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「お寺全般」問答(Q&A)一覧

お寺について

お寺についていろいろ教えて下さい。 こちらのサイトで同じような内容で何度か相談させていただいた時に「くよくよしてないで説法でも聞きに行ってみては」と言われました。 正直常に小さい子供を抱えている状態で、場所見知り・人見知りがあり知らない場所や人がいると泣き叫ぶ子供を連れて行く勇気がなく、まだ足を運べていません。 なのでやはり悩みは尽きず、いっぱいいっぱいになってきています。 そこで質問なのですが、説法というのは一体どういうものなのでしょうか? 大小関わらず全てのお寺でやっているものなのですか? 悩んでないで説法を聞きに行けと言われましたが、説法で悩みが解決するようなものなのでしょうか? 他にも説法を聞きに来ている方もいらっしゃると思いますが、永遠に泣き続けるような子供を連れててもいいのでしょうか? そしてこれは個人的な意見なのですが、私が関わったお寺はそんなに多くはありませんが、正直儲け主義・自己中心的なお寺ばかりだったように感じています。 1 保育園併設のお寺でしたが、住職さんのお誕生日には園児1人につき1000円を徴収し、かなり高めのお誕生日プレゼントを購入しないといけない。他にも何かと金銭を徴収されることが多かったです。 2 こちらも保育園併設のお寺でしたが、私の妹が保育園の先生として就職した際なぜか住職さんの奥様に嫌われたらしくイビリ倒されて心を病んで泣く泣く退職。 3 母方の祖父のお葬式などでお世話になったお寺でしたが、母が「お葬式が初めてでお布施にいくら包ませていただいたらいいか分からないので、申し訳ないのですが平均的なお値段を教えていただきたい」と申し出たところ、平均の2~3倍の値段を言われていました(後で他の方に聞いたみたいです)。 といった感じで、あまりお寺にいいイメージがありません。 できればこういったお寺ではなく、こちらのサイトで色々な方々の相談を親身になって聞いてくださっているような住職さんから説法を聞きたいと思っています。 何か見極める方法などありますでしょうか?

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お寺とお坊さんについて教えて下さい

お寺での生活や、僧侶として従事する方の日頃の暮らし、なぜ仏門に入られたのかきっかけ等に興味があり、件名の通りの質問をさせていただきます。 不躾な質問でしたら申し訳ございません。 お寺や宗派によってもまた違うかと思いますが、できるだけいろんな方の回答を伺えたら幸いです。 質問数が多くなってしまい大変申し訳ありませんが、差し支えのない範囲でご教示いただけますと幸いです。 何卒よろしくお願い申し上げます。 ①一般的に、住宅街にあるような比較的小規模な寺院には、住職以外のお坊さんは大体何名ほどいらっしゃるのでしょうか? ②お坊さんが一通りの修行を終えたとされるのはどのような段階ででしょうか? ③修行を終えたのち、学校職員など他の職業と兼任しながら、お寺に住み込みで役僧や僧職員として住職のお手伝いをして暮らす言うことはあるのでしょうか? ④お寺に住み込みで働く場合、住職にご家族がいらっしゃる場合、同じ場所で暮らすのでしょうか?別棟などが用意されてるのでしょうか。 ⑤実家がお寺で家業を継ぐ以外で、お坊さんになられた方がいらっしゃいましたら、なぜ仏門を目指されたのかお話を伺えますと幸いです。 以上です。 もし失礼なことを伺っていたら申し訳ありません。

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ふとしたときに休めるお寺ありますか?

カテゴリわからずその他にしてます、、 疲れました、 なにがとはないですが、少しやすみたいです、 心をどこかに置きたいです ゆっくりしたいです 好きなことや散歩の前に、あまりにも心にガスが溜まっていっぱいで、体を動かす力がでず、感情、感覚がなくはないですが不感症ぎみで鈍くなってきてそれらじゃ、 いやな気持ちではなく、まだマシな気持ちで時間が過ぎているような感覚で、休まりません 心が疲れた時はもう外が、人が億劫なため、景色がいいところに行っても、人が少ないところにいっても休めないし少しも気持ちが晴れないです 家でも少し休んで回復できたらその分すこし家事をして、また休んで、、 自分の気持ち、考えを見失ったりなにかに強くしがみついたり、てことはあまりない分自分の中ではまだましな方なのですが それも疲れてどこかで耐えきれなくなって支障が出そうです できることなら一度でいいのでどこか、心休まれる場所で。安心できる場所で、なにも考えなくてもいい、なにもしなくてもいい、表の?礼儀やマナーがとりあえずなっていなくてもそのままで受け入れるところで少し休みたいです もともとストレスはたまりづらく自己処理してきたのですがそれも なにかがあまりにもたまり過ぎてなにかがうまく作動してくれないような、、 お金もないのですが、 何かあったときに、疲れたなぁて思ったときにふらっと駆け込めるお寺はありますでしょうか? 少しの間いるだけでいい、よっぽどじゃない限りマナーとかとりあえず一旦おいといてそのままの気持ちでいてもいい場所、少しの間休めるような そんな場所、お寺はありますでしょうか? もしあればそれはどう探したら良いか、どこにあるか知りたいです また外から見た時に門が開いてるところはお寺の中に入っても大丈夫のような特徴などあれば教えてほしいです そんな都合のいいところはなかなかないと思いますがなければないでもちろん構いません、 もし何かあれば切実に知りたいです このような状態が5年ほど続き今までどこに相談したらいいか、またここのサイトを見つけて半年ほど経つのですがなんとなくいいのかな?と思い書き込めずにいました 今もどうしたらいいのかとこれを書きながら涙がこぼれます もう全て停止してもいいかなぁと虚妄もします笑 長々と、読みづらい、どこか文がおかしいとかありましたらすいません

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お寺を移る場合について教えてください

一年前に父が急に亡くなり、本家に勧められるまま本家当主と住職が古くから友人関係としての付き合いがあるお寺(臨済宗になります)にお世話になることになりました。 つい先日、父の一周忌を終え、節目としてお寺を移りたいと考えています。 理由としては、昔から本家筋から難癖や高圧的な行動を受けることが多く、折り合いが悪いという状態にあります。本家と付き合いがあるお寺さんでこれからもお世話になると本家関係で不都合が生じてしまい(この一年で実際に何度かありました)、出来ることであれば避けたいと思っています。 移らせていただきたいと考えているお寺さんには事情などを説明し、受け入れていただくという話はついています。 なので、質問としては、一年お世話になったお寺さんに移らせていただきたいという旨の話をしっかりとつけるべきかどうか。つけるべきであれば電話だけでいいのか直接伺うべきなのか。お気持ちとして包ませていただいた方がいいのか。など、寺を移ることに関して、行った方がいいことなどを教えていただきたいです。 なお、お墓はまだなく、今のお寺さんに遺骨や位牌などは一切預けていない状態です。 よろしくお願いします。

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困窮者はお寺を頼れますか

今までの質問や他の方との問答で、個人的な悩みについて色々助けていただきました。ありがとうございます。 社会的に気になることについても、ここでお尋ねできるでしょうか。 貯金のおぼつかない生活をする中で、もし仕事が途切れて家賃も通信費も払えず情報も頼れる先も見つからなくなったような時、役所でも「まだ働ける可能性がある」「血縁者が存命」などで生活保護が受けられず追い払われてしまった時、行き当たったお寺で助けを求めることはできるのだろうかと疑問を持ちました。考えてみれば、ホームレスのような方をお寺で見かけたことはないように思います。 キリスト教の団体では募金や炊き出しをしているのを知っていますが、仏教ではあまり目につきません。 一部、セーフティネットとなるべく取り組んでおられるところもあるようですが、ネットで名前があがるのは一部の意識の高いお寺の個別の取り組みのように見えます。 歳末ですが、越年、越冬が難しいような方にいま頼られたら、お寺の皆さんはどのように対応なさいますか。 個々のお寺でなくても、困窮した人を現実的に助けているような場所、団体を紹介なさったりすることはあるのでしょうか。 せっかく公開の質問ですから、私だけでなく、今ネットは見られるにしてもいつ厳しい状況になるかわからないような人みんなのためと思ってお答えをいただければと思います。 これは厄介な質問と思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。

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今のお寺はもう駆け込み寺ではないのか?

鎌倉の報国寺住職であられた菅原義道氏(故人)の本を数冊読みました。禅宗の僧侶だったことですので、以下老師と呼ばせて頂きます。老師は著名な僧侶だったらしいので、現在の僧侶のなかにも老師の著書を読まれたり、直接謦咳に接された方もおられるでしょう。 菅原老師のご著書を読んで感慨を深くしたことは、(少なくとも)菅原老師の寺院は「駆け込み寺」としての機能を持っていたことです。ご著書の中にこんな部分がありました。「自分の寺の境内で女子高生らしき若い女性を見つけた。深く悩んでいるように見えた。お寺に救いを求めて訪れたのだろうと思い、『さあ、さあ、そんなところに立っていても寒いから、中に入ってお茶でも飲まないか?』と言って寺の中に入れ、彼女の話を聞き始めた。」 今、こういうことをして下さる菅原老師のようなお坊さんて居るんですかね?少なくとも私は今まで一度も経験はありません。寺を一人で訪れたことは数十回もありますが。。 率直で恐縮ですが、今の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。人が死んで葬式を行い、それでお金を稼いでいるという意味ですよね?(はっきり言えば) なんでこんなことを聞くのかと言えば、私一年ほど前に近隣の浄土真宗の寺院の住職にお会いしたかった。仏教を学ぶ手ほどきも受けたかった。でも、メールを送っても電話をしても何の連絡もなかった。「お忙しいでしょうから、お手すきの時にお電話でもメールでも返信をお願いしたい」と伝えたのにも拘らずです。その浄土真宗寺院には、もう連絡する気も訪問する気もなくなりました。 今のお寺には菅原義道老師のお寺のような「駆け込み寺」的な要素はもう期待できませんか? 住職に面会を求めて何かの悩みを相談できるような雰囲気はもうありませんか? このhasunohaに登録されている僧侶の皆さんであれば、菅原義道老師のような方がおられるかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか? それとも今の仏教はもはや「葬式仏教」に堕してしまったんですか? 少々辛口になってしまいましたが、忌憚のない意見・質問を述べさせて頂きました。ただ、”私のように考えている日本人は決して少なくない”ということを忘れないでください。

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