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子どもに怒ってばかりで子育てがつらい

回答数回答 4
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2歳の男の子がいます。

最近、「嫌だ」が口癖で、落ち着きもありません。言うことを聞かないので、怒る場面がかなり増えました。

外でこんなに怒っている人は見たこともないというくらい自分では怒りっぱなしです。もちろん、危ないことや、やってはいけないことを何度もやるので怒っているのですが、そいう場面が多いです。

怒りたくなく、笑顔でいつもいたいのですが。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

例えばお閻魔さまやお不動さまなどは恐ろしい顔をしていますが、それは人間に悪いことをしないように諭すためです。

子どもを育てるのにいつも笑顔でいられるわけはありません。

時には怒りの表情を見せることも必要です。
でも、心まで怒りで満たさないようにして下さい。

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を専攻したのち、東京学芸大学で臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を執筆。 科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げる。 また心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考にワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催している。 史上初のお坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」の立ち上げにかかわるとともに同番組をはじめとした様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中。

子供への干渉のカロリーハーフ

ウチにも二歳の子がいます。
いわゆるイヤイヤ期で、何を勧めても嫌がられてしまいます。
最初のうちは、それに振り回されて参っていました。

子供のイヤイヤ、否定、拒絶の姿勢は疲れますよねー。
赤ん坊時代が泣く事でしか自分を表現できなかったように、二歳くらいはまだまだ、本当にやりたいその、たった一つのこと以外は、全部NOで答えることしか出来ないのでしょうね。

ここに一つのポイントがあります。
たった一つだけやりたいことがある。
そのことをわかってあげれば、ママもパパも子供にとって「お、わかってくれてんじゃん」と、良き理解者になれるのです。単にやりたいことが限定されているだけなんだと、思ってあげればいいと思います。

イヤイヤ期とか魔の二歳などとひどい言い方をすることもありますが、それでは子供がかわいそう。
子供はとにかく、ママが絶対に自分を裏切らないかどうか、本当に自分が愛されているのかを試しているわけです。
愛情のバケツが愛のガソリンで満たされ、安心感が満たされるまでは、愛のガソリンスタンドの店員さんになり続けなければいけません。子供の愛のガソリンは、すぐ空っぽになってしまうからです。

怒るのは、怒りのエネルギーで、同居者、子ども、自分に悪い影響を及ぼします。
キャーキャー騒いで、怒りたいときは、たった一つのしたいこと、何がしたいのかをやさしーく、子ども目線で、ご主人もその声で癒されるように接してあげることを基本にいたしましょう。
ほぼ八割がたママの愛情オイルを注いでおくれといっているのです。

そのやりたいことは、静かにママのそばで座っていることかもしれません。
時には、ほっといてもらいたいんだけど、そばにはいて欲しいことかもしれません。
本当に これなの?って思うくらい意外な答えであることが多いので、100のうち99は地雷ですから、なるべくそっと優しく、今夢中になっていることを継続させてあげると良いと思います。
本当に、その時にやりたがっている、その一本だけを子供自身に選ばせて、やらせてあげて、あまり干渉しない方が心が楽です。
もちろんハサミやライターなど危険なものを持った時は思いっきり叱って、そのあとハグしながらあなたが大切だからなんだよ?と伝え「ハイ」をきちんと言えるようにしつけています。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人間ですもの

MOMO 様

はじめまして。
問いへの意見を述べさせていただきます。

日々の子育てのご苦労を察しいたします。
時には怒ることも大切です。
それも人間でございます。
自分の気持ちに素直になりましょう。
そしてなにかストレス解消など発散する方法を考えましょう。
周りの方の協力を得て、自分を日々の生活から解放してあげましょう。

特に最後の文章でございます「怒りたくなく、笑顔でいつもいたいのですが。」
その気持ちが大切でございます。
そのこころがあれば、その道へ進むと思います。
人は思っていること、イメージしていることに進みます。

ぜひその気持ちをいつまでも大切に。合掌

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おきもち

「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

MOMO 様
 井上広法師のおっしゃられておられますように、子育ての中、様々な道徳・倫理を養わせていくためにしつけを行う際、時に怒ることは大切なことであります。そしてそれは将来の子どものためでもあります。これからの人生で間違った道を歩まぬように、しっかりと道徳的・倫理的に社会で過ごせていけるようにとして行うことが大切であります。
 ただ、その怒りによるしつけも、時と場合によっては悪い結果をもたらしてしまうこともあります。子どもの成長の器量に応じて、できるだけ適切に優しく諭す場合、厳しく諭す場合と見極めていくことも大切となります。例えば、まだ生後数ヶ月の子どもに対して、「危ないから寝返るな」と怒鳴り叩いて怒っても仕方がないように、子どもの成長度合い、分別度合いを見極めていかなければなりません。
 また、くれぐれも子どもへの怒りが己のストレス発散、自分の都合や自己満足のためによる怒りへと陥らないように注意することも必要となります。それはやがて虐待やネグレクトへも繋がりかねません。井上広法師が「心まで怒りで満たさないよう」にとおっしゃられているのもそのためであります。
 仏道は、慈悲と智慧によって正しく歩むことができて参ります。慈悲が優しさの教えであるならば、智慧は厳しさの教えであります。子育てもバランス良く、偏り無く、優しさと厳しさを兼ね備えて進めていくことが重要ではないかと存じております。MOMO様のお子様の健やかな成長を祈念申し上げます。
合掌

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ