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「心・体の障害と向き合う」問答(Q&A)一覧

パニック障害は治りますか

私は16歳の時にパニック障害を患いました。そこから高校3年間はなんとか 症状に耐えながら卒業をすることはできました。 そこから大学に行ってこの病気を抱えながらバイトして学生生活を送っていたのですがある時一生治らないじゃないかと思ったときうつ病になってしまいました。 そこから学校にいかず引きこもりがちになってしまい。大学もやめてしまいました。そこから10年近く引きこもりつづけてしまいました。33歳になり今まで発作は外だけでしたが、家の中でも不安や恐怖がコントロールできなくなり さすがに一歩を踏まなければずっとこのままだと思い仕事を探そうと思ってます。 もちろんこうなったことは世間でも親でもなく自分が悪いと思ってます。 これだけ長い間、不安と恐怖をともにしているとなんだが不安と恐怖を 自ら求めているような気がします。考えないようにしても心の奥底には いかなる手を使っても不安と恐怖(嘔吐、混乱、死んでしまう)を考えたい 自分がいてそしてそれを実現しようとしてます。別に自殺願望があるわけ じゃないです。 この何とも言えないこの現象はもう治らないでしょうか? 仕事を始めたらいつの間にか治ってるのでしょうか。今は仕事を探しながら  散歩を始めました。毎日10キロ歩いてます。不思議にも散歩中は呼吸に 意識してると多少考えなくなります。 これはずっと続けるべきですか、あるい病院に行くべきか、どこかのお寺で座禅に一度行った方がいいのか、すぐ仕事見つけて前を向いて生きる方が 手っ取り早いのかアドバイスをお願いします。

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嬉しいことなのに、地に足がつかないです。

先日は、錯乱状態で質問してしまい申し訳ありません。 6月末に発達障害だと検査結果が出ました。障害宣告前はこちらの利用で救われていた部分あり、今自分が前に進めることを回答くださったお坊さんにご報告したい部分もありましたが先日は失礼いたしました。 今日相談したいことは 障害診断が嬉しいのに未だに地に足がつかない自分がいることが苦しい、何かお言葉をいただきたいと思います。 診断は私にとっては泣くほど嬉しいことでした。今までの対人関係のつらさが親や精神科医すらも伝わらず誤解され、傷つく言葉を山ほど言われました。原因の解明の嬉しさが一つ。原因の解明で具合が悪くならず生きられる方法がわかることが2つ目の嬉しさ。自分の進路(医師になりたい・理由ありある大学に行きたい)ということを周りが否定しなくなったどころか、強く肯定し始めました。私が進学希望の大学・職業は発達障害者が多いからです。発達障害者の中で生きれば、生きやすくなるという説明でした。そのために治療と特性生かした勉強法などの指導全ていただけることが3つ目の嬉しさ。今まで周りに溶け込むための努力をしてきたことがはっきりと明示され、その努力ができる知能を持ち合わせること故に障害発見が遅れた。悪化させるための治療を受けていた。治らない原因、傷つく原因もきちんと説明されたことが4つ目のうれしさです。普通ではないという観点で悲しさはなかったです。見える希望があまりにも多すぎたからです。 両親も、その他の医療関係者も、教育関係者も、友人にも、理解してくれて、支えてくれている、そんな毎日が私には今も信じられないです。親や医者すらも理解してくれなかった、ひどい言葉を浴びせそれがトラウマになっていた。 貶されて、ゴミ屑以下の扱い受けて当たり前だったはずの人間が、ある日を境にしっかりと理解され、守られ、支えられ始めた…まるでVIP待遇受けている気分です。10冊以上の本を読んでも、何しても発達障害だとわかっている。だからこそ、この急激な変化について行かれていない自分がいます。希望していた医療を受けられる、サポートが周囲から受けられる、そしてそれをしっかりし初めてくれているのに、周りがしてくれていることに私がビックリし続けていたら、なんとなく、周りに失礼な気がして、どう感謝してよいのかわからないです

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精神科に通院中です。この状況をどう解釈したらよいでしょうか?

子供の頃から現在に至るまで不運が続いていましたが、現在の職場で評価され始めて、何とか人生が軌道に乗り始めたと感じられるようになって来ました。 そんな矢先、胸を締め付けるような痛み、息苦しさ、頭にゴミが入ったような感覚、思考力低下、無価値感、焦燥感、虚無感、めまい、自殺願望に襲われるようになりました。それはそれは苦しい日々でした。 精神科に行って血液検査等を受けて、全般性不安障害と診断されました。薬を服用してから数ヶ月以上経ち、症状は大分治まってきました。しかし完治するのは難しそうで、多かれ少なかれ一生この症状と付き合っていくことになるかもしれません。 普通の人たちにとっては何てことのない日常が、苦しくて仕方がありません。この状態について、私は、自分の人生を見つめ直す好機に恵まれたと感じられることがある反面、何か前世で犯した罰を受けているような暗い気分になることもあります。 もし後者が正しいとしたら、私は死ぬまでこの苦しみを耐え忍ばなければならないのでしょうか。私は何か悪いことをしたのでしょうか。この苦しみは因果応報、自業自得で、逃れられないのでしょうか。仏教の観点からこの状況をどのように解釈したらよいかご教示いただければ幸いです。

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