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「死について」問答(Q&A)一覧

自殺の身勝手さ。第三者を巻き込む死

私の大切な家族が自殺の第一発見者になりました。会社で、恨みつらみを書いた遺書がありました。トラウマになりました。会社に行くたびに思い出すだろうし、顔が頭から離れないみたいです。私は、亡くなった人を悪く言うのはいけないとわかっていても許せません。 そんなに恨みがあるなら生きて戦えばいいし、それが無理なら社長の前で死ねばいい。その死をもって何か変わると思ったのかもしれませんが、変わらないし逆恨みらしいです。そんな風に恨みながら死んでいった人を、恐怖の中で懸命に救おうとした家族の気持ちを考えると、怒りが込み上げてきて、私の方が恨んでいます。きっとつらくて当人にしかわからない苦しみがあって自殺に至ったので、 責めるのもおかしいですよ。でも、これからってときなんです。もしこの先、PTSDになったり精神が病んでしまったら、誰も責任はとれません。ハスノハでも自殺したいという書き込みを見ます。 死にたいなら黙って人目につかず死んでください。私は大切な恩師を亡くしました。最後まで生きることを願い、余命との恐怖の中でも諦めず、死と正面から向き合いながら必死で生きることを教えていただきました。だからこそ、自殺したいとか自殺した人を軽蔑します。人それぞれの人生ですから、生きられない人の分まで生きろとか思いません。関係ないですから。でも、死ぬならどうぞ人目につかないところでお願いします迷惑です。自殺するということは、それを発見する人が必ずいる。その人の家庭を追い込み、その人自身が病んで病気になったり、最悪自殺することもあり得るかもしれない。自分勝手に一人で死んだつもりでも、誰かを巻き込み誰かの人生まで狂わすんです。もうサスペンスやドラマを見れなくなるかもしれない。完全な日常には戻れないかもしれない。自殺する人に死なないで、生きてたらいいことある!なんて言っても本人の辛さはわかりませんから。ただ、発見した誰かの人生まで巻き込まないでもらいたい。それを踏まえて自殺なんてしないでほしい。そんな自分勝手な死は私は最低だとおもいます。私なりに家族を支えていくつもりです。考え方が自分でも最低だと思います。許す、許さないという立場でもないです。頭ではわかっていても気持ちがどうしても故人を恨んでしまいます。 一人で解決できそうにないです。

有り難し有り難し 21
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安楽死について

度々の質問を失礼致します。  最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。  実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。  安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。  それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。  また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。  生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?  笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。  安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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人が死ぬと言うこと

初めて投稿させていただきます。 人の死について、今頭から離れないことがあります。 私や私の両親の事ではなく、近所の80代の男性(ご夫婦でお住まいです)が今年始めに病気で入院手術されました。手術は成功したのですが、先日から急に体調が悪化し手足に水が溜まるようになって今日再び入院することになったそうです。 お医者様によると「いつ何時に…」という事を言われたと奥様が言っておられました。 私は顔見知り程度で何度かお話ししたり、いつもご夫婦でお散歩されている姿を見ていただけですが…なんて言えば良いのか、お二人が並んでお散歩されているお姿がもう見られないのかと思うと急に寂しく感じられ、今日お話を聞いてから落ち込んでしまっています。 お子さんは息子さんがお二人いらっしゃるのですがそれぞれ事情があり、ほとんど会いに来てくれないみたいです。(ご長男は近所に住んでいます) あまりにもご実家に帰ってこない事でご主人は「子供なんて産むんじゃなかったな」とさえ仰ってたと聞きました。もちろん本心からではないと思いますが、病気でしんどくて心が弱っている時に息子が家に全然来てくれない、病院に送ってもくれないとそんな愚痴も言いたくなるのかもしれません。 私が「検査の時や必要なときは病院までいつでも車で送っていきますよ」って言っても、いつも「大丈夫です」って遠慮され、お二人で通っておられました。私の母が奥様から聞いたのはご主人が「息子でさえ来てくれないのに、ご近所さんにそんな迷惑はかけられない」と仰っていたみたいです。 何か私にも出来ることはないかと考えていた矢先、再入院。 そして、もう長くないと… 人は必ず亡くなるものですが、何もしてあげられなかった後悔が溢れてきて。 出来れば、また元気になってもらえたら良いのですが、もし無理なら少しでも穏やかに最期をむかえてほしいと願わざるを得ません。 私は人の死を受け入れる事が難しいのか、覚悟が無いのか、ずっと頭から離れなくて辛いです。 人が死ぬことを想像すると悲しくて怖くて。きっとこれから何度も経験していくのにこんな弱い精神で耐えられるのか。 どう考えていけば良いのでしょうか? 長文になり大変申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
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コウモリを殺してしまった

つい先ほど、家の中にコウモリが入ってきてしまい飛び回っていたので、虫捕り網で外に逃がしてあげようと思い網を振るっていました。 以前にもコウモリが入ったことがあり、その時も捕まえて外に逃がしてやれたため、簡単に考えていました。 ところが、振るっていた網がコウモリを直撃してしまい、コウモリは血を流して動かなくなってしまいました。 私は生き物が好きで、普段から虫なども殺さないよう気をつけています。 網を張っているとき、頭の隅で、コウモリに当たるかもしれないなと思っていましたが、そのまま振るい続けてしまいました。 翼を広げたコウモリは20センチほどあったように思いますが、ぎゅっとカラダを縮こませたみたいに死んでいました。頭か首のあたりから血がぷっくりと出てきていました。 その後、玄関先の植え込みに簡単ですが埋めました。 その時も、可哀想なことをしてしまって申し訳ない気持ちの反面、殺してしまったことで自分になにか悪いこと、バチが当たるんじゃないかと考えてしまいました。 そんな自分がとても醜く思いました。 コウモリの寿命は3〜5年程です。 あのコウモリはまだ子供だったかもしれません。 そう考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。 こういった間違いをしてしまったとき、どう対処したらよろしいでしょうか。

有り難し有り難し 15
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日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

有り難し有り難し 7
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擬似的?な死を体験

悩みとは違うのですが質問させていただきます よろしくお願いいたします 確か6才頃の時でした 公園でとある事故により肉体と幽体とが離れたことがあります 気付いた時、仰向けで空を見ていました 足元を見ると離れた場所におんぶされ運ばれる自分がいるんです その際感情などは一切なく、ただ『見ている、傍観している』状態です 移動する感覚はなくドラマのカットの様にパッと切り替わり次はタオルを額にあてがわれベッドで寝かされている自分、それを取り囲む人達の頭を上から見てました そこもまた『ただ見ている』状態 そして次のシーンで取り囲む人達を肉体の視点から見上げてました、気が付いた(肉体に戻った)状態でしょうか アレ?っといった感覚で自分を俯瞰で見ていたついさっきの記憶と肉体に戻った感覚がごっちゃになっていたのを覚えてます ここで質問させてください この体験は所謂『死』と同等だったのでしょうか?結果戻れたから死ななかったということでしたらあのまま戻れなかったら感情もなくそこらを浮遊しいつか何かしらの変化により成仏したのでしょうか? 今だから思うことがあります 色々な力が働いていたんだと思います 子供故に助かったのかと思います だけどあれが死者の魂の感覚だとするなら肉体ってなんなんだろうなと、死後って悲しみも辛さもないんじゃないかなと、そう考えさせられるんです 死とは相当状況に左右されるのは分かりました 恨みも嫉みも未練もなければ人の魂はすんなり浄化できてしまうような気もしました 30年以上前の出来事が今でも不思議と全て鮮明に記憶されているんです、魂の経験とでもいうのですかね^^; あまりに鮮明なんです 夢のような感覚です あと最後に 肉体を離れたあと、音がありませんでした 声だけが聴こえてた記憶です 本当に貴重な体験をしたなと思います 変な質問ですが御回答よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 8
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