hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「坐禅について」問答(Q&A)一覧

禅やマインドフルネスについて

いつもお世話になっております。この度は、禅やマインドフルネスについての質問でございます。 当方、少し大きな壁や課題があると途端に不安になり、焦ってしまいます。これまで失敗経験が幸か不幸か少なかったこともあり、極度に失敗や叱責を恐れています。失敗を恐れるなとは言われるのですが中々難しいですね…。 最近は、友人の助言もあり、人に言われたことは大半は受け流して、自分が改善すべきところだけを取り出して改善していくこと、人の意見を過敏に100%受け取らないこと、これを意識していこうと頑張っています。 このような不安定な経緯もあり、またこれからの生き方を漠然と心配し、色々な本で禅や、そこから派生したマインドフルネスというものを少しですが知ることができました。将来への焦りや苦しみは、今ここに極度に集中すると消えて、結果的に人生がうまくいく、というものだったと記憶しています。読んでいて私はなるほどと思いました。焦っている時は何事も手がつけられないというのには覚えがあります。 一方、生きていればもちろん誰でも様々な苦難が降りかかります。時には圧倒されそうな困難もやってくるかもしれません。それをも今に集中することでただひたすらやるべきことをこなしていくとすれば、このプロセスには理論上、焦りや苦しみといったものは存在しないものなのでしょうか。なんだかちょっと信じられない自分がいます。 また、もし苦しみがないのなら、苦しみを経験しない人生ということになると思いますが、苦しみがない人生というのも、なんだか不思議とそれでいいのか…?という疑問が湧いてきました。 自身が禅やマインドフルネスを知って日も浅いため、理解が生半可で的外れな質問になっている可能性はありますが、迷える大学生にお教えいただけたら幸いです。 ここからは質問ではないのですが、率直な気持ちとして、禅やマインドフルネスは、大変魅力的な考え方だとおもうのですが、あまりに自分が短いながらに生きてきた価値観とは違って、心からまだ受け入れられていません。でも、心の底では、このような生き方ができたらな…と羨む思いがあります。

有り難し有り難し 46
回答数回答 2

一体、何を第一に尋ねたらよいでしょうか?

5月末に、坐禅会に行くのですが、情けないのですが、何を尋ねようか考えあぐねています。 そのお方の坐禅会は、3ヶ月待ったもので、 決して少しでも無駄にしたくなく、有意義なものにしたいのです。それならば、大分前から考えられただろう!と思われると思いますが、 ある程度は、質問を纏めたのですが、いまいちパッとせず、煌めかないのです。 なぜ坐禅会に行こうと思ったかというと、随聞記に自分で正しいと思うところがあっても、 もっと正しいところがあるかも、しれぬ。広く師僧たちにも尋ね、先人の言葉なども調べてみるべきである。と書いてある事と、僕の師事している方も、色んな方に会って、尋ねるのがいいよ!と言った事です。 もう一つあって、今、思うところ、僕は、すぐに自惚れて得意になり一つの見解に落ちて、それで人や物を見て、聖や凡に振り分けていたけれども、そもそも何に気付いたかといえば、 鳴かぬカラスはなんとでも鳴く、鳴らぬ屁はなんとでも鳴る。 人に、カラスの鳴き声は、どんなもの?と、尋ねれば、人の数だけのカー!!が、あるでしょう。一人一人が鳴き声を思い浮かべ、それは異なります。カラスの鳴き声は、このようなものだ!と、持ち込んでも実際の鳴き声はその瞬間だけのものです。 過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得という実際、僕らの有りように気付いたのに、後から頭で分別し、悟った立派な人と、悟らぬ凡夫という具合に分けていたのです。 今、私には凡人も別格の人もおらず、ただその人が見えます。誰にも鎖など、ついていません。既に救われております。 大海という土壌の上に波が立ち、風という縁で波という僕らが生まれて、やがて波の一つ一つも大海という仏に還る、といった具合に考えていたけれども、それは大間違いで、 僕らは初めから、波などではなく、大海どころではなく、どこまでも際限のない無限の広がりそのものであり、陽光が照らす花そのものだった。 宇宙に比べて人間は、ちっぽけである。と人は言うが、あなたが宇宙そのものだとしたら、どうか?今から目指して成るのではなくすでにそうなってあるのだと、今、世界中で起こっている争いに限らず、僕らの苦しみが、世界中のいわゆる悲劇は、ほんの些細な勘違いによるものだとしたら、なんと悲しく哀れに思う。自惚れているかもしれませんが、僕は、仏法以外に人の世が、救われる方法は、ないと思います

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

坐禅中に線香の燃える音が聞こえるようになったんですけど・・・

耳が良くなったのか僅かな音にも過敏に反応してしまう。 自宅にて坐禅していると、隣人のTV音や家族の生活音一つ一つで集中が途切れてしまう。 必要なら山のような閑静な場所で坐禅したほうがいいでしょうか? それともこの程度の生活音で掻き乱される程度なら、まだ大して集中も出来ていませんでしょうか? 後、良い事も多くありました! 坐禅を終えて体を見ると、目やには出てるし、耳くそは溜まってるし、 鼻頭からは粉が出てくるし、歯には歯垢が出てきて、首元にも垢が… 本当に肉体は不浄なんだなぁと気付けた事ですね。 爪が僅かな間にも伸びていて、悩んだりしてもお腹は空くよなぁ、と。 食事で幅を広げると、目で見るモノ、耳で聴くもの、鼻で嗅ぐもの等も、 よく節制して気を付けないと、食物を食べる時同様、毒を除くように、食べ過ぎないようにしなければ病気を招いて苦しむんだなぁと気付けた事です。 一度、食べ過ぎで救急車に乗った事があります。20歳です。 酷い状態でした。嘔吐が止まらなくて寒気がすごい。 布団の上でのたうち回っていました。 「これは生まれて初めての痛みだ。とんでもない病気になったんだ…」 と言っていたら、救急隊員さんは「生まれて初めてか」と笑っていました。 お医者様に掛かりますと、「よくこんなに食べれましたね!」と驚いていました。笑っていました。腸が凄く荒れているから当分は食べるな、と。 思うに、肉体が食べ物を多く消化しようとして他の機能が弱まったから寒気がしたり震えたのかな、と。貪りが強いとこんな目にあっちゃうんですね。 世間でいう楽しみには、不安や悩みが憑き物だな~って(笑) 豪遊すれば、いずれお金が無くなるのが怖くなったり、 王様のように偉くなったら、命を狙われて自由に歩けなくなったり、 若さを自慢に服装等に凝りだすと年を取るのが異常に怖くなったり(笑) どこかで欲を満たそうとすると、ツケが付いて回るから求めて走り回らず、 ドカッと落ち着いて坐っとこうと思うようになって多少は余裕も出ました。 坐禅することで落ち着いて物事を見れる、行えるようになりました。 間を置けるというか、すぐに飛びつくことはなくなりました! それもこれも、坐禅会に参加してお坊さんとの縁があったからでしょう! 素晴らしい事です。もっともっと坐禅会が流行って、多くの人に仏縁が出来ればいいなぁと思います!

有り難し有り難し 11
回答数回答 1