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僧侶の威厳と戒律

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毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。

私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか?

それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。

「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。

現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか?

ぜひ、ご意見をお聞かせください。

ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。      
私は本当に仏教に救われたと思っています。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

威厳なしも無戒も悪人の自覚から

いつも参考になる質問をありがとうございます。今回の質問も考えようとするとどこまでも深く追求できる難問ですので専門的な回答は各高僧に期待し私からはライトにお答えします。

まず「僧侶の威厳」についてはどうでしょうか?
一つに教育があるのではと感じます。S40年代生まれの世代の大学進学率は3割ほどです。今の世代なら約5割です。昔は村のみんなでお寺を支え、僧侶を大学に送り出し勉強してきてもらったそうです。僧侶は高学歴であったということです。そうなると自然に「ウチの坊さんはわしらのために勉強してきた」と尊敬の眼差しもあったのかなと思います。しかし、今や経済も豊かになり多くの人が教育を受ける時代になった。僧侶=高学歴の図式は完全に崩壊しています。
ついであげられるのが、寺檀制度、それから葬式仏教と揶揄されるような因習の上にあぐらをかいてきた現実でしょう。僧侶たるものが仏道を真剣に求めてこなかった。求めなくともなんとかなったのでしょう。現在は各宗派で仏道を追求する姿勢の回帰運動が取り組まれているのではないでしょうか?

続いて「戒律」についてですが、私は浄土真宗であり受戒はしませんので日本仏教界における現状はわかりません。しかし、浄土真宗においても戒律は「もたなくてもよい」ものではありません。「もてない」ものであるというところでしょう。
仏法に照らされるほどに戒など持てない我が身の姿が露わになります。そこに慙愧する気持ちはもたなければならないでしょう。
また、「戒」とは「行者が修行を全うするために身心を清め整える行為」であり、「律」とは「教団内の平穏と秩序を守るための規範」でありますが、その基本は七仏通誡偈にもみられるように悪を慎み善をなすということでしょう。しかし親鸞聖人も法然上人も仏法を聞けば聞くほど自らの善悪感の不確かさをつきつけられ、念仏こそがたしかな善であることを感得された。善悪感から解放されたからこその無戒です。戒などたもてない悪の自覚です。
また、戒をたもてないと救われないのであれば漁師や狩人は対象外になってしまいます。戒を持つ側も誰かの破戒によってしか戒を持てないということになります。全ての人が救われる仏道のあり方として戒をどうとらえるかは大きな課題であるでしょう。

なお、私自身は戒を「持とうとするあり方」そのものは尊敬しております。
お答えになるかどうか…。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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20世紀は宗教イメージが変わってしまった時代

>日本仏教が戒を重視しないのは(中略)信が徹底すれば、その中に自然に戒が含まれるから、特別に戒を問題とする必要がないという立場からである
>大乗仏教になると戒が止悪、行善の自利行だけでなく利他行の面でも強調されるようになった
(水野弘元『仏教要語の基礎知識』第七章、春秋社)

日本で戒が戒がと言い出したのはおそらく戦後に仏教学が上座部をやたら持ち上げるようになってからです。お葬式も今は授戒の儀式と言われますが、一昔前は引導の儀式と言われていましたね。それをさらにバブル期の視聴率や出版部数さえ取れればヤラセでも嘘でも構わなかったマルチメディアと、初めてメディアに持ち上げられ「悪い勘違いは困るが良い勘違いは構わない」方式で調子に乗った仏教界がストイックなイメージにして広めました。

よくこのように言われます。南方の仏教は「何をしないか」を問い、日本の仏教は「何をしたか」を問う…と。私は禅僧ですが、東南アジアの上座部も修行して実際に見てきました。現地で年単位の長期出家をする一部のお坊さんは戒・定(坐禅や瞑想)・慧(経論の研究)の三学の修行をします。
しかしほとんどのお坊さんは数日から数ヶ月程度の短期出家者で、三学のうち持戒だけでのんびり暮らしています。
しかもかなり教条主義的で「午後は噛むものを食べてはいけないという戒があるが、液状のものを噛まずに飲むのはオッケー」という世界です。これは歴史的に、南方独特の雨季に大雨が来ると1ヶ月くらい平気で仕事がストップするような気質で受け入れられましたが、北方の働き者気質では完全にアウトでした。

そこで上座部の部派では戒が何条かを問い、日本の宗派ではでは只管打坐や専修念仏のような修行方法を問うようになりました。そして布施・愛語・利行・同事の「四摂法」(ししょうぼう)のような実践的、利他的な項目が強調されました。だからここのお坊さんたちも一生懸命hasunohaをやっています。昔の人はそういう所を見て下さいました。
上座部でも最近の人達は利他を目指すようになっていますよ。日本仏教への憧れも強かったです。お互い隣の芝生は青く見えるのでしょうね

禅宗では十六条戒の他に清規(しんぎ)という生活規範があり、これに戒や律が内包されています。禅僧同士で立派かどうか見る時は十六戒ではなく、清規に基づいた修行生活で養われた立ち居振る舞いを見られます

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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木仏長者

 昔、テレビで「まんが日本昔ばなし」という番組が放送されていました。
 同年代なので、あなたもご存じでしょう。

 その中に、「木仏長者」というお話がありました。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=105

 どんな立派な仏さまでも、きちんと拝むことをしなくては、ただのお人形さんです。
 一方で、木でできた粗末な仏さまでも、信仰心を持ちきちんと拝むことでそれは「仏さま」です。

 私たち僧侶も、多くの方々から信仰され拝まれ大切にされることで、威厳がついてくると思います。どうか長い目をもって、私たち僧侶を大切に思ってください。私もその気持ちに添えるよう精進してまいります。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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私としては

私たち仏教徒の目標は覚りに至ることです。
その為の道標であり、環境作りが持戒です。
浄土宗では法然上人が天台宗時代に授かりました円頓戒(十重禁戒と四十八軽戒)を代々弟子達は授かります。
私も伝宗伝戒道場で授かりました。
ですから戒を守ることは基本であります。

しかし、愚かな私には戒を守ることができず、とてもお釈迦様のように現世で覚りに至ることはできそうにありません。
ですから、死んだ後は阿弥陀様に頼り、極楽浄土に行って引き続き仏道を歩み、阿弥陀様や菩薩様のご指導のもと、覚りを目指したいと思っています。
そして、極楽浄土に行く方法は南無阿弥陀仏と念仏を唱えることです。
今の私にとっては、念仏を唱えることが一番大切なのです。
かといって戒を疎かにしてはいけません。戒を守ることは念仏を唱えることの助けになるのです。戒を守ることによって念仏を唱える為の良い環境が作られるのです。
もし愚かな私が戒を破った時は、懺悔偈という偈文を唱え反省しています。

つまり、現世ではできる範囲で持戒し、時に反省しながら、念仏をしっかり努め、極楽浄土で完全な持戒と修行によって覚りに至る。
このように考えています。

お酒は友人と集まった時などは少し飲んでしまいます。ほろ酔い程度ですが。それでも、とてもあなたに尊敬されるお坊さんではありませんね。申し訳ありません。
でもがっかりしないでください。
お酒を全く飲まないお坊さんもいます。
妻帯していないお坊さんもいます。
お肉をほとんど食べないお坊さんもいます。(栄養失調になってから少し食べるようにしたらしいです)
私は私の仏道を頑張ります、あなたはあなたの仏道を頑張ってくださいね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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戒律について

レインボーマン様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

日本仏教の僧侶の場合、いつでも戒律について厳しい批判の目があることは自覚致しております。

三宝帰依は、誠に尊く有り難いことでございます。

ちなみに、三宝の内の「僧」(サンガ・僧伽)において、どう考えても尊敬・帰依できない僧侶もいるでしょうから、全僧侶に対して行うのはちょっと・・と抵抗が生じてしまわれる場合には、「偉大なる尊敬に値する僧侶たち」とされるのが良いのではないかと存じます。

戒律には、絶対遵守すべきものと、努力目標とすべきものと、また、時代に応じて解釈するものなど、色々とあるかと存じます。

基本的には、悪い行いを慎み、悪業を積まず、善い行いに励み、善業を積むためとなっております。

もちろん、中にはどうしても破ってしまう場合のものもあるかと存じます。その際には、「布薩」と申しまして、定期的に反省・慚愧・懺悔することもございます。

僧侶の立場にある者が、還俗もせずに妻帯していることが「波羅夷罪」にあたることは重々にも承知致しております・・

正直、拙生は、戒律に関しては、「菩薩戒」(三聚浄戒/摂律儀戒は在家信者戒)と「三昧耶戒」をダライ・ラマ法王猊下様ご導師の灌頂にて授かったのが、正式な受戒になったと考えております・・

ですので、今の自分は、日本においては一応は「僧侶」としての立場であったとしても、心の中では、正式な僧侶ではなく、在家信者として仏教を修習している者であると自覚致しております。

どうかご賢察賜りたくに。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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末法の世?僧侶だけでなく人類全体がレベルダウンしてる

大乗仏教では、仏教はお釈迦様が亡くなったあと衰退してゆく、という思想があります。
お釈迦様の滅後、最初は正法の世(悟る人も正しい修行・教えもある時代)がしばらく続き、
次に像法の世(教えや修行はあるが正しく悟る人がいない時代)になり、
その次に末法の世(悟る人はもちろんなく、正しい修行もなくなり、教え・経典だけが残っている時代)、が順番に来るという思想です。
で、各時代の長さには諸説あるようですが、日本では、平安時代に末法の世に突入したと考えられました。
つまり、平安時代以後には、世の中には正しい修行を実践する僧侶はいないのです。
しかし、たとえ末法時代の破戒僧であっても、僧侶は尊敬すべき存在だと、浄土宗の開祖法然上人は説いています。
なぜなら、末法の時代には、僧侶だけでなく在家信者も含め、人類全体がレベルダウンしているため、相対的に見れば僧侶の方がまだマシなのです。
また、僧侶・教団がなければ、わずかに残った教えさえも次世代に伝承できなくなります。

以上のような時代認識から、日本では、破戒について「どうせ末法だから誰も戒なんか守れないよな」と、半ばあきらめと、容認があるのかもしれません。
また、戒を守れない末法の世の愚かな凡夫でも救われる方法を、残された教え(経典)の中から探し出した、浄土教などが、日本の鎌倉仏教で花開いたのも、そのような時代認識が背景にあります。
威厳のなくなった僧侶でも、教えを伝える教団を支える一員として、ちょっとは尊敬してあげてください。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

各先生方、お彼岸のお忙しい折りに、たくさんのご回答を頂き有難うございました。

頭のデキが少し残念な私には、スッと理解できる優しい回答もあれば、すこし言い回し(ロジック)が難しいのもありました。それでも自分なりに理解したつもりです。

心情的には回答頂いた今も、あまり変化はないように思います。
それは、最初からハスノハの先生方には、尊敬の念しかないからです。 本当です。   
私が先生方の立場に立って考えたとき、私にはとても先生方の様に、どんな質問にも真摯に丁寧に対応することはできないと思います。きっと自分がしたような質問には「うるせーっ!生意気抜かすな!テメェなんかどっか行っちまえ!!」みたいな対応をしてしまうと思います。

また、私が今回のような生意気な質問をするに至った心情も、いまさら説明する必要はないですよね。(ネットニュースなどで僧侶の不祥事が伝えられる度に、”一般の人”僧侶、寺院関係者以外から寄せられるコメントを視れば)

重ねて申しますが、ハスノハと参加されている僧侶の方々には、感謝と尊敬の念しかありません。
日本仏教界、および僧侶にいろんな疑問や不満があったとしたも、実際に面と向かっては今回のような質問はなかなかできるものではありません。
本当に、感謝、感謝です。

毎回、在家の木っ端信者の分際で、生意気な質問を繰り返しておりますが、それもこれも日本仏教が大好きだからこそのコトと、ご容赦ください。

有難うございました。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

前住について

こんにちは 「問答」に同様な内容があり、相談していいか悩みました。 たまたま恋愛した方がお寺の長男で2年前に帰省し彼が住職となり私が坊守となりました。私は在家で両親は生前は全くお寺との付き合いをしていなかったので私もお寺の知識はありませんでした。 彼の両親は最初は私との結婚に否定的でしたが、息子が後継ぎとなることで止む無く許してくれたようです。(最初は彼は後継ぎを拒んでいました。) 結婚前に坊守の仕事を全く教えてもらわなかったので、仕事内容を覚えるのに必死な毎日でしたが、前住・前坊守の私への当りがきつく毎日辛いです。 一番辛いのは私の亡くなった両親のことを悪く言われることです。両親が亡くなったとき、嫁ぎ先の宗派(浄土真宗)とは違うお寺(浄土宗)でお葬式・法事をしましたがその事についてひどく非難されます。細かいことを申し上げればきりがないのですが 「だからお前の親はろくな死に方をしなかったんじゃ」と言われ とても悲しかったです。そのことを夫に伝えましたが、そんなこと 聞き流しておけばいいと相手にされませんでした。(もともと、夫と義父は仲が悪いです) 他にも私の態度や色々なことについて罵声を浴びせられ我慢しますが、その度に「ろくな死に方をしなかった」の言葉が思い出され涙が止まりません。 この先も罵声は無くならないと思いますが、その際、私の心をどのように整理していけばよろしいでしょうか。

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導師様の態度について

いくつもの質問にお答えしていただきありがとうございます。また、あけましておめでとうございます。今年もまた質問でご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願い致します。 さて、今回は今までの質問とは違います。先日父方の祖母が亡くなってしまい、家族葬ではありますが出席させて頂きました。 葬式自体は業者の方々が丁寧にしてくださったので、良い別れができたのではないかと思います。 しかし、1つ心残りがあります。それは、お経を唱えてくださった導師様の態度です。通夜、告別式ともに同じ方が来てくださったのですが、どちらの時も読経中に草履で遊んだりマスクの中を掻いたり…また若干眠たそうに読経していました。 葬式のランクは低い方で設定しましたし、家族葬で出席した人数は少ないので、気の抜けるのはあるかもしれません。しかし、そのお経は意味のあるものだったのか、祖母はちゃんと仏様?になることが出来たのか(祖母が浄土真宗だったので)気になります。 父や叔母さんなどは特に何も言わなかったのですが、今回の導師様の読経中の態度は問題なかったのか、また問題あるとすればどうすれば祖母は大丈夫なのかお答えください。 長くなりましたが、どうかお願いします。

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