私は寺に生まれて跡継ぎとして育てられました。庫裏の裏部屋で寝起きし、庫裏の台所で母が作った料理を食べ、庫裏の風呂に入って育ちました。 毎朝本堂にお参りに行くのが日課でした。ダイキンを叩いて「今日もいいことがありますように。」と願っていました。 庫裏は私の家でした。寺の広い境内は庭でした。子供の頃も檀家から隔離されていました。 そして今また檀家から隔離し、寺が家だったことも否定します。 仕事場だといいます。裏の畑を潰して60坪の家を建てましたが、帰ってテレビ見て風呂入って寝るだけの家です。 そこにさえ来るなといわれたら、どうしたらいいのでしょうか?
お寺に生まれお寺の後継として育ち、10年くらい寺に勤めましたが、激務と結婚のプレッシャーから無職になって17年になります。住職が退く時が来ました。無職でも寺から給料は出ていたのですが、それも打ち切りです。富岡八幡宮殺人事件と同じ立場です。新住職を恨んでもしかたがありませんが、自分が生きていけません。借金がかなりありますし、年金だけでは生きていけません。自己破産して生活保護をうけるのも難しそうです。もう死ぬしかないのでしょうか?死ぬなら富岡八幡宮殺人事件のように新住職を巻き込みたくはないと思います。恨み辛みの感情は有りますが。
少子高齢化や東京一極集中で地方のお寺がどんどん成り立たなくなっています。 それはわかります。ですが、無住になったらなぜそのままにしておくのでしょうか?当家のお寺も、住職が住んでるメインのお寺のほかに2箇所兼務で持っています。本体でも食えないから副業してるのに、兼務寺院が財政に寄与してるわけありません。 素人考えでは、遠隔地に建物を維持するのも大変だし、給料どころか光熱費すら賄えない名前だけのお寺はメインの中核寺院に全部まとめて潰しちゃえば効率的だと思うのですが(名前だけをお堂やスペース等で残せばよくありませんか?仏像も一箇所に集まれば豪華でしょう)そうはなっていません。今後経営が好転する可能性が全く無い場所で、無住のお寺を日本中で維持しているのは不合理だと思うのですが、これってなんでなんでしょうか?(有名な札所だから、というケースは無しで)
今までの質問や他の方との問答で、個人的な悩みについて色々助けていただきました。ありがとうございます。 社会的に気になることについても、ここでお尋ねできるでしょうか。 貯金のおぼつかない生活をする中で、もし仕事が途切れて家賃も通信費も払えず情報も頼れる先も見つからなくなったような時、役所でも「まだ働ける可能性がある」「血縁者が存命」などで生活保護が受けられず追い払われてしまった時、行き当たったお寺で助けを求めることはできるのだろうかと疑問を持ちました。考えてみれば、ホームレスのような方をお寺で見かけたことはないように思います。 キリスト教の団体では募金や炊き出しをしているのを知っていますが、仏教ではあまり目につきません。 一部、セーフティネットとなるべく取り組んでおられるところもあるようですが、ネットで名前があがるのは一部の意識の高いお寺の個別の取り組みのように見えます。 歳末ですが、越年、越冬が難しいような方にいま頼られたら、お寺の皆さんはどのように対応なさいますか。 個々のお寺でなくても、困窮した人を現実的に助けているような場所、団体を紹介なさったりすることはあるのでしょうか。 せっかく公開の質問ですから、私だけでなく、今ネットは見られるにしてもいつ厳しい状況になるかわからないような人みんなのためと思ってお答えをいただければと思います。 これは厄介な質問と思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。
檀家さんとかも。。。 これから、日本の仏教が廃れていかないか心配です。
鎌倉の報国寺住職であられた菅原義道氏(故人)の本を数冊読みました。禅宗の僧侶だったことですので、以下老師と呼ばせて頂きます。老師は著名な僧侶だったらしいので、現在の僧侶のなかにも老師の著書を読まれたり、直接謦咳に接された方もおられるでしょう。 菅原老師のご著書を読んで感慨を深くしたことは、(少なくとも)菅原老師の寺院は「駆け込み寺」としての機能を持っていたことです。ご著書の中にこんな部分がありました。「自分の寺の境内で女子高生らしき若い女性を見つけた。深く悩んでいるように見えた。お寺に救いを求めて訪れたのだろうと思い、『さあ、さあ、そんなところに立っていても寒いから、中に入ってお茶でも飲まないか?』と言って寺の中に入れ、彼女の話を聞き始めた。」 今、こういうことをして下さる菅原老師のようなお坊さんて居るんですかね?少なくとも私は今まで一度も経験はありません。寺を一人で訪れたことは数十回もありますが。。 率直で恐縮ですが、今の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。人が死んで葬式を行い、それでお金を稼いでいるという意味ですよね?(はっきり言えば) なんでこんなことを聞くのかと言えば、私一年ほど前に近隣の浄土真宗の寺院の住職にお会いしたかった。仏教を学ぶ手ほどきも受けたかった。でも、メールを送っても電話をしても何の連絡もなかった。「お忙しいでしょうから、お手すきの時にお電話でもメールでも返信をお願いしたい」と伝えたのにも拘らずです。その浄土真宗寺院には、もう連絡する気も訪問する気もなくなりました。 今のお寺には菅原義道老師のお寺のような「駆け込み寺」的な要素はもう期待できませんか? 住職に面会を求めて何かの悩みを相談できるような雰囲気はもうありませんか? このhasunohaに登録されている僧侶の皆さんであれば、菅原義道老師のような方がおられるかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか? それとも今の仏教はもはや「葬式仏教」に堕してしまったんですか? 少々辛口になってしまいましたが、忌憚のない意見・質問を述べさせて頂きました。ただ、”私のように考えている日本人は決して少なくない”ということを忘れないでください。
どうして、全国各地の寺院は、葬式、法会が中心なのでしょうか。 学校のいじめに悩む子供たちが気軽に住職に相談しに行けるのが理想なんでしょうけど、やっぱり多忙だからしょうがないのでしょうか。 だからこそ、ハスノハのようなウェブサイトが貴重だけど、本来はお寺がその役割をしなければ、葬式仏教と揶揄されるのも仕方がないのかと個人的に思います。
浄土宗のお坊さんに質問です。 お寺での日常勤行は朝・昼・晩の三回か、朝・晩の二回どちらなのですか? また、よろしければお寺の日常勤行差定を教えて頂きたいです。
いつもありがとうございます。 また質問させてください。 外ではニコニコしていて陽気で人当たりが良く気前も良い義父なのですが、家の玄関を開けた途端に豹変し、家族に対していつもイライラし、支配したがり、言うことを聞かないと怒鳴り、暴言、見下し、金づる、口を開けばモラハラととれる言葉ばかりを発し、孫に対して差別したり気に入らない孫には煩いと怒鳴り思い通りにならないとバカ野郎と怒鳴って脅して叩いたりしてきます。 そんな義父ですが、お寺のボランティアを熱心にしています。 外では本性を隠しているので住職にもバレていないみたいでとても信頼され気に入られており、住職主催のイベントを毎回お手伝いしています。 義母は良い戒名を頂くためにボランティアをしているんだと言っていました。 私は義父の本性を毎日見ているので、いくらお寺で徳を積んでも、今まで家族にしてきた悪行は帳消しになるわけがないと思っているのですが、仏教的には帳消しになるのですか? 人の心を好き放題傷付けても、ボランティアさえすれば全部チャラなのですか? お寺でボランティアをしたら良い戒名を頂けるのですか?値引きして頂けるのですか? 良い戒名は我が家ではとても手が届くお値段ではないので、義父亡き後私達に支払いを求められても払えませんし、あんなひどい人間に良い戒名などとんでもない!と思ってしまいます。 ボランティアの前に、家族を大切にすることの方が大切なのではないかと思うのですが、違いますか?
遠方で一人暮らしをしていた高齢の母を介護呼び寄せして世話をしていたのですが、先日他界しました。 菩提寺は、両親の生まれ故郷(呼び寄せ前に住んでいた土地)にあります。 父はすでに他界し、その菩提寺に遺骨を預けてあります。お墓は建てておりません。 菩提寺は家から遠かったこともあり、護持費と行事ごとのお布施を振り込んでお寺で供養していただくのみで、直接対面のお付き合いはありませんでした。 母の葬儀はこちらで執り行い、通夜や告別式はせずお坊さんも呼ばず無宗教の直葬としました。 現在、遺骨は私の手元にあり、写真を立て、ろうそくと線香、お茶と生花を供えて供養しています。 今後、母の遺骨は、こちらの自治体の無料の納骨堂(期限1年間)に預ける予定で、その期限までに永代供養墓か納骨堂などを見つけて移すこととなります。 私は独身で子供もいないため私の代で家系が途絶えます。 遠方にある親の持ち家は引き継がないため、いずれ父の遺骨もこちらに持ってきて、母と一緒に永代供養墓に入れる予定です。 そこでお伺いしたいのですが、 * * * * * (1)母の他界は菩提寺にすぐお知らせした方がよろしいのでしょうか?それとも永代供養墓など預け先が決まってからでもよろしいのでしょうか? (2)すぐにお知らせする場合は、父と同じように菩提寺の供養に則り戒名もらったり法要を執り行うことになるのでしょうか? (3)お墓はないので墓じまいはありませんが、菩提寺とのお付き合いを終わりにする際、父の遺骨を引き取るのにどのような費用がどのくらい掛かるものなのでしょうか? * * * * * 母が健在のときはかなり高額なお布施を何度もしており、菩提寺からもお寺改修費などで一人〇〇万円と希望額を提示した寄付のお願いなどが来るのですが、私は現在無職で収入もなく大きな出費を負担するのがとても厳しく、また、遠方のため行き来するのも難しい状況です。 どういう段取りで何をすべきかや、どのくらいのお金の準備があればよいのかわからず頭を抱えております。長い文になり申し訳ありません。 アドバイスいただけますと大変有難く存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。 昨年、今年と運気がさらに悪くなることはなかったのですが横ばいのような感じで、あまりパッとしない日々を過ごしております。 起死回生をねらって転職活動や資格試験も頑張っているのですが、あと一歩のところで実を結ばない結果が続いています。 今、結果待ちのものもありますが、自分の力を発揮出来ず、悔しい気持ちと同時に、成功している奇跡を信じて、運を天に任せている状態です。 そこで、少しでも運気の流れを変えたく、やはりこれまでずっとお世話になってきた某寺にお参りして何かパワーのようなものを授かろうと思っているのですが、あまり意味はないでしょうか。 たしかに、過去には「参拝したけど良いことがなかった」とか「おみくじを引いたら凶が出て、その後本当に不運が続いた」とか良いイメージがなかったこともありました。 一方で、就職に悩んでいた時に参拝した直後、すんなり就職が決まったり、6年前には参拝して1週間後に今の妻と出会ったと言う「運命」を感じたこともありました。 特に理由はないのですが、このお寺からパワーを授かると、運気が変わる気がします。 お参りに行く価値はあるでしょうか。
申し訳ないのですが、お寺ではなく、神社についてのご相談になります。お坊さんの考えをお聞きしたいです。 私は神社に毎日通っていますが、ちょっと遠い神社には時々通っています。その神社でお参りをしたのですが、自分の悪行の話をするタイミングで社殿の片方の電気が消えたり、昨日は大きい地震が起きたりしました。 昨日はなぜかその神社に行きたくなりました。 これらは何らかのサインなのでしょうか? 歓迎のサイン・・・だとしたら嬉しいのですが・・・
語彙力が無いので、もし失礼な表現になってしまっていたら申し訳ありません。 私はお寺に行くのが好きです。 奉られている方々にお参りしてご挨拶したいというような気持ちで向かうこともあれば そのお寺のある御山そのものに包まれたいと行ってみたり 歴史や仏像、建造物としての素晴らしさに触れることを目的に伺うこともあります。 勿論御先祖への気持ちや、その他諸々思うところあって、お参りに行くこともあります。 ただ お寺側が積極的にオープンにしてくださっている場所(総本山や所謂名刹、もしくは様々なメディアで情報発信をしているようなところ)だと気兼ねなく伺いやすいのですが、 そうでないお寺だと 興味があってもなかなか入りにくいです。 時間等は常識の範囲内で、純粋に本堂にお参りに伺うだけといった場合でも、 やはり檀家でもない紹介もないような人が入られては困る、ということはあるのでしょうか。 旅先や引っ越し先に出会ったお寺で、どなたが奉られているのかな?など気になることもあるのですが、もしそのお寺や周りの方々の気分を害してしまったら…と思って戸惑ってしまいます。 またオカルトな話なんかだと(主に神社等ですが)由来の分からない寺社にやたらに入るのは良くないなんて言われたりもします。こういったことはあるでしょうか?
お線香について質問させていただきます。 家で使っているお線香の香りがどうしても色々使っても馴染めなく。 お寺さんに行くとお寺さんの香りがなんとも言えないほどスッキリして落ち着きます。 お寺さんで使用しているお線香等どのようなものなのでしょうか? 同じ白檀でも香りが違いすぎて。 毎日家で使用するものなので是非教えてください。
私の実家は隣県にあり、また分家ではありますが本家には当然代々お付き合いさせていただいている菩提寺様があります。高野山真言宗のお寺様です。しかし私自身は分家の次男坊ということもあり、菩提寺様とのおつきあいは葬儀や法事の時だけです。 最近不思議なことに信仰心に目覚め、朝夕お勤めをするようになりました。(一人暮らしで仏壇はなく御大師様の御影をご本尊にしています) いろいろと勉強するにつけ、やはり正しい理解を深めるためにはお坊様の指導が必要との思いが強くなっています。特に真言宗ですので、勝手に独学して越法罪に触れるのも困りますし。 そこで近隣のお寺様に教えを乞いたいと思うのですが、元々の菩提寺様との関係上、差しさわりはないでしょうか?私自身は付き合いがほぼなくとも、地元の親戚(特に本家は)はお世話になっておりますので、勝手なふるまいをするとお叱りを受けないか心配です。 もちろん教えを乞うといってもあくまで在家としてのことで、先のことはわかりませんが僧侶になりたい、というわけではありません。
いつも勉強させていただいております。 今回は、自宅と小さな事務所に祀っています神棚について教えていただきたく質問させてもらいます。 簡単な一つ扉の小さい神棚を自宅と自営業で使用しています事務所に祀っているのですが、中に地元の御神札をそれぞれ置いています。 場所はきちんと調べ、上を歩かない、下を通らない、南向きで設置したのですが、御神札の場所の扉は開けるのか閉めるのかが分かりません。 一応、自宅に祀っている神棚はリビングでちょうど家族が集まっているところが見える(御神札から見て)場所ですので、皆を見守ってもらえるよう扉は開いた状態で祀っています。 事務所の神棚は、仕事道具や材料などモノを動かすことが多く、ホコリが舞いやすい為、中が汚れないよう扉は閉めて祀っています。 ネットなどで色々調べたのですが、お寺によって考え方が違うのか、閉めた方が良い。開けた方が良い。それぞれでした。 毎年お正月に家族で氏神様にお参りするときに御神札も新しいものに変えており、家族・仕事ともに良い方向へ向かえるよう祀っておりますので、なるべくベストな状態で祀りたいです。 ぜひ教えて下さい。
初めまして。 わたくしは福岡県内にある、臨済宗のお寺の息子でございます。 私は、京都の大学を中退後、2年間地元で働きました。 京都では、本山内にある禅塾で生活を送り大学に通っておりました。 そこから、2年間働き その後 修行道場へ掛塔しました。 ですが、修行はやはりとてもつらくこの世のものとは思えないくらいでした。 そこから3か月目のことです。 ある日足が動かなくなり、病院へ行きました。 両足を疲労骨折しておりました。 それが一度目の逃げ(失敗)でした。 そしてその後、道場へ戻ったのですが。 何か月か外に出ていたら 周りの雲水との関係に亀裂が入っており それに耐えきれず 逃げ出してしまいました。 それが二度目の逃げ(失敗)です。 そしてその翌年の春 違う修行道場へ掛塔しました。 庭詰めが終わり旦過詰の途中で いきなりとんでもない恐怖心に襲われ 気が付けば倒れておりました。 そしてそのまま、気が付けば実家のお寺にいました。 三度目の失敗です。 そして今、パソコンに向かってこの相談を記入している状態です。 私は、昔から父親(師匠)毎晩毎晩 「お前は早く修行に行ってこの寺をついでもらわんといかん」と 口うるさく言われて育ってきました。 私は当時お坊さんには絶対になりたくないと思ってました。 大学も京都の花園大学(仏教の大学)へ行けといわれっておりましたが、京都の仏教大学ではない普通の大学へ進学 そこで、一人暮らしできるかと思いきや 京都のあるお寺にある学生寮に強制的に入れられました。 そこで、朝5時に起き朝課を行い掃除をして大学へ行き 17時(門限)までに帰宅し、掃除を行いというような 小僧のような生活を送りました。 その生活を2年間送り、嫌気がさし大学自体、独断で中退し 無理やり実家へ帰えりそこで、2年間仕事をしながら お寺のことを手伝いをしながら生活を送っておりました。 その後、修行へ行ったのですが3回も失敗し このような状態です。 正直、私はお坊さんに今はなりたいと考えています。 ですが、今はなりたくありません。 ほんとに今どうしていいか全くわかりません。 お寺のこと、家族のこと、自分のこと 何がしたいかもどうすればいいのかも わかりません。 ほんとに文章能力が全くなく申し訳ございません。
先祖と縁の薄い家計の主人と結婚して、仏事は全くしない主人でしたが、私の実家は何かと仏事をする家計で親を見てきたせいか、よく仏壇に線香をたて、お墓参りはよく行く方なのですが、ある時、隣近所の方のお葬式に出た際、梅花講員の方が拝んでいるのを初めて見て衝撃を受けました。 母に聞くと近所のお寺がしているとの事でした。私はどうしても梅花講員になりたいのです。 本来なら嫁ぎ先の寺院で入るべきだとは思うのですが、突然なりたいとゆうのもどうなのか、など、考えることも多く、だからといって親元のある近くの寺院に入るのもどうなのかと、ものすごく悩んでおります。 どのように考えていいものか、どこに落ち着けいいのかアドバイスと教えを頂きたいです。 長くなり申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
折五条袈裟についての質問です。 私は高野山真言宗の在家信者です。 以前から折五条袈裟に興味があり購入を考えています。 僧侶でない一般の信者が着用しても大丈夫でしょうか。 高野山真言宗では着用の作法、規定等がございますか。 半袈裟と同じように本山や寺院へのお参り、これから 予定しているお遍路にも着用したいと思いますが問題 ないでしょうか。 ご教示お願いいたします。
外国人は日本の宗教に関心があり、何かと質問をしてくるけれど、意外と日本人は日本の宗教の説明がうまく出来ない。 お坊さまクラスになると、そこがうまく説明出来るのかも知れないけれど、私たち一般人は、特に専門用語を使える訳でもないし、じゃあ訊ねられたらどう答えたら良いのか?難しく考えずに、中学生レベルの英語で説明出来れば良いのではないか? There are two major religions in this country. One is Shintoism. Another one is Buddhism. Shintoism was born in this country 2000 years ago. Buddhism came from India through China in the 6th century. Most of the Japanese visit both Buddhist temples and Shinto shrines. Usually we do not hold funeral ceremony in Shinto shrines. We mainly go to Shinto shrines for celebration. For example, I had my wedding ceremony in a Shinto shrine However,I had my father's funeral ceremony in a Buddhist temple. 日本には、主に2つの宗教があります。 1つは神道、もう1つは仏教です。 神道は2000年前に日本で生まれました。 仏教は、インドから中国を通り、6世紀に日本に来ました。 ほとんどの日本人は、仏教のお寺と神道の神社の両方に行きます。 通常、神道の神社で葬式をすることはありません。 私たちが神道の神社に行くのは、お祝い事のためです。 例えば、私は神道の神社で結婚式を挙げました。 しかし、父の葬式は仏教のお寺で行いました。 これぐらい優しい言葉で伝えれば、外国人にも理解し易いのではないか? こういう英文なら、中学生でも英語の勉強に使えるのではないか? こんなんじゃダメだ!と言われるかも知れませんが、これぐらいシンプルな説明でも良いとお坊さまは思いますか?