どうすれば、すべての人を尊敬できるようになるのでしょうか?
長文で申し訳ありません。どうぞよろしくお願いいたします。
私は小さな頃から「天才だね」「何でもできるんだね」と言われて育ちました。実際にかなりの才能に恵まれているようですが、自己肯定感が強いので、どうしても傲慢な気持ちが捨て切れません。
私は長い間、業務能力が芳しくない人と一緒に働くことで生じてしまう様々な非効率に悩まされてきたので、正直「賢くないことを自覚していない人」がとても苦手です。
正直「賢くない人と働きたくない」という思いもあり、学生の頃に個人事業を起こして順調に経営していましたが、25歳の頃に孤独なお金儲けが虚しくなり、大きな仕事を純粋に楽しむことを目標に一流企業に入社しました。
日本でも指折りの入社難易度を誇る会社でしたので、入社後は優秀な人に囲まれて本当に楽しく働いていました。「やっぱり、優秀な人に囲まれて過ごせば悩みは解決するんだ。賢くない人に関わりさえしなければ、健全な気持ちで働くことができるんだな」と感じたのです。
しかし心の底では、「優秀ではない人を見下してしまう自分」がすごく嫌いです。その人の人として尊敬できる部分を探して尊敬しようとしても、「あ、この人頭が悪いんだな・・」と感じるとどうしても上から目線になってしまうんです。
これではいけない、傲慢だ・・・と思い何度も謙虚になろうとするのですが、「頭の悪い人に対する嫌悪感」が強く、うまくいきません。
「頭の良さ=人徳」ではないことはわかっているのですが、経験上「頭が悪い人からは迷惑をかけられたり失礼な目にあう」という認識が拭えないのです。
しかし、私が人より器用に生まれたのは、自分ではなく誰かを助けるためなのだろうな、とも感じています。
どうすれば、賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頭が良いなら分かるでしょうに。(^<^)
A尊敬ではなく尊厳を認めて尊重していただけれるとありがたいですネ😺
Q才能に恵まれているようですが、自己肯定感が強いので、どうしても傲慢な気持ちが捨て切れません。
Aそれはあなたが安全地帯のぬるま湯に浸かっちゃって、そこを基準に生きているからでは?
傲慢な気持ちが捨てられないのじゃなくて、自分の安全地帯中心のラクショーストーリーで生きているからでしょう。登場する劣等的な立場にある人に対してザコキャラ扱いしているだけで、ある種差別ッスよ?その人たちはアナタより優れた特質・特性・才能も持っていますよ。その人たちに抜かれてみなさい。あなたは途端にピーピー泣くような気持ちを味わうでしょう。💀
Q「賢くないことを自覚していない人」がとても苦手です。
Aあなたコソ賢くないことを自覚していない。自分に眼を向けてみては?さっそく数カ所ボロが出てますけど、いっそのこと自信なくさせちゃってもいいですか?👿
Q「あ、この人頭が悪いんだな・・」と感じるとどうしても上から目線になってしまうんです。
Aあなたが本当に頭がよくて優秀だったらそういう発想にならないと思いますが。
勝ちに行きたい気持ち・心が強いだけというのでしょう。あなたは頭がイイのでしょーから、試しに、自殺しようとしている人が即座に死にたく無くなるような言葉をお礼欄でメッセージとして記してみてください。今みんな大変です。
死にたい、と言っている人たちをゼロにする方法や、あなた一人だけが勝って気持ちいい優越感などの安い幸せにのぼせている程度の脳内ぬるま湯にぷかぷか浮かんでいるおバカちゃんをレンゲで救ってやったらどうでしょうか。
世間はそういうレベルをとっくに卒業している人がもっといる。出会ったことがないのでしょう。あなたの賢い頭で、もっと人間世界を勉強してほしい。
そして、もっと世界を良くして欲しい。
Qしかし、私が人より器用に生まれたのは、自分ではなく誰かを助けるためなのだろうな、とも感じています。
Aさっそく腕の見せ所ですよ。☝このhasunohaサイトの苦しい経営状況をあなたのチカラで運営者が経済的にも助かる方法を提供してほしいです。頭いいでしょうからやってください。
Qどうすれば、賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?
Aあなたの賢さで無私・無我を体得すればいいじゃないですか。頭イイんでしょ?🐱
御自身の優秀さを確認してみては如何でしょう…
「賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?」という、とても賢いとは言えない私には答えようのない質問に回答致す大変な非礼を、無茶をお許し下さい。
あなたが賢いのであれば、あなたと同じか、またはあなたも認めるような優れた人とばかり付き合い、またご一緒に仕事をすればよいのではないでしょうか。それで問題解決です。
でも、現実には周りに優秀でない人がいる…上司に相談してみては如何でしょうか。周囲に優秀でない人がいて、私はとても健全な気持ちで仕事が出来ないと…。
相談出来ませんか? もしかすると、『あなたの実力からすれば、その通りだと思う。よし、もっと優秀な人間だけ集まる最精鋭部署に異動してもらおう』ということになるかも知れません。
でも、ちょっとだけ気をつけなくてはいけないのは、上司の答えが例えば『会社はチームワークで回っている。君だけで成り立っているんじゃないんだ。君は自分のことを買い被りし過ぎていないか? 高慢になっていないか。現に私は君についての評価は…』なんてことになるケースです。
稀だとは思いますが、上司によってはあり得なくもないですね。
気になるのはあなたに対する他の方の声が聞こえない点です。
「頼りになる」「仕事早いですね…」「今度はこっち頼む…これは君にしか任せられないよ」…社内でそういった声は聞こえてますか?
実は、私のこの返答はあなたには全く届かないのではないかと想像しています。優秀かどうか分からない人間の言うことはあまり聞きたくない、判断の材料にする気がない…といったお気持ちでいらっしゃるのではないかと思うのです。
はっきり申せば、本当に優秀なお方は人に相談しなくても物事を決断し、進めていくことが出来ます.それが最優秀なリーダーの能力であり、立場だからです。このハスノハを知った、またここに相談されたこと自体に何らかのあなた自身も気付いていない、あなたの悩みや問題が隠されているような気がします。
仏法とは一言で申せば「自分との向き合い方」です。また「自分の生き方を自ら問う」ものです。
本当に優秀なお方は自分を優秀とは言いません…他人から反感を買う羽目になり、自分が不利益を被るかも知れないからです…どうか、今一度、御自身に真摯に向き合って下さいませ…あなた自身の今後の人生のために、より豊かにするために…。
自分の能力を社会に生かしてください!
hasumiさん、こんにちは。
hasumiさんは能力のある方なんですね。それは素晴らしいことだと思います。人間は能力は等しく同じではありません。知的な人もいればいわゆる落語の与太郎的な人もいます。hasumiさんが言うとおり、テキパキ仕事ができる人にとって、与太郎さんとの仕事は負担以外ありません。仕事は結果主義なので、それは良い仕事とはいえないでしょう。
でもそんな与太郎であっても社会では必要ではないかといえば、そうではないのです。与太郎には与太郎的の生き方・仕事があり、それは逆にhasumiさんにはできない仕事だと思います。
たとえばhasumiさんは力仕事はできない筈です。それはhasumiさんには備わっていない能力だからです。与太郎以上に知的障害を持っている障害者の中には、普通の人では絶対できない単純動作の仕事を黙々とできる人がいます。障害者のアートの世界では能くあるサヴァンのような能力です。
つまり知的なhasumiさんではできない仕事もたくさんあり、多くの人たちのそれぞれの能力が一つに補完しあって社会全体を作っているのです。それを天台宗では「十界互具」すべてのそれぞれの世界の能力の違う人々が関係しあって生きている調和の世界と説きます。
hasumiさんにはhasumiさんの能力があります。それを社会にどんどん生かしてください。本当の人間社会の価値は能力ではありません。社会貢献できる自分であるかどうかです。hasumiさんのように賢くない人でも社会に貢献し神さまのように敬われている人はたくさんいます。例え賢くてもオウム真理教の幹部信者のように人殺しに知識を使った人もいるのです。
自分の能力を持つ人々の集団に入って仕事することは大切です。そして他の人の能力が自分の持っていない能力であることを知ればいいのです。その能力があることはhasumiさんにはわかるはずです。そうすると、自分のできないことは尊敬の気持ちになるでしょう。
合掌
別に無理して尊敬しなくてもいいのでは・・・。
そんなことは出来るはずがありません。あなたはあなたです。あなたは気付いているかどうかは分かりませんが賢い人が活躍できる職場にいるだけなのです。そして、自分の力を過信しないことが大切です。
賢いということが30歳代で言えるだろうか?40歳代で言えるだろうか?50歳代・・・。または、それは仕事では言えるかもしれませんが、家庭では言えるだろうか?友人関係では言えるだろうか?恋人関係では言えるだろうか?自治会など地域の付き合いの場で言えるだろうか?
私もこのように悩みの回答していても賢い回答をしたからと言って感謝されることは中々ありません。悩んでいる人の心に寄り添って回答しないと反感を買うばかりです。どちらからというと悩んでいる人から教えてもらうことが多いです。
別に尊敬する必要は無く、賢いあなたは賢いままでいいのです。そこからスタートして、あなたと逆のタイプ、不器用な人は具体的にどこが不器用なのか?どこを改善したらその不器用さが克服できるか?本人もそこを直したいと思っているか?色々想像し、本人に聞いてみてること大切です。あなたなら的確なアドバイスが言えると思います。極論は勉強会を開いたり、ワンツ-マンで接することです。ただし、気を付けることはまずは相手を否定しないことです。どんな人にも自尊心はあります。否定されたら誰もあなたの話は聞いてくれません。相手を変えようとしないことです。現状でその人が困っているところをサポートするのみです。例えば忘れ物が多い人でも毎回「今日は忘れ物ない?」と聞かれたら嫌な気分になりますよね。しかし、忘れ物をしたとき、例えば、傘なら自分の携帯用の傘を貸すとか、職場でずーと置きっぱなしの傘を使えばとアドバイスすると次から忘れる確率は減るのです。場合によっては根気は必要ですが。時間が解決することもありますので焦らないことをお薦めします。
「智慧」という言葉は頭が良いという意味ではありません。すべてのものを空の状態で見極める力です。是非、智慧を身に着けるつもりで行動してください。
hasumiさま
すべての人を尊敬する方法は、ものごと、できごとに
その人が貼り付けている一切の意味、価値を全部
引っ剥がして、ありのままの様子をその人が直に
感じるしかないと思います。
非現実的に響くかもしれませんが、仏教の方法の
1つだと思います。
上から目線になってしまうことの理由に、
頭の悪い人から迷惑をかけられた、不快感・・
とありましたが、上から目線、優劣で物事をみてしまう
理由はほかにもあると思います。
どうして優劣という構図で人をみてしまうのか?
見る必要があるのか?
hasumiさんのこころは、満たされていますか?
もし満たされていなければ、満たすために
こころは自動的に優劣の構図を作り出し、
自分を優に、他を劣にし、自分を満たそうと
することもあります。
hasumiさんがこのパターンかどうかはわかりませんが、
もしそうゆうパターンなら、人を尊敬云々ではなく
自分のこころを満たしてあげることが、目をむける所
になるのではないかと思います。
わたしは優越感も劣等感も同じところから来ていると
思っています。
質問者からのお礼
大鐵様
お答えいただきありがとうございます。無理に尊敬をする必要はないのですね。
「できるはずがない」というお言葉で、悩んでいる方向が見当外れだったのかもしれない…と感じました。
>それは仕事では言えるかもしれませんが、家庭では言えるだろうか?友人関係では言えるだろうか?恋人関係では言えるだろうか?自治会など地域の付き合いの場で言えるだろうか?
この点を振り返ると、至らないことが沢山あります。私が仕事で「賢くない人だ」と感じてしまっても、きっと私生活では私などよりはるかに周囲の役に立っている人が沢山いらっしゃるのでしょうね。
>本人もそこを直したいと思っているか?色々想像し、本人に聞いてみてること大切です。あなたなら的確なアドバイスが言えると思います。
このお言葉を読んで、「自分ができないことは教わる気持ちで、できることを人のために生かすこと」が大切なのだな、と感じました。
せっかく授かった能力ですから、誰かのために生かしたいという気持ちもとても強いのです。自分だけが楽をするために賢く生まれたのではないはずだと感じています。
>すべてのものを空の状態で見極める力です。是非、智慧を身に着けるつもりで行動してください。
至らぬ私にはまだ全ては理解できませんが、フラットな気持ちで物事を判断していきたいと思います。
傲慢な心と、それを自覚する自己嫌悪で、視野が狭まっていたように思います。
すべきことを示していただいたおかげで、心が落ち着きました。本当にありがとうございました。
小林 覚城様
お答えいただきましてありがとうございます。
お言葉を読んで心に沸いた思いを、率直にお伝えいたします。
人の世界では「賢い」という事実を説明すると、その瞬間に「生意気なやつだ」と判断されることがあります。
特に「賢い人」に対してコンプレックスをお持ちの方は、もうそれだけで話が進まなくなります。賢いかどうかなど確認せず、「高慢な勘違い野郎」で片付けることで、相手を枠に収めて安心しよとするのです。
そのような摩擦は、賢い人であれば誰でも幼い頃から経験済みです。ですから、普段は誰にも相談などできません。
しかし、お坊さまならそのようなことにとらわれず、私の心に寄り添ってくださるのでは・・・と期待して、こちらに辿り着いたのです。
>本当に優秀なお方は自分を優秀とは言いません…他人から反感を買う羽目になり、自分が不利益を被るかも知れないからです…
あえて起業のことや一流企業への就職を載せたのも、「賢いということは勘違いではなく、事実です。それを前提に、相談させてください」というメッセージでしたが・・・届かなかったようですね。
>「賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?」という、とても賢いとは言えない私には答えようのない質問に回答致す大変な非礼を、無茶をお許し下さい。
明らかな嫌味に、とてもがっかりしました。
私は、このような対応を人間社会における「差別」だと考えています。差別は弱者だけが受けるものではありません。賢いということも、人と違うという意味で差別の対象となるのです。
> 実は、私のこの返答はあなたには全く届かないのではないかと想像しています。優秀かどうか分からない人間の言うことはあまり聞きたくない、判断の材料にする気がない…といったお気持ちでいらっしゃるのではないかと思うのです。
どうして、私が初めから「すべての人が馬鹿だと思っている」ような扱いなのでしょうか?
私は、その人のことをきちんと見つめずに判断などいたしません。
名前すら知らなかった小林さまに対して、頭ごなしに「賢くない人だから判断材料にしない」などと考えるはずもありません。
せっかくご回答いただきましたのに、このような思いをお伝えしてしまい心苦しい限りです。
しかし、お答えをいただきましたことに心から感謝申し上げます。
丹下 覚元様
す、すごい・・・!
目から鱗です。色々な意味で勉強になりました。
世界は広いのですね。
説得力と慈愛に溢れる御説法で、私は井の中の蛙だとよくわかりました。
素晴らしい御説法をいただき、本当にありがとうございました。
染川智勇様
お答えいただきありがとうございます。
「生意気に映るだろうな」ということは十分に覚悟した上での投稿でしたが、本当に私の身になってお答えくださり、深く感謝いたします。
やはり、こういった反発を受けやすい相談は生半可なところでは難しいと思っておりましたが・・・染川さまのお答えをいただけたことで、hasunohaにたどり着けた意味を理解いたしました。
「私は優秀なので」などというと、当然ながら相当な器量の方でないとシャットアウトされてしまいますので、このような相談はずっと胸に秘めていたのです。
>たとえばhasumiさんは力仕事はできない筈です。それはhasumiさんには備わっていない能力だからです。与太郎以上に知的障害を持っている障害者の中には、普通の人では絶対できない単純動作の仕事を黙々とできる人がいます。障害者のアートの世界では能くあるサヴァンのような能力です。
>つまり知的なhasumiさんではできない仕事もたくさんあり、多くの人たちのそれぞれの能力が一つに補完しあって社会全体を作っているのです。
このお言葉を見て、本当にその通りだ・・・と感じました。私が少し人より器用だったとしても、一人でできることはほんの一握りです。他の人の力なしには何もできません。それなのに、仕事をしている間は活躍できるので、周りの方のありがたみをついつい忘れてしまうのですね。
>それを天台宗では「十界互具」すべてのそれぞれの世界の能力の違う人々が関係しあって生きている調和の世界と説きます。
今の私にまさに必要な言葉を教えていただき、ありがとうございます。
感謝の気持ちを持つことが、尊敬の念につながるのですね。
傲慢になっているな、と感じたらこのお話を思い出します。
僭越ながら、染川さまのような方こそ、人を導かれるのに相応しい方だと思います。
本当にありがとうございました。