人間不信(?)でありながら、孤独が辛い
私が生きていて辛く苦しいと感じてしまう原因を考えてみたときに、「人間不信(?)であるにも関わらず孤独の寂しさは耐え難いと感じてしまう、矛盾した精神構造」が原因の1つとしてあるのではないかと思いました。
私は過去の経験からも、「人の心」をイマイチ信じることができません。
例えばですが、
・夜眠る前の私は、明日は早起きしてランニングをしようと思っていたのに、朝に目が覚めた私は時間ギリギリまで二度寝をしようと思いました。
・デートの帰り道、彼女は私に「心からあなたのことを愛してる」といいましたが、翌日彼女は他の男に抱かれて私のことなどどうでもよくなりました。
・私が幼い頃、母は私に「自慢の息子だ」と言いましたが、「出来の悪い息子で誰に似たのか」と祖母に愚痴をこぼしていたのを私は知っています。
私が思うに、それらは矛盾していますがどちらかが嘘だということではなく、全て、その時々の紛れもない「本心」なのだと思います。
私は、「その瞬間」だけしか人の言葉や心を信じることができません。
仏教には「諸行無常」という考え方があるかと思いますが、人の心もそうであるならば、どうすればそのようなものを信じることができるのでしょうか。
一方で私は、そのような刹那的な考え方に強く不安を感じます。心細いと感じます。
心から、人を信じたり愛したり、人に信じられたり愛されたりしたいのです。
いわゆる、「人の絆」を感じた瞬間に、これがずっと不変で揺るぎのないものであればいいのにと、心のどこかで願わずにいられないのです。
・
・
・
話を先へ進めると、この問題を解決するには2つの道があるかと思われます。
1、人間不信(?)から脱却し、人ときちんとした信頼関係を築けるように考え方を変える。
2、他人への執着を手放し、孤独であることが苦痛だと感じないように考え方を変える。
ちなみに、どちらもその方法はわかりませんが…。
若しくは、仏教の教えは「一切皆苦」でしょうか。辛く苦しいことを自然なこととして受け入れるべきでしょうか。
以上、とりとめのない話かとは思いますが、ここまで読んでいただき何か思うところがあればご教示頂ければ幸いです。

有り難し 9

回答 1