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「死について」問答(Q&A)一覧

死ぬとは何ぞや

タイトル、不躾に失礼します。 私は20代前半に一人、最近また一人と二人の親友と勝手に呼んでいた友人を亡くしました。 最初の一人は自宅で孤独死、死後数日経っていた為死因は不明。 もう一人はニュースにもなりましたが、同居する彼氏に睡眠中に殺されました。 当然の事ながらショックでした。 どちらの二人も何となく連絡が途絶えていたからです。(後者は何年もですが) ですが…あまり他人には話せることではないのですが、彼女達は自分で決めてきた死去の日を迎え、また現世での問題はクリアされたから去っていったのでは…とも考えるのです。 実際、前者の友人の死を聞いたときは直感的に『これで良かったんだ、頑張ったよね』と思いました。 彼女は病気を抱えていましたがお互い特にそれについて話すことも何故かありませんでした。 私自身は死後の世界は知りません。 でも生まれて生きて、苦しいことを乗り越えるまで同じ問題にぶつかるのには意味があるんだと思います。 じゃあその山積みの問題をクリアできたら…?? そう考えると、彼女達の残された家族の事を考えたら私のこの考えは不謹慎な気がして…。 正直、この考えがある意味本当なら彼女達を羨ましく思ってしまう自分が近くにいるのです。 もしかしたらそう考えるのはある種の逃避なのか、とも。 うまく説明が出来ないのですが、この世から旅立った友人達の死は悲しいです。 だけど羨ましい。 けど死ねばこの世の苦しみから逃れられるとは思わない。 自分の課題が見つけられないからの嫉妬なのか何なのか…。 不謹慎過ぎて深く話が出来ないのでこちらで質問させて頂きます。 まとまりがなくて本当に申し訳ないのですが…。

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目の前で野良猫が轢かれて死ぬのを見たことが忘れられません

今朝、家のガレージを掃除していたら目の前で野良猫が轢かれました。 頭が潰れ、体はのたうち回っていましたがどうみても手遅れで、なにもできないまましばらくしたら息絶えました。 何度か近所でみたことのある野良猫でした。 私も猫を数匹飼っていて、そののたうち回る様子があまりにショックで頭から離れません。 道の真ん中で死んだので脇に退かすために死骸を触りましたが、暖かく、ほんの5分前までは生きていたことを考えるとなぜ死なせてしまったのかという後悔が溢れました。 私がガレージに居たから警戒して道の真ん中に居たのではないかとか、私が道に出ていたら道路に来なかったのでは、車も注意して走行したのではないかとも考えてしまいます。 誰が悪いという話ではないですが、車という自然ではありえない鉄の塊を転がし自然の生き物を殺す人間、そして私自身も車に乗りますし、そういったことに対する罪を感じます。 死んでしまったのだからどうにもできないし、野良猫なのだからそのような死に方もしょうがないことだとは分かります。ほんの一瞬で生死が決まるのは猫に限ったことでない事もわかります。 しかし、このことをまだ気持ちの面で処理できません。悲しいです。

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今死ぬか歳をとって死ぬか

今の暮らしにこれといって不満はないのですが、結婚や親の介護、自身の老後を考えると不安ばかりです。 自身が歳をとって介護が必要になる前に死ねれば安心なのですが、人に迷惑をかけてまで生きたいとも思えないですし、その頃には自殺をすることもできないだろうと思うと早いうちにしてしまってもいいのかとよく考えます。 家族や友人達のことを考えると思い止まってしまうのですが、いつか訪れる彼らの死を考えると耐えられないだろうし、その前に死んでおきたい気もします。 3年ほど前に仕事をきっかけに鬱になり自殺しようとしたこともありますが、結局勇気もなく途中でやめてしまったりでこれまで何となく生きてきました。 付き合っている彼とは結婚も考えてもいますが、このように考えているような人間が結婚なんてしていいのかとも思います。 このまま生きて親になったとしても、子供にこのような思考が影響するのではないか、自殺を考えるような人が親になっていいのか、考えても結論が出ません。 文章がまとまらず申し訳ありませんが、他の誰にも相談できず悶々としていたところ、こちらを見つけ相談させていただきました。 ご教授のほどよろしくお願い致します。

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「死にたくない」と思わないのは、おかしいことですか

こんにちは。 今年、「私はこのために生まれてきた」と思えるような大きな仕事を、文句のつけようがないほど良い形で果たすことができました。自己満足だけでなく、社会にも大いに役立つ仕事です。この社会に生を受けた責任も、果たし終えたといえると思います。 だから30代半ばにして、私にとってはこの先は「余生」という感覚で、もういつ死んでもいいと思うようになりました。 生きていることが、絶対的に幸せだとは私は思いません。生きていれば、「知らなければ幸せだったこと」を知ってしまい、絶望に苦しまなければならないこともあります。生きるためにはお金が必要ですが、そのためにあくせく働いて「何のために生きているのかわからない」と思ってしまうのでは、目的と手段が入れ替わっているようにも思えます。 それに、今の私は人生の目的を最良の形で果たし終え、幸せの絶頂にいます。もし今、人生の最後の時が来たら「私の人生は最高だった!」と笑って死ぬことができるでしょう。それはある意味、理想の死の形ではないかとも思います。 親はいますが、伴侶や子どもはいませんので、「この子の行く末を見守るまでは死ねない!」というモチベーションもありません。フリーランサーなので、組織に対する責任もないです。親や友人は私にもしものことがあれば嘆き悲しむでしょうが、志半ばではなく充分に人生を謳歌し、社会にも確かな礎を遺して生き切った私を、誇りに思ってくれるのではないかとも思います。 でも、そんな縁起でもないことを考えてはいけない…という風潮もありますし、「長生きしたいと思わない」なんて生物としておかしいのではないか、そんな考えを口に出すことは人としてタブーなのではないか…と我ながら思ってしまうこともあります。 一方で、死生観は人それぞれ、一般論に振り回されても意味がないのではないか…と思う自分もいます。「逆縁なんて親不孝」「生きたくても生きられない人もいるのに」なんて定型文もありますが、そんなのはケースバイケースだと思います。 もちろん、私は「自殺したい」と考えているわけではありません。ただ漠然と「今お迎えが来てもいいな、そうなっても全然『死にたくない』とは思わないな」…などと思っているぐらいです。 私の考えは誤っているのでしょうか。誤っているとしたら、なぜなのでしょうか。 こんな私に、有り難いご教示をいただけたら幸いです。

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過食嘔吐、食道がんの恐怖、検査までの不安な気持ちの落ち着かせ方

はじめて相談させていただきます。 2児の母親でありながら、過食嘔吐をやめることができませんでした。 14才から25年間、過食嘔吐を繰り返してきました。コンプレックス(痩せたい)や自信のなさから始まり、その後は完全に依存性、でした。 子供もいますので野菜も多目に食事を作り、きちんととり、偉そうに『健康のため』と、子供には食事の大切さも語ったりしていました。 それ以外に吐くためだけに好きなものを好きなだけ食べ吐き出していました。子供の目がない時にです。 食事をとっているのでガリガリではありません。(157cm/48kg)ただ上半身は骨の浮き出た、下半身はぶよぶよの気持ちの悪い不健康な痩せ方です。 楽に吐ける体になり苦痛なく吐けていたので過食嘔吐が体に害があるとは考えられなくなっていました。 8月の下旬から少しずつ体調に異常が現れはじめました。最初の異常はのど~食道の異物感でした。それでも過食嘔吐を完全にはやめられず、しばらく様子を見ていました。 怖くなり、いよいよ初めて通院してから内視鏡の予約日までに、背中の痛みや食道の染みる痛みなど、『食道がんでは…』という症状が次々と現れ、恐怖と不安と、25年間胃酸を食道へ逆流させ続けた自分に絶望する日々が続いています。 不眠、下痢、食欲不振、微熱など自律神経失調症の症状も出ています。 もしかしたらこれもがんの症状なのかもしれません。逆流性食道炎では…とも思いますが25年間の行為が直感的にがんを連想させるのです。 子供を愛していたつもりでした。 未だに私に抱っこを求めてくる今年10才になるになる女の子と 私がちょっと見えなくなると、覚えたての言葉で不安げに私を探す今年3才になる男の子、 ママっ子でかわいい二人の子供です。 母親になっても過食嘔吐がやめられず、 子供から母親を奪ってしまうような行為を続けていた自分の愚かさに、死の恐怖に、もし私を失った時の子供の絶望に…心が潰されそうです。 検査まであと一週間、どのような心構えで過ごせばよいでしょうか。 病院の先生には全てを告白し、早めの検査を希望しましたが予約の都合で断られてしまいました。 母親と主人にも初めて全てを告白しました。今後サポートをしてもらいながら治療していく予定ですがまだ『今後』は描けません。

有り難し有り難し 22
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不殺生の努力について

私は統合失調症で、下半身まひの障害者なのですが、過去に大量の殺生をしてしまいました。 そこで仏教について調べ始めたのですが、今度は不殺生の戒に囚われてしまいました。 病院にはちゃんとかかっていますし、薬もちゃんと飲んでいます。 しかし不殺生を守ろうとした結果、病院にも、法要にも、とにかく外出することができなくなってしまいました。 それどころか、車椅子の私には、後方も足元もよく見えず、タイヤの足回りなどは完全に見えないのです。これではいつ虫達を殺してしまうかわかりません。今では、外出はもちろんのこと、部屋で身動きすることすら困難な状態です。 完全な不殺生などありはしないと、承知の上での質問ですが、せめて無意味な殺生を最小限におさえたいのです。しかし、この「最小限」というのは、どの程度まで努力すべきなのでしょうか。 僧侶の皆様は、どのくらいまで気を付けていらっしゃいますか? 外出をしない雨季とは、いつぐらいまででしょうか。雨後も虫達は多いですよね? 車と歩道を行くのとでは、どちらを選ばれますか? お弁当の配達を頼んで、もしその配達員の方が殺生してしまったら、それは私の責任になるのでしょうか? また、薬の陰には実験動物の犠牲がありますが、薬を飲むのは不善行ですか? 夜間、電気をつけると虫達が集まってしまいそうで、電気をつけるのが怖いのです。 統失ゆえに極端な考えをしてしまっているかもしれません。 しかし本当に苦しんでいるのです。 どうかアドバイスをよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 38
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先日死にかけました

タイトル通り、事故で死にかけました。 その時、はっきりと死を覚悟した感覚がつきまとって離れません。 寝ていても苦しくなって過呼吸のようになり目が覚めます。 こわくて仕方ありません。 そしてわたしの人生を振り返るようになりました。 たぶん幸せな人生でした。 つい5年前くらいまでは。何1つ疑うことなく生きてきました。でも5年前に4番目の子を産んでから劇的に変わりました。 4番目の子は重度の自閉症があります。 言葉は話せません。ガマンもしません。言葉は悪いけど動物のようです。 本能のままに生きています。 わたしはこの子がとてつもなく愛おしいです。 笑っていても泣いていてもです。 道路でもお店でもジタバタしながら泣きわめく子を周りの人は何事?と怪訝な顔をして見ていきます。 でもわたしはうらやましく思い自分を素直に表現する我が子を愛おしく思うのです。 でも、そんな我が子を見ながらわたしはこの子を幸せにしてあげられているのかと思ってしまうのです。 わたしは病気がちで休みの日も家にいることが多くつまらない思いをさせてはいないだろうか… わたしの勝手で離婚してしまったからこの子にもっとあげられるはずだった幸せを奪ってしまったのではないか… そんな時強く思うのです。 この子はなぜわたしを選んで産まれてきてくれたんだろうと。 わたしじゃなかったらもっと幸せだっただろうに… この子を本当に愛おしく思うからこそ苦しくなります。 そしてあの時、あの事故の時にわたしなんて死んでしまえばよかったのではないかという思いに取り憑かれてしまいました。 疲れてしまったのもあるのかと思いますが… 1人で思い悩むのにも疲れてしまいました。 何かお言葉がいただきたいです。

有り難し有り難し 46
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私が2才の時に病気で他界した祖父

はじめまして。できるだけわかりやすく書くようにいたしますが、途中文章がおかしな所があるかもしれませんがお許しください。 私の父方の祖父は、私が2才の時にがんで亡くなりました。姉達は憶えているそうですが、私は幼かった事もあり祖父の記憶が全くありません。祖母の部屋に飾ってある写真を見て、『あのおじさん誰?』と言ってしまった事があります。 それから私は大人になり、実家を出たので一年に一回は祖父のお墓詣りには行っておりました。昨年子供も生まれ、お互いの祖母や親戚に我が子が可愛がられている様子を見て、これまで祖父の死を意識した事がなかったのに急に祖父に会いたくなりました。一番はやはり、祖父にひ孫を抱っこしてほしいという思いからかもしれません。 それからというものの、今まで知ろうとしなかった祖父の事を父に聞いたり、写真をもらって持ち帰り家に飾っています。その写真を見るたびに寂しくなり、会っていっぱい話したい、聞きたい事がたくさんある、どうして早くに死んでしまったの?という様々な感情を抱きながら日々をすごすようになりました。 祖父からすれば、あのおじさん誰?と言われたし、20年以上時が経ち今更写真をもらって飾ったりして、ひ孫をきっかけに思い出して悲しんでいるなんてとても都合がいいなとあの世で怒っているのでしょうか? そして、日々祖父に会いたいという気持ちが大きくなるばかりです。 この気持ちはどう整理すればよいでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
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