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仏教のエッセンスを広めたい

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こんにちは。
迷った時にいつでもこのサイトに訪れています。
私は少し前に般若心経の現代語訳に触れ、そこから仏教が大好きになりました。
今までも嫌いだった訳ではなかったのですが、宗教自体が自分とはあまり関係の無いものだと思っていました。
さて、そんな私もいろいろ調べていくうちに、他の今苦しんでいる誰かにも、仏教の事を話してみたくなったのです。
ですが実際話してみると、そんな事が出来てたら苦労しないよ、とか、そんな事で納得出来るほど私は素直になれないわ!とか、受け入れてもらえない意見もちらほらありました。
(もちろん、仏教の素晴らしさを理解してもらえた方も多かったのですが。)
全ての人を納得させたかった訳ではありませんが、やはり私が話すからには私的見解が入る為か、思っていたより上手く伝わらないのだと知りました。
そこで質問です!
お坊さん方は、普段説法や法話をされる時に、より沢山の方に理解してもらう為に、どんな事を心掛けておられますか?
厳しいアドバイス、面白い実体験など、回答いただけると嬉しいです。
お忙しい事とは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間には誰でも救われたい要求がある

誰にでも、自由になりたい、幸せになりたい、安心したい、ストレスを無くしたい、という要求があります。
聖なる求めとでも申しましょうか。
自由欲、自己探求欲、自己向上欲、真実を知りたいと思う事、覚りたいと思う事、安らぎを得たいと思うこころ。その要求がある人ほどスラスラと伝わります。
ない方でも、悩みやストレスから自由になりたいと思わない人はいません。
あなたが実際に仏教で悩みやストレスから救われればいいのです。
そしてその救われた体験、しくみ、メカニズムをそのまま語る事でズバリそのまま伝わります。
理想論と捉えられてしまうと、救われません。
ちゃんと本当に、悩みから救われる。
そういう体験を本当にすることです。
そうすれば泉のようにチエがあふれ出てきますよ。

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丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

お経に説かれていることをそのままにお取次ぎすることです。

浄土真宗では「法話」「説教」のことを「お取り次ぎ」と言います。
取り次ぐとは、両者の間にたって,一方の意向を他方に伝えることです。
つまり途中で勝手に私見を入れてはいけないということです。

例えば「Aさんに□□□と取り次いでください」と言われたら、そのままに内容をお伝えしなければいけません。
勝手に、□□□を△△△に変えて伝えると、それは間違ったことになります。
郵便配達の人が勝手に手紙を書きかえて相手方に渡しているようなものです。

仏教とは仏様の教えであり、その教えが説かれているのがお経典です。
だから、お経典の内容をそのままにお取り次ぎすることがもっとも大切だと思います。

私はとある大先輩と仏教の話をしていたとき、「〇〇だと思うんです」と言っていました。
するとその大先輩は「〇〇と思うのはどうしてだ?どのお経のどこに説かれているんだ?」と尋ねられました。
私は答えられませんでした。
すると「答えられないのは当然。それはあなたの勝手な考えであって、仏教の教えではないから」と諭されました。

「私がどう思うか」ということは仏教の教えではありません。
「仏様(またはお釈迦様)がどうおっしゃるのか」を答えるのが、僧侶の仕事だと教えられたことです。

一番大切なことはお経に説かれていることをそのままお取り次ぎすること。
その為にはお経をよくよく読まないといけないのは言うまでもありません。
これは私自身の問題で、いつも自分に言い聞かせてはいますが、なかなか読めていないのが悲しい己の姿です。
研鑽を積んで、もっとしっかり法話できるように頑張りたいと思います。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

小生は、宗派的なものもあるのかとは思いますが、
経典のことばをそのままおつたえするときと、
主意をかみ砕いて伝えるときと、よくよく自身で吟味して
おはなししています。

子どもに「人は皆死ぬ」とストレートに言っても
「なんのこっちゃ」ですし、逆に恐れさせてもいけない
わけです。

スッタニパータ807に
夢の中で会った人でも、
目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。
それと同じく、愛したひとでも死んでこの世を去ったならば、
もはや再び見ることはできない。=中村 元 氏 訳

とあります。この言葉だけをみれば、
一見、冷たく、しかし真理をそのままに示しているように
見えます。
しかし、
釈尊は大切な弟子をふたり同時期になくしたとき、
「二人がいないこの場所は、みんながあつまっても空虚だ」
=相応部経典ⅠⅩⅦ 14、3=
とありますように、釈尊もまた、大切な弟子を失ったことによる、
深い慟哭の言葉を遺しているのです。

経典のことばの奥には、釈尊の「こころ」があるのです。

そのこころを思って、いまいちど、
夢の中で会った人でも、
目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。
それと同じく、愛したひとでも死んでこの世を去ったならば、
もはや再び見ることはできない。

と、唱えてみてください。
きっと、最初にそのまま唱えたときとは、まったく別の姿で
表れるはずです。小生は、釈尊のぬくもりを感じるのです。

小生は、人を納得させたい、というよりも、
釈尊のこころを感じて頂くには、どうしたらいいだろうか、と
考えながらおはなしをしてみています。
あまり上手に出来ないことがもどかしい限りです。

経典のそのままを伝えることはとても大事です。

でも伝える人間が、その言葉に「ぬくもり」を感じていなければ、
経典はひとを傷つけかねない言葉も秘めているのです。

そのためには、言葉ひとつひとつをゆっくりとかみ砕き、
自身の体内に消化していく、つまり果てなき学びが必要
となりましょう。これは自身に向けた反省でもあります。

ちなみに、
小生のおすすめの本として「ブッダがせんせい」という
絵本があります。
よろしければ、お目にふれてみてくださいませ。

あなたさまの仏縁の日々がなによりやすらかでありますように。
さちあれさちあれ。合掌

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確かなる「法施」、「無畏施」の実践へと向けて

醜(しゅう)様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「仏教のエッセンスを広めたい」、「他の今苦しんでいる誰かにも、仏教の事を話してみたくなった」という思い、誠に有り難く尊いことでございます。慈悲の御心に深く感謝致します。そんなお優しい心を持たれた貴女様には、「醜」というお名前は似合いません。「美(よし)」というお名前にどうかお変え頂けましたらと存じます。

仏教をお伝えするのは、誠に難しいものですよね・・そして、当然に私見や邪見も入りってしまうのももちろん仕方のないことでございます・・どうしてなのかと申しますと、それはもちろん私たち凡夫においては、まだまだ修行が足りず、煩悩や無明によって真義の理解が邪魔されてしまっているからであります。

また、仏教の教えというものは、対機説法、方便によるものであるため、例え正しく理解できていることであっても、相手に理解してもらえるようにするためには難しいところもございます。このことは、下記の拙回答をご参照下さい。

問い「仏の教えって伝わりづらいものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1022839055.html

さて・・浅学非才の未熟者ではございますが、何とか拙生なりにお伝えさせて頂けることにつきましては、お伝えさせて頂きたいということで、仏教の修習の精進努力は続けさせて頂いております。

その中で、自身が納得検証した上において、できる限りに喩えも用いて、わかりやすくお伝え致して参りたいという思いは常々ございます。但し、やはり誤解を生じさせてしまったり、間違った方向にならないよう、慎重な配慮はできる限りしていかないといけないかと存じております。

私たちが取り組むべき六波羅蜜の修行の実践として、布施がございますが、その布施にも三つあり、「財施」、「法施」、「無畏施」があり、この度、美(よし)様が取り組み頂こうとされているのは、まさに「法施」、「無畏施」のことについてとなりますが、誰も最初から完璧にできるわけではありませんものの、できる限り独善的・自己満足的にならず、また傲慢・高慢・増上慢にも陥らずに、己もまだまだ学ばせて頂いてる者として謙虚な自覚も持って取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

釈心誓様
早速のご回答、ありがとうございます!
なるほど、とても分かりやすかったです。
相手方に上手く伝わらなかったのは、やはり私見が入っていたからなのだと改めて思いました。
もっとお経について勉強して、沢山の方に上手く伝えられるよう、日々精進したいと思います。
また迷い、悩んだ時などはここに訪れる事があると思いますが、その時はまたどうかお力添えいただけますようよろしくお願いいたします。

星 大晃様
ご回答ありがとうございます!
確かに、納得させよう!と思う私の気持ちこそがそもそも傲りであることに気が付きました。
自分の姿勢も良くなかったと思います。
後は伝える相手の気持ちに寄り添い、相手に合った経典をお話する事も大切なのだと気付きました。
仏教を広める専門のお坊さんですら、もどかしさを感じられているのなら、ただの仏教マニアの私に容易く広められるはずもないのだと思いました。
良いと思うなら、もっとそれについて勉強し、最善を見つけていきたいです。
「ブッタがせんせい」是非探して読んでみたいです。
ありがとうございました。
また迷い、悩んだ時は相談させていただくかと思いますが、その時はお力添えの程よろしくお願いいたします。

丹下覚元様
ご回答ありがとうございます!
論より証拠と言うわけですね!
私は昔からこだわりが強く、自我を通すこともしばしばあったのですが、仏教にこだわらないことの幸せを教えていただきました。
なので、まずは古くからの友人や、ずっと一緒にいる家族に伝えていこうと思います。
こんなに心が軽くなったよ!と、今の私が仏教によって良く変われたところを見てもらえたら伝わる気がします。

また思い悩んだ時はここに来て、お知恵を拝借することがあるかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

川口 英俊様
この度は、有難いお言葉に感謝いたします。
確かに、人の悩みは人それぞれで、その対処法も人それぞれですね。
なので、いくらお経の内容が有難く、もし正しく伝えられたところで相手様が納得される状況でなければ伝わらない事が分かりました。

美しい名前を考えて下さり、ありがとうございます!
私は決して自分を卑下してこの様な名前をつけた訳ではありません。
自分は、自分の愚かさ、醜さに常に目をやり、自分を律して行こうと決め、この名前を名乗りました。

両親から頂いた本当の名前は、大切にしておりますし、川口様が与えてくださったペンネームも、いつか似つかわしい人間になれたら使わせて頂きたいと思います!
また迷い悩んだ時には此処を訪れ、お智慧を拝借することもあるかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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回答数回答 4

最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

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