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「供養全般」問答(Q&A)一覧

2022/06/09

改葬による閉眼供養 しなくてもよい?

現在の菩提寺から祖母の改葬をしている最中です。 菩提寺の住職が改葬に応じなかったため、やむを得なく弁護士に依頼し、手続きを進めています。 2ヶ月かかり、ようやく遺骨引き取りの約束まで出来ました。 あとは弁護士に引き取りに行ってもらうだけです。 弁護士に依頼する前も、脅すようなことを言われたり、仏壇の前で亡くなった人の悪口を言ったり、お金の話ばかりしたりと散々で、今後、こんな人に法要をしてもらいたくなく、私の父の菩提寺に改葬しようと家族で決めました。 このような経緯があり、元のお寺の住職にはもう二度と関わりたくありません。 弁護士にも嘘をついてこちらが悪いから誤りに来いとも言っていたようです。 遺骨引き取りの日が決まるや否や、今度は「閉眼供養はどうするんだ、しないのは冒涜にあたる」と弁護士を通じて脅してきました。こちらは弁護士に一任しているので会うつもりはありません。 しかし、閉眼供養をせず、改葬をしてもよいのかと迷っています。 父のお寺のお坊さんは、必ずしなければということはないと言っています。 改葬後のお寺では、きちんと供養をしていただく予定です。 このような事情がある場合、閉眼供養はしなくてもよいでしょうか? アドバイスなどありましたら、よろしくお願いいたします。

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2022/03/27

故人の写真と飾るお花について

こんにちは、お世話になっております。 数ヶ月前に身内が亡くなり、最近やっと少しずつ環境や心の状態が落ち着いてきました。 その方のお仏壇はその方の家(現在は配偶者の方が住んでます)にありますが、それとは別に自分の部屋に写真とお花を飾っています。 お線香は頻繁にあげているのでお仏壇の代わりではなくその方との思い出を飾っているような感じです。 質問は、お花についてです。 前まで生花を飾っていたのですが、仕事の関係でお世話が出来ない日があったり、週末は家を空けてしまうので枯らしてしまうことが多く…枯れていくのを見届けるのも悲しくて、個人的に好きなドライフラワーをお花屋さんに作っていただき飾ろうかな と考えているのですが、お仏壇ではなくても故人に向けてドライフラワーをお供えするのはあまり良くないことでしょうか? 時間が経っても劣化はあれど変色したり枯れることはないので、生花のお世話が出来ない時にドライフラワーを置いてみようかなと思っています。 元は生花ですが加工されていますし、ドライというのも少し縁起が悪いかな?と不安もあります。 やめるべきかどうか、お坊さんのご意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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2022/03/18

供養と四十九日の考え方について 

先日、母が急死しました。私は近くで暮らす娘です。近々仕事を辞め、その後は年老いた両親に寄り添っていこうと思っていた矢先のことでした。 母の葬儀の後、私はコロナに感染。退職の日が迫り後任への引継ぎもあり、母が亡くなってからの1か月は自宅療養と引継ぎにすべての時間を割き、ろくな供養もできぬまま過ごしました。やっと退職となった翌日、今度は父の体調が急変。手術をして今も入院中です。 私が療養と仕事に専念し父では準備が進まなかったこと、コロナ禍で墓石の準備が整わない事情、急な別れだったからこそ父不在ではかわいそうとの思いなどから四十九日の法要は延期。墓の完成と父の退院を待って法要や納骨を行おうと考えています。いたしかたなかったとはいえ実の娘から充分な供養を受けなかった母、四十九日の法要を勝手に延期された母は成仏できないでしょうか。今になって毎朝水やお茶や炊き立てのご飯を備えたところで四十九日までにできていなかった罪滅ぼしにはならないでしょうか。「申し訳なかったね、今からでも供養させて」と手を合わせるのは身勝手でしょうか。 また妊娠中の娘から「安産祈願へ一緒に行こう。そのあとあちらのご両親とお食事でも」とお誘いを受けています。四十九日…日数は過ぎていますが、実際に法要や納骨はまだなので、事情を話し、ご遠慮した方がいいのでしょうか。

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2022/02/07

親族ではないけど、供養してあげたい

血は繋がっていないのですが、産まれた時からお世話になっていた方が亡くなり、7日ごとにお祈りしたいのですが、血縁者ではないため初七日等に参加出来ないです。 でも本当に大好きなので、お祈りしてあげたいのですが、7日ごとにお参りに行くのもスケジュールの関係で難しく、その場で故人のことを想いながら手を合わせるだけでも想いは伝わるのか不安で、今回相談させていただきました。 また、これから四十九日や命日が訪れることになるのですが、血縁者ではない身として、 どうやって故人に想いを伝えるのが1番良いと思いますか? 血縁者ではないとは言え、家族ぐるみで仲良くさせていただいていたので、言えば参加させてくれるような気はするのですが、迷惑だろうなと気になってしまいます。 それに学生になってからは、 あまり会えていませんでした。 去年、私の祖母に「そろそろだと思うから会いに行ってあげて。あなたに会いたいって言ってたから」と言われ、久しぶりにお家に行きました。それから何回かお邪魔してたのですが、今月亡くなりまして、ショックがおさまらないです。 久しぶりに会ったので、正直ご遺族の方との距離感にも悩んでおります。 お忙しい中申し訳ありませんが、ご回答お願いしたいです。よろしくお願い致します。

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2022/01/27

俗名で供養するのは間違いでしょうか

2週間前に母を亡くしました。 いざ葬儀の際、父は菩提寺もなく檀家でもない、お墓も持っていないこと(父は次男で実家から距離もあるので)、私が生前の母とテレビを見ながら「戒名は何十万もして高いし、私はこのままでいい。お墓も高いから…」と話してたこともあり、俗名のまま、宗派も決められないので葬儀屋さんからそれでも読経して頂けるお坊さんを呼んで頂き葬儀を行いました。 2月末には四十九日ということになりますが、その前に悩んでいるのが、 このまま俗名で供養できるのか?ということです。 母の言葉通りであるなら、戒名は不要なのかもしれません。 私自身も、母と同じ考えで自分に戒名は不要だと考えているので、母の気持ちは理解できます。 ですが実際に母が亡くなって、しっかりと供養してあげたいと考えるようになったことで、白木位牌から本位牌に代わる際、俗名のままでいいのだろうかと不安になりました。 家族は、母がいらないと言ったならつけない方がいいのではないかとも言います。 心配なのは、 俗名のまま、本位牌を作成して開眼供養して下さるお坊さんはいらっしゃるのかどうか 葬儀は読経して頂けたけれど、宗派もわからぬまま四十九日はどうしたらいいのか。 お恥ずかしい話です。 全く仏教に関する関心や信仰心等無かったのに都合がいいかもしれません。 自分にとっていい部分だけ切り取ってすがろうというのもばち当たりであるとも思います。申し訳ありません。

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2021/08/16

考えの違いを受け入れる方法

故人を受け入れていくことや思い出を大切にしていくことは本当に大事なんだなと、お盆を迎えながら気付くこの頃です。 家族の初盆を迎え、残った家族それぞれの考えの違いが顕著になり、少し戸惑っています。子ども時代を過ごした中で、亡くなった家族は父母としての役割を確かに果たしてくれたはずなんですが、父母は当時私たちを祖父母に預けることが多かったようで、私と兄弟は祖父母を父母のように慕いながら育ってきました。 私自身も父母との確執は以前あったのですが、いい歳の大人になったのもあって受け入れられるように少しずつですが、なりました。 ただ兄弟だけが、確執というか、心残りのようなものが残った状態で生き別れてしまったようで。亡くなった家族に対してあまり心を開けないままになっているようです。確かに葬式などを過ごした中で悲しみや悔しさなどはあったのですが、あまり深い思いがないような心地がする様になったと。 母は、父が亡くなってからは受け入れるのに必死で。私と何かで衝突する時があったのですが、その際に今までのことがプツッと切れてしまったのか、子どもにように泣き出してしまって。 必死に父のことを受け入れたかったようで、今まで誰にも言えなかったようです。私はそのことに全く気づかず、母が今社会と切り離されたような生活をしていて孤立(専業主婦のため)していることに焦りと不安があり…。趣味など見つけようとしない母を問い詰めたり、何か始めたらいいのにとなじったりする始末です。 残った家族の関係性や、亡き故人への思いの違いがよりはっきりしてきて、そのことを受け入れるのに不安と怖さがあります。 兄弟がまるで非協力的に思えてしまったり(母に対してもあまり思い入れがなく)、私と1人の親戚のみが唯一母に対しても心開いて接することができるような状況です。この先どうなってしまうのだろうと、急に不安で。私自身、仕事にようやく慣れて自分の生活を再開できるようになったところです。 不安なことが多く、誰にも打ち明けられないのも現状です。何かアドバイスがあったらとすがる思いです。長々とした文章を読んでいただいて、ありがとうございます。

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2021/08/07

先祖供養はどのような意味を持つのですか?

仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 53
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