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「お寺全般」問答(Q&A)一覧

故人が檀家になっていたお寺を探す方法はありませんか

(編集部より。こちらの質問は利用規約により一部を変更しています) お世話になります。 母方の祖父のことですが、先日久しぶりに墓参りに行ったところ霊園の方から墓を建てた叔父と連絡が取れなくなったと知らされました。 母の兄弟は1男5女(長姉は夭逝)ですが、実家の跡取りの叔父と4姉妹とは不仲で疎遠にしていたため、私は母の実家のお寺や宗派についての知識はありません。母以外の姉妹3人はすでに亡くなり、母も認知症で実家のお寺についての情報は得られませんでした。 祖父母と母の長姉の戒名はそれぞれ「〇〇信士」「〇信女」「〇〇信女」で、霊園の方の想像では真言宗か浄土宗ではないかとのことでした。 祖父は、今の南あわじ市から大阪に出てきて当初は西成区に住んでおり、その後転居しています。 これくらいの情報から、お寺か宗派を特定する方法はないでしょうか? 祖父は昭和61年に亡くなっていて来年三十三回忌ですし、このまま叔父の行方が分からないままだと墓を仕舞うことになるかと思います。 宗派が分からないからと放置するわけにもいかず、質問させてもらいました。よろしくお願いいたします。

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感情が表情に出る。というかお寺の人呼び止めていいの?

いつもお世話になっております。 私は、お薬のお陰、それから皆様がたのお支えによって感情のコントロールが以前よりはできるようになりました。              * ですが、言葉や行動が抑えられても、表情を抑えることが不得手です。人と関わっていても、顔色の見すぎ、それと警戒しすぎて、 予想外の事態に晒された時に反射的に眉を顰めたり、あからさまに 狼狽えてしまいます。              * それで相手の方に余計に気を遣わせてしまったり、自分自身もしんどくなってしまいます。 きょうもお寺の方に気を遣わせてしまいました…              * 「お寺によってルールが違うので、まずは聞いてみて」とのご助言を いただきましたが、怖くてお声がけができません。 そもそもお坊様は別のお仕事の最中です。お廊下を歩いているのを 呼び止めては失礼ではないか…という疑問が湧いております。            * これ以上気まずくなりたくありません。 感情が表情や態度に出ないようにする方法、それとお坊さんへの話しかけるタイミングについてご教授頂きたく存じます。 どうかよろしくお願いいたします。

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懐中仏の開眼について(お寺様とのご縁と義理)

たびたび神経質で奇妙な質問、申し訳ありません。 仏様と身近になりたくて、「懐中仏」をいただきました。 (また旅行先等での勤行を行なうため) お不動様と三面大黒天様です。 こちらにも開眼をしたいと思っております。 自宅の祭壇にお祀りしているお不動様は同じ町にあるお寺で開眼していただいたので、同じお寺にお願いしようと思っております。 ところが祭壇の大黒様は、(開眼済みの仏像を通販でいただいたため)非常に遠方のお寺で開眼をしていただきました。 お不動様をお願いしたお寺様では「うちでも大黒様の開眼はできます」と言っていただいているのですが、お願いしてしまっても良いのでしょうか? (ややこしいことに宗派も違います) それともやはり、祭壇にお祀りしている本命の大黒様を開眼していただいた遠方のお寺に、多少無理をしてでも行って、こちらで開眼すべきなのでしょうか? とある人の忠告では、「お寺とのご縁があるので、同じ仏様でも何から何まで同じに考えてはいけない。またお寺との義理もあるでしょう」とのことでした。 こうした場合、どうすべきでしょうか。 アドバイスいただけましたら幸いです。

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このお寺をどうすればいいのか、わからない。

関わっている寺院の改修について、どうすればいいのか判断出来ません。 強風と、境内の巨木の枝によって、瓦が落ちました。それを機に、本堂の屋根などを調査して貰ったら、全体的に老朽化していて、雨漏りも多数あるとのことでした。 さて、改修となりますと、当然ながら門徒様への「懇志」を必要とします。 その額は6桁を超えます。しかし、懇志をお願いする以前に、自坊から(宗費や伝燈奉告法要懇志 事務費を除いた上での)修繕費を捻出出来ません。 年間に頂く財施の合計も少なく、担保になるものも無いため、金融機関からの融資依頼も絶望的です。 また、老住職が寺務に無関心であり、門徒様からの説得にも一切応じる意思を捨てている為、お金も出されず、話になりません。 見積もり書をもらい、町内の総代様とお話しても、お寺側が動いたら動くというスタンスです。僕は、この問題から逃げたくて仕方ありません。雨風の強い日が来る度に、不安になります。放置して、良くなることなんて絶対にありません。 門徒様の中には「私らは年金生活だから、大金出せないよ」とか、先に釘を刺される方もいます。 それはそうですよね。 年金は減らされ、消費税は上げられ、保険料や固定資産税も高くなり、みんな生活を送るのに節約して、やっとやっとです。 高齢者でこれなら、お若い方々は違うのかと言うと、そうでないですよね。みんな生活苦です。自分の家の修理もままならないでしょう。 それらを思うと、果たして大金を出すのをお願いして、でも一方でお寺側はお金出せませんという形で、お寺の修繕費をお願いなんて、しちゃいけないんじゃないか?と思うのです。 私は、どうすればいいのでしょうか。 また、お坊様方は、お寺の修理を行う迄に、どのような御苦労をされましたか。宜しければ、教えてください。

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『本家』『分家』とは?

私の実家はあるお寺の檀家です。 私の父は三人兄弟の末っ子ですが家を継ぎ同時に本家の墓も継ぎました。 長男(私にとって伯父。仮Aさん)、次兄(こちらも伯父。仮にBさん。Bさんは自分の墓をすでに購入済み)は家を出てそれぞれ家庭を持ちました。 私は女の一人っ子ですが嫁に行き、本家を継ぐことはなくなりました。 そうこうしているうちに父の長兄夫妻が突然亡くなり、続けて父も亡くなりました。 A伯父夫妻はあまりに突然亡くなったのでお墓の用意がなく、『お墓が決まるまで』というA伯父さんの息子(私の従兄)との約束で本家の墓に遺骨を仮安置しました。 この約束はお寺さんもB伯父さんも了承済です。 この時、父はすでに病床にあり、この直後父も亡くなりました。 今回お尋ねしたいのは『本家』『分家』とは?というものです。 この話し合いの時、A伯父さんの息子から『〇〇家の名前をこれからも引き継いでいけるのは自分』と言われました。 この時、本家の墓を管理しているのは父で、父が亡くなったら母、そのあとは私が墓を引き継ぐつもりでいましたので、従兄の発言は一蹴していました。 あれから数年経ちますが、従兄は伯父夫妻のお骨を本家の墓から出す気配はありません。 先日、お寺へ行った時、お坊さんから『お母さんから娘へ早く管理者継承の手続きをしなさい。そうしないとA従兄に墓を取られちゃうよ』と言われました。この『取られちゃう』が心に引っかかっていて、知り合いの年配の方に相談したところ、 お墓は「〇〇家の墓」という男系のもの。 父が亡くなった時点でうちが『分家』、 A伯父の息子が『本家』となるといわれました。 お寺から母→私へ管理者の継承を勧められて管理者が私に移っても私の一家(私や私の夫や子ども)がその墓に入れるわけではない。それが菩提寺と檀家というもの、と言われました。 父が亡くなった時点でうちが『分家』になるのですか?あの時、お坊さんに『取られる』と言われたのはこういうことなんでしょうか? 母娘とも以前から菩提寺に少々不信感があり、従兄との揉め事ももうたくさん。もしうちが『分家』になるのでしたらお墓の権利をA従兄に譲り、父のお骨を出したいと思っています。 B伯父さんに間に入ってもらいたいですが・・・少し認知症気味で、ちょっと難しいかも、です。

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お寺を巡る資格があるでしょうか。

アルツハイマー型認知症を永年患った母を在宅介護の末、今年の3月に亡くしました。 77歳の誕生日の3日後でした。 その母の供養にと、父と愛犬とわたしの男3人で地元のお寺巡りを始めました。 お大師様や観音様にすがりたく遍路、巡礼路に沿ってもう150寺近くを巡りました。 お寺を巡っている間は気も晴れ、癒されるのですが、帰宅と同時に果たして母は喜んでくれただろうかと、自責の念にとらわれます。 時に強い虚脱感や絶望感にも襲われます。 周りの皆さんはあなたはお母様によく尽くして差し上げた、お母様はお幸せだったと言って下さいますが、認知症を患い始めたばかりの頃の母をとても煩わしく思い、本人が一番心細かったであろう10年程前に、母の気持ちに寄り添ってあげられなかったことを今でも強く悔やんでおります。 晩年のつきっきりの介護はその罪ほろぼしのようなものです。 自身が独身のため、ゆくゆくは、お墓も作らず、納骨もせず、母の故郷である島の海岸に散骨をと考えています。 父も自分もそれでよいと言ってくれています。 自分自身も甥や姪はいるものの、彼らに負担をかけさせたくなく、また、お墓の石の下や、暗い納骨堂の中よりは、海のほうがのびのびできていいかなあ、お金もかからないし、などと考えております。 母の供養のため、一日三回、新しく購入した仏壇の前で父と般若心境を唱える毎日です。 写経も日に二度ほど書き、お寺巡りの折に納めさせて頂いております。 しかし、母の人生を思うと、特に病魔に蝕まれたのちの辛かったであろう最後の十年を思うと、お経を唱えていても涙がとめどなく溢れます。 不甲斐ない息子でごめんねと心で詫びてばかりです。 また写経の途中で筆を止め、やはりこんなことで母が果たしてよろこんでくれているだろうか、母の病気の進行をもっと緩やかにしてあげられる手立てがあったのではないか、果ては晩年お世話になりながらもその冷たい対応に腹立たしく思えたこともあったデーサービスや病院に今更ながらに腹を立てたりと、全くもって邪念だらけです。 百枚近く写経を致しましたが、ほんの一枚も最後まで穏やかな気持ちで書けたことは今だかつてありません。 このようなわたしが、果たして、これからもお寺を巡らせて頂く資格があるでしょうか。 亡き母は喜んでいてくれるでしょうか。 何卒よろしくご回答の程、お願い申し上げます。

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