台湾の友人の質問に答えられませんでした
先日、台湾の友人にこのような質問をされました。
「台湾の僧侶は肉は食べない、酒も飲まない、女性との関係も持たない、そうやって厳しい修行をしているから尊敬されている。
日本の僧侶は肉も食べ酒も飲み女性との関係も持つ、どうしてそれで尊敬されるのか?一般人と同じじゃないか?」
わたしは仏教に詳しくなく、戸惑ってしまい、彼の質問にうまく答えることができませんでした。
「日本のお坊さんも修行はしていると思うし……それにお酒と肉と女性をやってなければ偉いっていうのも違うと思うし……うーん……」
というような曖昧な返答になってしまいました。
もし、お坊さん自身がこのような質問をされた場合、どのようにお答えになるでしょうか。
ご不快な思いをさせてしまっているかもしれませんが、どうかお答えいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に大切なものは
あみさん、初めまして。
確かに仏教にはよく知られた五戒「不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒」を始め、十善戒や十重禁戒、四十八軽戒など沢山の戒律があります。
属する宗派や宗団、修行時期や期間によって異なりますが、現代社会に生きる多くの日本の僧侶は妻帯し、肉を食べ、酒を飲みます。
明治時代に「肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」とのお触れが出た故、表向きにも自由になりましたが、浄土真宗さんでは宗祖の親鸞上人の教えもあり昔から認めております。
ですが、他宗においても昔から(それこそ奈良時代から)飲酒し、異性と交わり堕落している僧侶もいたり、また寒冷地においては酒を薬として飲む風習もあり一概には守れておりません。
私の属する真言宗では修行中は肉もお酒も勿論女性との交わりも絶っていますが、修行期間が終われば普通に戻ります。
私自身、今でも度々、滝や山に入り個人的な修行をする際は期間を設けて酒や肉絶ち等をしておりますが普段は普通の食生活をしております。
>日本の僧侶は肉も食べ酒も飲み女性との関係も持つ、どうしてそれで尊敬されるのか?一般人と同じじゃないか?
そう私が聞かれるとこう答えます。
『半分は正解ですが、半分は外れています。
日本の僧侶(及び在家仏教徒)は三聚浄戒(さんじゅじょうかい)と云う戒を授かります。
一つは 摂律儀戒 (しょうりつぎかい)悪いことをしないという戒。二つには 摂善法戒(しょうぜんぼうかい) 良いことをしようという戒。三つには摂衆生戒 (しょうしゅじょうかい)他人の為に動こうとする戒。別名、菩薩戒、大乗戒ともいい、大乗仏教の戒律の一つで,大乗の菩薩は出家も在家もともにこれを受持するものです。
またそもそも、戒を授かる意味はその戒を守ることも大切ですが、それ以上に懺悔心(反省する心)を起こすことにあります。また戒の本質とは欲望に盲目的に溺れない(煩悩を制御する)ことにあります。
肉を食べお酒を飲んでいても妻帯していても尊敬できる人、他人を救い他人の為に生きる人は多くいます。逆も然り。
本質を見抜く目。これこそが本当に大切なものです。』
合掌(^人^)
カルチャーショック
うちの奥さんの昔のバイト先は外国人さんが多く、私と婚約していたのでこの手の質問はよく受けていたそうです。その当時、妻から聞いた話です。
「中国(あみ様の場合は台湾)の仏教も東南アジアとかチベット、インドの仏教とは違うでしょ?それと同じように日本には日本なりの仏教があって、みんなそれぞれ違うものなんだよ。日本人の場合はそういうものなんだって思うしかないよ…って言うのが一番。他の国はともかく中国系の人は中国が世界の基準だと思ってるから、細かく説明するよりこんな感じの方が良い。」
キリスト教でもカトリックの神父さんは妻帯禁止で、プロテスタントの牧師さんは妻帯O.K.ですが、最近はむしろカトリックの神父さんの方が白い目で見られている感があります。小児性愛問題で。。。「是か非か」ではなく、「なぜ尊敬されるか」という論点なら明確な答えは出ませんよ。「流行は巡る」が本質的なラスボスですし。
さて、ここから脳みそを柔らかくするカルチャーショックなお話。
本来、肉食を禁止する戒律は仏教には存在しません。「托鉢で得たものにケチを付けるな」というのが本来です。ただ、不殺生の観点から「お坊さんのためにしめられていない」ことは条件です。参考:三種の清肉。だからおすそ分け的な肉とか、スーパーの肉のような不特定多数のためにしめられた肉は普通にオッケーです。
むしろ四分律(しぶりつ)という上座部系最古の規則集には「肉食禁止はダイバダッタ(キリスト教のユダに当たる裏切り者)が言い出したのだが、若い僧侶たちが影響されてしまい困ったものだ」と明記されています。あるいはスッタニパータという原始経典にも「肉を食べることがナマグサなのではない。他人の妻に手を出したり、嘘をつくことがナマグサなのだ」という主旨のことが繰り返し説かれています。
実は中国系仏教は『朝廷の律令(法律)で宗教家の肉食を禁止していました』。仏教の戒律ではなく、国家の法律を守らせることで僧侶を支配したのです。日本もこれを輸入し奈良時代の養老律令、僧尼令で禁止されていたのが実態です。いかに理屈ではなくイメージで尊敬されているかという話です。
戒律が逆に厳しくなっている部分や妻帯も語りたかったのですが字数制限のため割愛
その国々での仏教
こういう色んな切り口のある質問いいですね!
他の方の回答も楽しみですが、私も考えさせられるので参加させてもらいます。
ひとつ思ったのが、日本の坊さんって尊敬されるために僧侶をしているわけじゃない、ということ。
確かに昔の日本では、僧侶は医者を兼ねていたり、政治に参加したり、結果的に尊敬を集めていた方も多いでしょうが、それは「尊敬されたいから」ではないと思います。
仏教の目的は(色々な言い方はありますが)悟りです。
その悟りの道はひとつじゃありません。
禁欲を重視する道もあれば、共に娑婆でいく道もあろうと思います。
日本には日本に適した、台湾には台湾に適した仏教が、自然に発展した結果が今ではないでしょうか。
台湾仏教さんは日本では馴染めないかもしれませんし、日本仏教さんには台湾は暮らしにくいかもしれません。
そこには坊さんがどうこうではなく、もっと大きな力の存在があるんじゃないでしょうか。
でも台湾仏教さんも日本仏教さんも、目指している悟りというゴールは同じなはずです。
何をもって尊敬する人と判断するのか
あみ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拙生自身のことを申せば、還俗もせずに妻帯していることが、「波羅夷罪」(僧団永久追放の重罪)の一つにあたることは、重々にも承知を致しております。
日本仏教の伝統・文化・歴史の変遷を鑑みますと、許容されるべき戒律、時代・社会に適合しないような戒律もあり、一概に、釈尊の時代の戒律を守らなければならないというわけではない面もございますが、どうにも「波羅夷罪」だけは、やや性格が異なるものであるとは思っています。
ですので、自分は、日本では便宜的に「僧侶」ではあっても、日本外部の仏教(特に戒律の厳格なテーラワーダ仏教やチベット仏教ゲルク派など)からでは、「僧侶」ではなく、「在家信者」であると言われても仕方がないとの自覚は致しております。
でも、だからといって、仏教を修習できないわけではなく、しっかりと一在家信者としてでも、できるだけ仏道の歩みを前へと進めていけるように、日々変わらずに修習に頑張って努めて参りたいと存じております。
また、ただ戒律を守っているから尊敬するというわけではなく、僧侶であろうが、在家であろうが、仏教の智慧と慈悲や方便を兼ね備えていきつつ、仏道を確かに歩んでいる者であるのかどうか、尊敬に値する良き人格者であるのかどうかということも併せて、総合的に見ていくことも必要ではないだろうかとも存じます。
どうかご賢察を賜りたくに。
川口英俊 合掌
私としては
日本にも台湾のようなお坊さんもいらっしゃると思いますが、そうではない、いわゆる日本らしいお坊さんが多いのが実情ですね。
私の場合は、お坊さんを目指す前に既に結婚していたこともありますが、それでも、お釈迦様が妻も子も捨てて修行に出たことに比べれば、覚悟が足りないのかもしれません。
自分の弱さ、能力、状況、環境、などにより現世で覚りに至ることを諦めているからかもしれません。
諦めているとはいえ、なげやりになってはいませんよ。できる範囲で努力しています。肉も酒もお坊さんになる前よりは控え目にしています。努力すること自体が修行です。
私はとても尊敬されるようなお坊さんではありませんが、尊敬されるお坊さんというのは、困っている人の相談に乗っている、苦しんでいる人を助けている、悲しんでいる人に寄り添っている、そのようなお坊さんだと思います。
なので、日本には、尊敬されるお坊さんもいれば、尊敬されないお坊さんもいます。
あなたが答えられないのは、私達の務めがまだまだ足りない証拠だと思います。
あなたが自然に答えられるように精進しますね。
浄土真宗の影響だと思います
日本の伝統仏教の宗派で、寺院数、信徒数が一番多いのは、浄土真宗のはずです。
浄土真宗は「無戒」といって、戒律がありません。
在家仏教といって、「出家」をしません。
髪を剃らない、結婚もする、肉も食べる、酒を飲んでもよい。
宗祖親鸞から、ずっとこの形で800年ほど存続してきました。
明治維新以前まで、浄土真宗以外の僧侶の肉食妻帯等は、表向きには禁止でした。
が、実際には浄土真宗以外でも、肉食妻帯飲酒等は、そう珍しいことではなかったようです。
明治維新以後、浄土真宗以外の僧侶の肉食妻帯等も、自由になりました。
それが、すんなり受け入れられたのは、日本には浄土真宗がもともとあったからだと思います。
質問者からのお礼
みなさま、ご回答いただきありがとうございます。
>因速寺 佐藤精徹様
浄土真宗の影響とのこと、まったく存じませんでした。
わたしなりに、浄土真宗の歴史について調べてみようと思います。
ご回答いただき、ありがとうございました。
>圓常寺 聖章様
「努力すること自体が修行」本当にそのとおりですね。
そして「尊敬されるお坊さんというのは、困っている人の相談に乗っている、苦しんでいる人を助けている、悲しんでいる人に寄り添っている、そのようなお坊さんだと思います。 」
こちらのお言葉、大変ストンと腑に落ちました。
肉・酒・女性を絶っていても、困っている人を助けないのではまるで尊敬できませんものね……。
ご回答いただき、ありがとうございました。
>岩瀧山 往生院六萬寺 川口英俊様
本当に、戒律を守っていれば尊敬できるというわけではありませんね。
仏道修行に励み、良き人格者の方であれば、その方が肉・酒・女性とどう接してようとあまり関係なく思いますものね。
次からは台湾の友人にしっかり答えることができそうです。
ご回答いただき、ありがとうございました。
>金剛寺 沙門亮鷹様
私ならこう答える、というお答えの言葉をいただき、なるほどとうなずきながら読ませていただきました。
三聚浄戒というもののことも知りませんでしたので、大変、大変勉強になりました。
「本質を見抜く目」本当に大事ですね。外側の、見えやすい部分だけでは見極められないことを、わたしもしっかり見極めていきたいと思います。
ご回答いただき、ありがとうございました!
>正念寺 日顕様
「悟り」を目的に歩んでいるというお話、なるほどと思いました。
最終的に悟りにいたるための道は、きっと一つではないのでしょうね。
目的に至るための手段は色々……ということでしょうか。
ご回答いただき、本当にありがとうございました。
>大慈様
「脳みそを柔らかくするカルチャーショックなお話」本当にカルチャーショックでした!
本来、一律で「肉は駄目」と決まっていたわけではないのですね。
中国系仏教は朝廷の律令(法律)で宗教家の肉食を禁止していたというのも全く存じませんでした、大変面白いですね(面白がってはいけないのかもしれませんが……)。
「肉を食べない=偉い」と簡単なイメージで理解した気になって、思考停止してはいけないですね。
詳しいお話、本当にありがとうございました。