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仏教のエッセンスを広めたい

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有り難し有り難し 34

こんにちは。
迷った時にいつでもこのサイトに訪れています。
私は少し前に般若心経の現代語訳に触れ、そこから仏教が大好きになりました。
今までも嫌いだった訳ではなかったのですが、宗教自体が自分とはあまり関係の無いものだと思っていました。
さて、そんな私もいろいろ調べていくうちに、他の今苦しんでいる誰かにも、仏教の事を話してみたくなったのです。
ですが実際話してみると、そんな事が出来てたら苦労しないよ、とか、そんな事で納得出来るほど私は素直になれないわ!とか、受け入れてもらえない意見もちらほらありました。
(もちろん、仏教の素晴らしさを理解してもらえた方も多かったのですが。)
全ての人を納得させたかった訳ではありませんが、やはり私が話すからには私的見解が入る為か、思っていたより上手く伝わらないのだと知りました。
そこで質問です!
お坊さん方は、普段説法や法話をされる時に、より沢山の方に理解してもらう為に、どんな事を心掛けておられますか?
厳しいアドバイス、面白い実体験など、回答いただけると嬉しいです。
お忙しい事とは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間には誰でも救われたい要求がある

誰にでも、自由になりたい、幸せになりたい、安心したい、ストレスを無くしたい、という要求があります。
聖なる求めとでも申しましょうか。
自由欲、自己探求欲、自己向上欲、真実を知りたいと思う事、覚りたいと思う事、安らぎを得たいと思うこころ。その要求がある人ほどスラスラと伝わります。
ない方でも、悩みやストレスから自由になりたいと思わない人はいません。
あなたが実際に仏教で悩みやストレスから救われればいいのです。
そしてその救われた体験、しくみ、メカニズムをそのまま語る事でズバリそのまま伝わります。
理想論と捉えられてしまうと、救われません。
ちゃんと本当に、悩みから救われる。
そういう体験を本当にすることです。
そうすれば泉のようにチエがあふれ出てきますよ。

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有り難し
おきもち

お経に説かれていることをそのままにお取次ぎすることです。

浄土真宗では「法話」「説教」のことを「お取り次ぎ」と言います。
取り次ぐとは、両者の間にたって,一方の意向を他方に伝えることです。
つまり途中で勝手に私見を入れてはいけないということです。

例えば「Aさんに□□□と取り次いでください」と言われたら、そのままに内容をお伝えしなければいけません。
勝手に、□□□を△△△に変えて伝えると、それは間違ったことになります。
郵便配達の人が勝手に手紙を書きかえて相手方に渡しているようなものです。

仏教とは仏様の教えであり、その教えが説かれているのがお経典です。
だから、お経典の内容をそのままにお取り次ぎすることがもっとも大切だと思います。

私はとある大先輩と仏教の話をしていたとき、「〇〇だと思うんです」と言っていました。
するとその大先輩は「〇〇と思うのはどうしてだ?どのお経のどこに説かれているんだ?」と尋ねられました。
私は答えられませんでした。
すると「答えられないのは当然。それはあなたの勝手な考えであって、仏教の教えではないから」と諭されました。

「私がどう思うか」ということは仏教の教えではありません。
「仏様(またはお釈迦様)がどうおっしゃるのか」を答えるのが、僧侶の仕事だと教えられたことです。

一番大切なことはお経に説かれていることをそのままお取り次ぎすること。
その為にはお経をよくよく読まないといけないのは言うまでもありません。
これは私自身の問題で、いつも自分に言い聞かせてはいますが、なかなか読めていないのが悲しい己の姿です。
研鑽を積んで、もっとしっかり法話できるように頑張りたいと思います。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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確かなる「法施」、「無畏施」の実践へと向けて

醜(しゅう)様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「仏教のエッセンスを広めたい」、「他の今苦しんでいる誰かにも、仏教の事を話してみたくなった」という思い、誠に有り難く尊いことでございます。慈悲の御心に深く感謝致します。そんなお優しい心を持たれた貴女様には、「醜」というお名前は似合いません。「美(よし)」というお名前にどうかお変え頂けましたらと存じます。

仏教をお伝えするのは、誠に難しいものですよね・・そして、当然に私見や邪見も入りってしまうのももちろん仕方のないことでございます・・どうしてなのかと申しますと、それはもちろん私たち凡夫においては、まだまだ修行が足りず、煩悩や無明によって真義の理解が邪魔されてしまっているからであります。

また、仏教の教えというものは、対機説法、方便によるものであるため、例え正しく理解できていることであっても、相手に理解してもらえるようにするためには難しいところもございます。このことは、下記の拙回答をご参照下さい。

問い「仏の教えって伝わりづらいものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1022839055.html

さて・・浅学非才の未熟者ではございますが、何とか拙生なりにお伝えさせて頂けることにつきましては、お伝えさせて頂きたいということで、仏教の修習の精進努力は続けさせて頂いております。

その中で、自身が納得検証した上において、できる限りに喩えも用いて、わかりやすくお伝え致して参りたいという思いは常々ございます。但し、やはり誤解を生じさせてしまったり、間違った方向にならないよう、慎重な配慮はできる限りしていかないといけないかと存じております。

私たちが取り組むべき六波羅蜜の修行の実践として、布施がございますが、その布施にも三つあり、「財施」、「法施」、「無畏施」があり、この度、美(よし)様が取り組み頂こうとされているのは、まさに「法施」、「無畏施」のことについてとなりますが、誰も最初から完璧にできるわけではありませんものの、できる限り独善的・自己満足的にならず、また傲慢・高慢・増上慢にも陥らずに、己もまだまだ学ばせて頂いてる者として謙虚な自覚も持って取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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小生は、宗派的なものもあるのかとは思いますが、
経典のことばをそのままおつたえするときと、
主意をかみ砕いて伝えるときと、よくよく自身で吟味して
おはなししています。

子どもに「人は皆死ぬ」とストレートに言っても
「なんのこっちゃ」ですし、逆に恐れさせてもいけない
わけです。

スッタニパータ807に
夢の中で会った人でも、
目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。
それと同じく、愛したひとでも死んでこの世を去ったならば、
もはや再び見ることはできない。=中村 元 氏 訳

とあります。この言葉だけをみれば、
一見、冷たく、しかし真理をそのままに示しているように
見えます。
しかし、
釈尊は大切な弟子をふたり同時期になくしたとき、
「二人がいないこの場所は、みんながあつまっても空虚だ」
=相応部経典ⅠⅩⅦ 14、3=
とありますように、釈尊もまた、大切な弟子を失ったことによる、
深い慟哭の言葉を遺しているのです。

経典のことばの奥には、釈尊の「こころ」があるのです。

そのこころを思って、いまいちど、
夢の中で会った人でも、
目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。
それと同じく、愛したひとでも死んでこの世を去ったならば、
もはや再び見ることはできない。

と、唱えてみてください。
きっと、最初にそのまま唱えたときとは、まったく別の姿で
表れるはずです。小生は、釈尊のぬくもりを感じるのです。

小生は、人を納得させたい、というよりも、
釈尊のこころを感じて頂くには、どうしたらいいだろうか、と
考えながらおはなしをしてみています。
あまり上手に出来ないことがもどかしい限りです。

経典のそのままを伝えることはとても大事です。

でも伝える人間が、その言葉に「ぬくもり」を感じていなければ、
経典はひとを傷つけかねない言葉も秘めているのです。

そのためには、言葉ひとつひとつをゆっくりとかみ砕き、
自身の体内に消化していく、つまり果てなき学びが必要
となりましょう。これは自身に向けた反省でもあります。

ちなみに、
小生のおすすめの本として「ブッダがせんせい」という
絵本があります。
よろしければ、お目にふれてみてくださいませ。

あなたさまの仏縁の日々がなによりやすらかでありますように。
さちあれさちあれ。合掌

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おきもち

質問者からのお礼

釈心誓様
早速のご回答、ありがとうございます!
なるほど、とても分かりやすかったです。
相手方に上手く伝わらなかったのは、やはり私見が入っていたからなのだと改めて思いました。
もっとお経について勉強して、沢山の方に上手く伝えられるよう、日々精進したいと思います。
また迷い、悩んだ時などはここに訪れる事があると思いますが、その時はまたどうかお力添えいただけますようよろしくお願いいたします。

星 大晃様
ご回答ありがとうございます!
確かに、納得させよう!と思う私の気持ちこそがそもそも傲りであることに気が付きました。
自分の姿勢も良くなかったと思います。
後は伝える相手の気持ちに寄り添い、相手に合った経典をお話する事も大切なのだと気付きました。
仏教を広める専門のお坊さんですら、もどかしさを感じられているのなら、ただの仏教マニアの私に容易く広められるはずもないのだと思いました。
良いと思うなら、もっとそれについて勉強し、最善を見つけていきたいです。
「ブッタがせんせい」是非探して読んでみたいです。
ありがとうございました。
また迷い、悩んだ時は相談させていただくかと思いますが、その時はお力添えの程よろしくお願いいたします。

丹下覚元様
ご回答ありがとうございます!
論より証拠と言うわけですね!
私は昔からこだわりが強く、自我を通すこともしばしばあったのですが、仏教にこだわらないことの幸せを教えていただきました。
なので、まずは古くからの友人や、ずっと一緒にいる家族に伝えていこうと思います。
こんなに心が軽くなったよ!と、今の私が仏教によって良く変われたところを見てもらえたら伝わる気がします。

また思い悩んだ時はここに来て、お知恵を拝借することがあるかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

川口 英俊様
この度は、有難いお言葉に感謝いたします。
確かに、人の悩みは人それぞれで、その対処法も人それぞれですね。
なので、いくらお経の内容が有難く、もし正しく伝えられたところで相手様が納得される状況でなければ伝わらない事が分かりました。

美しい名前を考えて下さり、ありがとうございます!
私は決して自分を卑下してこの様な名前をつけた訳ではありません。
自分は、自分の愚かさ、醜さに常に目をやり、自分を律して行こうと決め、この名前を名乗りました。

両親から頂いた本当の名前は、大切にしておりますし、川口様が与えてくださったペンネームも、いつか似つかわしい人間になれたら使わせて頂きたいと思います!
また迷い悩んだ時には此処を訪れ、お智慧を拝借することもあるかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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