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子どもに怒ってばかりで子育てがつらい

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2歳の男の子がいます。

最近、「嫌だ」が口癖で、落ち着きもありません。言うことを聞かないので、怒る場面がかなり増えました。

外でこんなに怒っている人は見たこともないというくらい自分では怒りっぱなしです。もちろん、危ないことや、やってはいけないことを何度もやるので怒っているのですが、そいう場面が多いです。

怒りたくなく、笑顔でいつもいたいのですが。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

例えばお閻魔さまやお不動さまなどは恐ろしい顔をしていますが、それは人間に悪いことをしないように諭すためです。

子どもを育てるのにいつも笑顔でいられるわけはありません。

時には怒りの表情を見せることも必要です。
でも、心まで怒りで満たさないようにして下さい。

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おきもち

hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...
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子供への干渉のカロリーハーフ

ウチにも二歳の子がいます。
いわゆるイヤイヤ期で、何を勧めても嫌がられてしまいます。
最初のうちは、それに振り回されて参っていました。

子供のイヤイヤ、否定、拒絶の姿勢は疲れますよねー。
赤ん坊時代が泣く事でしか自分を表現できなかったように、二歳くらいはまだまだ、本当にやりたいその、たった一つのこと以外は、全部NOで答えることしか出来ないのでしょうね。

ここに一つのポイントがあります。
たった一つだけやりたいことがある。
そのことをわかってあげれば、ママもパパも子供にとって「お、わかってくれてんじゃん」と、良き理解者になれるのです。単にやりたいことが限定されているだけなんだと、思ってあげればいいと思います。

イヤイヤ期とか魔の二歳などとひどい言い方をすることもありますが、それでは子供がかわいそう。
子供はとにかく、ママが絶対に自分を裏切らないかどうか、本当に自分が愛されているのかを試しているわけです。
愛情のバケツが愛のガソリンで満たされ、安心感が満たされるまでは、愛のガソリンスタンドの店員さんになり続けなければいけません。子供の愛のガソリンは、すぐ空っぽになってしまうからです。

怒るのは、怒りのエネルギーで、同居者、子ども、自分に悪い影響を及ぼします。
キャーキャー騒いで、怒りたいときは、たった一つのしたいこと、何がしたいのかをやさしーく、子ども目線で、ご主人もその声で癒されるように接してあげることを基本にいたしましょう。
ほぼ八割がたママの愛情オイルを注いでおくれといっているのです。

そのやりたいことは、静かにママのそばで座っていることかもしれません。
時には、ほっといてもらいたいんだけど、そばにはいて欲しいことかもしれません。
本当に これなの?って思うくらい意外な答えであることが多いので、100のうち99は地雷ですから、なるべくそっと優しく、今夢中になっていることを継続させてあげると良いと思います。
本当に、その時にやりたがっている、その一本だけを子供自身に選ばせて、やらせてあげて、あまり干渉しない方が心が楽です。
もちろんハサミやライターなど危険なものを持った時は思いっきり叱って、そのあとハグしながらあなたが大切だからなんだよ?と伝え「ハイ」をきちんと言えるようにしつけています。

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おきもち

人間ですもの

MOMO 様

はじめまして。
問いへの意見を述べさせていただきます。

日々の子育てのご苦労を察しいたします。
時には怒ることも大切です。
それも人間でございます。
自分の気持ちに素直になりましょう。
そしてなにかストレス解消など発散する方法を考えましょう。
周りの方の協力を得て、自分を日々の生活から解放してあげましょう。

特に最後の文章でございます「怒りたくなく、笑顔でいつもいたいのですが。」
その気持ちが大切でございます。
そのこころがあれば、その道へ進むと思います。
人は思っていること、イメージしていることに進みます。

ぜひその気持ちをいつまでも大切に。合掌

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おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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MOMO 様
 井上広法師のおっしゃられておられますように、子育ての中、様々な道徳・倫理を養わせていくためにしつけを行う際、時に怒ることは大切なことであります。そしてそれは将来の子どものためでもあります。これからの人生で間違った道を歩まぬように、しっかりと道徳的・倫理的に社会で過ごせていけるようにとして行うことが大切であります。
 ただ、その怒りによるしつけも、時と場合によっては悪い結果をもたらしてしまうこともあります。子どもの成長の器量に応じて、できるだけ適切に優しく諭す場合、厳しく諭す場合と見極めていくことも大切となります。例えば、まだ生後数ヶ月の子どもに対して、「危ないから寝返るな」と怒鳴り叩いて怒っても仕方がないように、子どもの成長度合い、分別度合いを見極めていかなければなりません。
 また、くれぐれも子どもへの怒りが己のストレス発散、自分の都合や自己満足のためによる怒りへと陥らないように注意することも必要となります。それはやがて虐待やネグレクトへも繋がりかねません。井上広法師が「心まで怒りで満たさないよう」にとおっしゃられているのもそのためであります。
 仏道は、慈悲と智慧によって正しく歩むことができて参ります。慈悲が優しさの教えであるならば、智慧は厳しさの教えであります。子育てもバランス良く、偏り無く、優しさと厳しさを兼ね備えて進めていくことが重要ではないかと存じております。MOMO様のお子様の健やかな成長を祈念申し上げます。
合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「子育て・育児」問答一覧

死を意識する子ども

6歳の娘を育てていますが、その子がやたらと死を意識するような言動が多く不思議です。子どもとして正常なのでしょうか? その子のまえに2歳離れた娘がいましたが、先天性の疾患があり4ヶ月でお空に帰ってしまいました。わが家には長女の仏壇があり、朝夕に手をあわせ、月命日には墓参りをしています。 3ヶ月前にはわたしの祖母が亡くなりお通夜に参列しました。棺に手紙を入れて、亡骸と対面もしています。 飼っていた猫も老衰し、亡くなる時を見守り、ペット葬儀場でお骨になるまでをみせています。 同年代の子どもより亡くなった人(ペット)と接するエピソードが多いからかもしれませんが、「◯◯ちゃん(長女)はお空にいるんでしょ?今日は背負って一緒に小学校に行くんだ~」 成人式のニュースをみて、どんな振り袖が着てみたい?と話しかけた主人に「パパは成人式の時まで生きてるの?いつまで生きてるのかな?」 祖母のお通夜をした葬儀場前を通ると「大バァちゃんはまだここにいるの?死んだらどこにいるの?」などよく聞いてきます。 死に対して恐怖を感じてる様子はありませんし、死を意識した会話を悪いことだとは思っていませんが、なにかにつけてまわりの大人たちに「いつまで生きるの?」と聞くため、変な子どもと言われます。 長女の死について詳しく話したことはありません。長女の死因や死生観についてなど、なにか特別な説明や教育をしてやったほいがいいのでしょうか?どうしてやればいいのかわからずモヤモヤします。ただ、変な子どもと言われるのは不本意だし、よくないなと思っています。なにかいい言葉がけなどあれば教えてください。よろしくお願いします。

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子育てに失敗したくない気持ちが強いです

幼稚園年少組に入園したばかりの一人娘の子育てについて、どうしても「失敗したくない」と考えてしまいます。 30代半ばでようやく授かった可愛い娘です。家にある絵本の内容を諳じたりアンパンマンの絵をそっくりに描けたりと大人を驚かせるような器用さがあり、性格も明るく社交的で、入ったばかりの幼稚園でも元気に過ごしているようですが、一方で偏食がひどかったり、病院が苦手で赤ちゃんのように泣きわめいてしまったり、ちょっとしたことで癇癪を起こしたり、3歳にしては幼くて困ってしまう部分もあります。 「完璧な育児など不可能」と頭では分かっているのですが、感情的に叱り過ぎてしまったり、逆に甘やかしてしまったりしたとき、「今やった私の行いの所為で娘の将来に影を落とすようなことがあったらどうしよう」という不安がよぎります。 私自身は、親から愛されて育ち、もちろん辛いことや苦しいことはありましたが、自分で乗り越えられるだけの生きる力は身に付けさせてもらったと思っています。 私も娘にそのようにしてあげたいのですが、親の私がこのような不安を抱いているのは良くないと思います。 日々、どのような心持ちで子育てに臨めばいいのか、ご助言頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

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育児に自信がなくなってしまいました

はじめまして。 とても気持ちが苦しく...相談させてください。 5歳と0歳の子を持つ母です。 下の子が産まれてから特に上の子にキツくあたるようになってしまいました。 上の子優先にしなくちゃと思っていた為、下の子が産まれてすぐに上の子に「貴方のことがとても大事」だと伝えていた自分は何処へ行ったのか...。 今では何かと言葉で反抗してくる上の子に感情のまま怒ってしまう日々です。 食事中のマナーの悪さ(食べながら寝そべるなど)など、子ども自身にとって良くないことにも叱るのですが、やはり普段から怒りっぽい私が言うと怖いようで。 怒ってしまっている気がします。 当然私の対応が悪いので子どもには「パパがいい」と言われがちになり、すっかりパパっ子になってしまいました。 夫も忙しいながらに子どもの事はよく見てくれ、休日は子ども2人を連れて散歩に出るなどしてくれています。 その為最近は下の子もパパに後追いしたりします。 子どもをよく見てくれる夫なので子どもがパパっ子になるのは仕方ないとは思っています。 仕方ないと思いつつも、育児自体に自信が無くなってしまいました。 私が居なくてもこの家は回っていける、いや寧ろ子どもの事を考えたら感情に任せて怒る母親は居ない方が良いのではないか。 私は必要な人間ではないのでは。子どもにとっても夫にとっても毒のような存在ではないか そう思っては居なくなりたい気持ちになります。いつかこの衝動に負けてしまいそうで、どうしたら良いか分からないです。

有り難し有り難し 24
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「産まなければよかった」気持ちがとれない

大変罰当たりな内容で本当にごめんなさい。 産後のこころについて、2度目の相談になります。 前回、「お母さん」としての子育てが死ぬほど嫌という内容で相談させていただきました。 おかげさまで「お母さん」のハードルはかなり下がり、できることをしよう、一緒に家族として過ごすんだ、と気持ちが楽になりました。 しかしその後、「可愛い盛りの自分の子どもを、可愛いと思えない」「妊娠前の自由な生活がいい」そして「子どもを産まなければ良かった」という思いが消えず、しこりのようになってしまっています。 まだ周りは独身だったり子どもがいなかったりと、とても羨ましく感じてしまう自分がいます。ずっと続けたかった仕事をやめなければならなくなったのも一因です。 こんなこと思うのは世界中のお母さんの中でたった1人だろうな、産んだ子を育てたくないなんて、生き物以下だ、最低な人間だと思い、自分でも生きてるのが苦しくなります。そしてなにより自分の子どもにも本当に申し訳ないです。もう自分で自分を死刑にしたくなります。 でもこういう考えになったのは産後に「うつ」と診断されてからで、逆に出産前は「子どもに愛してるよ、と言葉で伝えられるお母さんになりたい」「何があっても味方をしてあげたい」と思い、お腹にいる赤ちゃんのためにかなり我慢強く妊娠中を過ごしました。 でもいざ産まれてみて、こんな気持ちになってしまうなんて思ってもみませんでした。うつになったのが関係しているのか、今は全てにパワーが出ません。 元々初めてのことにはかなり身構える、そして気が小さいタイプなのですが、どちらかというと、優しい、明るいと言われる方が多かったです。 そんな自分はいなくなってしまった、自分が最低な人間に変わってしまった、と思うのも辛いです。 なによりも「産まなければ良かった」という最低な気持ちを手放したいです。どうせ子育てするのだったら、愛情をもって私自身も元気な状態でやりたいです。 こんな私はどのように考えればいいでしょうか。 こんな内容で恐縮なのですが、心も折れかけているので、お言葉をいただけると大変ありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 40
回答数回答 2

ダブルケア(子育てと介護)にはさまれて

いつもお世話になっております。 お寺で働きたい、と年末年始の奉仕員をしてから、ご縁のあった介護福祉関係の仕事に就いて、約2年半ほどになります。その他にも副業をいくつか持っているので、週5と週2と週2と週1の仕事をしながら、介護と子育てをしています。 転職回数が多いので、今ある仕事も仏様のお導きと、ようやく「お声のかかる社会人一人前」になれたかと毎日修行のつもりで勤しんでいます。 「大変ね、休まなくて良いの?」とよく言われます。しかし私にとっては、どの仕事も楽しみで、特に今の所体調も影響なく、自分に合った無理のない毎日です。 むしろ、少し前に合わない人間関係だった頃のほうが、ストレスと過労で危なかった時期でした。今では転職先の仕事先の人間関係に恵まれ、それぞれのやりがいある仕事を無理なく楽しめています。 ただし家事は苦手です。その分、外の仕事に精を出しています。 娘は、反抗期真っ盛り、父親にはとても慣れ親しんでおり、反面、私の言うことには「別に。」と、まるで父親の恋敵のようです。 前置きが長くなりました。 夏の終わりに母が彼岸へ旅立ち、一人暮らしの父は傷心中で、自転車で転び腕を骨折しました。 整骨院や整形外科、病院をまわりましたが、もはや一人で受診も難しいほどに認知症の度合いが進んだ様子です。 私は、週休0日で仕事をしながらも、ごくたまの振替休日に父の受診に付き添ったり、必要とあらば早退して今日も通院に寄り添いました。実家に行った時は、掃除も手伝います。 当たり前のことですが、今後も続く親の介護は…いろいろと考えさせられます。 妻や嫁の立場では、見返りがない家事に、嫌嫌だった私ですが、今は報酬も何もなくとも、父のそばにいて、父がほっとして、ありがとうと言われることをすること自体は、苦にはなりません。 反抗的な一人娘は将来私に、ここまでしてくれるのかなぁ、と遠い目になったり、自分は介護のいらない、将来ヘルパーさんなどのお世話にならないような老後を送りたい、など、考えても仕方ないことが頭に浮かびます。 そんな傍らで、アイドルに夢中の10代の娘を見ると…自分はヤングケアラーで、母親は寝たきりでしたので、ますますため息です。 恵まれた彼女に比べ、それは親の私の休み無しの労働プラス、ダブルケアの賜物…なのに苦労知らず。 私は私、娘は娘。 仏様はどう見守ってくださるのでしょうか。

有り難し有り難し 10
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「母親」としての子育てが死にたいほど嫌

大変不謹慎な内容ですみません。 私は優しい夫と結婚し、すぐに子どもを授かりました。妊娠中は我慢も多かったのですが、仕事をしつつ会えるのを楽しみにして、無事安産で元気な子どもを産みました。 しかし出産して間もなく極度の不安や恐怖を感じお世話ができなくなり、明らかに様子がおかしく、医療機関を受診したところ、鬱と診断されました。 その後子どもへの拒否感も強く出てしまい、今は理解も優しさもある夫の実家に子どもを育ててもらっています。 里帰り先の自分の両親も理解して良くしてくれ、こんな恵まれた状況なのに、自分が「お母さん」になることがたまらなく嫌で辛くて、逃げ出したい、ひどい時には里子に出したい、それか私が死にたいと思ってしまいます。 どうして嫌なのかは、おそらく「母」としての責任を負うこと、これからのお世話が未知な事であること、日々のお世話と家事、仕事を両立すること、自分の時間がなくなることなど、世の中のお母さんが当たり前にしていることが、私にはものすごいハードルに感じるからだと思います。 こんな罰当たりな相談で本当に子どもにも家族にもこちらにも申し訳ないのですが、死にたいと本気で思ってしまう私にご助言ください。

有り難し有り難し 37
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ