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即身成仏について

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密教の在家信者でも悟りに至ることができるのか、質問したものです。出家者にお布施をして悟りに至るとのことですが、即身成仏の問題があります。

在家信者でもご真言を唱えれば即身成仏できるんですか?(出家者にお布施なしで)


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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できます。

清香さん、再びです。

再回答で書きましたが、出家者にお布施をすれば成仏するということではありません。布施行は菩薩行の実践科目です。僧侶に布施をすることだけが布施行ではありません。布施行は自分以外への施しです。その一つに僧侶への布施行があるだけです。六波羅蜜を教えの通り実践するならば出家者にお布施をせずとも成仏に至ります。

僧侶は在家者にたしてあくまでもプロの道先案内人です。料理を学ぶには我流でするよりも料理の先生についた方が早く料理が美味くなるように、仏道修行も独学で実践するよりも師について学んだ方が迷わずに悟りに至れるという意味です。
そしてどんなに先生に教えてもらっても最後は自分で料理を作らなければなりません。同じように仏道修行もどんなに素晴らしい師について教えてもらっても、最後の悟りは自分自身の菩薩行の実践でしかありません。それは出家・在家にかかわらず平等に成仏の道は開かれています。だから清香さんも、自身で経典を買い真言を唱えながら菩薩行を実践すれば必ず成仏の道に至ります。

当然、我流ですから道をズレれば悟りの道は遠のきます。だからこそ自身の仏道修行をどのように実践するかを自身で選ぶ必要があります。ちなみに、密教の即身成仏は、真言を唱えたらすぐに成仏するという意味ではありません。そういうことも含めて独学で学ぶか、師について学ぶかという学習の方法論の選択になります。

がんばって勉強してくださいね。合掌。

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こう考えてみても良いでしょう。
そもそもが布施でないものなどないのです。
生きているだけで誰かに布施しています。
寝たきり、病気になっても医療・福祉界に貢献している。
今呼吸しているだけでもなんらかの恩恵、布施を頂戴している。その授かりにきづく。
だからと言って何もしないのではなく、それを具現化して布施をする。
己を離れるためにも修行として布施をする。
今日、明日と関東は大雪の中、動けなくなっている車を助けている人もいます。
寒いのが嫌だ、濡れたくない、という人たちは通り過ぎるだけ、布施スルーです。
それではそこで必要とされるべき布施にはなりません。
真実仏法を説く方というのは世にたぐいマレですから、その方のお力を広めることや手助けをする、支援をすることで、さらにその方の説かれる真実仏法によって多くの人たちが救われる。

真言とはそれによって本当に成道、成仏する❝言❞ですから、その真言を念じ、唱え、体現することではじめて脳内真言化、自身の上での真実化するのです。
真実化、実際化しなければ真言もむなしくなります。
ではどうすれば具現化、現実化、実際化する真言になるか。
「諸行無常」
といっても、諸行無常という文字、音声が流れただけです。
「自身、自心が常に転変していて、前のことを残さず、いつでも救われている。」
自身を成仏に向かわしめる、理解と、人間の私的な見解をはなれたそれとして機能させる必要があります。
これは、どのような真言を唱えるにしても同じです。
この自身の上において本当の意味で真実、真言になっていなければ、どんな真言でも仮言とでもいうべき、言葉になってしまうのです。

即身成仏
即身是仏
即心成仏
即心是仏
いつ、どこで、どのような、成仏なのか。
それをあらかじめ自分で想定してそのイメージ通りにならんとツマランというのは自分が入っているのです。
今、何をみるにも聞くにも、それになっている《真実》真行がある。
はじめに言葉ありき か それとも はじめに真実ありきか。
言葉は真実を指さすことば。
真言もまた真実を指さし、真実・成仏に向かわしめるまことの言葉、お真言。
真言を真言たらしむるのは自心の真言の働かせ方、効かせ方なのです。
私の言葉も、ぼけーっと眺めるだけでは効かない人には効きません。
こういう言葉も自身の上で成仏に導く真言として機能させるのです。

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身と口と心と

清香さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

出家者にお布施をしないで在家信者でもご真言を唱えれば即身成仏できるかどうか、気になっておられるのですね。

即身成仏について少し書いておきます。
仏教はインドで発祥しシルクロードに乗って中国、日本に伝わりました。仏教ではお釈迦さまのように幾度も生まれ変わりながら徳を積み修行をして悟りに至るとされていました。しかし、密教では手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏さまを想えばだれでもすぐに仏さまと一体になれると説きました。これが即身成仏です。

では、印や真言を知らなければ即身成仏ができないのでは?という疑問が浮かびます。
もう少し日常生活に生かせるよう解釈してみましょう。

手に印を結ぶとは、「清らかな行いをせよ」という意味に捉えてください。生きとし生けるものをむやみに殺さない、盗まない、不倫をしないことです。つまり、身体でする行いのことです。

口に真言を唱えるとは、「清らかな言葉を使いなさい」という意味です。ウソをつかない、お世辞を言わない、悪口を言わない、二枚舌を使わないことです。

心に仏さまを想うとは、「清らかなことを考えなさい」という意味です。出し惜しみをしない、怒らない、誤った考え方をしないことです。つまり、こころをきれいにすることです。布施行と言い換えてもいいと思います。

まとめると、身と口と心をきれいにすることで、あなたはすぐに仏さまと一体になれる(即身成仏できる)と説いているのです。
清香さんが身と口と心とをきれいにして即身成仏に至ることができるよう祈念しております。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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無上瑜伽タントラの「幻身」と「光明」

清香様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「即身成仏」につきましては、拙生も長い間、考えてきたところがありましたが、最近になり、成仏する身体も心も、いま私たちに普段あるような粗い身体、粗い心(意識)によるものではないということがようやくに分かりました。

特に、無上瑜伽タントラに説かれる「幻身」と「光明」というものが、成仏のための質料因として必要になるというところでございます。

その「幻身」と「光明」の双入の次第によっては、確かに「即身成仏」も可能であると理解することができました。

しかし、そのためにも、やはり、悟りのための智慧と福徳の資糧集積の修行が必要となります。特に密教では、智慧と福徳の資糧集積を迅速に調えていくための教えにもなっておりますものの、一歩間違えれば、とんでもないことになってしまうため、誤りなく、慎重に修習していくべきことになりますので、気を付けなければならないと存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

染川さん

ありがとうございました。もっと仏教について勉強したいと思います(^^)

中村さん

そういう深い意味が隠されていたんですね。目から鱗でした。ありがとうございました。

丹下さん

深い教えをありがとうございます。上手く実践できるかわかりませんが、頑張ってみます。

川口さん

なるほど…ありがとうございました。

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