お坊さんへの相談が殺到しており、質問受付数を制限中です。

回答が追いついておりません。今を生きる人のために仏教の智慧を伝えてくれる僧侶の方を募集中です。

死後のことをどう考えますか?

死んだらどうなるのでしょう?
最近そんなことを考えて怖くなる時があります。
私は仏教が好きなのですが、実際自分が死んだらどうなるのか不安になって怖くなる時があります。

何もしないと死後はどうなるのか?
修行をしたら死後は変わるのか?
死後にお坊さんにお経をよんでもらったらどうなるのか?

とても不安です。

有り難し 21
回答 5

質問投稿日: 2015年5月23日 20:56

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

生きている人の願いの表れ 

死後の世界と呼ばれるものはおよそ三種類あります。
①A生きている人が創造した空想世界➡存在が実証できない故に、所詮空想と言わざるを得ない。
②涅槃、彼岸、極楽浄土などを誤解して生み出されたインナー・イメージワールド➡※悟りをあらわす語を、心の他に理想郷として想定してしまったために生じた空想世界。イメージ世界にとどまらせる迷いの一種。
③あなたの死後も永遠に存在し流転しつづけるこの地球、宇宙。
➡死後私たちは次世代の命を活かす❝物質的存在・エネルギー・作用・影響力❞として、この世界で生き(活き)続けます。
ここに共通する点は、みな、この世界での営みであるという事です。
空想はいけないのか?いや、方便ならイイのでしょう。マンガだって夢や希望を与えます。
ですが本当はその方便を用いてお導きすべき先は、思量、妄想、空想の世界から離れた真実の仏法世界です。
簡単に言えば、死後の世界は今現在時点での推測、憶測にすぎないので、思いの世界を抜け出てちゃんと今のリアルを迷いなく生き、迷いがあるなら、心や思いの正体を見破り迷いを無くしましょう、ということが大事です。
人間結局、自分の思いから抜け出さなければ、心底自由にはなれないのですよ。
だから、みな坐禅や瞑想をして、思いから自由になるよう事実に周波数あわせをするのです。
何もしないと死後はどうなるのか?
→('ω')死ぬまで、死をおびえて生きるでしょう。
修行をしたら死後は変わるのか?
→('ω')自分の思いから抜け出すこと以外に修行なんてありませんよ。
死後にお坊さんにお経をよんでもらったらどうなるのか?
→('ω')たった今、私はあなたに生の活きたお経を読んでいるのがわかりますかいな。

一休さんの逸話
夫が亡くなり婆さまは一休さんに「お経をあげてくれ」と頼んだ。
「金づちをくれ」というので金づちを渡すと、死んだダンナの頭を金づちで木魚の如くごんごん叩き始めた。
「なにをなさるんで!!」
「ほれ、婆さん、じいさまは痛いとも何ともいわんぞ。お経というのは生きているうちに聞いておくべきもので死んでからでは遅いのじゃ。これがワシのお経だ。」

3年4ヶ月前

死後の世界への思索から、今をどう生きるかへ

はじめに断わっておきたいことがあります。それは仏教で死後の世界を説くからと言っても、それは科学的にそのような世界が死後にあるというわけではないということです。仏教は私たちから人生の苦しみを取り除くために、ものはどう在るのかを考察します。そして、そこに私たちの生き方(人生に対する価値観)が明らかにされてくる世界(縁起なる世界、空なる世界、他力本願の世界、など)として、この世界を捉えていきます。それに対して、科学の役目は、ものが客観的・物理的にどのように存在するのかを明らかにすることにあります。ですので、仏教で死後の世界を説いても、それは客観的にも存在する世界を言っているのではないのです。

さて、死後の世界は、仏教の中でも特に浄土教においては、重要な事柄になります。それは浄土教においては、悟りの完成をこの世からあの世、つまり死後に持って行ったからです。しかし、お釈迦様の死後の世界に対する基本姿勢は「無記(形而上学的な事柄に対しては沈黙を守って答えなかったこと)」です。すなわち、仏教は死後の世界に向かって進む教えではなく、この今をどう生きるかを説く教えなのです。ですから、悟りの完成地として死後の世界を説く浄土教においても、教えの重点は死後の世界ではなく、今ここでどう私たちは生きて行くべきか、に重点が置かれているのです。死後の世界に悟りの完成地を求めた教えは、そうせざるをえない私たちの有り様(自己を見つめれば見つめるほど、煩悩具足の凡夫であるという私たちの有り様)の結果なのです。

質問者のシャ家族さんのように、死後、私たちはどうなるのだろうか、と不安になる気持ちはよくわかります。私から言えることは、お釈迦様が死後の世界に対しては「無記」としたように、今をどう生きるかが大切であり、そうして生きた結果のあの世のことは、仏様にお任せするだけ、という生き方をお持ちになってはどうでしょうか。

追記
私の回答は、死後の世界の否定ではありません。仏教の基本は、「無記」。したがって、死後の世界が仏教で語られる時、どのような「場(領域)」で語られているかが、問題になるということです。

3年4ヶ月前
回答僧

崇興寺

釈心誓

浄土真宗の立場でお答えします。

①何もしないと死後はどうなるのか?
自業自得の道理にしたがって六道輪廻します。
地獄へ行くか、天国へ行くか。
それは自身の業(行い)次第です。
浄土で成仏することはありません。

②修行をしたら死後は変わるのか?
上記と同等に自業自得の道理にしたがって行先が決まります。
修行次第で大きく変わります。

③死後にお坊さんにお経をよんでもらったらどうなるのか?
読経は生きている人がお経を読む為にする儀式であって、亡くなった方に読み聞かせるものではありません。
死後にいくら読経をしても、亡くなった方には無関係です。
自業自得の道理で行先が決まります。
 

浄土真宗では上記の①②③では成仏できないと考えます。
浄土真宗では「信心」一つで死後の往生成仏が確約されます。
それを「唯信独達」と言います。
但し、信心とは信じる心ではありません。
浄土真宗では「阿弥陀様の話を聞いてお任せすること」を「信心」と表現しています。
100%他力で往生成仏するので『私が信じる!』という自力は要りません。
ただお任せするだけです。
私は死後の往生を信じていますが、信じさせるのも他力のはたらきなので自分で信じようと努力する必要もありません。
自力心が無くなることが信心と言ってもいいと思います。

3年4ヶ月前

死後について

シャ家族様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後につきましては、最近でも下記の問いにてお答えさせて頂いておりますので、まずご参照下さいませ。

問い「輪廻転生の理解」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1028277625.html

「死後について」扱わせて頂いております問答
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_324660.html

さて、各ご質問の内容についてでございますが、「実際自分が死んだらどうなるのか不安になって怖くなる時があります。」・・以前の拙生ももちろんそうでございました。しかし、それがきっかけで更に深く仏教を学ばせて頂くことができました。一つ言えますのは、死後は死後のこととして、とにかく今をしっかりとまずは生きるということが大切であり、それも善き因縁をできるだけ積めれるようにということでございます。

不安や恐怖となるようでしたら、あまり死後のことはとりあえず考えずに、今まさにある迷い苦しみについての対治に取り組むことが望まれることになります。

「何もしないと死後はどうなるのか?」・・無明(根本的無知)・煩悩を対治することなくしては、その行い、業の因縁によっての赴きはやはり厳しいと言わざるを得ないでしょう・・

「修行をしたら死後は変わるのか?」・・修行をしてもその内容によりますし、基本的に、仏教においては、智慧(空の理解)と福徳(慈悲利他行・方便行)の二資糧を確かに誤りなく積んでいくことが必要となります。その因縁が確かであるならば、きっとその赴きも善いものとなるでしょう。

「死後にお坊さんにお経をよんでもらったらどうなるのか?」・・うーん・・正直お経を読んで頂いただけでは、何とも・・いう感じもございます・・もちろん、少しの仏縁、法縁にはなるかとは存じますが、そのあたりのことにつきましては、下記拙論をお読み頂けましたらと存じます。

「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

川口英俊 合掌

3年4ヶ月前
回答僧

願誉浄史

死んだら生まれ変わる

仏教では経典には輪廻の話が出てきます。
仏教思想でも色んな議論・研究があります。
死後、次にどんな生きものに生まれ変わるかは、臨終の瞬間の心に左右されるようです。
イメージとしては、死ぬときに来世はどうなるかというのは、眠るときに次回はどんな夢を見るだろうか、みたいな感じではないでしょうか。
死んでみなければ、眠ってみなければ、果たしてどうなるか、わかりません。
しかし、普段の修行、普段の生活が、来世や夢に影響するのも事実でしょう。
ですから、修行しないよりはしたほうがよい。
しかし、修行していても、臨終の瞬間に心が乱れる可能性はあります。
体操選手が何千回練習してても試合でミスすることもあるように。しかし、ミスの確率を減らすために練習するのでしょう。
煩悩が強いと、臨終に悪いことを考えたりする確率は上がるので、悪い結果になる確率も上がるのでは。
ただし、浄土教では、修行していない悪人でも念仏してれば、阿弥陀仏が迎えに来てくれるから、臨終の瞬間に心が安定し、浄土に生まれ変わることができるとも言われています。
死後に浄土に往くに決まってると思えれば、二度と死後の心配は要りません。
なので、浄土教はあの世のことばかり考える宗派に見えて、実は一番あの世のことを考えなくていい、その分この世のことに懸命になれる宗派かもしれません。(宣伝するわけではないです。)
未来は、考えたら不安になります。ですが考えないのも難しいなら、仮の答えを決めておいて、あれこれ妄想はやめるのもいい。
説教坊主の鉄板ネタ。「死んで帰ってきた人はいないから、浄土はよほど良いとこなんでしょう」。(どや顔)
さて、誰かがお経を読んでるのを聞くことができれば良い影響はあるでしょう。
ただし、生まれ変わった先までお経が聞こえるのか、生まれた赤ちゃんが受精卵になる前にいた場所の家族が読んでいるお経を聞けるのか、過度の期待はしないほうがよいかも。

3年4ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

ご回答ありがとうございます。

亀山さま
浄土真宗の中でもお坊さんで意見が分かれるのですね。
今をどう生きるか。
その問いはとても難しく考えましょうと言われても困りますよね。
問うて生きたいとは思います。

丹下さま
とても分かりやすい話ありがとうございます。
道元さまは涅槃経を大切になさったと聞きます。
私も涅槃経の解説本を何冊か読みました。
涅槃経には輪廻が説かれていますが、道元さまはそれを方便だとされたのですね。
最近、方便がありすぎて何が仏教か分からなくなります、、

釈心誓さま
亀山さまは「死後はない」とおっしゃり、釈心誓さまはある前提の話ですね。
同じ浄土真宗でも全く真逆ですね。
でも、浄土真宗は極楽浄土へ往生する宗教なのですから、あるという前提がなければ話が合いませんよね。
あると信仰する人も、ないと信仰する人もいるんですね。

川口さま
死後は死後として今をしっかり生きるというつもりで生きてきたつもりなんですが、問題を先延ばしにしているだけのような気がして最近不安になってきたんです。
多岐にわたるお示しをしかと受け止め精進していきたいと思います。

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