hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

火葬について

回答数回答 6
有り難し有り難し 111

13歳の時に祖母を亡くし火葬しました。
その時の祖母が火葬されたときの場景が今だ20年以上たった今でも私の心の中ではトラウマになっています。
人を焼くなんて、骨になった祖母を見て本当に残酷だなと思いました。
また私自身も亡くなって火葬されるのだと思うと怖くてしかたがありません。
このような恐怖やトラウマをどう克服すれな良いのでしょうか?
お教え下さい。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

トラウマの正体

今後もプチ・トラウマ的な体験が起こる時の為に処方箋としてお読みください。
知り合いの方が車で事故を起こされました。
追突する瞬間、目の前が真っ赤だったそうです。
どうやらコカコーラの自動販売機に直撃だったそうです。
それ以来、コカコーラの自動販売機はどこにでもあるわけですから、車で通る度にフラッシュバック。
事故当時のイヤな気持ちがよみがえり、手が震えるような症状。
しばらく陰鬱な日が続いたそうですが、ある時よく自分を観察なされ、フラッシュバックはあっても、心が傷つかない方法を編み出した、見出されたそうです。
それはフラッシュバックとは単に記憶が思い起こされている状態なだけなのであるから、思い返された光景だけに留めて、そこから自分を傷つけるような暗い考え方に発展させずに(でてきた思いに手をつけないで)おけばトラウマに発展しない、ということが分かったそうです。厳密に申し上げれば、過去のワンシーンを思いだした時、その思いを、それっきりにしてしまうことです。
そのワンシーンから、自分を傷つけるまでには発展させない、強い意志のブレーキを持つのです。
たとえば、過去に振られた場所、イヤな思いをした場所、怖い思いをした場所。
そこに罪は無いはずです。その時はもう過ぎていて、今は状況、状態、風景も実際にその時のモノのままではないはずです。
よくよく自分観察をして、そこからセカンド、サードのダークな念をリンクさせている自分に気づいて、セカンド、サードに展開させなければフラッシュバック自体に何の毒もありません。
ぽん、と過去に記憶が出てきた時の、ファースト(第一次)のフラッシュバックのままで、それ以上自分を傷つけることは無くなります。
今後、火葬場といっても、日本中の火葬場がよってたかってあなたを苦しめる訳ではないのですから、外の出来事と、インナーイメージをしっかり切り離して、これ以上考えると自分を苦しめる、その一歩手前で思いの生活を展開させない習慣を持たれますと、一生安楽です。

{{count}}
有り難し
おきもち


丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話  自己を明らかにするために絶対に必要なこと 「非思量」 ...
このお坊さんを応援する

火葬の意味を知りましょう

コン様へ

まずは火葬の意味を知りましょう。
「死体を火で焼くことによって処理する葬法のこと。火葬の背景には、火で死体を破壊することによって霊魂が肉体からできるだけ早く離れていくことを可能にし、霊魂が新しいすみかを得て生まれ変わってくるきっかけをつくろうとする観念が存在していると考えられています」

その意味を知ることによって恐怖心がなくなるかもしれません。
昔から火に対するイメージが悪いのかもしれません。
トラウマは気にすれば気にするほど強くなるものだそうです。
自然に流されて、克服できたらいいのではないでしょうか。

              合掌

{{count}}
有り難し
おきもち


鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
このお坊さんを応援する

コン様。

>このような恐怖やトラウマをどう克服すれな良いのでしょうか?…

との事ですが、無理に此れ等を克服しようと為さらない事です。
無理に此れ等を克服しようとすれば、此れに捕われ、此れに執着する事と成りますから、逆効果をも生み出す事と成ります。
今が其の姿の現れかと存じます。

如何でしょうか?

{{count}}
有り難し
おきもち


色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
このお坊さんを応援する

無常観

コン様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

青年多感期の頃においては、かなり衝撃が強すぎたのかもしれません・・克服していくためには、「無常」観をいかに理解できるのかが大切なことになるのではないかと存じております。

コン様の菩提寺様のご宗旨は分かりませんが、もしも浄土系でございましたら無常観を考える上にて重要となる下記二つのお経を挙げさせて頂きますので、少しくでもご参考として頂けましたら幸いに存じます。

黒谷和讃

帰命頂礼釈黒谷の 円光大師(法然上人)の教えには 人間僅か五十年
花に譬えば朝顔の 露より脆き身を持ちて 何故に後生を願わぬぞ
たとえ浮世に長らえて 楽しむ心に暮らすとも 老いも若きも妻も子も
後れ先立つ世の習い 花も紅葉も一盛り 思えばわれらも一盛り
十や十五の蕾花 十九二十の花盛り 所帯盛りの人々も
今宵枕を傾けて すぐに頓死をするもあり 朝なに笑いし幼な児も
暮れには煙となるもあり 憐れ儚きわれらかな 娑婆は日に日に遠ざかり
死するは年々近づきて 今日は他人を葬礼し 明日は我が身も図られず
これを思えば皆人よ 親兄弟も夫婦とも 先立つ人の追善に
念仏唱えて信ずべし あら有難や阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

白骨の御文 蓮如上人

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫、末の露よりも繁しといえり。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち


トラウマの本質

人が亡くなった後に火葬するのは今ではとても普通に行われていることです。
人は亡くなって土に還るのです。

しかし、トラウマの原因が「火葬」だけでしょうか?
祖母やまた親兄弟、親戚関係で何かあったのではないでしょうか?
難しい問題なら専門の機関にかようなり、カウンセリングを受けるなり、
必要が有るかもしれません。
無ければTFT療法も効果があります。

{{count}}
有り難し
おきもち


50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
このお坊さんを応援する

コンさん、こんにちは。

”恐怖やトラウマ”とのことですが、どのようなときにそう感じるのでしょうか?
なにかがきっかけになると、ふるえがとまらない・冷や汗がでる・うごけなくなる・・・ただし、意識がはっきりしているのなら、「PTSD」かなぁと思ったりもしますが・・。私は医者ではないので、診断はできません。
どれくらいの幅の”恐怖やトラウマ”なのか。・・が克服しようにもどうすれば?の答えが出やすいかもしれませんね。

さて、コンさん。
暇さえあると考えてしまった仕方ないのですか?
いま時間をもてあましている生活で、想像してしまうのですか?
もしそうであるならば、「”恐怖やトラウマ”と向き合う」ことよりも、お仕事やら趣味やらに意識を向けることのほうが大切かもしれません。

もしそうでないならば、向き合うことが大切なのかもしれませんね。

火葬がおいやでしたら、「自分は火葬しないでどうにかする」と覚悟を決めることでしょうか。一時的にですが、そう思うことです。

{{count}}
有り難し
おきもち


「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

誤字がありました。訂正します。

回答いただき、ありがとうございました。

祖母が死んだときに生まれて初めて死を身近に感じました。
13歳という多感な時期だったので衝撃が強かったのかもしれません。

トラウマと書きましたが、このことで他のことが手につかないとか、体が震えるという症状はありません。
なんとなく、ふっとした瞬間に思いだすのです。ドラウマという表現は適切ではなかったのかもしれません。

お坊さんに回答していただき勉強になりました。
改めて感謝申し上げます。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

孤独死が怖いです

こんにちは。私が恐れていることを聞いて下さい。 私は、自分が迎える最期は孤独死なのではないかと思い、恐怖しています。 自分が孤独死すると思う理由は、2つあります。 1つ目は、これまで誰も、私に恋愛関係になろうと言い寄ってこなかったからです。 私が学生でいられるのは、今年が最後です。 しかし、私には恋人ができたことが1度もありません。 世の中の学生同士のカップルの話を耳にする度、 自分はもうずっと恋人を作れないのではないかと不安になります。 社会人には恋愛に割く時間などないのではないか、 自分には魅力がないのではないかと思ってしまうのです。 2つ目は、私が一人でいるのが好きだと自覚したからです。 私は、昔から人見知りをする子でした。 大学進学を機に地元を出てからは、久しぶりに地元の友達と会っても、 以前のように心から楽しむことができなくなりました。 また、大学で新しく友達をつくることにも苦労しています。 ふとした瞬間に一人でいる気楽さを優先したい自分を認めてしまいます。 以上の2つの理由から、自分に伴侶ができる未来を想像できなくなってしまいました。 生涯独身を貫き、果ては独居老人となるのではないか。 死後しばらく気づいてもらえず、体が腐り、虫が湧いて初めて片付けてもらえるのではないか。 そういった不安が常に頭に浮かんできます。 これを読んで下さった方、どうかご意見をお聞かせ下さい。 お願い申し上げます。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

恐怖を忘れることは良いことか?

お世話になっております。いつも温かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 今回お聞きしたいのは、「恐怖を忘れて過ごすのは良い傾向なのか?」というものです。 以前より、死の恐怖を克服する方法についてご教示頂いております。怖くなったらお念仏を唱えたり、仏教に関する本を読んだりして、少しでも悟りに近付けるよう勉強しています。 その中で、以前よりも、恐怖を感じる時間が少なくなっていると感じます。しかし、決して死が怖くないわけではなく、ただ別のことに気を取られて恐怖を忘れているだけなのです。 日々が忙しくなるとそのような「忘れている時間」が増えていくのですが、隙間の時間に死の恐怖を思い出して、絶望感に苛まれます。 そこで、 ・死の恐怖を忘れている時間は、仏教の修行的にはあって良いのか?それは、克服へと繋がっているのか? ・それとも、何度も恐怖を思い出し、その度に勉強したり念仏したり…と繰り返す方が好ましいのか? の2点について、ご教示願いたいです。 どうしても、文献に触れたり念仏を唱えたりすると、死の恐怖を連想してしまうので、精神的に疲弊してしまいます。そのため、どうでもいい娯楽で恐怖を誤魔化してしまうこともあります。 一方で、死に対する絶望感から、「早く死の恐怖を全く感じないようになりたい」と思い、つらくても修行した方が良いのか、と思うこともあります。 また一方で、自分のしたいことは「死の恐怖の克服」だけではなく、ほかの勉強や趣味にも勤しみたいので、少なくとも現状では、やることを仏門修行だけに絞るのは避けたいと思っています。 長文かつ、わかりづらい文章になってしまい、申し訳ございません。お時間ある時で構いません。ご教示頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

死ぬのが怖くなくなりたい

以前からお世話になっております。 死後のことや、仏様のことなど、さまざまなことを知識として取り入れさせて頂きました。少しだけ理解できた事もあります。本当にいつもありがとうございます。 それなのに、こんなに教えて頂いても、頭ではわかるけど怖い気持ちが消えないのです。本当にすみません。 転生してもしなくても、死後がどうなるとしても、自分が他のものに変容して、今の自分には戻れないと思うとどうしても恐ろしくなります。 世界が「有る」のも気持ち悪いです。いつか消えるのに、今だけは「有る」なんて理解できません。かといって、有る、無いも何もない、というのも実感としてわからないのです。 仏教が好きですし、仏様を信じさせて頂きたいという気持ちがあります。仏様が私の意志に関わらず救ってくださる、ということも頭では分かっています。 それなのに、どうしても怖いのです。 そして欲深くも、「今すぐに死の恐怖を消して、その先ずっと怖くない、絶対の安心を手にしたい」と思ってしまうのです。 その割に、「実感のない事」が信じられない自分も居ます。ですが、「救われた実感」なんてものは幻想で、そう思ってる時は救われているとは言えない、というお言葉も目にしました。 仏教の教えについても浅学で、失礼なことを言っていたら本当に申し訳ありません。 恐怖を消す方法なんて無いかも知れません。ですが、この恐怖を、もはやどうしたらいいのか自分ではわからなくなってしまいました。 今すぐ死ぬのが怖く無くなって、その先ずっと安心になるには、具体的に私は何をしたら良いのでしょうか。 毎日怖いです。なんでこんなふうに自分が存在して、存在することにも消滅することにも恐怖してしまうのでしょう。恐怖さえなくなってくれれば、と思わずにはいられません。 支離滅裂な文で本当に申し訳ございません。 お時間ある時で構いませんので、皆様のお考えをお聞かせ頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

いつか必ず死ぬ恐怖を克服する話

小さい頃から、夜寝ている時にふと、自分という存在はいつか必ず死ぬんだと考え、それを想像したときに恐ろしくなって...というのを20年以上続けてきました その恐怖を克服するために自分なりに考え出した答えがあります 人間というのは、科学的に言えば素粒子の塊である、死ぬということは今まで塊になっていた粒たちがバラバラに解散することである、粒そのものが消失するわけではない、あくまで失うのは「人間」という形だけである 他の粒たちの助けを借りて実現できていた、見る力、聞く力、考える力、記憶などは全て失われる でも、この身体(脳)の中心にいる「自分」という個性を持った粒は失われない 火葬され、煙突から吹き上がり、風に乗り、また別の何かになる 何にしても、死ぬということは、人間という形を手放し、先に逝ってこの世界を舞っている皆のもとに合流することである... こういう風に考えると、死ぬということが絶対の孤独をもたらすものではなく、むしろ生き抜いて老いた後の孤独を解消するものであるとさえ思えてきました 自分なりに納得できる答えで気に入っているのですが、こんな話をする機会がありません(家族や友達といきなりこんな話をする気にはならない) お坊さんの方々はいつか必ず死ぬことについてどのように考えているのでしょうか 仏教の教義には色々な考え方があると思うのですが、それを絶対の教えとされているのでしょうか

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死にたくないのに死について考えてしまう

何故だか、死について考えてしまいます。 死を選んでしまいそうで、怖いのです。 私は心療内科に通っており、一人で遠出するのもかなり緊張してしまう状態です。症状が酷いときはお薬を飲んでしのいでいますが、『いい歳して、ろくに外も歩けないのか…』と思うと、苦しくなります。 苦しい気持ちはありますが、私自身、非常に恵まれた環境で生きていると思っています。一度メンタル面で体調を崩し退職したものの、現在はなんとか仕事に就けています。両親も健在。家庭環境や人間関係に困っていることもありません。傍から見れば、何一つ不自由のない生活だろうと考えています。 ですがある時、ふっと頭に『死にたい』という言葉が浮かびました。 自分でも非常に驚きました。年金もらうまで死ねない!なんて思っていたはずなのに。自殺についてなんて、少しも考えたことがなかったのに。 しかしよくよく考えてみれば、私には資格もなければ趣味もありません。なんの取り柄もない人間だと思います。心の奥底では、そんな自分に価値がないと思っている気がします。 決して死にたくはないのです。ですが気分が落ち込んで、今ではうっかり死を選んでしまいそうです。自分がコントロールできなくなるような気がして、恐ろしくて仕方がありません。 自分の中に生と死の2つの考えが頭から離れず、どうしてもソワソワしてしまいます。 私はおかしくなってしまうのでしょうか。どうしたらいいのか分かりません。 生きる知恵、良い考え方を教えて下さい。しっかり生きて、人生を楽しみたいです。 うまくまとめられず読みにくい文章になってしまいました、お許しください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

娑婆のニュース
仏教を知る ブッダの言葉
そらノート

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

縁切り供養寺大法寺