春に父が癌で他界しました。 母とは10年ほど前に離婚しています。 私は父がパートナーと入籍したことを亡くなる数時間前にご病室で知りました。(パートナーとして亡くなる3ヶ月前に初めて紹介されました。付き合いは2年ほど前からあったようです。) 父が入院したときも通院している時も、後妻の姿は見たことがありませんでした。 叔母(父の妹)や従兄弟は入籍を知っていたようで、病態が悪くなる前にも2人の住む家を訪ねたりされていたようです。 私には兄弟がいるのですが、兄は父との入籍に関して後妻と言い争いをしたことがあり、弟は叔母との関係性が悪く、2人とも看取りや葬式にも参加しませんでした。 私は後妻とは一度しか会ったことがなく、叔母と後妻で取り仕切られたお葬式に、疎外感を感じずにはいられませんでした。 私の思いとしては、正直、後妻がいなければ、兄弟で看取ることができたのに...という思いもありますが、父が自由に生きた証であり、父が幸せであったならそれでいい、と心を入れ替えるようにしています。 父の死後、父に負債があることがわかり、後妻や従兄弟と連絡を取る中で、叔母や従兄弟は後妻の肩を持つような言い方で、私の兄弟の悪口を言われます。 私は兄弟のことが好きなので、とても傷つきました。 父は癌を患っていたので、予期できた死ではあるものの、やはり悲しく、辛く、泣き崩れました。 そのような不安定な感情のなかで、予期せぬこと(父の入籍、負債、親戚からの悪口)が次々と起こり、思考力がおかしくなっています。 日常生活や仕事において、自分で正しい判断ができなくなっていたり、人の顔色をうかがったり、自分の悪口を言われているのではないかと必要以上に気にしたり、とても苦しいです。 どのように気持ちの整理をすれば、前向きになれるのでしょうか?
最近楽しいことを考えようとするとマイナスのイメージが浮かんできます。家族が死ぬことなど悲しいことを考えてるうちに死が怖くなってしまいました。あとどれくらいいられるかばかり考えていてとても苦しいですどうすればいいのでしょう。死について前向きになれたらいいのに
3週間前の早朝、 異変を感じて朝起きると旦那さんの心臓が止まっていました。 その日から3週間も頑張ってくれましたが力尽きました。 お腹にはもうすぐ9ヶ月になる命が宿っています。体外授精でようやく授かった命です。 昨日、告別式が終わり、本当にいなくなってしまったんだ…と、今までで一番辛い朝でした。 この先どうしたらいいのか、助けてください。
先月、実兄が51歳で亡くなりました。突然死でした。 2年前には実父が81で亡くなりました。 父は30代の時、交通事故に遭い 手足が不自由になり 仕事も出来ず1日中家で過ごす日々でした。亡くなる数ヶ月前に骨折してから寝たきりになました。 何の因果が?兄も 30代で大事故に遭い 手足が不自由になり、入退院を繰り返し通院も1日置き位でした。また、亡くなる数日前に骨折をしました。 2代続けて事故、片足が悪く歩くのも大変。 という状況に ある方が、 「ご先祖様が怒ってるんじゃないの? お祓いでもすれば?」と言われました。 でも私はご先祖様って そこまで子孫を怨むと思いませんが、お坊様方はどの様に思われますか? 仏壇にはちゃんと手を合わせました。 父、兄は 足が悪いのでお墓参りは、なかなか出来ずにいました。それが、悪かったのでしょうか? また、父、兄を亡くし なんとも言えない気持ちで、泣いてばかりです。 この歳になって いつまでも泣くのは変わり者ですか? 兄嫁や、兄の子達、母の方が悲しいとは、思いますが、私も泣いてしまいます。
何度もアドバイスお願いします。 今週始めに、実の母が亡くなりました。 80歳でした。 ここ、何年か前から認知症になっていて、でも 私が面会に行くと「〇〇来てくれたんか?」 って、分かってました。 施設に入ってたんで、 多分亡くなっても大して寂しくもない!!って 思ってました。 でも、やっぱり毎日が寂しくて、寂しくて、 でも、最期の顔が綺麗な本当に寝ている様な顔でした。 でも、母は私の息子の夢に出て来たり、息子の体を触ったりするのに、 私の前には、現れてくれません。 毎日、蝋燭とお線香炊いて母に話かけてるけど 母に逢いたくて、母の気配を感じたいのに 49日過ぎたらもぅ、逢えなくなるかもって思ったら、更に寂しく辛さが大きくなります。 ただ、母に逢ったら 「こんな、突然のお別れは嫌や、もっともっと 一緒にいたかったのに」って言いたい。 49日は、色々な人の所に行くって聞いたこと あるんですが、やっぱり 寂しいって言ってると来てくれないんですか? 今は、毎日自分の家の仏壇に手を合わせ 母が好きやった物をお供えして、 「もっと、ああして挙げたら良かった。こうすれば良かった。ごめんね」って話かけてます。 母の為に私はこれからどうして行ったら良いか どうか、アドバイス宜しくお願いします。
今回は納骨のご相談をとも思っていたのですが、質問がなかなか出来なかった事もあり(苦笑)、他の方への回答を拝見し、自分の中で解決を付けました。 入籍の際、彼が私の籍に入っても良いという事でしたので、その時は深く考えもせず、我が家の籍に入って貰いました。(私の怠け癖の為、書類等の手続きが面倒だったので)が、彼は二度目の結婚、前のご家族に何の連絡もしていなかったようです。 ご家族としては棄てられたという気持ちが強かったと思います。それでも、息子さんは、ご自身の結婚の報告、彼の葬儀にも列席してくれましたが、分骨の必要はなし、彼が墓守をしていた養家のお墓を守るつもりは無いので、お寺様には私のほうから連絡してほしいとの事。 彼の遺骨は私共の菩提寺に納骨することに致しました。幸い兄も「仏さまになったんだからなんの遠慮がいるものか」と言ってくれているので、(他の兄家族の中には不満もあるようでしたが、)私も兄の言葉に甘え、これからも彼の供養をしてゆきたいと思っております。 彼は赤ん坊の時に養子に出され、養家の墓守をしておりました。両養子(血の繋がりが無い)の弟さんとは、十数年来、音信不通。今回司法書士の方の尽力で連絡を取ることが出来、養家の墓守をしていただくことが出来ました。(もしも弟さんが見つからなければ、どちらの菩提寺に納骨するべきかを迷っておりました。) 養家の菩提寺のご住職様はどのようになるのか心配をしていたので、なんとか丸く収まり、安堵いたしております。 まだまだ彼に対しての罪悪感はあります。 が、考えてもわからないことはそのままにしておくしかない。彼はもう居ない、これからは彼と一緒になる前の自分のように全て自分で決定してゆくしかない。(涙) まだまだ自分の気持ちも色々揺れておりますが、11月からアロマセラピストの資格を取りに行き、私に出来ることで(あまりムキにならずに)、他の方の役に立つことをして行きたいと思っております。 これもひとえにこちらのhasunohaの御坊様達の教えのお陰です。ありがとうございます。 写経、禅(明日は井上老師の坐禅会)、は菩提寺にて続けてゆくつもりです。
以前にもこちらで質問させていただき、温かいご回答をいただきました。 息子が亡くなって、2ヶ月半になります。もし生きていたら、明日で生後3ヶ月になります。 日々の気持ちの浮き沈みが激しく、生きていることに疲れてきてしまいました。 産休も終わり仕事にも復帰しなければいけないのに、朝起きると辛く、結局ズルズルと休みが続いている始末です。 前向きに頑張んないと亡くなった息子が心配する、と心では思っているのですが、気持ちと体がついて行けないです。 仕事を休んでいる罪悪感もあります。 ずっと引きこもっていては良くないと思いながらも、何かをする気にもなれません。 ふと息子の写真を見ては、産まれた日のことを思い出し、涙が出てきてしまいます。 戻っておいでと、そればかりです。 一体こういう日々がいつまで続くのだろうと、最近はもう疲れてきてしまいました。 周りの友達は出産ラッシュで、職場には育休から復帰した仲間もいます。 気使って、会おうと言ってくれるのですが、とてもそういう気持ちになれません。 私はこの先どうやって過ごして行けば良いのでしょうか。 長く、悪い夢を見続けている気分です。
先日、祖母が亡くなりました。 祖母とは、小さい頃から毎年夏休みになると帰り、一緒に過ごしていました。 私にとって祖母は優しく、大好きでした。 しかし、10年ほど前から会わなくなりました。 原因は祖母と母の仲が悪くなったからです。 大好きだったのに、色々な事情でずっと会えていませんでした。 最期も会えませんでした。 会えたのは、お骨と遺影だけです。 可愛がってくれて、私には大切な大切な人でした。 なのに、ずっと会わずじまいでした。 今となっては、なんで会わなかったんだろ。 また、いつか会えるだろ。って軽く考えていたこと。 なにもしてあげられなかった。 と後悔ばかりです。 後悔で毎日毎日泣いて、苦しいです。 遺影に手を合わせても、ごめんね。としか言えません。 親は 「あなたがそんなに泣いてちゃ、おばあちゃんは成仏できないよ。」と言われます。 成仏して、あの世で笑ってほしい。そう思います。 でも、涙が止まりません。 後悔ばかりです。 祖母の死を受け入れられません。 どうしたらよいのでしょうか。
今年6月に母が亡くなりました。 母とはとても仲が良く、毎日の様に会っていました。孫をとても可愛がってくれて、私の2人の息子もおばあちゃんのことが大好きでした。 いつも元気で寝込むことなどない母だったのに、ちょっと体調が悪いと病院で検査すると末期の膵臓癌で、そのまま2週間で亡くなってしまいました。 まさかこんなに早くとは思わず、いっぱい話したいこと、伝えたいことがあったのに、何ひとつ伝えることが出来ずに亡くなってしまいました。 何でこんなになるまで気付いてやれなかったのか、どうして助けてやれなかったのか、いつもこんなに近くに居たのに。 後悔ばかりで、狂いそうです。 いつも、自分のことより人のことばかり心配していた母を私は1人で死なせてしまいました。 私は母に頼りっきりで、親孝行など何もしていません。 最期に「ありがとう」すら伝えることができなかったのです。 私も2人の息子の母なので、頑張らなければと思うのですが、気分が沈んで何もする気が起きません。 とにかく母に会いたい。 母のところへ行きたいとまで思ってしまいます。 母の死を受け入れて、前向きになれる日がくるのでしょうか? 助けてください。
先日、祖母(母方)が亡くなりました。82歳でした。 祖母とは、小さい頃~高校生ぐらいまでほぼ毎年夏休みになると帰り、二人で生活していました。(祖父は物心つく前に亡くなっていて、記憶はありません。) 私にとって祖母は優しく、甘い甘い人で大好きでした。 しかし、10年ほど前から会わなくなり、家族の中でも祖母の話はタブーのように誰も話さなくなりました。 ハッキリした原因は、わかりませんでしたが…母と祖母の仲が悪くなったようです。 私自身も大学生になったり社会人になったりと忙しく自発的に会いに行く事はしませんでした。 たまに思い出すことはあっても、またいつか会えるさ。母と祖母が仲直りすれば大丈夫さ。と軽く考えていました。 そして、先日 母と私が海外旅行に行きました。 日本に帰国すると、父から祖母が亡くなった事を知らされました。 母と私が海外へ出発したその日に亡くなったのです。 もちろん、お葬式などは終わっていました。 急いで空港から祖母の家まで行き お骨と遺影に会えました。 その際、母と祖母が仲が悪かった原因もわかりました。 祖母は、母を含め子供たちにお金を頼んで借りていたようです。 祖母はお金にルーズな部分があったようで 借金や母にお金をせびるような事が多々あり 母は嫌気がさし、絶縁したようです。 泣きながら、あの時はあぁだった。こうだった。と話しているのを聞きました。 娘である母は憎しみしかないかもしれないが 孫の私にとっては大好きでいい祖母でした。 なぜ、もっと会いに行かなかったんだろ。 なんにも祖母にしてあげれなかったな。と後悔ばかりです。 そして、最期に会えなかったのは 祖母が会いたくなかったのかな。会いに来ない孫の私を怒ってるのかな。 と思ってしまいます。 祖母は、私を怒っているのでしょうか? もう嫌いなのでしょうか?
13年前に当時28歳の誕生日を迎えてすぐの姉を病気で亡くし、13回忌をする予定だった昨年10月に父を同じ病気で亡くしました。 姉は発病して1年7ヶ月生きてくれました。当時遠距離恋愛だった彼が姉の元に来るため仕事を辞めて、こちらに住み込み、母とともに姉の介助を引き受けてくれました。最期は自宅で彼の腕の中で静かに息を引き取りました。 死ぬ前の日、彼は介護に疲れたんでしょうか、いつになくきつい言葉で「頑張れないなら、いっそ死んだら?」と言いました。それは彼曰く、生きる意力を奮い立たせる為の言葉だったと言います。 ですが弱っていた姉は「私、もう死んだ方が良いのかな…もういいや…」と弱気になって、母にそう話したそうです。 姉が亡くなり、彼が「死ぬなんて思わなかった。入籍したら生きたいという目標が無くなると思ってた…でもやっぱり入籍しておけば良かった…」と言って、しばらく仏壇の前を動かず、あぐらを組んでうなだれていたことを覚えています。 その彼が、姉が亡くなった三年後、突然やって来ました。妊娠中の彼女を連れて…。 姉と私達家族に結婚の挨拶をしに来たのでした。正直ショックでした。 言葉ではおめでとう、幸せになってと言いましたが…。 彼は仏壇のある部屋に飾ってあった彼と姉の過去のツーショット写真を見て「ここは変わってないんだね。まだ、飾ってあるんだ」と言いました。 母はその言葉に深く傷つきました。時が止まっているのは私達家族だけだったのだと…。 あれだけ姉の為にしてくれた彼には幸せになって貰わなきゃいけない、という想いと 姉以外の人と幸せになろうとしている彼が、報告しになぜ彼女も連れてこなければならなかったの?来るなら一人で来て欲しかった…彼女も勇気がいっただろう…嫌だっただろうなという様々な想いが交錯しました。 彼は仏壇の姉に報告することで、過去と決別し、自分の新しい人生を歩んでいます。 姉はきっと、彼のその人生を応援していることと思います。 でも、この出来事を思い出すたびにまだ辛くなってしまいます。 彼もきっと姉が亡くなってポッカリあいた心の穴を誰かに埋めてもらいたかったのだと思います。それだけきっと、辛かったのだと思います。 姉が選んだ彼の新しい人生を心から応援できる自分でありたいです。なのに…どうすればこの自己中心的な想いを変えられますか?
付き合って半年くらいの彼が急に事故で亡くなってしまい、これからどうやって生きて行けばいいのか分かりません。 彼は彼自身のせいで亡くなったのでないので、考えれば考えるほどやりきれません。 もう死ぬまで2度と彼には会えないこと、考えると苦しみ、さみしさで押し潰されそうです。 彼はまだ若くて、これから行ってみたかった所、してみたかったこと、食べてみたかった物、将来の夢、たくさんあったんです。 私は彼が亡くなってしまったという事が理解できないです。呆然としたまま彼のことを見送りました。これから彼とたくさん会って、もっと仲を深めようって、もっと色んな所に行こうって、そういう話をしてたんです。 毎日彼のことで頭がいっぱいです。 帰って来ないのは分かってるんです、でも理解できないです。良くないとは分かっていながら毎日連絡をしてしまいます。 もっと会っておけぼよかった、あの時こうしていれば彼は亡くなることはなかった、もっと自分の気持ちを伝えれば良かった、後悔してもどうしようもないと分かっていながら、毎日考えてしまいます。 周りには前に進めと言われ、彼のお母さんには頭の片隅でもいいから覚えておいてあげて、つぎの人を見つけて、そう言われます。 私はつぎの人を見つけるつもりなんてないです。 何を質問したいのかまとまっていないのですが私はこれからどうすればいいのでしょうか。 どうやって彼が亡くなってしまったことを受け入れて行けばいいのでしょうか。 彼に何をしてあげる事ができるのでしょうか。 教えて下さい。
家族ぐるみでとてもお世話になった人が、今春亡くなったようで、その事実をつい数日前に知りました。 その方とは、年に一度会う程度だったのですが、会った時にはいつも親切にして下さる素敵な方でした。 訃報を聞いてからは、涙が止まらず、こんなにも大きな存在だったのだと実感しました。 「去年会った時は、あんなに元気そうだったのに」「あの姿が最後だったなんて信じられない」「亡くなったのは嘘ではないか」などと思ってしまい、死を受け入れなければならないということはわかっているのですが、受け入れられない自分がいます。 また、何をしていても、頭の片隅にその方との思い出が浮かんでは、悲しくなってしまうことの繰り返しです。 数年前に祖父母を亡くしておりますので、死と直面するのは初めてではないのですが、今はその受け入れ方がわからずにいます。 どうやってこの死と向き合えばいいのでしょうか。
4年前に母が78才で急死しました。 借金がある事が発覚して、発覚した時は財産放棄出来る時期も過ぎており法的にそれを免れる事が出来ませんでした。 今、その債務の処理に苦しめられており、母を恨んでおります。 もう、金輪際、二度と墓参りに行くまい、と心に誓い、毎日、あの世で更に死ねと恨み言を呟いて毎日を過ごしております。 本当に許せません! この辛い気持ちはどうすれば癒されるのでしょうか?
はじめまして。 昨年の12月に父がなくなりました。 その日の午前まで一緒に居て、出掛けてその日は帰らず、次の日に電話をしたら出なかったのでどうしたのか、と実家に行ったらお風呂場で倒れている父を発見しました。 一生懸命心臓マッサージをしながら、もしかしたらもしかしたら、と思いながら必死で叫び、冷たくなっている父に何度も声をかけました。 しかし、半日は経っているとその後医師の方から言われ、ショックのまま父を見送りました。 それから半年以上経ちましたが未だにあの時の光景や、自分の行動を思い出して苦しくなります。 夜、フラッシュバックを起こしたり、父が1人で逝ってしまったこと、それを私がさせてしまったこと、、 もう父は戻っては来ないとわかっていても、どうしてあの時、、と思ってしまいます。 そして、あの時のことを思い出すとまた同じようなことが起こるかもしれない、自分も近いうちそうなるかもしれない、という恐怖も感じて押しつぶされそうになります。 父が倒れていたお風呂場にもあまり近づけず、実家に帰りたい気持ちもありますが、あまり前向きにもなれずにいます。 この気持ちはいつか、思い出として、私の中で消化出来る日が来るのでしょうか。 本当に本当に大好きでたまらなかった父がこの世にいない事も現実として受け止められない時もあります。 これからどうしたらいいのでしょうか、、教えてください。
付き合って半年程の彼氏が若くして、急に事故で亡くなってしまいました。私は彼が亡くなったという事を受け入れることが出来ていません。 頭では分かっているのですが、理解できなくてニュースを見てもどこか違う人なのではないかと思ってしまいます。 彼が痛くて辛くて怖くてさみしい思いをしながら1人で亡くなったこと、考えると涙が止まらなくなって苦しくてどうしようもありません。 あの時、私が彼に電話をかけていれば、もう夜に出かけないでと言っていれば、考えてしまってどうにも出来ません。 彼にもっと自分の気持ちを伝えればよかったと、もっと会いに行けばよかったと後悔ばかり残っています。 よくないし、もう帰って来ないと分かっていながら、彼に連絡をしてしまいます。 彼に会いたいです。彼が事故にあってからまだ一度も会えていません。すぐに会いに行きたいです。 私は、どうやって彼が亡くなってしまった事を受け入れたら良いのでしょうか、また亡くなってしまった彼に何をしてあげれるのでしょうか、 彼は今、どこにいるのでしょうか、さみしい思いをしていないのでしょうか。教えて下さい。
父の死から9年が経ちますが、まだ受けいることができてません。 父の葬儀の途中で私は疲れなどが重なり倒れてしまいました。 そして実の父の焼き終わった姿を見せてもらえませんでした。 母は、また倒れられると周りの人にも迷惑だからという理由で私に声を掛けず、元夫が呼ばれ母と妹と3人で父の最期の姿に立会いました。 元夫で今は離婚してます。その時も私は元夫とは離婚したくて、その気持ちは母も知ってました。 なのに、どうして血の繋がりもない離婚を考えてる人を父の最期に立ち会わせたのか!? 実の娘である私は声を掛けてもらえなかったのか?という母への恨みの気持ち。怒り。不信感。 そして、その父の最期を見てないので、9年経っても、まだ受け入れられずに苦しみ、涙することがあります。 母と妹ととは、表面的な付き合いだけとなりました。 父の死に対して、どのように受け止めたら良いのでしょうか? そして、これからの母との関係、付き合い方をどのようにしたら良いのでしょうか?
今年の4月に姉を病気で亡くしました。3年前に母を亡くし少し心が癒えてきた頃だったのに今度は姉も亡くなってしまいました。何をするのも何処に行くのもとにかく一緒で仲がとてもよかっただけに辛くて悲しくて涙が毎日止まりません 大好きだった姉の笑顔の写真を見るのが辛くて胸がつぶれそうになります。 一生懸命に前向きに生きてきた姉がどうして40歳で亡くならなければならなかったのかと思うと悔しくてたまりません。 何もしてやれなかった自分に腹が立ちます。 姉を亡くしこの先生きていく意味がわかりません。姉のもとに行きたいと思っても自殺する勇気もありません。 この先私は何を励みに生きていけばいいのでしょうか。
はじめまして どうにも苦しく誰かに教えて欲しいと思い質問致します。文章を書くのは苦手ですが回答を頂けると嬉しいです。 先月の初めに大好きな彼がなくなりました。転落したそうで、短いものでしたが私とご両親宛に手紙がありました。 直前まで一緒にいて、その後もいつも通りに会えると信じて疑わなかったので、どうして何も気付けなかったのだろうと後悔するばかりです。 原因も未だにはっきりしたことは分からなくて、何か困らせてたのかな、私がカウンセリングに通っていたから悩みを話せなかったのかな、他の人と交際していれば今も彼は幸せに過ごしていたのではないかと考えてしまいます。 彼のご家族がとても親切にして下さりお通夜もお葬式も荼毘の時もとても近くでたくさんお別れをさせてくれたのですが、1ヶ月半たった今も全て夢なのではないか、またすぐ会えるのではないかとなかなか受け入れることができません。 彼はいつも他人の事を思いやって自分のことよりも人のことを考えるようなとても優しい人で私の事も何度も助けてくれました。 彼があの世に行って苦しむ事なく幸せに過ごして欲しいのですが、そのために何か私が出来ることを教えて頂きたいのです。 今住んでいる所と彼の実家が離れているため頻繁には行くことが出来ないのですが遠くにいても出来ることを教えて下さい。 また、とても良くして下さった彼のご家族にも負担を少しでも減らすために何か出来ることはないでしょうか。 最後に私の実家が代々お世話になっている曹洞宗の和尚様にお話に行きお経を教えて頂きました。彼のお葬式は日蓮宗の和尚様が行なって下さったのですが、そのお経をへたくそな素人なのですがこれからも読んで大丈夫でしょうか。宗派が違うので心配になってしまって… 長くなってしまい申し訳ありません。回答よろしくお願い致します。
父が亡くなってから一年経ちました。 退職を数週間後に控えた父は会社で倒れ、そのまま亡くなりました。何の兆候もなく当日朝も普段通りに出勤したと母に聞きました。急性心筋梗塞だったことが後で分かりました。 今までずっと働いて育ててくれてありがとう、と伝えるつもりでした。 伝えたかった。妹と退職祝いの企画を楽しみにしていました。 退職後の人生を楽しみにしていた父を思うと胸が詰まり、むなしくなります。 ただただ無念で、今、父がいたら・・・と考えると涙が溢れそうになります。同時に今までぼんやりとしていた「死」が急に身近なものになり怖くなりました。 なかなか、父の死を受け入れることができずに一年が過ぎてしまいました。 苦しくて悲しくてこちらを訪れました。