私の死生観は間違っているのでしょうか?
カテゴリ間違いだったら申し訳有りません。
私が高校生の頃、生徒教師共に学年全体から疎まれていた教師が突然死しました。
その教師はセクハラ発言、時間があれば自分語り、自分ルールが横行しており、校長が何度注意しても直らない と言った問題行動を連発していました。
その教師が亡くなる数日前まで学年の一人の教師が、被害届を纏め、教育委員会に提出するべく書類を作成していた程でした。
学年集会で亡くなった事が告げられると、「早く●んで笑」とまで散々悪口を言っていた生徒達が泣いていました。
私はこの事に対し「今まで散々悪口を言っていたのに手のひら返したように泣ける感受性と協調性の豊かさが羨ましい」と友人の前で呟いていました。
この発言に対し、友人から「泣いている人を批判しているのは間違ってる」と指摘されました
私は人間も食パンも変わらないと思っています。
「食パンを食べたら無くなった=胃に収容されたから 」であって「食パンは食べられるために生まれてきた 」訳です。
私は人間はこの世に生まれる理由は、死ぬ為に生まれて来ている と思っています。
いつかは死ぬのだから、人間は必死に生きなくてはならない、やりたいこともやりたい時にやらないといつかは死んでしまう と。
人間も「人が亡くなった=死ぬ為に生まれてきたから」であって、死は誰にでも平等に与えられているものですし、当然の事だと思っています。
その人に関わってきた時間や感情、思い出が加味されて、改めて 「(人が亡くなって)悲しい」という感情が生まれるのではないかと考えています。
私はこのような考え方なので、明日道端ですれ違った人が明後日亡くなっても、悲しいとは思いませんし、泣けません。
だから、セクハラ教師が亡くなったところで、何も感情は湧きませんでした。
間違っていますか?とても歪んだ考え方をしているとしたら恥ずかしいので治したいのです。
有り難し 8
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