心を許せる親友がいません。
私は、常に一人ぼっちです。親友ができた、と思っても、他の人にとられてしまったり、離れてしまいます。周りは、心を許せる友達同士で、羨ましいな…と思ってしまいます。
これまで人間関係がゴタゴタしていくのを経験しているので、一人ぼっちでも、楽は楽ですが…。やはり寂しいです。
気にせず、過ごして行くためにどうすればいいですか?
教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
隣の芝は青く見えるものです
のぼうさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
のぼうさんは、常に一人ぼっちと感じ、親友ができたと思っても他の人にとられてしまったり、離れてしまい悲しい思いをしているのですね。周りは心を許せる友達同士で羨ましいと思っているのですね。
のぼうさんは、本当にひとりぼっちでしょうか。
確かに、親友を他人にとられてしまったり、周りは心許せる友だち同士で羨ましいと感じたりします。
しかし、本当の親友は離れていてもつながっているものです。
仏教では縁(えん)といいます。少しだけ言葉を交わしたことがある人、スーパーでレジを打ってくれた人、家電店で商品の説明をしてくれた人、すべての人がご縁のある人なのです。
友人に友だちがたくさんいることが「羨ましい」と感じていることが、のぼうさんが「私はひとりぼっちだ」と思わせているのです。
羨ましいを捨ててみると、見える世界ががらりと変わります。
のぼうさんに、たくさんの御縁がありますように。
ダルマ・フレンド(法友)
心の向上の無い友達は、最終的に友達になりません。
人間、心の向上(菩提心)を起こさない間柄は、どこまでいっても優劣勝敗などが付き従います。
よって、心の向上心を持った人を友とすることです。
もしくは、お寺の集いに参加するとそういう人たちが集まっています。
こういうことへの気づきは年齢ではありません。
仏法僧の僧とは、なにも坊さんの事ではありません。
正しくはサンガ・僧伽といって、悟り・仏の心を求めて修行する集いのことを言います。
菩提心(心を向上させようとおもう心)を起こせば、誰もが僧なのです。
そして、その関係は和合を重んじます。
我々僧侶の世界でも、法友は得難いものです。
ですが互いにみな菩提心を持っています。
それが共通のきずなになります。
仏はこれ大いなる師なるがゆえに帰依す。
法はこれ苦を除く良薬なるが故に帰依す。
僧はこれ勝友なるがゆえにこれに帰依す。
わたしどもも、質問者様の法友です。
友達は思い通りにはなりません
人は一人では生きていけません。
常に誰かのお世話になっている訳ですから、一人だなんて思う必要はありません。
お友達をとられてしまう というお話ですが、お友達はあなたのものではありません。常に一緒にいなければならない訳でもなく、価値観も違えば、性格も違う。違っていいのです。他の人と仲良くしても、自分とも仲良くしている。それが自然であると思います。
親友と言える友達なんて、そうできるものではないと思いますよ。
一人で寂しく感じているなら、共通の趣味を持つ人の集まるようなところに行ってみることです。自然とお話も弾むことでしょう。
質問者からのお礼
アドバイスをありがとうございました。分かっていたつもりでいたのですが、今回はっきりしました。厳しくも、温かいお言葉ありがとうございました!ゆっくりでも、一日一日進んで行けたらな…と思います^^