hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「考えすぎる・行動できない」問答(Q&A)一覧

回答は、各僧侶の個人的な意見のため公共性を帯びたものではなく、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。

考え過ぎて不安ばかりで動けなくなります。

色々な事を前にして悪い方、悪い方へと考え過ぎて不安いっぱいになります。 まだ始まっても決まってもいない事をあれこれ考えてしまいます。 子供が小学校高学年になります。そうなれば学校役員や子供会の役員、スポ少の役員のどれか、または複数当たるかもしれない現状です。 ジャンケンやクジなどが主ですがスポ少は5年6年でどちらかでやらなくてはならないのでこの春に立候補しました。 私がこんなにも悩んでいるのはまだ1歳の子供がいるからなんです。 主人も多忙で頼れませんし、頼る人もいません。 そして私は「出来ません」とか「無理です」とか中々言えないんです。周りに頼るのも遠慮して下手です。自分でやらなければならないと思ってしまう癖があります。 なので1歳の子供を抱えて役員を引き受けたものの不安で出来るか心配です。 周りの役員に小さな子供を抱えている人はいません。 きっとご迷惑かけるし、イライラしてしまう事、テンパってしまう事が目にみえています。 クジで当たってしまうかもしれない役員も引き受けた役員もまだどんな仕事があるかも分からない今から色々な不安要素を並べ心配、頭の中はその事でいっぱいです。 子供が3人いるのでいつかはしなくてはならないしそんな弱っちーことを言ってられないのはわかっています。 精神的に強くなりたいです。 どうすれば先の事を悪い方に考えず腹を括って頑張る様に前向きになれますか? 気持ちの持ち方、考え方を伝授していただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

私は物事を考えすぎているのでしょうか?

はじめまして。 私は長い間、それこそ中学生の頃から、生きる事について自分なりに考えて参りました。 幼い頃は、生きるとは正しく(簡単にいうと道徳で習うような基本的なこと)在るよう努め、幸せになる事と思っておりました。 しかし、今までを振り返ると、正しさは私の人生において、幸せになる事とは異なる存在でした。 なぜ嘘をつくのか、なぜ陰口をいうのか、なぜ優しくしないのか、なぜ相手の立場に立って話をしないのか、なぜ傷付け傷つけられるのか… これらのある種意味のない疑問を持ち考え続けたことで、大切な人達にも息苦しい思いや悲しい思いをさせてきことがあると思います。実際に、そこまで正しく生きれない、お前を見てると辛いと言われてしまったことがあります… また、私自身も、正しさに執着し過ぎている為か、怒り悲しみを抑え込み、何よりも叶えたい強い望みも、他者の悲しみの上でしか成立しないと思うと何もできず、消化出来ない感情や気持ちとの矛盾で頭と心が度々悲鳴をあげます。 (勿論、抑えきれないない時もあります。その時は自己嫌悪で悲鳴をあげております…) そんな時にであったのが「人は苦しむためにこの世を生きる。現世で苦しみカルマをかることで、生まれ変わりの輪から抜け出すために人は生きている。」という一文でした。 おかしな話ですが、とても救われたきがしました。幸せにならなくて良い、正しさを求め苦しむことは、間違いではない、と言われた気が致しました。 ただ(だいぶ長い前説となってしまいましたが…)本当に根本的な事なのですが、正直、ここまで考えて生きる必要があるのか、疑問に思う自身もおります。 身近な人たちにこの様な話をすると、そこ迄考えなくて良いと言われてしまいます。 私は…考えすぎなのでしょうか? もう少し気楽に、幸せを求める方が健全なのでしょうか… (ただ、私は現在も決して不幸ではなく、むしろ感謝がつきない日々を送っておりますので、幸せと言う言葉には少し語弊があるかもしれませんが…) 長文の割りにあまり意図が伝わりにくい内容となってしまい申し訳ありません。なるべく素直に頭の中の言葉を書き出させて頂きました。 ご意見をお聞かせ頂けましたら幸いです。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 41
回答数回答 4

考え方の癖が抜けません。

もう10年以上前のことです。父親のアルコール依存症と機能不全家庭の問題で、家庭が崩壊しました。 今は平和な生活をしてます。 悩んでいるのは考え方の癖が抜けないことです。 家庭崩壊して一人暮らしをしているとき、過去の記憶がよみがえり苦しくなった時、 父親が早く死ねばいい、アルコール依存症の平均寿命は52歳だから もう死んでるはず。と考え、恨みと悲しみと悔しさと、自分にはなにもできないという、負の感情がないまぜになった状態でした。 寺社におまいりして思うことは、何もできず、逃げ出した私を赦してください。 ある時、願いが通じたのか 街中を自転車で走っている時、道の向こう側から呼び止められ 振り向くと父親がいました。 お酒がぬけた顔で、こざっぱりした服装で、両手を前に丁寧に組み 少し嬉しそうな顔をしながら会釈をしていました。 私は逃げました。罪悪感と無力感を抱いていたけれど、 父親はこれからの私の人生に必要ないと確信していますから、 それきりです。 変な話ですが、父親の姿をみた瞬間、私は神仏に赦された気がしました。 私がいようがいまいが、父親は立ち直っているよ、と 会わせていただけたのだと思います。 逃げていいんだ、大丈夫。 赦されたんだ、大丈夫。 しばらくそう思って、平穏な感覚を持てていたのですが、 長年の負の感情がまた出てくることがあります。 罪悪感と無力感。 単なる考え方の癖なんだと思ってはいるのですが、 どうにもうまくいきません。 どうすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3