何度も恐怖を思い出し、その度に勉強したり念仏したり…と繰り返す方が好ましいのか? の2点について、ご教示願いたいです。 どうしても、文献に触れたり念仏を唱えたりすると、死の恐怖を連想してしまうので、精神的に疲弊してしまいます。そのため、どうでもいい娯楽で恐怖を誤魔化してしまうこともあります。 一方で、死に対する絶望感から、「早く死の恐怖を全く感じないようになりたい」と思い、つらくても修行した方が良いのか、と思うこともあります。 また一方で、自分のしたいことは「死の恐怖の克服」だけではなく、ほかの勉強や趣味にも勤しみたいので、少なくとも現状では、やることを仏門修行だけに絞るのは避けたいと思っています。 長文かつ、わかりづらい文章になってしまい、申し訳ございません。お時間ある時で構いません。ご教示頂けますと幸いです。
以前からお世話になっております。 死後のことや、仏様のことなど、さまざまなことを知識として取り入れさせて頂きました。少しだけ理解できた事もあります。本当にいつもありがとうございます。 それなのに、こんなに教えて頂いても、頭ではわかるけど怖い気持ちが消えないのです。本当にすみません。 転生してもしなくても、死後がどうなるとしても、自分が他のものに変容して、今の自分には戻れないと思うとどうしても恐ろしくなります。 世界が「有る」のも気持ち悪いです。いつか消えるのに、今だけは「有る」なんて理解できません。かといって、有る、無いも何もない、というのも実感としてわからないのです。 仏教が好きですし、仏様を信じさせて頂きたいという気持ちがあります。仏様が私の意志に関わらず救ってくださる、ということも頭では分かっています。 それなのに、どうしても怖いのです。 そして欲深くも、「今すぐに死の恐怖を消して、その先ずっと怖くない、絶対の安心を手にしたい」と思ってしまうのです。 その割に、「実感のない事」が信じられない自分も居ます。ですが、「救われた実感」なんてものは幻想で、そう思ってる時は救われているとは言えない、というお言葉も目にしました。 仏教の教えについても浅学で、失礼なことを言っていたら本当に申し訳ありません。 恐怖を消す方法なんて無いかも知れません。ですが、この恐怖を、もはやどうしたらいいのか自分ではわからなくなってしまいました。 今すぐ死ぬのが怖く無くなって、その先ずっと安心になるには、具体的に私は何をしたら良いのでしょうか。 毎日怖いです。なんでこんなふうに自分が存在して、存在することにも消滅することにも恐怖してしまうのでしょう。恐怖さえなくなってくれれば、と思わずにはいられません。 支離滅裂な文で本当に申し訳ございません。 お時間ある時で構いませんので、皆様のお考えをお聞かせ頂けますと幸いです。
小さい頃から、夜寝ている時にふと、自分という存在はいつか必ず死ぬんだと考え、それを想像したときに恐ろしくなって...というのを20年以上続けてきました その恐怖を克服するために自分なりに考え出した答えがあります 人間というのは、科学的に言えば素粒子の塊である、死ぬということは今まで塊になっていた粒たちがバラバラに解散することである、粒そのものが消失するわけではない、あくまで失うのは「人間」という形だけである 他の粒たちの助けを借りて実現できていた、見る力、聞く力、考える力、記憶などは全て失われる でも、この身体(脳)の中心にいる「自分」という個性を持った粒は失われない 火葬され、煙突から吹き上がり、風に乗り、また別の何かになる 何にしても、死ぬということは、人間という形を手放し、先に逝ってこの世界を舞っている皆のもとに合流することである... こういう風に考えると、死ぬということが絶対の孤独をもたらすものではなく、むしろ生き抜いて老いた後の孤独を解消するものであるとさえ思えてきました 自分なりに納得できる答えで気に入っているのですが、こんな話をする機会がありません(家族や友達といきなりこんな話をする気にはならない) お坊さんの方々はいつか必ず死ぬことについてどのように考えているのでしょうか 仏教の教義には色々な考え方があると思うのですが、それを絶対の教えとされているのでしょうか
何故だか、死について考えてしまいます。 死を選んでしまいそうで、怖いのです。 私は心療内科に通っており、一人で遠出するのもかなり緊張してしまう状態です。症状が酷いときはお薬を飲んでしのいでいますが、『いい歳して、ろくに外も歩けないのか…』と思うと、苦しくなります。 苦しい気持ちはありますが、私自身、非常に恵まれた環境で生きていると思っています。一度メンタル面で体調を崩し退職したものの、現在はなんとか仕事に就けています。両親も健在。家庭環境や人間関係に困っていることもありません。傍から見れば、何一つ不自由のない生活だろうと考えています。 ですがある時、ふっと頭に『死にたい』という言葉が浮かびました。 自分でも非常に驚きました。年金もらうまで死ねない!なんて思っていたはずなのに。自殺についてなんて、少しも考えたことがなかったのに。 しかしよくよく考えてみれば、私には資格もなければ趣味もありません。なんの取り柄もない人間だと思います。心の奥底では、そんな自分に価値がないと思っている気がします。 決して死にたくはないのです。ですが気分が落ち込んで、今ではうっかり死を選んでしまいそうです。自分がコントロールできなくなるような気がして、恐ろしくて仕方がありません。 自分の中に生と死の2つの考えが頭から離れず、どうしてもソワソワしてしまいます。 私はおかしくなってしまうのでしょうか。どうしたらいいのか分かりません。 生きる知恵、良い考え方を教えて下さい。しっかり生きて、人生を楽しみたいです。 うまくまとめられず読みにくい文章になってしまいました、お許しください。
タイトルの通り、私は死ぬ事への恐怖心が強いです。 私は実家を離れ一人暮らししており、彼氏とも遠距離恋愛です。 一人暮らしですから、もし自分の身に何か起こっても誰も助けてくれない。つまり、もし急に犯罪に巻き込まれたり、倒れてしまっても誰も助けに来てくれず、死んだ事にも気づいてくれない事への恐怖が常に私を支配しています。 また、遠くにいる彼氏は結婚を前提にお付き合いしているような方で私にとってなくてはならない存在です。そのくらい大切な存在だからこそ、何かあってもすぐに駆けつけることが出来ない事への恐怖心がうまれてしまいます。 実家にいる家族やペットに何かあったらどうしようとも考えてしまいます。 このように死に対する恐怖心が大きいせいで夜は寝られずに、勝手に死ぬことを想像して泣いてしまうことがよくあります。私が死んだら大事に人と二度と会えなくなってしまう。誰かが死んでも二度と会えなくなってしまう。そればかり考えてしまいます。 どうしたら死に対する恐怖心がなくなるでしょうか。 ご回答よろしくお願い致します。
私は死ぬのがとても怖いです 死んだら天国や地獄があるのか、生まれ変わりはあるのかなど気になってしまいます これまで良くない事もいろいろしてきました 地獄が存在したら行くかもしれないです 無記や毒矢の例えなどで仏様は死後の事は考えなくて良いと仏様は説いていたらしいと少し聞いた事があるのですが、とてもじゃないが悟りなど開けそうにない私には死後、人間がどうなるのか考えてしまい恐れています 毒矢の例えの一方で仏教では天国や地獄の存在や生まれ変わりをも説いたりしていますが実際には、仏教ではそれらはあると考えているのですか? 仏教における死後の世界の事を教えて頂けませんか? 誰も死んだ事がないので本当には死後の世界があるのか、生まれ変わりがあるのかは分かりかねるのかともと思いますが、僧侶の皆様はどうやって死の恐怖から解放されていますか?
高校生です 朝起きたりニュースなどで人が亡くなったということを見たときに、死に対する恐怖感や不安感に襲われます。 人が生きる年齢を100歳だとしたときに親はもう50歳で人生の半分が終わっていて、自分は今までの事を6回ほどしたら死んでしまうということを考えてしまい恐怖や不安に耐えれなくなります。 今の生活を失うのが怖く死後の世界があれば今までの生活をできるのか、また死後の世界でも寿命があるのかを考えてしまい何もできなくなってしまいます。 自分は今までコンビニのガムや親のお金を盗んだりしてしまっていて、自分が死んだときに親は迎えに来てくれるのかと考えてしまい、もしかしたら誰も迎えに来ずそのまま地獄に行ってしまうんじゃないかと怖くなります。 自分は学校も行かず外に出るのもいつの日からかストレスになってしまい、親が亡くなったあと一人で生きていけるのか考えて怖くなります。 死後の世界がなければどうなってしまうのか、死ぬときは痛いのかなど考えてしまい吐きそうになります。 自分は今の親と兄とペットがいる生活がとても嬉しいです、でも年齢を考えたら自分が最後まで残って一人ぼっちになるのが怖いです、死後の世界で同じ生活がしたいと考えたときに少し嫌な気持ちに近いような感情が出てきてしまい、自分は親の事や今の生活を本当は嬉しく思っていなんじゃないかと不安になってしまいました 自分が家族や今の生活のことをどう考えているのかわからなくなってしまいました。 死後の世界があるのかなど知りたいです。 うまく言葉にできているか分かりませんがアドバイスをいただければと思います。
最近祖父を癌で亡くしました。 病室で亡くなる直前の祖父には会えたのですが、以前会った時はまだ元気に会話できていた祖父が枯れ木のように痩せ細り、意識もなく目と口を開き、ただ呼吸するだけの姿にショックを受けました。 いつも優しくニコニコと笑っていた祖父の顔よりも、最期の顔が思い浮かんできてしまってつらいです。 身近な人を亡くす経験が初めてで、自分もあの様な最期を迎えるかもと思うと人生を前向きに捉えられなくなりました。 そして、家族の死に対してその様に考えてしまう自分はダメじゃないかと責めてしまいます。 どうしたら身近な人の死に対して気持ちを整理できるのでしょうか? やはり時間でしょうか?
高校生です自分が死ぬ事と親が死ぬことが怖いです。 親が死んでしまったあとの孤独感に耐えれない 親が死んだ後一人で生きていけるのか 死後の世界はあるのか 死後の世界があるなら親と一緒に今までみたいに暮らせるのか 死ぬ時って苦しいのかなど朝起きてから夜寝るまでずっと考えてしまいます、自分は学校もまともに行っておらず親に迷惑を掛けていて死んだあと親と一緒の場所にいけて、幸せになれるのか怖くて仕方がありません。死ぬことが怖くなってから今まで楽しかったことが何も楽しくなくなりました 昼ごはんも休憩時間に帰ってくるお母さんのために作っていましたがまともな料理が作れなくなってしまって親の前で泣いてしまいそうになってしまいます 朝と昼両親が仕事に行きますがまだ一緒にいたいと思ってしまい一人にしないでと思ってしまいます。 死の恐怖を親に相談していいのか分かりません。
私には68際の祖母がいます。小さい頃からたくさん面倒を見てくれて可愛がってもらいました。 祖母はボケないようにと脳トレやパズル系の本を買い問題を解いているのですが、最近、何日か前に言ったことを忘れてまた聞いてきたり、言った覚えのないことを言ってきたりして、認知症なりかけなのでは?と心配です。 それと同時に、認知症で私の事を忘れてしまうのではないかと言う不安もあります。 また、家族や親戚のお葬式を幼い頃から10回ほど経験し、死という現実を見てきました。 人はいつか死ぬことはわかっています。 今もまだ病気などもなく元気でいてくれます。 でも、いつか大切な人がいなくなる恐怖、不安が消えません。 自分が死ぬことよりも怖いです。
閲覧ありがとうございます 20代後半の子供2人の母です コロナが流行し、たくさんの方が感染し苦しい思いをし、亡くなられた方もいらっしゃいます それがニュースで毎日取り上げられ、予防を徹底する日々を送っています そんな中、突然死というものに強烈な恐怖を感じる様になりました 今までは特に死に対し、日常の中で考えることもありませんでした それが今、怖くて怖くてたまらないのです なんでもない、ふとした瞬間に恐怖を感じるのです 例えば、コロナに子供が感染したら、どうしたらいいのだろう 自分が感染したら、何週間も隔離ということになったら、万が一重症化したら1人で死んでいくのか 大切な人がいなくなってしまったら そんな風に考えて、近所のスーパーにも行きづらくなりました コロナだけでなく他の病気や怪我も怖いのです 上の子が幼稚園に通っているのですが、大怪我したらどうしよう、給食を喉に詰まらせたらどうしよう、犯罪者が突然幼稚園に侵入したらどうしよう スヤスヤ眠る子供を見ては、息が止まってしまってないかと夜何度も確認してしまいます こんな風に頭の中が不安でいっぱいで、心が壊れそうです 以前自分がどんな風に考えて、毎日を過ごしてきたのか思い出すことができません こんな風に不安になってしまった時、どうやって意識を他のことに向けたら良いのでしょうか 現在パニック障害の治療を受けています それとほぼ同時に死への恐怖を抱きました 医師には相談していますが、『大変だね、趣味を見付けたら』と言われました 24時間考えているわけではなく、掃除をしている時、お風呂に入っている時、ふと考えてしまうのです どうか助けてください
死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?
最近とある発症率こそ低いものの治療法がない重い病気について見てしまいその病気になってしまうのではないか、そして死んでしまうのではないか、まだ死にたくないと毎日不安になってしまいます。 不安を和らげようとしても 気持ちを落ち着かせようとする→病は気からともいうのであまりにも考えすぎるとなるかもしれない→また不安になる という負のループにはまってしまいます。 他にも最近精神的に不安定なせいか何か他の病気なのではないかと疑ってしまうこともよくあり辛いです。 特に夜になるとこの不安が大きくなり明日を迎えるのがとても怖くなります。 この気持ちを無くすにはどうすればいいでしょうか?
何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。
こんばんは、高校生です。 最近、父と、私の死が怖くてたまりません。 現在、両親と離れて生活していますが、たまに私の様子を見に来てくれます。しかし、運転する父は大変忙しい職業柄で、時々目に大きなくまを作ったりしながら車で遠い私の家まで来ます。 「様子見に行こうかな」と言われると、途端に交通事故で死んだらどうしよう、、等考えてしまいます。 私は私のせいで親が死ぬのが嫌なのでしょうか? また、私は暗闇も極端に嫌いになり誰かいるのでは無いか? 物音がしたら、殺される!と、パニックになる事が多々あります。 病気なのでしょうか? よろしくお願いします。
何度も失礼します。 最近生活していてやはり、死が怖くなりました。 感染症の影響で多くの人が亡くなり そのことが、あたかも自然なように 連日報道され、人の死が生活の中で より身近(不謹慎ですみません。) に当たり前のようになってきていて いつ死ぬかわからない、まだ自分はやるべきことができてない という負の感情がブクブクと浮かび上がってきてしまいます。 また、これは先ほどのものと違うのですが、 9月3日の夜に見た夢で、夕方に 一人で習い事(文化系)の練習をしていると、 習い事の先生(故人)が先生の住む母屋から出てきて、 自分の隣に座って話すという夢を見ました。 先生にいくらかの自分の悩み事を聞いてもらった後、 「向こうでは、どうしているのですか」 と聞いたところで先生が答える前に 目が覚めてしまって、そこから 「先生が何を言おうとしていたのだろう」と モヤモヤが続いています。 以前の質問で死と向き合って、 そこから生きていく意味を見つける というお知恵をいただいてとても参考になったですが、 自分自身が死と向き合うことができなくて 生きていく意味の追求も止まってしまっている気がします。 お坊さんの思う死の恐怖と向き合う、よける、折り合う方法や お坊さんが普段それと付き合う方法を教えていただきたいです。 先生がどのようなことを言おうとしていたと思われるのか、 ということもできれば教えていただけると嬉しいです。 お忙しい中申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 乱文失礼しました。
最近一回相談させてもらったのですが、また怖くなってしょうがないです。 ニュースを見ていると、人がどんどん死んでいき、自分もいつか殺されるんじゃないかと恐怖を感じます。現在アフガニスタンなど、荒れている地域の報道を見ただけで泣きそうです。 死ぬ時って、苦しむのでしょうか、身近な人も無くなっていくのが、怖くなってきます。人は死から避けられないのは、なんとなく理解しているのですが、自分がいつ死ぬのかもわからないのが怖いです。意識が急になくなり、次はどこへ行くのか。非常に怖いです。 ふと思いつくと、寝れません。まだ高校生なのですが、これから先が怖いです。
私は10年ほど、死にたいという気持ちと一緒に生きてきました。 きっかけは他の方からしたらきっと些細なことだと思うのですが、 その後人付き合いが上手くいかず、 当時は全く問題なかった人間関係を上手く築けなくなり、 他にも辛いことが重なり、 死にたいと思うようになりました。 生きたい人が生きられない現実がある事もわかっています。 ある時から(プロフィール参照) 私は自分の手で人生を終わらせることが出来るんだ と思うようになり、 いつでも死ねるというのは 私の希望になりました。 ですが最近、死ぬ事が怖くなりました。 自ら命を絶つのが怖いのではなく、 事故でも病死でも寿命でも、 人間いつかは必ず死ぬ、 という現実が怖いです。 こればかりは絶対避けられない現実なのに 怖くて怖くて仕方がないです。 それなのに死にたい気持ちが無い訳でもない。 死にたいのか生きたいのかわからないんです。 今現在私が生きているということは 少なからず死にたくない、 という気持ちがあるんだと思います。 死にたいと思っても、死ぬのが怖い、 だから生きるのもこわい。 こんな矛盾に戸惑っています。 人間はいつか必ず死ぬ事、 どうしたら自分を納得させられるでしょうか。
過去の行いへの後悔と死への恐怖で鬱病になってしまいました。 2世帯で同居していた両親の部屋にエアコンをケチって装着してあげず、寒い思い、暑い思いをさせてしまいました。両親が亡くなった後、両親の住んでいた部屋で暮らし始めて、そのことを後悔し始めたことが起因となり、過去学生時代に、当時付き合っていた彼女を妊娠、中絶させてしまったこと、水子を作ってしまったことを改めて後悔しだし、自分も来世で同じように中絶されてしまうと思いそれを恐怖するようになりました。 死ぬことが怖くて、自立神経を壊し、鬱病になって、今苦しんでいます。更に、一人娘が遠い土地に就職することになり、今生の別れのような不安感から、離れられなくなってしまいました。何とか仕事を続けていますが、苦しくて挫折しそうになります。 過去の後悔と死への恐怖、娘との別れの不安からどう脱却したら良いのでしょうか? お言葉を頂けますと幸いです。
昔から、事件や事故に巻き込まれることに対する恐怖が人一倍強い気がしています。新型コロナ、無差別殺傷事件、残忍な事件や事故、世界情勢のニュースを見ていると、いつか自分や大切な家族が巻き込まれたらどうしようと不安でたまりません。家にずっといれば安全かもしれない、どこにも行きたくないという気持ちになる日も多いです。起きてもいないことに不安になって今の時間を無駄にするのは良くないと頭ではよく分かっているのですが、不安になるとそればかり考えてしまいます。 また最近はそういった不安から、夫が先に死んでしまったらどうしようとよく考えるようになってしまいました。私がくじけそうになったときにいつも隣で支えてくれた夫を失うのは私の人生で一番つらいことです。夫に先立たれるのもつらいし、夫を残して一人ぼっちにしてしまうこともつらいです。 死に対する恐怖に打ち勝つにはどうすれば良いでしょうか。また心を強くするにはどのようなことが効果的でしょうか。乱文となり申し訳ございません。よろしくお願い致します。