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善悪

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有り難し有り難し 181

ぼんさんにもらったアドバイスを聞いて頑張ってました。特に年末年始あたりはめっちゃ努力して大変なこともあったけど、意識して前向きな発言だけをここに書くようにしてました。仕事で落ち込むことがあったんです。自分が頑張っていても相手のこともあるしうまくいかないんです。心のバランスが崩れました。でもそれは言い訳です。何言っても駄目だと思います。全部私の弱さです。努力足りなくてすみません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いずれにしても「その通り」になっているだけ。

人生はいつでも「その通り」になっているだけなのです。
そりゃー、失敗もあればツイテないこともあるもんです。
ですが、ご安心を。
良かれ悪かれ、今あなたがそこにそうしていることが最大のチカラです。
「その通り」になっているだけではないですか?
よいとかわるいとか、良かったとか悪かったとかじゃなく。
ただ、とりあえず、その通りになっているだけです。
それがこの人類の全ての有様です。
そのこと「そうなっていること」には善悪はありません。
「その通り」のことが、そのままそこにあります。
今日はアレコレ善悪の評価をつけずに「その通り」「そのまんま」「そのままの」「❝ま❞」さんでいてみてください。
そのまんまの「ま◌◌」さんで居られないから苦しいのです。
何かいつも足しているのです。
何かいつもやらなきゃいけないと思っているのです。
それも善悪とかやっている姿なのです。
「なにもたさないなにもひかない」そのまんまの「ま。」でもいいのです。
より良くなる為にかわっていってもいいのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ま。さんほどたくさんの質問をした人はいません。あなたが努力家だということはみんな知ってますよ。
確かに努力してもいろんな原因で上手くいかないことはあります。
現代社会は結果ばかりが求められます。
しかし、仏教的に大切なことは結果よりも過程です、精進つまり努力することです。
年始年末をなんとか乗り越えたように、今日一日、今日一日、とこれからも乗り越えてくださいね。
好きな音楽をいっぱい聞いて音楽からも元気をもらってくださいね。
いい曲があったら教えてくださいね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

私たちは幻じゃないよ

 こんばんは。これは以前、どなたかに書いたことでもあるけれど…
 あなたの問いに対しては、膨大な「有り難し」が付いていますよ。私たちは、貴女の問いかけを読み、インスピレーションを得たり人間についての理解を得たり、仏教を掘り下げることができたと思っています。「有り難し」は坊さんに付いているんじゃない。この「やりとり」についているのです。
 貴女からの投げかけは、言わば「たね」。貴女はここに、たくさんの花を咲かせていると思うんだがね。僕も昼間はいろんな事をして、上手く行ったり行かなかったり。見通しがつかないことも沢山ある。不安もある。ここhasunohaでだって、勘違いしたり的外れすることもある。坊さんとして、どうだったのかな?と思うこともアル。でも、この娑婆世界って、そういうもの。
 「努力」は足りたり足りなかったりということはありません。それを評価するのは自分だけ「自分なりにしたか・しなかったか」以外に評価のしようはありません。努力で全部が決まると思っているのは、学校教育の弊害です。努力と成果は関連有るけれどイコールじゃない。それも貴女の気づいたとおり。
 だからね…「すみません」なんて言わなくていいんだよ。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

そのままでいたいとも思います。難しいです。

お返事ありがとうございます。

ありがとうございます。

夏色が好きです。今、冬です。

お返事ありがとうございます。

ありがとうございます。

もっと努力します。

お返事ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ