死のうと思います。 死んだ人に残されて困るものを教えてください。 全部と言われてしまったらそれまでですが。
悩みとは違うのですが質問させていただきます よろしくお願いいたします 確か6才頃の時でした 公園でとある事故により肉体と幽体とが離れたことがあります 気付いた時、仰向けで空を見ていました 足元を見ると離れた場所におんぶされ運ばれる自分がいるんです その際感情などは一切なく、ただ『見ている、傍観している』状態です 移動する感覚はなくドラマのカットの様にパッと切り替わり次はタオルを額にあてがわれベッドで寝かされている自分、それを取り囲む人達の頭を上から見てました そこもまた『ただ見ている』状態 そして次のシーンで取り囲む人達を肉体の視点から見上げてました、気が付いた(肉体に戻った)状態でしょうか アレ?っといった感覚で自分を俯瞰で見ていたついさっきの記憶と肉体に戻った感覚がごっちゃになっていたのを覚えてます ここで質問させてください この体験は所謂『死』と同等だったのでしょうか?結果戻れたから死ななかったということでしたらあのまま戻れなかったら感情もなくそこらを浮遊しいつか何かしらの変化により成仏したのでしょうか? 今だから思うことがあります 色々な力が働いていたんだと思います 子供故に助かったのかと思います だけどあれが死者の魂の感覚だとするなら肉体ってなんなんだろうなと、死後って悲しみも辛さもないんじゃないかなと、そう考えさせられるんです 死とは相当状況に左右されるのは分かりました 恨みも嫉みも未練もなければ人の魂はすんなり浄化できてしまうような気もしました 30年以上前の出来事が今でも不思議と全て鮮明に記憶されているんです、魂の経験とでもいうのですかね^^; あまりに鮮明なんです 夢のような感覚です あと最後に 肉体を離れたあと、音がありませんでした 声だけが聴こえてた記憶です 本当に貴重な体験をしたなと思います 変な質問ですが御回答よろしくお願いいたします
カテゴリ間違いだったら申し訳有りません。 私が高校生の頃、生徒教師共に学年全体から疎まれていた教師が突然死しました。 その教師はセクハラ発言、時間があれば自分語り、自分ルールが横行しており、校長が何度注意しても直らない と言った問題行動を連発していました。 その教師が亡くなる数日前まで学年の一人の教師が、被害届を纏め、教育委員会に提出するべく書類を作成していた程でした。 学年集会で亡くなった事が告げられると、「早く●んで笑」とまで散々悪口を言っていた生徒達が泣いていました。 私はこの事に対し「今まで散々悪口を言っていたのに手のひら返したように泣ける感受性と協調性の豊かさが羨ましい」と友人の前で呟いていました。 この発言に対し、友人から「泣いている人を批判しているのは間違ってる」と指摘されました 私は人間も食パンも変わらないと思っています。 「食パンを食べたら無くなった=胃に収容されたから 」であって「食パンは食べられるために生まれてきた 」訳です。 私は人間はこの世に生まれる理由は、死ぬ為に生まれて来ている と思っています。 いつかは死ぬのだから、人間は必死に生きなくてはならない、やりたいこともやりたい時にやらないといつかは死んでしまう と。 人間も「人が亡くなった=死ぬ為に生まれてきたから」であって、死は誰にでも平等に与えられているものですし、当然の事だと思っています。 その人に関わってきた時間や感情、思い出が加味されて、改めて 「(人が亡くなって)悲しい」という感情が生まれるのではないかと考えています。 私はこのような考え方なので、明日道端ですれ違った人が明後日亡くなっても、悲しいとは思いませんし、泣けません。 だから、セクハラ教師が亡くなったところで、何も感情は湧きませんでした。 間違っていますか?とても歪んだ考え方をしているとしたら恥ずかしいので治したいのです。
母が亡くなって3年目です。父は朝晩仏壇に向かい般若心経を唱え、花やお菓子をお供えしています。 母が生きている時は母の誕生日も忘れ、子どもの私が困っていても見て見ぬふり、家事の全てを母にやらせ、休みの日は何もしなく、事なかれ主義で母が父方の親戚と折り合いが悪いのも母のせいにしてきました。 なのに、亡くなったらまるで神をあがめるようにお参りをする姿を見て、なんかおかしいと思うようになりました。 誕生日は忘れられるのに命日は思い出す。みんな集まる。生きてる時は無関心だったのに亡くなったらみんなお参りにくる。 それならば生きている時に共に喜び、泣き、喧嘩をし、仲直りをして、それが人間味のある生き方や人との繋がりなんじゃないかと思ったんです。 私は抑うつ状態で全般性不安障害を併発し、いじめ後遺症になり、対人恐怖症人間不信になってしまい、社会復帰は絶望的です。私は今、幽霊みたいなもんだなと思って生きています。私は精一杯、病院、行政、親戚等助けを求めてきましたが、支援されるまでにはいたりませんでした。友だちもいないし、親戚たちからはいじめられてきたのでとても孤独です。 孤独感とはなんだろうとずっと考えてきたのですが、誰の日常にも私の姿がない事だなと思いました。人に対する無関心さなんだなと思いました。 でも、死んだらこんなにたくさん集まってくれて、命日には思い出してもらえて、お盆もお彼岸も。 どうしてみんな生きているうちに人間臭く生きようとしないのでしょうか?目の前に起こっている現実から目を逸らして、真実を知ろうとせず、人を知ろうとせず、分かり合おうとする努力をしないのでしょうか?どうして人に優しくできないのでしょうか?死んでから優しくしても意味がないように感じるのです。 死んでから花をいけても本当に母は喜んでいるのでしょうか?生きていたらその花の鮮やかさを見たり感じたりできるのに。 だから私は母の命日より母の誕生日を思い出そうと思うのです。 この文章を読んで住職さんという立場からみてどう思いますか?
初めまして(*_ _) あきなと言います。 今年のお正月 お仕事をしている最中に 急に「29歳になったら死ぬ」 という予感がしました。 昨日 人と話している最中 遺書か遺言書を書いている姿が 脳裏に浮かびました。 その時も29という数字も浮かびました。 今日 血の塊を吐く夢を見ました。 どれもとても鮮明でした! 人は自身が死ぬ前 死ぬ予知・予兆・予感を感じる人がいると 聞いたことがあります。 私自身 死ぬことに対しての恐怖心は無いものの 大切な人を残して逝った時 その人がどうなるか不安で仕方なく これが予知・予兆なのか質問した次第です。 長文失礼しましたm(_ _)m
昨夏、父が急逝しました。死の前日、父は「もうここ(病院)で終わり」と、つぶやいたのです。 母(2008年に末期の胃癌で死去)は、死の8日前に「須弥山」を見ているのです。と言っても、私の推測ですが・・・。 父が死んだ日、病院の昼食を「完食」したのを見届け、いったん実家へ。が、すぐ病院から「容態が急変したので緊急手術をする」と電話があり、呼び戻されました。結局「術中死」でした。 こんな最期だったので、なおさら「須弥山」が関係あるのかと、考えてしまうのです。 要領を得ない内容で申し訳ありません。まだ悶々としています。 私も両親と同様に、死ぬ前に「須弥山」を見るのでしょうか? ご回答頂ければ幸いです。
生きていることと死んでることではなにが違いますか? 死んでしまったらかわってしまうことは、なんでしょうか? 声が聴けなくなることでしょうか。言葉を交わすことができなくなることでしょうか。動いている姿を見れなくなってしまうことでしょうか。 姿・形を見れなくなってしまうことでしょうか。 自分の言葉や声が届かなくなってしまうことでしょうか。 死んでしまったら、一体なにが違うと思いますか? 不生不滅なら、生きていることと、死んでいることの、決定的な違いとは、なんだと思いますか?
不思議と生きてきました
漠然とした質問です。 人は誰でも必ず死を迎えます。死ぬことは、やむを得ないですが(頭では解っていても)精神的に苦しくない穏やかな最期の迎え方をするには、どのような生活を心掛ければよろしいでしょうか?
私は裕福というわけではありませんが、親や周りの人たちに恵まれてきました。なので家族のみんながとても好きです。 だから、いつかくる別れがとてもこわいです。きっとその時にはとても後悔するし、悲しくてどうしようもないけれど自分は生きていかなければいけないという事に耐えられるのかな?と思います。 出来るだけ後悔しないように、思い出が残るように沢山一緒に時間を過ごそうと思いますが、その思い出すらもういないんだ…と辛くなってしまわないか不安になります。 これから先、どう過ごせばいいのでしょうか。 私が親離れ(自立)できていないためにこれほど苦しいのでしょうか?
数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。
生きてる時の未来にはワクワクしません。 死後の世界を想像するとワクワクします。 きっと私は生きることには向いてないんだと思います。 お坊さん、ごめんなさい。
よく、死にたいと言う人がいます。何故なんでしょう。世の中には生きたくても生きられない人が沢山いるのに、健康で生きていて何でも出来て、贅沢だと思います。理由は色々あるんでしょうけど、私も死にたいと思う事は何度もありました。今も思います。娘が死んで火葬される時私も一緒に焼いて欲しいと思いました。病気になって、自由に歩けなくなって、目も見えなくなって、車椅子の生活で不自由になっても死にたくないと言ってた娘、助からなかった娘、なのに五体満足に生きている人達の死にたいと言う思い、私には理解出来ませんが、ちゃんと生きて欲しい。哀しむ人が必ずいるから、気付いてあげられなかった事を後悔して苦しむ人が必ずいると思うんです。残された者は一生苦しい。死んだら楽になるなんて思わないで欲しい。 そう願わずにはいられません。 私がまだ20代の頃、友達が不倫の果てに捨てられて自殺してしまった時もそう思っていました。馬鹿な奴だと…男なんてまた見つけたらいいのにって。死んでしまったら命勿体ない。お金じゃ買えないから…。と思います。
あと4年で死ぬことを決めました。 なんで4年?とか自殺はよくないとかは今回の相談に関係ないのでおっしゃって頂かなくて結構です。 私はこの世とお別れをすることに対してもはや負のイメージは抱いていませんから、なんの希望も抱かず無駄に長生きするよりあと4年好きなように生きてさっさと死にます。 そう考えることで今とても楽になりましたからそれでいいのです。 さて本題ですが、死ぬまでに準備しておいた方がいい事柄がいくつかあると思うのですが、お坊様は職業柄そういったご相談をよく受けるかと勝手に思いました。 お金、家族や友人などに残す手紙等の用意、遺品整理などでしょうか? 他にしておいたほうが遺族が楽だったりトラブルが起きないようなことはありますでしょうか? 家族が悲しむとかわかってますからおっしゃって頂かなくて結構です。
自社や客先での事をノートに書きました 疲れました 夜も眠れません 1〜2時間に1回、目が覚めます うちに郵便配達にきた人が自宅のチャイムを鳴らし玄関を開けたら「こんなデカイ郵便物、面倒くせー。チキショー」そう言われました A4の封筒で折り曲げ厳禁と書かれていました もう勘弁してください もう嫌だ
紹介します 唯一のお友達の死神です
死神がいたら私のロウソクを吹き消してほしいです。 頑張ろう、そう思う反面、未来に期待できない。 なら、死神とお友達になりたいです。
人生の中で一度は死にたいと考えることがあると思います。 思うだけだったり、口に出すこともあるなかで、実際に行動に移してしまうのは、どの様な思いの違いがあるのでしょうか? 死ぬことも勇気なのでしょうか?
救いよりも安らかに死ねる言葉が欲しい
長文失礼いたします。 祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。 唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。 結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。 どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。