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死ぬとどうなるのでしょうか

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死ぬと苦しいでしょうか、楽になるでしょうか、その人の生き方次第でしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人は自分の死は体験できません。

先に結論から申し上げます。
「他人の死を知ることはできても、
自分の死は、一生体験することはできません。」
これが答えです。

変な表現ですが「人は死ぬことはできない」のです。
まさか、と思われるでしょうが、以下の内容をよくお考えください。

①今夜あなたが🌙フトンをかぶってお休みになられる時、
「ああ、寝るぞ寝るぞ…」と思って眠りについてみてください。
😩「ムニャムニャ…、あー、眠くなってきた…、zzz…、
zzz… 💤」👈こうなったら寝ていることを自覚はできませんよね?

②では、寝ている時の自分を自覚することができますでしょうか?
👉夢は見たとしても寝ているから自覚できませんよね。

③寝る瞬間のことを自覚できるでしょうか?
👉寝る直前の1秒ぐらい前までは、自覚はあっても寝たら自覚はできませんよね?

🌙布団で眠りにつく直前までは意識があっても、寝てしまえば意識がない。
…と、いうのと同じように、

😇永遠の眠りにつく直前までは意識はあっても、死んでしまえば意識はありません。

死ぬ直前まで、死ぬぞ死ぬぞ…と思っても、生きているうちは絶対に生きているんです。
「死ぬかもしれない、死ぬかもしれない」と思っていても、それを考えられているうちは絶対に!死んでいないのです。それはチャンと生きている証拠です。

よって、今日からこう考えてください。
「他人の死は知ることができても、自分の死は一生体験することはできない」と。
この道理が理解できれば死に対する不安は消えます。

生きている間に死後についていくら考えても、それは死についてアレコレと想像をめぐらしたというだけです。死後の世界について根拠のないコトを言われる人には「あなたは死んだことがあるのですか」と尋ねてみてください。

だから、今日からこう👇明るい希望を持って生きていただきたいと思います。
「死を迎える、その時が来るまで私は絶対に死ねないのだから、その時まではいくら死について考えてもしょうがないので、しっかりと、今を生きよう」と。
苦しいか楽になるか。
死は平等です。格差はありません。亡くなるまでは苦しい、安楽であるか、という差はあります。ですが死によって、一切の感覚から解放され離れるので「苦楽はない」と、私は確信いたしております。

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おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

死ぬと楽になる保証はありません。

死ぬと苦しいです。
苦しんだままの死、残された人の悲しみや自責と後悔、寂しさは、この問答欄をはじめ今までたくさん目にしてきました。

死は自らの味方にはなってくれません。

死ぬと楽になると思いたくなるくらいのしんどさや生き辛さを感じてらっしゃる方からの相談はいつも心配になります。
頭の中ではお辛い気持ちが占める日もあるかもしれませんが、どうか、お体は大切になさってください。

頭の中で色々なことを考えるときも、身体は細胞の代謝を繰り返し、血液を運び、呼吸を続け、傷ができるとカサブタをつくり治そうとし、誰の目を気にすることなくその役割を務めています。
そのことは心の片隅に留めていただけると幸いです。

あまりにお辛いようなら、医療機関や相談機関の活用も選択肢のひとつかと思います。

大袈裟に考えすぎていたら、すいません。

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おきもち

「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば景色が変わる」「人を変えるつもりはないが成長の支えにはなりたい」と願っています。 生き辛さの困りごとは心理や福祉でたくさん聞いてきた。 でも、それと同じくらい僧侶の現場では「あともう少し長く生きたかった」という声も聴いてきた。 今の地球って自分が都合過ごせる環境じゃない、年々生き辛くなる。それは百も承知。 でも、あなたが今生きているイノチは、先に旅立った人が求めても手に入れられなかったイノチでもあります。 だから、自分を大切にしてほしいと心から願っています。。。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。 僧侶となって40年経ちました。 毎日、毎日念じてます。

「因果応報論・業論」

りい様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

どのようなご意図にて本ご質問を成されるに至られたのかは図りかねますが、仏教は、「因果応報論・業論」を扱います。

下記拙回答におきましても扱わせて頂いております。

問い「悪いやつらが幸せに生き残る時代」
http://hasunoha.jp/questions/32

問い「因果応報」
http://hasunoha.jp/questions/45

仏教に慣れていない初学者にとりましては誠に理解することが難しいとは存じますが、平たく述べますと、「善いことをすれば善い結果となり、悪いことをすれば悪い結果になる」ということであります。

この縁起により成り立っている世界においては、原因や条件を無視して、絶対に結果は成り立ちません。必ず結果には、原因や条件があります。善い結果を出すためには、善いことを行う努力が必要となります。それを怠っていては善い結果は生じません。もちろん、一体何が「善い行い」というものになるのかについては、慎重に考える必要があります。仏教的には、下記問いにても述べさせて頂きましたように「慈悲・利他」を旨として行うことが求められるものであるかとは存じております。

問い「仏教における徳積みとは?」
http://hasunoha.jp/questions/119

「菩提心論」
http://t.co/aSBtLQQI

死後の有り様は、確かにりい様のおっしゃられますように、「生き方次第」であり、それもできうる限りの「善い」生き方が望まれるものとなります。

死後の輪廻においては、(空なる)心(相続)のありようが大きな作用を持つものであると考えられております。無明(根本的無知)・煩悩・悪業などの悪い因を抱えた状態での死後の赴きは、非常に厳しいもの(悪趣世界・・地獄・餓鬼・畜生など)になる可能性が高くなってしまうと言われております。

何とか確かなる「仏縁」により、心(相続)を浄らかに保ちて、死後以降も仏道修行の歩める状態にて、悟り・涅槃へと向けて精進努力して参りたいものでございます。

真なる楽(悟り・涅槃)を得たいと願うのであれば、しっかりと「善い」生き方を心掛けていく必要があるかと存じております。善い行いが積めれますように共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

りい様。

貴女様がご質問に有ります様に、「その人の生き方次第で…」死した後は変わります。

川口 英俊 師の仰る様に
「善いことをすれば善い結果となり、悪いことをすれば悪い結果になる」という事ですね。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致し、実践において長期にわたり使用実績を積む 此の密教の天文暦法に基づく占星法で、衆生の手助けをと考えます。 また、一座供養、一座祈祷も承って居ります。 本来、供養や祈祷は長期に渡り此れを継続的行うものですが、 一回のみの供養や祈祷を一座供養・一座祈祷として、此処にお受けするものです。 なお、遠方のお方でも、承りますのでご遠慮なくお問い合わせ下さいませ。

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